終のスピーカー(Saxophone Colossus・その4)
DE ROSAに乗り始めて、あれこれ試行錯誤していた。
ただ力まかせにペダルを踏んでいけば速く走れるというものではない。
自転車の乗り方は、その意味ではスピーカーの調整とよく似たところがある。
とにかく意識して乗っていると気づくことがある。
なにか自転車に腰のあたりを押されているような感覚があることに気がつく。
そういうときはうまく乗れている時であり、
うまく乗れているときほど、自転車から、もっともっと、というふうに腰を押されている感じを受ける。
つまり、自転車にあおられている、とはこういう感覚である。
この自転車は、もっと速く、もっと遠くまで走れる──、
お前はまだまだ、もっともっと力を出し切れ、そんなふうに感じられるから、
ロードバイクという自転車に乗る爽快感とともに、乗り終ったときにぐったりもする。
自分の好きなように乗ればいいじゃないか、
なにもプロの自転車選手を目指しているわけではないだろう──、
そんなことはわかっている。
そういう乗り方をしよう(つまりポタリング、散歩的な走り方)と思っていても、
体が温まってくると、自転車からあおられて、ポタリングではななくなっている。
「Harkness」におさめられているD130ソロから鳴ってきたSaxophone Colossusにうけた感覚は、
まさにそういう感覚だった。
Saxophone Colossusの鳴り方は、他のディスク(録音)を鳴らした時とは明らかに違う。
その違いは、あおられる感覚であり、挑発されているかのようでもある。
明らかに違う鳴り方とは、いい音であるわけだが、
でも同時に、まだまだこんなもの(レベル)じゃないぞ、
もっと鳴らしてみろ、もっともっと……と、そんなふうにあおられている。