Archive for category iPod

Date: 2月 23rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その1)

青幻舎という京都の出版社から「ラジカセのデザイン!」という本が出ていることを、今日、Twitterで知った。
出先だったけれど、iPhoneからfacebookグループのaudio sharingに、
こういう本が出ています、とだけ投稿したら、興味をもってくださった方が私が思っていたよりも多かった。

ラジカセはラジオ・カセットレコーダーの略称だろうが、
いわゆるラジカセと呼べるモノがピークだった時代は、
青幻舎のページにもあるように1970年から80年にかけてである。
80年代半ば以降になると、ラジカセはCDラジカセと呼ばれるようになっていく。
そしてラジカセと呼ばれていたころの形と、CDラジカセと呼ばれるようになってからの形は、
けっこう変っていったように記憶している。

「ラジカセのデザイン!」は、こういう本が出ている、ということを知っているだけで本を手にしたわけではない。
それに80年代にはラジカセへの興味も薄れていたので、市場に出ているラジカセを丹念に見ていたわけではない。
それでも80年代終りから90年はじめにかけてのCDラジカセが、量販店の店頭にずらりと並んでいる様は、
私がラジカセが欲しくてたまらなかった時代とはすっかり変っていた、
のではなく変り果てていた、といいたくなる。
(私ひとりだけのことかもしれないけれど、見ていて気持ちのいいものではなかった。)

中学生のとき、ラジカセは自分専用の音楽を聴くための機器だった。
その意味ではオーディオ機器ともいえる。
私が住んでいた田舎では中学生のアルバイトできなかった。
だから月々の小遣いと親の手伝いをしてもらうお駄賃(といっても100円程度である)を、
それ小学生のときからこつこつ貯めてやっとラジカセを買った。モノーラルのラジカセである。
当時ステレオのラジカセもあったのかもしれないが、大半のラジカセはモノーラルだったし、
中学生がそうやって貯めた金額で購入できたのはモノーラルのラジカセしかなかった。
(そういえばマランツ・ブランドのラジカセもあった、と記憶している。)

ステレオ放送のFMを録音してもモノーラル、ミュージックテープを買ってきて聴いてもモノーラル。
これがステレオになったら、どんなふうに鳴るんだろうかと想像することもあったけれど、
自分専用のラジカセで聴くのは、それでも楽しいものだった。

Date: 1月 19th, 2012
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その9)

2001年秋にiPodの初代機が登場したとき、驚いたのはその価格に関することだった。
最初のiPodは5GBのハードディスクドライブを内蔵していて、47800円だった。
当時、他社からいくつものMP3プレーヤーが出ていて、iPodはどちらかといえば高価な方だった。

47800円が高いのか、安いのかは、人によって感じ方は異っていただろうが、
私が驚いたのは、iPodに搭載されていた東芝製の1.8インチのハードディスクドライブが、
ちょうど同じころ秋葉原のパソコンのパーツ店に並びはじめていて、
その価格がiPodよりもわずかとはいえ高価だったことだ。

価格には流通経路の違いも反映されるものだから、Appleが製造元の東芝から直接仕入れる価格と、
一般ユーザーが小売店から購入する際の価格は大きく異ってくるのは理解できる、とはいうものの、
iPodのほうが、内蔵されているパーツよりも安価だということは、すぐにはその理由は理解できなかった。

しかもこの初代機から第三世代のモデルまでは裏側はステンレスを磨き上げたものが使われていた。
新潟の会社で研磨されていたものだ、と当時話題になっていた。
iPodは外装に安っぽさはない。
それに液晶画面がついていて、操作のためのホイール機構があり、イヤフォンも付属してくる。
それでも、東芝の1.8インチのハードディスクドライブよりも安かった。

なぜ、こういう価格が実現できるかがわかるには、私の場合、そこそこの時間を必要とした。

iPodの初代機の流れを汲むiPod classicは、現在160GBまで容量が増え、液晶画面もカラー、
音楽の連続再生時間も10時間から36時間に増え、価格は20900円と半分以下にまで下っている。

仮にiPodをApple以外の会社が発売していたら、どういう価格づけになっていたであろうか。
会社の規模、それに関係してくる生産台数によって、
まったく同じ仕様のモノでも価格は2倍程度ではすまなかったはず。

iPodがこれまでどれだけの数、製造され販売されてきたのかは知らないが、
相当な数であることは、電車に乗って周りを見渡したり街中を歩いていれば、すぐに想像できることである。
それだけの数を売るからこそのiPodの価格であり、これだけの数を売ることを前提としているからこその価格。
そう考えたとき、iPodは、スティーブ・ジョブズによる共通体験の提供、そのためのツールだと確信できた。

Date: 1月 18th, 2012
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その8)

世の中のプログラムソースはLPがメインだったころ、
レコードをかけるのは一家の中でお父さんだけ、という話があった。
子供やお母さんがレコードをかけたいと思っても、お父さんだけしか操作できない、操作させない。

レコードを再生するアナログプレーヤーが高価なものになればなるほど、
ますますさわれるのはお父さんだけになってしまうし、
そういう高価なアナログプレーヤーにフルオート型はまったくといっていいほと存在していなかったから、
レコードなのに、気軽に音楽を聴くことができない、という状況がときとして生れていた。

そういう面をもつことのあるアナログディスクによる音楽の再生とiPodによる音楽の再生は、
どこかしらGUI(Graphical User Interface)が登場する前のパソコンと、
登場後のパソコンに似ているところがある。

まったく同じには考えられないのは承知のうえで、
アナログディスクで音楽を聴くのは、なにか特別なこと(儀式的なこと)を要求されるのは、
器械に対して苦手意識のある人ならば、
CUI(Character User Interface, Command line User Interface)と感じさせるところがあるように思う。

触るにはお父さん(管理している人)の許可が必要な器械、勝手に触ってはいけない器械、
へたな使い方をしたらとりかえしのつかないことになりそうな器械。
使いこなせれば便利だとわかっていても……、と思わせてしまうのが、
マッキントッシュ(Macintosh)が1984年に登場する前のCUIのパソコンだとすれば、
誰にでも使えて、使うのに遠慮することがいらない、
とりあえずさわってみようと思わせるパソコンがGUIのマッキントッシュ。

ついこんな対比を、アナログディスクによる再生とiPodによる再生にあてはめてみたくなる。
そうやって初期のiPodをみると、初期のマッキントッシュと同じくモノクロ2値のディスプレイだし、
英語の表示にはシカゴ・フォントが使われている、という共通するところもある。
それにiPod自体が、Macintosh 128Kのスタイルに近い、ともいえなくもない。

こじつけ的なことと思われるだろうが、でもこんなふうにみていくことで、
iPodにこめられているであろうスティーブ・ジョブズの想いを勝手に想像していける。

Date: 1月 17th, 2012
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その7)

iPodで音楽を聴くことに対して、目の敵にする人がなぜいるのだろうか──、と思う。
勝手な推測だが、iPodで音楽を聴くとき、iPodのご機嫌うかがいなんてする必要はまったくない。
オーディオマニアが、とくにアナログディスクをかけるときに、
別にプレーヤーだけに限らないが、スピーカーシステムなどの機嫌をうかがい鳴らすような行為は、
iPodには不要である。

それに、オーディオ機器の機嫌をうかがいながら使っていくことで、
さらに自分の使っているオーディオ機器のクセを熟知していくことで、
その使い手の中に生じてくる独自の使いこなしのノウハウも、iPodで音楽を聴くのには不要である。

いわばオーディオマニアとしての自覚とまったく無縁のところで、音楽を聴くことができる。
だから、iPodに強烈な拒否反応を示す人がいるのは当然のことなのかも、という気がしないではない。

こういう態度の人がいる一方で、iPodが登場したときに、
たしかネットで読んだのだと記憶しているが、
iPodで音楽を聴いているときiPodを手で持っていると、
わずかな振動がiPodから伝わってくる。その振動が、なんだかiPodが生きているような感じでしてきて愛着が増す、
そんな発言があった。

最初の頃のiPodは東芝製の1.8インチのハードディスクドライブが内蔵されていた。
このハードディスクドライブの回転の際に生じる振動が手に伝わってくるわけで、
iPodなんかで音楽が聴けるか、と最初からくってかかるような態度の人は、
こんなに振動していてはまともな音なんかするはずがない、と言い出すかもかもしれない。

ハードディスクドライブが発生する振動ひとつにしても、
受け手によって愛着を増すことにつながってもいくし、否定へとつながってもいく。

Date: 1月 16th, 2012
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その6)

2008年夏、ワディアからWadia170 iTransportが登場したとき、
あるオーディオ雑誌の編集長が「自分が編集長でいるかぎり、絶対に誌面にiPodは登場させない」といっていた、
と伝聞で知った。
これがほんとうのことなのかどうかは確認していないし、どっちでもいいのだが、
iPodを、なにかオーディオに対する、オーディオマニアに対するアンチテーゼ的なモノとして受けとめている人が、
まだ2008年には少なくなかったからこそ、こんな話が私の耳にも届いてきたのかもしれない。

16ビット・44.1kHzのCDの音(データ)を非可逆圧縮してイヤフォンで聴く、というiPodのスタイルは、
オーディオマニア的ではない。
中には、iPodはオーディオ文化を破壊するものだ、という人がいたかもしれない。
もし上記の編集長が、ほんとうに上記の発言をしていたとしたら、
きっと彼もiPodをオーディオ文化の破壊者と認識していたのだろう。

アナログディスクをジャケットから取り出して、内袋からさらに取り出す。
そして盤面に触れぬよう気をつけながら、
そして中心孔の周辺にヒゲをつけぬようまた気をつけてレコードをセットする。
盤面をクリーニングする、カートリッジの針先もクリーニングする。
そしておもむろにカートリッジを盤面に降ろす……。
そういうアナログディスク再生の、一種の儀式的なものに馴れ親しんだ人にとっては、
何の気を使う必要もなく、いつでも同じ音がする、それも誰が使っても同じ音がするiPodは、
極端なことをいえば、音楽を聴く道具としては認められない、
というよりも、認めたくない、という感情も含まれていたのではなかったのか。

けれどスティーブ・ジョブズは、iPodを、オーディオ的なモノ・行為へのアンチテーゼとして送りだしたのだろうか。
そうではなく、共通体験の提供だと私は考えている。

Date: 11月 20th, 2011
Cate: iPod

ある写真とiPhone

AERAムックの「スティーブ・ジョブズ 100人の証言」掲載の1982年12月当時のジョブズの写真、
この1枚の写真をみて思ったことを書いてきた。
それとは別に、他愛のないことだけど、思ったことがある。

10月14日に発売初日にiPhone 4Sを購入したことは書いた。
色は白だ。黒にするつもりは最初からなく、白と決めていた。特に理由はなかったけれども、白だった。

ジョブスが使っていたスピーカーシステム、アクースタットのModel 3のネットの色は、白。
黒ではない、白である。
Model 3は箱のスピーカーではない、板のスピーカーである。
白の板のスピーカー。

iPhoneも「板」だと書いた。
白の板のコンピューターとして、iPhone 4Sがある、と受け取っている。

Date: 11月 19th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その5)

iPodはデジタルの長所を活かして、
ソニーのウォークマンのようにテープをつくる人の環境・技倆によって音が変ってくることはない。
しかも楽曲を提供するiTunes Storeを開始している。

それまではiTunesでのリッピングの設定による音の違いが起っていたのが、
iTunes Storeでは最初から圧縮された音源を購入するわけだから、
圧縮レートの違いによる音の違いも、ここではなくなってしまう。
iTunes Storeからダウンロードした音楽においては、
再生する人によって音が変化する、ということが基本的にはありえない。

このことはオーディオマニアだったジョブズの、
オーディオに対する、なにか特別な感情の顕れのような気もするし、
そういった特別な感情が生み出したような気もする。

誰が使っても同じ音楽であれば同じ音で提供するモノ、としてiPodは生れてきたのではないだろうか。
ということは「音は人なり」という大原則のもとにオーディオをやってきた者にとって、
iPodは、果してオーディオ機器と呼んでいいものだろうか、と迷うところがある。

それはオーディオ機器としての音のクォリティがどうかということではなく、
誰が使っても同じ音を提供できるモノだから、である。

2006年にiPod HiFiを出している。
量販店のさわがしい店頭で、ほんのわずかな時間、聴いた、というよりも耳にしたことがあるだけだから、
iPod HiFiの音については、正直語れない。
ようするに5年前はiPod HiFiに対して、ほとんど興味がなかった。
こんなモノなの……、という意識をもっていた。

けれどiPodに対する見方が変ってきたとともにiPod HiFiをきちんと聴いておきたかった、と思い始めている。

そしてiPodからデジタル出力を取り出せるようになった。
このことを含めて、オーディオマニアとして、
オーディオマニアだったジョブズがつくり出したiPodを、いまいちどじっくりと見直す必要があると感じている。

Date: 11月 19th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その4)

スティーブ・ジョブズはオーディオマニアだった。
つまりは再生するオーディオ機器によって、同じレコードが違う鳴り方をすることは当然知っていたわけで、
また同じ再生装置でも調整次第で音が変化することも知っていた、と思っていいだろう。

日本でいわれている「音は人なり」という意識があったのかどうかはわからないが、
少なくともジョブズもオーディオマニアであるのだから、
自分が鳴らしている音は世界にひとつだけ、
似たような音は他にもあるかもしれないが同じ音はない、ということは意識にあったはず。

そういうジョブズがiPodをつくった、ということが、
オーディオマニアとしてiPodを捉えたときに、ひじょうに考えさせられることがある。

つまりiPodは、基本的に同じ音を聴くモノだ、ということ。
iPodが登場したばかりの頃、搭載しているハードディスクの容量はそれほど大きくはなかった。
だから必然的にCDにおさめられている音楽を圧縮することになる。
MacでiTunesを使って圧縮してiPodへコピーする。

iTunesの環境設定で、圧縮の変換レートは変更できるものの、
初期設定のまま変換して、iPodに付属している白いイヤフォンで聴くかぎりにおいては、
同じCDをリッピングしていれば、iPodを通じて聴く音は同じである。

いまはどうなのか知らないが、初期のころのiTunesはヴァージョンによって圧縮の仕方に多少の違いがあって、
リッピングを行ったiTunesのヴァージョンによって多少は音の違いが生じていたけれど、
ヴァージョンが同じ、変換レートが同じであれば、それにiPodも同じ世代のものであれば、
音は原則として変りようがない。

ソニーが開発したウォークマンとAppleのiPodはアナログとデジタルという違いはあっても、
音楽を片手で持てるモノにおさめて、
ヘッドフォン(イヤフォン)で聴くことを前提としているところは共通している。

けれどウォークマンはカセットテープにレコードをダビングして、それをソースとして聴く。
同じレコードをダビングしても、レコードを再生するプレーヤーの違いによる音の違い、
たとえ同じプレーヤーでも設置場所をふくめた使いこなしの差による音の違い、
アンプに違いによる音の違い、カセットデッキによる……、使用テープによる……、
さらにデッキやテープが同じでも録音レベル調整によっても音は確実に変ってきて、
同じレコードのダビングだとしても、ダビングする人が違えばそれだけ音は違ってくる。

そういうところがiPodには、ない。

Date: 11月 16th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その3)

スティーブ・ジョブズがアクースタットのModel 3の前に
どんなスピーカーシステムを使っていたのかはまったくわからない。
ジョブズがいつごろからオーディオに興味をもっていたのかも知らない。

それでもジョブズが最初に使っていたスピーカーシステムは、
おそらくは一般的なエンクロージュアにおさめられたモノであっただろう。

アクースタットのModel 3は、
通常のエンクロージュア・タイプのスピーカーシステムを「箱のスピーカー」とすれば、
「板のスピーカー」ということになる。

「そう、板なんだ」とおもった。
次におもったのは、
この「板のスピーカー」がそれまでの「箱のスピーカー」とは違う音の世界を展いたように、
「板のコンピューター」が新しい世界を展いていくことを、ジョブズは予感していたのかもしれない……、
そんななんら根拠のない妄想に近いこと。

それでもジョブズがアクースタットのModel 3を使っていたことと、
その20年数後にiPadやiPhoneを生み出したことは、そこにまったく関連性がないとは思えない。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その2)

1982年当時のスティーブ・ジョブズの部屋には、レコードとオーディオ以外は、照明があるくらい。
他のものは見当たらない。
こんな生活を私もしていた。
部屋にはレコードとオーディオだけ、といっていい生活だった。
20代のころのことだ。

椅子も持っていなかった。床に坐って聴いていた。
だから、「スティーブ・ジョブズ 100人の証言」の写真を見て、うれしかった。
部屋の広さこそ大きく違うけれど、こんな音楽の聴き方をジョブズはしていたのか、と、
その写真を見ておもっていた。

もちろん写真用のポーズの可能性もないわけではない。
でも、写真から伝わってくる雰囲気は、
ソファにゆったり腰かけ音楽を楽しむ、という、そういう聴き方をしている人のものではなかった。
誰かといっしょに音楽を聴いている、という雰囲気でもない。
そこに、親近感のようなものを感じていた。だから、写真を見て、うれしかった。

1枚だけの写真で、写真についての詳細な説明はほとんどない。
ジョブズがどういう音楽の聴き方をしていたのかについては、
アクースタットのModel 3というスピーカーと写真から伝わってくるものから、私の勝手な想像にすぎない。
大きく外れてはいない、とは思っているけど、
それよりもオーディオマニアなら、この写真を見て、なにか感じるものがきっとあるはず。
だから見てほしい、と思う。

Date: 11月 8th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その1)

1982年12月のスティーブ・ジョブズの写真をみて、いくつかおもった。
スピーカーシステムとアナログプレーヤーがなんなのかはすぐにわかったから、
アンプはなんだろう、といったことから、どんなレコード(音楽)を聴くんだろう、といったこと。

ベッドすら持っていない時期があったジョブズのことだから、この写真に写っているものだけだとしたら、
床に坐ったまま聴くのか、とも思いながら、
「アクースタットなんだな、やっぱり」とおもっていた。

ジョブズが使っていたアクースタットのModel 3は、
日本にはこの写真が撮られた1982年に、輸入元が変り入ってきた。
私がステレオサウンドの試聴室ではじめて聴いたModel 3も同タイプだ。
ネットの色は黒だったけれども。

おそらくアメリカで発売されて間もないころに日本でも輸入され始めたようだったから、
ジョブズも、Model 3を使いはじめてまだ1年未満といったところなんだろう。

アクースタットのModel 3の音の世界には、私もまいってしまった。
いままで耳にしたことのない質感の音で、異様な雰囲気をかもしだすところもある。
決して明るいタイプの音ではない。
外にむかって音を発するタイプでもない。

アクースタットのModel 3に惚れ込み購入された黒田先生が、
Model 3を最初に聴かれた試聴の際にいわれたことばを思い出す。
     *
少し危険な感じさえする誘惑的な音であるだけに、一度のめりこんでしまうと自閉症的になってしまうんではないかな。自分のおへそだけを見て、だんだん沈んでいってしまうような危険な部分をこのスピーカーは持っている。
     *
「自分のおへそだけを見て」という表現は、まさしくそうだと思って、そのときの黒田先生の発言を聞いていた。
アクースタットのModel 3だけの世界にどっぷりはまってしまったら、
アクースタットの音のある空間に引きこもってしまいそうになる。
まして椅子(ソファ)に坐らず、床に坐っていたら、耳の位置は自分の臍よりも後ろに行くことはまずない。
音楽を聴いていくうちに、耳の位置は臍よりも前に移動し、頭を垂れて聴くようになれば、
「自分のおへそだけを見て」音楽を聴くことになってしまう。

アクースタットのModel 3は、私にはそういうスピーカーシステムである。
だから、私はこのModel 3を猛烈にほしいと思いながらも、買わなかった。