Archive for category 終のスピーカー

Date: 7月 22nd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その5)

《今迄このレコードには、たくさんの〝借り〟がある。だが、それをまだ返したことはない。僕にできることといえば、いつも自分のそばに置いておくことだけなのかもしれない。》
     *
岩崎先生にとってソニー・ロリンズのSaxophone Colossusは、
そんな存在のレコードだった。

「あの時、ロリンズは神だった……」は、Saxophone Colossusについての岩崎先生の文章だ。
ビクターの社内報のために書かれた、この文章は、若い時よりも、
歳を重ねたいま読むことで、感じるものがずっと多く、ずっと重い。
最初に読んだ時より、ずっと確かなものが感じられるようになった。

「あの時、ロリンズは神だった……」はSaxophone Colossusとの出合いから始まる。
Dというジャズ喫茶での出合い、というよりも、「僕を襲った」と表現されていることからもうかがえるように、
それがどれだけ衝撃的だったのか、
なにかほかの表現がぴったりくるであろう、そういう出合いである。

《戦慄が背筋を駆けあがる。一瞬、僕はすくむ。後は、ただガタガタ身震いが続いた。
あの何か得体の知れないスゴイものに出合った時に共通する感覚……。》

Dというジャズ喫茶をでた後、都内のレコード店を奔走し、
Saxophone Colossusの輸入盤を見つけ、抱えて帰宅。

《その夜は、スピーカーを通して語りかける〝神〟の声を聞きながら眠った。》
《確かに僕はこのレコードの背後に〝神〟の存在すら垣間見るような気がする……。》

翌朝も早く起きて、薄明りの中でSaxophone Colossusを聴かれている。

《それから、何週間かは他のレコードを聴く気になれなかった。だから、ターンテーブルの上には、しばらく〝サキソフォン・コロッサス〟が乗せたままになっていたのである。》

いったい、どれだけ集中してSaxophone Colossusを聴かれたのだろうか。

Date: 7月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 終のスピーカー

終のスピーカー(2013年7月21日)

Tour de Franceの100大会の初日(6月29日)に、岩崎先生のお宅にはじめて伺った。
Tour de Franceの100大会の最終日の今日、また行ってきた。

意図的にそうしたわけではなく、たまたまTour de Franceの日程と重なっただけ。
今日は岩崎先生の原稿をお借りしてきた。
手書きの原稿が数本、
手書きの原稿をコピーしたものが数本、
それから口述筆記の原稿も数本あった。
その他に週刊FMで連載されていた「カタログに強くなろう」の記事のコピーが揃っていた。
この連載記事の一部はある方から譲っていただいてすでに入力が終っているが、
歯抜けが今回すべて埋めていけることになる。

実は、この他にいただいてきたモノがある。
パイオニアのチューナー、Exclusive F3だ。

外形寸法、W46.8×H20.6×D38.9cm、重量は16.6kg。
これだけの大きさで、受信できるのはFMだけである。

いまFM放送はインターネットを介して聴ける。
音にこだわらなければiPhoneでも聴くことができる。
こうなってきたこの時代に、プリメインアンプ並の大きさと重量のチューナーで聴く。

それはどこか時代錯誤といわれるのかもしれない。
チューナーは一台、なにか欲しい、と思ってはいた。
できればバリコンを使ったチューナーがいい。

インターネットで聴けるものを、わざわざチューナーを介して聴くわけだから、
チューナーならではの音の美しさをもっているモノで聴きたい、
そんなことを漠然と思っていた。
それに別項で「チューナー・デザイン考」を書いている。
そのためにも最高級のチューナーでなくともいいけれど、
すくなくとも手もとに置いときたくなるモノがいい──、
そこにExclusive F3がやって来た。岩崎先生が使われていたExclusive F3である。

Date: 7月 20th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その4)

DE ROSAに乗り始めて、あれこれ試行錯誤していた。
ただ力まかせにペダルを踏んでいけば速く走れるというものではない。

自転車の乗り方は、その意味ではスピーカーの調整とよく似たところがある。
とにかく意識して乗っていると気づくことがある。
なにか自転車に腰のあたりを押されているような感覚があることに気がつく。

そういうときはうまく乗れている時であり、
うまく乗れているときほど、自転車から、もっともっと、というふうに腰を押されている感じを受ける。
つまり、自転車にあおられている、とはこういう感覚である。

この自転車は、もっと速く、もっと遠くまで走れる──、
お前はまだまだ、もっともっと力を出し切れ、そんなふうに感じられるから、
ロードバイクという自転車に乗る爽快感とともに、乗り終ったときにぐったりもする。

自分の好きなように乗ればいいじゃないか、
なにもプロの自転車選手を目指しているわけではないだろう──、
そんなことはわかっている。
そういう乗り方をしよう(つまりポタリング、散歩的な走り方)と思っていても、
体が温まってくると、自転車からあおられて、ポタリングではななくなっている。

「Harkness」におさめられているD130ソロから鳴ってきたSaxophone Colossusにうけた感覚は、
まさにそういう感覚だった。

Saxophone Colossusの鳴り方は、他のディスク(録音)を鳴らした時とは明らかに違う。
その違いは、あおられる感覚であり、挑発されているかのようでもある。

明らかに違う鳴り方とは、いい音であるわけだが、
でも同時に、まだまだこんなもの(レベル)じゃないぞ、
もっと鳴らしてみろ、もっともっと……と、そんなふうにあおられている。

Date: 7月 15th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その3)

「Harkness」から鳴ってくるSaxophone Colossusを聴いていると、
あの感覚に似ている、と思ってしまう。

いまから20年近く前、1995年の5月、ちょうどジロ・デ・イタリアの初日にあたる土曜日に、
DE ROSAのロードバイクを買った。

初めての、本格的なロードバイクだった。
外国製の自転車も初めてだった。

購入した自転車店からの帰路、
当然、買ったばかりのDE ROSAに乗って帰ったわけだが、
正直、大変なモノを買ってしまった……、と少しばかり後悔していた。
こんなにも、それまで乗っていた、いわゆる一般的な自転車とは異るモノだとは思っていなかった。

それでも乗って帰るしかないわけで、
乗り続けていると、少しずつなれてくる。
この自転車の良さがわかってくる。

無事帰宅できて、ほっとしていた。
にもかかわらず、もう一度乗りたい、とすぐにDE ROSAと出かけてしまった。

こんなふうに私の自転車のつきあいははじまった。

少しずつ走れる距離は伸びてくる。
出せるスピードも増してくるようになる。
そうするとイタリアのロードバイクのもつ性格が、徐々にはっきりとしてくる。

時速20〜30kmくらいで走っている時と、
40km/hをこえたとき、さらに50kmをこえたとき、
それぞれに感じることが違う。

こういう速度で走ることを前提としていることが、はっきりとわかる。
そして、自転車に、あおられる感覚が確かにあった。

この感覚が、D130ソロでSaxophone Colossusを聴いていた時に蘇っていた。

Date: 7月 13th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その2)

オーディオにも神通力といえるものはある。

瀬川先生にとって「終のスピーカー」となったJBL・4345を譲られた方、
その人の話をある人を通じてきいたことがある。
瀬川先生が亡くなられて半年間は、ほんとうにいい音で鳴っていたそうである。
ところがパタッと精彩を欠いた音に変ってしまったそうで、
そうなるともうどうやっても、それまでの音は戻ってこなかった、と。
(この人はオーディオマニアではない人だからこそ、その話は信じられる)

同じような話は別の人からもきいたことがある。
譲ってもらったスピーカーは、半年ぐらいはいい音で鳴っていたけれど、
それ以降は前の所有者の神通力といえるものが消えてしまうのか、
それまで鳴っていた、いい音はもう聴けなくなってしまう。

だからこそ、半年過ぎた時から、自分の音にしていく過程が始まる、ともいえる。

オーディオとは、特にスピーカーとはそういうものだと私は思っている。
これから先もずっとそう思っていくことだろう。

岩崎先生が亡くなられてすでに36年が経っている。
半年どころの話ではない。
半年の72倍もの年月がたっているわけで、
岩崎先生にとってJBL・D130がどれほど特別なユニットであっても、
神通力は、もうまったく残っていない──、実は私はそう思っていた。

でも、それは私の間違いだったのかもしれない。
そのくらいSaxophone Colossusの鳴り方は違っていた。

Date: 7月 12th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その1)

「Harkness」が来て明日(7月13日)で二週間。
この二週間で、Saxophone Colossusを三回鳴らした。

一回目のときに、他のディスク(録音)とは明らかに鳴り方が違う! と感じた。
二回目のときも、やはりそう感じた。
三回目の昨晩は、さらに強く感じていた。

これから何度となく鳴らしていくことになるであろうSaxophone Colossus。

いまは私のもとにある、このD130は、どれだけSaxophone Colossusを鳴らしてきたのだろうか。

岩崎先生のところにC40が届いたのは1967年の4月ごろである。
10年間、岩崎先生は鳴らされていたことになる。

その10年間、つねにメインスピーカーであったわけではない。
その後、あれだけの数のスピーカーを手に入れ、鳴らされていた。
それでもD130ソロで聴いていると、Saxophone Colossusの鳴り方は、どこか特別なものを感じる。

それは先入観とか思い入れとか、そういったことではなく、
このD130に、あえていえば、染みついている、とでもいいたくなるほどだ。

Date: 7月 7th, 2013
Cate: 岩崎千明, 終のスピーカー

終のスピーカー(求めるものは……)

岩崎先生のモノだった「Harkness」で、いまは聴いている。

だからこそ忘れてはならないと改めて心に刻むのは、
「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」である。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(続々続SUMOのThe Goldとのこと)

ステレオサウンド 187号の柳沢功力氏のふたつの記事を読まれた方ならば、
これから私が書こうとしていることはおおよそ想像がつくことと思う。

アンプの出力段の回路方式やスピーカーの能率、エンクロージュアの構造、
こういったことが共通するというだけで音がどれだけ判断できるか──、
ほとんど判断できない、ともいえるし、
バックロードホーンならばすべて同じ傾向の音がする、とか、
そういったことはいわば短絡的なことでしかないのだが、
それでもあえていえば、
D130という高能率のフルレンジユニットとバックロードホーンの組合せ、
その組合せからなるスピーカーシステムを、Circlotron回路のパワーアンプで鳴らす、
つまりSUMOのThe Goldで鳴らしてみたい、という私の直感は間違っていなかった、
そのことへの裏付けが、それもいわば他人からみれば、なかばこじつけによる裏付けにみえるだろうが、
本人にしてみれば確かに得られた、という感じなのである。

と同時に、VOXATIVのAmpeggio SignatureとアインシュタインのThe Light In The Dark Limited、
この組合せの音は、ぜひ聴いてみたい、と思うようになっている。

柳沢氏は、
「このような高感度ユニットはそうした違いに極めて敏感で、この音はまさに生きている。ことに声はじつに生々しく、そこに人がいる気配さえ感じとれる。」
とAmpeggio SignatureとThe Light In The Dark Limitedの音について書かれている。
聴きたくなるではないか。
それよりなによりもD130をおさめた「Harkness」をThe Light In The Dark Limitedで鳴らしてみたい。

The Light In The Dark Limited、いまもっとも聴きたいパワーアンプである。

やはり自分の手で「21世紀のThe Gold」をつくるべきなのか。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(続々SUMOのThe Goldとのこと)

ローサーのスピーカーシステムも、またバックロードホーンの高能率型だった。

VOXATIVのスピーカーシステムも同じである。
柳沢功力氏の記事を読めば、
なぜユニットがローサーにそっくりなのかがわかる。
そして、VOXATIVの最初のスピーカーシステムのAmpeggio Signatureも、
ローサーと同じようにバックロードホーンである。

とはいえ21世紀に、新進メーカーのデビュー作と登場してきただけあって、
ローサーの単なる復刻でないことは記事からわかる。
詳細についてははっりきしたことはわかっていないものの、
バックロードホーンのエンクロージュアも昔ながらの設計とはそうとうに違っているようだ。

高能率のダブルコーンのフルレンジユニットをバックロードホーンにおさめている。
このスピーカーシステムの試聴に柳沢氏は、
ステレオサウンドのリファレンス機のアキュフェーズA200の他に、三つのアンプを用意されている。

「短時間の試聴のためぼく自身も結論には至っておらず、製品名を公表することで相性の善し悪しをより強く印象づけてしまいそうに思うからだ」
を理由に、アキュフェーズ以外のアンプにはついてはブランド、型番については書かれていない。

けれどどれがどのブランドのどの型番のアンプかは、すぐにわかる。
柳沢氏がアンプ『C』とされているアンプ、
これがアインシュタインのThe Light In The Dark Limitedである。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(続SUMOのThe Goldとのこと)

Circlotron(サークロトン)という、この回路技術を、
ヤマハはプリメインアンプのA-S2000で採用している。

A-S2000の回路図は公表されていないし、いまのところ入手できていないから、
はっりきと断言はできないけれど、A-S2000の回路についての説明文や図から判断するに、
基本的には、そういえるはずである。

とはいえCirclotron(サークロトン)という、この回路技術を表す単語が登場することはなかった。
Circlotronが、いまのオーディオ雑誌に登場することはないだろうな、と思っていたら、
なんとステレオサウンドの187号に載っていた。

柳沢功力氏によるアインシュタインのパワーアンプ、The Light In The Dark Limitedの記事である。
電圧増幅段は真空管で、出力段はソリッドステートという構成。
おそらく出力段の回路はSUMOのThe Goldと基本的には同じ可能性が非常に高い。

これだけでも、私のThe Light In The Dark Limitedに対する注目度は高くなるわけだが、
今回のステレオサウンド 187号は、それだけではなかった。

やはり柳沢氏による記事で、ドイツのVOXATIV(ヴォクサティヴ)という新進メーカーの、
この時代にしては、先祖返りなのではと思いたくなる外観のスピーカーが紹介されている。

詳しくはステレオサウンド 187号を読んでいただくとして、
VOXATIVのスピーカー、Ampeggio Signatureには、
ダブルコーンのフルレンジユニットがついてる。
乳白色のコーン紙のそれは、ローサーそのもののようにも見える。

Date: 7月 5th, 2013
Cate: SUMO, 終のスピーカー

終のスピーカー(SUMOのThe Goldとのこと)

終のスピーカーは、JBLのD130という高能率で、
ナロウレンジで旧い時代に開発・設計されたユニットを、
音道6フィート(約1.8m)のバックロードホーン・エンクロージュアにおさめたものだから、
古典的なスピーカーの典型ともいえるものである。

こういうスピーカーを鳴らすためのパワーアンプに求められる条件について、
何か普遍的なことがいえるのだろうか。
それとも、そんな要素はまったくなくて、個人個人が鳴らしたいように鳴らすために、
アンプを選べばいいのであって、
高能率だから、といって小出力のアンプである必要はないし、
ハイパワーのアンプで鳴らすことだってあるし、
D級アンプという選択肢もある、と思っている。

これから、あれこれアンプに関しても確かめてみたいことがある。
そんなことのひとつに、いまは手離してしまったSUMOのThe Goldで鳴らしてみたら、
どんな音がするのか、それを想像するだけでも楽しい。

いまThe Goldの中古を探してきてということは、たぶん、やらない。
The Goldの回路図は持っているし、
実際に使っていたアンプだから、内部構造も徹底的に見ているし、
どういう造りだったのかも憶えている。

いつか、自分の手で「21世紀のThe Gold」を完成させたい、という考えも捨てきれずにいる。

The Goldの回路に関しては「SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ」で書いているところだ。
この項の(その5)、(その6)、(その7)で、
真空管アンプ時代にあったWiggins Circlotron Power Amplifierについてふれている。

Date: 7月 4th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続・余談)

今日電話をくれた彼は、録音関係の仕事をやっている。
そのことが関係して、業務用機器の最新情報を教えてくれた。
いくつか、知らないメーカーの、興味深い機器の情報があった。

ここに書くのは、それら業務用機器のことではなく、
あるスピーカーメーカーのことである。

キリマンジャロオーディオというメーカーがあるのを教えてくれた。
励磁(フィールド)型のスピーカーを作っている。
それも往年の銘器といわれているスピーカーユニットの励磁型を製造している。

A604というユニットがある。
型番からすぐにわかるようにアルテックの604の励磁型であり、
それも振動板はアルテックの工場設備を受け継いだGAP(Great Plains Audio)から供給を受けている、とのこと。

この手もモノは実際に音を聴くまではなんともいえないのだが、
それでも世界には興味をそそるメーカーがいつの時代も誕生してくる。

20代の私だったら、励磁型ということで、聴きたいという気持は何倍にもなった。
そんな私も50になると、変っていくところに気づかされる。

励磁型の磁気回路をもつスピーカーユニットには、当然のことだが外部電源が付属してくる。
この電源がどういう電源なのかによって音が変化することをすでに知っている。

タンガーバルブによる電源の音も聴いている。
一般的といってよい定電圧電源の音も聴いている。
励磁型の電源として、どういうものが望まれるのかもすべてとはいわないまでも、
ある程度はわかってきている。

そうなると、どうしても電源をいじりたくなる。
電源が内蔵されていて、手を加えるのが困難、面倒臭いのであれば、
純正の電源のまま聴いていこう,と思うのだが、
励磁型ユニットはすべて外部電源であり、
さもいじってくれ、とこちらを誘っているようにおもえてしまう。

20代の私だって、よし、いじってみよう! となる。
でも、いまは、内部を見て,ここをこうしたら、とか思っても、
面倒だな……という気持があることに気づく。

こんなふうに受けとってしまうのは、私がどうしようもないくらいにオーディオマニアだからであって、
多くの人は自分で電源をいじろうとは考えないであろう。

考えない人のほうが、励磁型のユニットを使っていく上ではしあわせかもしれない。

その意味で私にとってはパーマネントマグネットのほうが向いているように、
最近は思うようになっていて、そのことを今日も思い出していたわけだ。

Date: 7月 4th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(余談)

夕刻、思いがけない人から電話があった。
こうやって話すのは何年ぶりになるか。四年は経っている。

彼とのつき合いは長い。
まったく音沙汰がない時も何度かあって、
その度に数年置きに電話が鳴る。

今回もそんな感じだった。
数年ぶりとはいえ、まったくいつもと変らぬ感じで長くなる。
彼がひさしぶりに電話をくれたのは、私のプログ、この項を読んでくれたからだった。

第一声は「おめでとうございます」だった。

彼はスイングジャーナル編集部にいた男だった。
岩崎先生とも瀬川先生とも仕事をしてきている。

そんな彼からの「おめでとうございます」だった。
素直にうれしくおもっていた。

つき合いがながいだけにわだかりがまったくなかったわけではない。
でも、そんなことはたったひとことの「ありがとうございます」で、どうでもよくなる。

オーディオとながい時間をとりくんできた者同士だから、ともいえよう。

Date: 7月 3rd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その12)

労働の対価として報酬を得て、
その報酬を貯めてモノ(オーディオ機器)を買う。
身銭を切る、ともいう。

オーディオは身銭を切って、自分のモノとするからこそ……、という言い方がされる。
手に入れたオーディオ機器をどう調整し鳴らし込んでいくのかだけが「音は人なり」につながっていくのではなく、
そうやって身銭を切って、何を購うのかも「音は人なり」につながっている。

だから、人からもらったオーディオを使って鳴らしていたって……、
と批判する人がいる。

その気持がまったくわからないわけでもない。
けれど、身銭を切る、ということは、狭い意味でのことだけだろうか、といいたい気持もある。

私は今回、憧れのスピーカーシステムと「異相の木」としてのスピーカーシステム、
ふたつの意味合いをもつ「Harkness」を手に入れた。
はっきり書けば、いただいてきた。

その意味では、身銭を切って、自分のモノとしたわけではない。
直接的な身銭はいっさい切っていない。

そうやって手に入れたスピーカーが、どんなモノであろうと、
おまえの音にはならないよ、とか「音は人なり」はどこにいったのか、とか、
あれこれいう人がいることは、あらかじめわかっていた。

いいたい人はいいたいだけいえばいい。
私に届くようにいうのも自由だし、それをやめろ、ともいわない。

でも、そういう、ごく一部の人に対していいたいのは、
「直接的な身銭しか、あなたには見えないのですか」だけである。

Date: 7月 2nd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その11)

田中一光氏のHarknessは001システムだから、
ウーファーは130Aに175DLHを組み合わせ、ネットワークはN1200ということになる。

JBLのSpeaker System Component Chartには、D130と175DLHの組合せはない。
それでも岩崎先生のことだから、きっと130AではなくD130なのだという確信はあった。
トゥイーターは、通常ならば075ということになるけれど、
やはり岩崎先生ならば175DLHのはず。
これも確信があった……、わけだが、
それでも「Harkness」と対面するまでは、もしかすると……ということも頭を過っていた。

「Harkness」に7はD130、175DLH、ネットワークはN1200がついていた。
やっぱり、という気持と、ほっとしたという気持があった。

D130ではなく130Aだとしたら、「Harkness」の、私にとっての意味合いがわずかとはいえ変化してくる。

130AはD130をベースにしたウーファー、そう大きくは違わないだろう、という人もいるだろうし、
私だって他人事ならば、めんどくさいと感じている時であれば、そんなことう口にしてしまうかもしれない。

でも、私にとってD130なのか130Aなのかは、大きな違いとなっていた。

「Harkness」が憧れのスピーカーとしてだけ私のところにやってくるのか、
それとも「異相の木」としても私のところへやってくるのか、
この違いが、私にはとても大きかった。

「Harkness」は、その両方であった。
ステレオサウンド 45号での田中一光氏の見事な使い方に憧れたスピーカーシステムであり、
いつしか私のなかで芽生えていた「異相の木」としてのD130をおさめたスピーカーシステムである。