バーンスタインのベートーヴェン全集(1990年10月14日)
1990年夏の終りに左膝を骨折して10月10日に退院して、それからリハビリ通いしていた。
バーンスタインが亡くなったのを知ったのも、
病院の待合室に置かれているテレビから流れてくるニュースによってだった。
ニューヨークで亡くなっているから時差を考えると、15日のニュースだったのだろう。
リハビリに通う以外は何もしていなかったころである。
新聞もとってなかったし、テレビはもうずっと所有していなかったから、
病院に通っていなかったら、バーンスタインの死をしばらく知らなかったことかもしれない。
リハビリは想像していた以上に痛かったけれど、
リハビリに通っていたおかげで知ることができた、ともいる。
テレビを見ていたわけではない。
どこか違うところを眺めていたら、バーンスタインという単語だけが耳にはいってきた。
へぇー、珍しいこともあるんだな、とテレビの方を向くと、亡くなったことを知らせていた。
1980年代の後半、現役の指揮者で夢中になって聴いていた指揮者のひとりがバーンスタインだった。
コロムビア時代の録音にはそれほど関心はなかったのに、
ウィーン・フィルハーモニーとのブラームスあたりからバーンスタインに夢中になっていた。
ドイツ・グラモフォンからは次々と新譜がでていた。
フィリップスからもトリスタンとイゾルデが出た。
バーンスタインは1918年生れだから、このころは70になる、ほんの少し前。
こんなにも精力的に録音をこなしていくバーンスタインの演奏は、
若い頃のコロムビア時代の録音と比較して、執拗さが際立っていた。
マーラーはコロムビアとドイツ・グラモフォンの両方に録音を残している。
ずいぶん違う。
どちらが好きなのかは人によって違うもの。
歳のせいか、ドイツ・グラモフォンの再録は聴いていてしんどくなる……、
そんなことも耳にする。
たしかに、ワーグナーのトリスタンとイゾルデもそうだったけれど、
マーラーもしんどくなるほどの執拗さと情念が、渦巻いていると表現したくなるほど、だが、
このころのバーンスタインよりも歳が上の聴き手がそういうことをいうのは、
そうかもしれないと納得できるけれど、
すくなくともこのころのバーンスタインよりも、
まだ若い聴き手が、そんなことを口にして敬遠しているのは、
音楽の聴き方は聴き手の自由とはいうものの、少し情けなくはないだろうか。
執拗ではある、けれど決して鈍重ではないバーンスタインのワーグナーやマーラーを聴いていた、
そのころは私は、バーンスタインに録音してほしい曲がいくつもあった。
いまのバーンスタインだったら……、そんなことを思いながら、
バーンスタイン関係の録音のニュースをいつも期待して待っていた。
それが、この日のニュースによって、すべてすーっと心の中から消えていってしまった。
マタイ受難曲をもういちど録音してほしかった……。