ある写真とおもったこと(その6)
2008年夏、ワディアからWadia170 iTransportが登場したとき、
あるオーディオ雑誌の編集長が「自分が編集長でいるかぎり、絶対に誌面にiPodは登場させない」といっていた、
と伝聞で知った。
これがほんとうのことなのかどうかは確認していないし、どっちでもいいのだが、
iPodを、なにかオーディオに対する、オーディオマニアに対するアンチテーゼ的なモノとして受けとめている人が、
まだ2008年には少なくなかったからこそ、こんな話が私の耳にも届いてきたのかもしれない。
16ビット・44.1kHzのCDの音(データ)を非可逆圧縮してイヤフォンで聴く、というiPodのスタイルは、
オーディオマニア的ではない。
中には、iPodはオーディオ文化を破壊するものだ、という人がいたかもしれない。
もし上記の編集長が、ほんとうに上記の発言をしていたとしたら、
きっと彼もiPodをオーディオ文化の破壊者と認識していたのだろう。
アナログディスクをジャケットから取り出して、内袋からさらに取り出す。
そして盤面に触れぬよう気をつけながら、
そして中心孔の周辺にヒゲをつけぬようまた気をつけてレコードをセットする。
盤面をクリーニングする、カートリッジの針先もクリーニングする。
そしておもむろにカートリッジを盤面に降ろす……。
そういうアナログディスク再生の、一種の儀式的なものに馴れ親しんだ人にとっては、
何の気を使う必要もなく、いつでも同じ音がする、それも誰が使っても同じ音がするiPodは、
極端なことをいえば、音楽を聴く道具としては認められない、
というよりも、認めたくない、という感情も含まれていたのではなかったのか。
けれどスティーブ・ジョブズは、iPodを、オーディオ的なモノ・行為へのアンチテーゼとして送りだしたのだろうか。
そうではなく、共通体験の提供だと私は考えている。