ある写真とおもったこと(その8)
世の中のプログラムソースはLPがメインだったころ、
レコードをかけるのは一家の中でお父さんだけ、という話があった。
子供やお母さんがレコードをかけたいと思っても、お父さんだけしか操作できない、操作させない。
レコードを再生するアナログプレーヤーが高価なものになればなるほど、
ますますさわれるのはお父さんだけになってしまうし、
そういう高価なアナログプレーヤーにフルオート型はまったくといっていいほと存在していなかったから、
レコードなのに、気軽に音楽を聴くことができない、という状況がときとして生れていた。
そういう面をもつことのあるアナログディスクによる音楽の再生とiPodによる音楽の再生は、
どこかしらGUI(Graphical User Interface)が登場する前のパソコンと、
登場後のパソコンに似ているところがある。
まったく同じには考えられないのは承知のうえで、
アナログディスクで音楽を聴くのは、なにか特別なこと(儀式的なこと)を要求されるのは、
器械に対して苦手意識のある人ならば、
CUI(Character User Interface, Command line User Interface)と感じさせるところがあるように思う。
触るにはお父さん(管理している人)の許可が必要な器械、勝手に触ってはいけない器械、
へたな使い方をしたらとりかえしのつかないことになりそうな器械。
使いこなせれば便利だとわかっていても……、と思わせてしまうのが、
マッキントッシュ(Macintosh)が1984年に登場する前のCUIのパソコンだとすれば、
誰にでも使えて、使うのに遠慮することがいらない、
とりあえずさわってみようと思わせるパソコンがGUIのマッキントッシュ。
ついこんな対比を、アナログディスクによる再生とiPodによる再生にあてはめてみたくなる。
そうやって初期のiPodをみると、初期のマッキントッシュと同じくモノクロ2値のディスプレイだし、
英語の表示にはシカゴ・フォントが使われている、という共通するところもある。
それにiPod自体が、Macintosh 128Kのスタイルに近い、ともいえなくもない。
こじつけ的なことと思われるだろうが、でもこんなふうにみていくことで、
iPodにこめられているであろうスティーブ・ジョブズの想いを勝手に想像していける。