Archive for category 終のスピーカー

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(続々続SUMOのThe Goldとのこと)

ステレオサウンド 187号の柳沢功力氏のふたつの記事を読まれた方ならば、
これから私が書こうとしていることはおおよそ想像がつくことと思う。

アンプの出力段の回路方式やスピーカーの能率、エンクロージュアの構造、
こういったことが共通するというだけで音がどれだけ判断できるか──、
ほとんど判断できない、ともいえるし、
バックロードホーンならばすべて同じ傾向の音がする、とか、
そういったことはいわば短絡的なことでしかないのだが、
それでもあえていえば、
D130という高能率のフルレンジユニットとバックロードホーンの組合せ、
その組合せからなるスピーカーシステムを、Circlotron回路のパワーアンプで鳴らす、
つまりSUMOのThe Goldで鳴らしてみたい、という私の直感は間違っていなかった、
そのことへの裏付けが、それもいわば他人からみれば、なかばこじつけによる裏付けにみえるだろうが、
本人にしてみれば確かに得られた、という感じなのである。

と同時に、VOXATIVのAmpeggio SignatureとアインシュタインのThe Light In The Dark Limited、
この組合せの音は、ぜひ聴いてみたい、と思うようになっている。

柳沢氏は、
「このような高感度ユニットはそうした違いに極めて敏感で、この音はまさに生きている。ことに声はじつに生々しく、そこに人がいる気配さえ感じとれる。」
とAmpeggio SignatureとThe Light In The Dark Limitedの音について書かれている。
聴きたくなるではないか。
それよりなによりもD130をおさめた「Harkness」をThe Light In The Dark Limitedで鳴らしてみたい。

The Light In The Dark Limited、いまもっとも聴きたいパワーアンプである。

やはり自分の手で「21世紀のThe Gold」をつくるべきなのか。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(続々SUMOのThe Goldとのこと)

ローサーのスピーカーシステムも、またバックロードホーンの高能率型だった。

VOXATIVのスピーカーシステムも同じである。
柳沢功力氏の記事を読めば、
なぜユニットがローサーにそっくりなのかがわかる。
そして、VOXATIVの最初のスピーカーシステムのAmpeggio Signatureも、
ローサーと同じようにバックロードホーンである。

とはいえ21世紀に、新進メーカーのデビュー作と登場してきただけあって、
ローサーの単なる復刻でないことは記事からわかる。
詳細についてははっりきしたことはわかっていないものの、
バックロードホーンのエンクロージュアも昔ながらの設計とはそうとうに違っているようだ。

高能率のダブルコーンのフルレンジユニットをバックロードホーンにおさめている。
このスピーカーシステムの試聴に柳沢氏は、
ステレオサウンドのリファレンス機のアキュフェーズA200の他に、三つのアンプを用意されている。

「短時間の試聴のためぼく自身も結論には至っておらず、製品名を公表することで相性の善し悪しをより強く印象づけてしまいそうに思うからだ」
を理由に、アキュフェーズ以外のアンプにはついてはブランド、型番については書かれていない。

けれどどれがどのブランドのどの型番のアンプかは、すぐにわかる。
柳沢氏がアンプ『C』とされているアンプ、
これがアインシュタインのThe Light In The Dark Limitedである。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(続SUMOのThe Goldとのこと)

Circlotron(サークロトン)という、この回路技術を、
ヤマハはプリメインアンプのA-S2000で採用している。

A-S2000の回路図は公表されていないし、いまのところ入手できていないから、
はっりきと断言はできないけれど、A-S2000の回路についての説明文や図から判断するに、
基本的には、そういえるはずである。

とはいえCirclotron(サークロトン)という、この回路技術を表す単語が登場することはなかった。
Circlotronが、いまのオーディオ雑誌に登場することはないだろうな、と思っていたら、
なんとステレオサウンドの187号に載っていた。

柳沢功力氏によるアインシュタインのパワーアンプ、The Light In The Dark Limitedの記事である。
電圧増幅段は真空管で、出力段はソリッドステートという構成。
おそらく出力段の回路はSUMOのThe Goldと基本的には同じ可能性が非常に高い。

これだけでも、私のThe Light In The Dark Limitedに対する注目度は高くなるわけだが、
今回のステレオサウンド 187号は、それだけではなかった。

やはり柳沢氏による記事で、ドイツのVOXATIV(ヴォクサティヴ)という新進メーカーの、
この時代にしては、先祖返りなのではと思いたくなる外観のスピーカーが紹介されている。

詳しくはステレオサウンド 187号を読んでいただくとして、
VOXATIVのスピーカー、Ampeggio Signatureには、
ダブルコーンのフルレンジユニットがついてる。
乳白色のコーン紙のそれは、ローサーそのもののようにも見える。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(SUMOのThe Goldとのこと)

終のスピーカーは、JBLのD130という高能率で、
ナロウレンジで旧い時代に開発・設計されたユニットを、
音道6フィート(約1.8m)のバックロードホーン・エンクロージュアにおさめたものだから、
古典的なスピーカーの典型ともいえるものである。

こういうスピーカーを鳴らすためのパワーアンプに求められる条件について、
何か普遍的なことがいえるのだろうか。
それとも、そんな要素はまったくなくて、個人個人が鳴らしたいように鳴らすために、
アンプを選べばいいのであって、
高能率だから、といって小出力のアンプである必要はないし、
ハイパワーのアンプで鳴らすことだってあるし、
D級アンプという選択肢もある、と思っている。

これから、あれこれアンプに関しても確かめてみたいことがある。
そんなことのひとつに、いまは手離してしまったSUMOのThe Goldで鳴らしてみたら、
どんな音がするのか、それを想像するだけでも楽しい。

いまThe Goldの中古を探してきてということは、たぶん、やらない。
The Goldの回路図は持っているし、
実際に使っていたアンプだから、内部構造も徹底的に見ているし、
どういう造りだったのかも憶えている。

いつか、自分の手で「21世紀のThe Gold」を完成させたい、という考えも捨てきれずにいる。

The Goldの回路に関しては「SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ」で書いているところだ。
この項の(その5)、(その6)、(その7)で、
真空管アンプ時代にあったWiggins Circlotron Power Amplifierについてふれている。

Date: 7月 4th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続・余談)

今日電話をくれた彼は、録音関係の仕事をやっている。
そのことが関係して、業務用機器の最新情報を教えてくれた。
いくつか、知らないメーカーの、興味深い機器の情報があった。

ここに書くのは、それら業務用機器のことではなく、
あるスピーカーメーカーのことである。

キリマンジャロオーディオというメーカーがあるのを教えてくれた。
励磁(フィールド)型のスピーカーを作っている。
それも往年の銘器といわれているスピーカーユニットの励磁型を製造している。

A604というユニットがある。
型番からすぐにわかるようにアルテックの604の励磁型であり、
それも振動板はアルテックの工場設備を受け継いだGAP(Great Plains Audio)から供給を受けている、とのこと。

この手もモノは実際に音を聴くまではなんともいえないのだが、
それでも世界には興味をそそるメーカーがいつの時代も誕生してくる。

20代の私だったら、励磁型ということで、聴きたいという気持は何倍にもなった。
そんな私も50になると、変っていくところに気づかされる。

励磁型の磁気回路をもつスピーカーユニットには、当然のことだが外部電源が付属してくる。
この電源がどういう電源なのかによって音が変化することをすでに知っている。

タンガーバルブによる電源の音も聴いている。
一般的といってよい定電圧電源の音も聴いている。
励磁型の電源として、どういうものが望まれるのかもすべてとはいわないまでも、
ある程度はわかってきている。

そうなると、どうしても電源をいじりたくなる。
電源が内蔵されていて、手を加えるのが困難、面倒臭いのであれば、
純正の電源のまま聴いていこう,と思うのだが、
励磁型ユニットはすべて外部電源であり、
さもいじってくれ、とこちらを誘っているようにおもえてしまう。

20代の私だって、よし、いじってみよう! となる。
でも、いまは、内部を見て,ここをこうしたら、とか思っても、
面倒だな……という気持があることに気づく。

こんなふうに受けとってしまうのは、私がどうしようもないくらいにオーディオマニアだからであって、
多くの人は自分で電源をいじろうとは考えないであろう。

考えない人のほうが、励磁型のユニットを使っていく上ではしあわせかもしれない。

その意味で私にとってはパーマネントマグネットのほうが向いているように、
最近は思うようになっていて、そのことを今日も思い出していたわけだ。

Date: 7月 4th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(余談)

夕刻、思いがけない人から電話があった。
こうやって話すのは何年ぶりになるか。四年は経っている。

彼とのつき合いは長い。
まったく音沙汰がない時も何度かあって、
その度に数年置きに電話が鳴る。

今回もそんな感じだった。
数年ぶりとはいえ、まったくいつもと変らぬ感じで長くなる。
彼がひさしぶりに電話をくれたのは、私のプログ、この項を読んでくれたからだった。

第一声は「おめでとうございます」だった。

彼はスイングジャーナル編集部にいた男だった。
岩崎先生とも瀬川先生とも仕事をしてきている。

そんな彼からの「おめでとうございます」だった。
素直にうれしくおもっていた。

つき合いがながいだけにわだかりがまったくなかったわけではない。
でも、そんなことはたったひとことの「ありがとうございます」で、どうでもよくなる。

オーディオとながい時間をとりくんできた者同士だから、ともいえよう。

Date: 7月 3rd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その12)

労働の対価として報酬を得て、
その報酬を貯めてモノ(オーディオ機器)を買う。
身銭を切る、ともいう。

オーディオは身銭を切って、自分のモノとするからこそ……、という言い方がされる。
手に入れたオーディオ機器をどう調整し鳴らし込んでいくのかだけが「音は人なり」につながっていくのではなく、
そうやって身銭を切って、何を購うのかも「音は人なり」につながっている。

だから、人からもらったオーディオを使って鳴らしていたって……、
と批判する人がいる。

その気持がまったくわからないわけでもない。
けれど、身銭を切る、ということは、狭い意味でのことだけだろうか、といいたい気持もある。

私は今回、憧れのスピーカーシステムと「異相の木」としてのスピーカーシステム、
ふたつの意味合いをもつ「Harkness」を手に入れた。
はっきり書けば、いただいてきた。

その意味では、身銭を切って、自分のモノとしたわけではない。
直接的な身銭はいっさい切っていない。

そうやって手に入れたスピーカーが、どんなモノであろうと、
おまえの音にはならないよ、とか「音は人なり」はどこにいったのか、とか、
あれこれいう人がいることは、あらかじめわかっていた。

いいたい人はいいたいだけいえばいい。
私に届くようにいうのも自由だし、それをやめろ、ともいわない。

でも、そういう、ごく一部の人に対していいたいのは、
「直接的な身銭しか、あなたには見えないのですか」だけである。

Date: 7月 2nd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その11)

田中一光氏のHarknessは001システムだから、
ウーファーは130Aに175DLHを組み合わせ、ネットワークはN1200ということになる。

JBLのSpeaker System Component Chartには、D130と175DLHの組合せはない。
それでも岩崎先生のことだから、きっと130AではなくD130なのだという確信はあった。
トゥイーターは、通常ならば075ということになるけれど、
やはり岩崎先生ならば175DLHのはず。
これも確信があった……、わけだが、
それでも「Harkness」と対面するまでは、もしかすると……ということも頭を過っていた。

「Harkness」に7はD130、175DLH、ネットワークはN1200がついていた。
やっぱり、という気持と、ほっとしたという気持があった。

D130ではなく130Aだとしたら、「Harkness」の、私にとっての意味合いがわずかとはいえ変化してくる。

130AはD130をベースにしたウーファー、そう大きくは違わないだろう、という人もいるだろうし、
私だって他人事ならば、めんどくさいと感じている時であれば、そんなことう口にしてしまうかもしれない。

でも、私にとってD130なのか130Aなのかは、大きな違いとなっていた。

「Harkness」が憧れのスピーカーとしてだけ私のところにやってくるのか、
それとも「異相の木」としても私のところへやってくるのか、
この違いが、私にはとても大きかった。

「Harkness」は、その両方であった。
ステレオサウンド 45号での田中一光氏の見事な使い方に憧れたスピーカーシステムであり、
いつしか私のなかで芽生えていた「異相の木」としてのD130をおさめたスピーカーシステムである。

Date: 6月 30th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(sharingという感覚)

終のスピーカー「Harkness」の写真をfacebookにて公開した。
D130を撮ったものだ。

その写真につけるコメントを書いていて、気づいたことがある。
コメントには「岩崎先生のD130。」と書いた。

岩崎先生のD130だった、わけで、いまは私のD130であり、私のHarknessであることに間違いはないのだが、
それでも心のどこかに、岩崎先生と共有しているという感覚があることを、
写真のコメントを書いていて気づかされた。

あと一ヵ月半で、audio sharingを公開して丸13年になる。
いま私が感じている、この感覚もaudio sharingなのだろう。

Date: 6月 29th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(2013年6月29日)

数時間前、「Harkness」を迎えに、岩崎先生のお宅に向っていた。
いま目の前に「Harkness」がいる。

2013年6月29日、私にとっての終のスピーカーとなる「Harkness」と出合えた。

今日は、Tour de Franceの100回大会の初日でもある。
Tour de Franceとともに、私の「夏」がはじまる。

今日はそういう日である。

Date: 6月 26th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その10)

小林貢さんの、それまでのメインスピーカーであったHarknessへの想いは、
小林さんの連載「果てしなき変遷」の担当編集者の N Jr.さんは、
エンクロージュアの写真のキャプションに
「ダブルウーファーを収めた特注エンクロージュアから、ハークネスを追放した主のセンチメンタリズムが漂ってくる」
とつけている。

この記事が載っているステレオサウンドは67号、1983年6月に出ている。
このときより、いま読んだほうが、小林さんの気持ちがわかるような気がする。

小林さんが、あの当時目指されていた音の方向に対して、
Harknessは明らかにそぐわなくなっていた。

小林さんのHarknessを模した特注エンクロージュアは、
Harknessよりも大型になっている。
このサイズになると、あの金属脚がもう似合わなくなっていることに気がつく。

Harknessのかっこよさは、あのスタイルであり、あの大きさだからこそ、
あの金属脚がよく似合うことを確認できたわけだ。

小林さんはHarknessを模したエンクロージュアから、レイオーディオのモニターにさらに突き進まれた。
レイオーディオには、いうまでもないことだが、もうHarknessの面影はカケラもない。
ここで、小林さんははっきりとHarknessと訣別されたのだろう、と勝手におもっている。

小林さんは1983年にHaknessを手離された。
私は、その30年後の2013年、Harknessを「終のスピーカー」として迎え入れる。

Date: 6月 22nd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その9)

それは、一週間後にやってくる「Harkness」には、D130が収まっているからである。

別項「異相の木」の(その6)で書いている。
私にとってJBLのD130というスピーカーユニットは、はっきりと「異相の木」である。

Harknessのスタイルは美しい。
だから、たとえばこの外観だけをそっくりまねてバスレフ型エンクロージュアにしよう、という考えを、
実は私は持っていた。
そのころは、まだD130を異相の木として認識していなかったから、
このHarknessそっくりのバスレフ型エンクロージュアには、
JBLのユニットを使ったとしても、D130以外のユニットを選択しただろうし、
JBLではないメーカーのユニットを選んだかもしれない。

世の中には同じことを考える人が、やはりいるもので、
小林貢さんもレイオーディオのモニタースピーカーを導入される前は、
Harknessを大型化したエンクロージュア(ダブルウーファー用)を使われていた。

小林さんもまたHarknessを使われていた人だ。
1982年夏、無線と実験での企画でJBLの2445Jを聴かれたことが、
Harknessを追放することになった──、と、
ステレオサウンド 66号から連載が始まった「果てしなき変遷」で書かれている。

でもHarknessのかっこよさだけは捨てられなかったのだろう、
Harknessのスタイルを模倣したエンクロージュアを、あえて導入されたのだから。

Date: 6月 22nd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その8)

4343のコンシューマー用モデルに当たるL400は試作品がつくられていたことは確認できている。
にも関わらず製品化されなかった。
なぜなのか? いろいろ考えてみるとおもしろいし、
そのためにはJBLの製品構成を辿っていくことも必要となるし、
こんなことをやっていると、それまで気がつかなかった、見過していた事実に気づいたり、
それまで関連のないことだと思っていた事柄が結びついたりすることもある。

L400ではなくL250だったことに対する私の考えは、別のところで書こうと思っている。
ここで書いていくと、「終のスピーカー」というテーマから離れ過ぎてしまうから。

とにかくL300を境に、
JBLのコンシューマー用スピーカーはサランネットをつけて使うのが、
必ずしも前提条件ではなくなっていったと思える。
現在のJBLのフラッグシップであるDD67000(DD66000)にしても、
サランネットをつけた姿よりも外した姿のほうがインパクトとして強く、
見た者の記憶に残る(ただそれが必ずしもいい印象とは言い難いのだが……)

サランネットをつけて聴くのか、つけずに聴くのかは使い手・聴き手の自由である。
それでもL200でサランネットをつけずに聴く人は少数ではなかろうか。
オリンパスにも同じことはいえる。
Harknessもそうだ。

JBLのユニットは面構えもいい。
いい表情をしているユニットが、実に多い。
オーディオマニアの心境としては、そういうユニットの表情も味わいながら……、という気持はある。
そのくらいにオーディオマニアである私でも、
Harknessはサランネットをつけたスタイルこそが、Harknessである。

そのことは田中一光氏のHarknessの使い方から、
ステレオサウンド 45号に載った写真を何度も飽きずに見続けたことから学べたことである。

ここにおいて、4343への憧れとHarknessへの憧れは、違う。

そしてHarknessは、私にとって、もうひとつの意味をもつ。

Date: 6月 14th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その7)

JBLのコンシューマー用スピーカーシステムも、
L300の登場によって変化の兆しをみせた。

L200、L300はJBLのスタジオモニター、4320(4325)、4333のコンシューマー用モデルである。
L200、L300ともにフロンバッフルを傾斜させたエンクロージュアで、
袴をもつフロアー型システムである。

4320、4331、4333はフロアー型でアはあるものの、
スタジオでの実際使用条件を考慮したつくりなので、
ある程度の高さのあるスタンド、もしくは壁に埋めこんで、
やはりある程度の高さまで持ち上げることが求められる。
床に直置きして鳴らすことは考えられていないフロアー型スピーカーシステムである。

L200、L300はコンシューマー用だから、そのへんを考慮しているわけである。
L200は広告でもオーディオ雑誌の記事でもサランネットがついた状態で紹介されることが圧倒的に多かった。
L200のサランネットをはずした状態の姿をすぐに思い浮べられる人はそんなにいないと思う。
そのくらいサランネットをつけた状態の姿のいいスピーカーシステムである。

これがL300になると、サランネットをはずした状態の写真が多く見受けられた。
それでもL300はサランネットをつけた状態が、いいと思う。

4331がL200、4333がL300ならば、
4341のコンシューマー用にあたるL400。
これは誰もが想像したであろうモデルである。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、
岩崎先生はL400がもうじき出る、と発言されているし、
サウンド誌1976年の6号の
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」で、
L400について書かれている。

L400は想像・架空のモデルではない。
実際にJBLでは開発をすすめていた。
けれど登場することはなく、数年後、4ウェイのL250が登場した。

Date: 6月 13th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その6)

JBLにはコンシューマー用とプロフェッショナル用の、ふたつのラインナップが用意されている。
コンシューマー用とプロフェッショナル用とでは、どこがどう違うのか。

こまかく見ていけばいくつか挙げられる。
けれど個人的な、もっとも大きな違いとしてまっさきにあげたいのは、
コンシューマー用のスピーカーシステムは、
スピーカーユニットを見ずに、その音を聴くモノであり、
プロフェッショナル用のスピーカーシステムは、
スピーカーユニットを見ながら、音を聴くモノである、という違いである。

JBLのコンシューマー用スピーカーシステム、
たとえばパラゴン、ハーツフィールド、オリンパスなどがある。
もちろんHarknessもそうである。

オーディオマニアであれば、
これらコンシューマー用スピーカーシステムがどういうユニット構成になっているのかは知っている。
私も知っている。
どういう配置でフロントバッフルに取り付けられているのかも知っている。
知ってはいても、例えばオリンパスときいて頭に浮ぶイメージは、
スピーカーユニットが露出していない状態のオリンパスである。
それは、他のJBLのコンシューマー用スピーカーシステムにおいても同じである。

とにかくユニットが見えていない状態のイメージが、
最初に浮ぶのが、私にとってのJBLのコンシューマー用スピーカーシステムである。