ある写真とおもったこと(その1)
1982年12月のスティーブ・ジョブズの写真をみて、いくつかおもった。
スピーカーシステムとアナログプレーヤーがなんなのかはすぐにわかったから、
アンプはなんだろう、といったことから、どんなレコード(音楽)を聴くんだろう、といったこと。
ベッドすら持っていない時期があったジョブズのことだから、この写真に写っているものだけだとしたら、
床に坐ったまま聴くのか、とも思いながら、
「アクースタットなんだな、やっぱり」とおもっていた。
ジョブズが使っていたアクースタットのModel 3は、
日本にはこの写真が撮られた1982年に、輸入元が変り入ってきた。
私がステレオサウンドの試聴室ではじめて聴いたModel 3も同タイプだ。
ネットの色は黒だったけれども。
おそらくアメリカで発売されて間もないころに日本でも輸入され始めたようだったから、
ジョブズも、Model 3を使いはじめてまだ1年未満といったところなんだろう。
アクースタットのModel 3の音の世界には、私もまいってしまった。
いままで耳にしたことのない質感の音で、異様な雰囲気をかもしだすところもある。
決して明るいタイプの音ではない。
外にむかって音を発するタイプでもない。
アクースタットのModel 3に惚れ込み購入された黒田先生が、
Model 3を最初に聴かれた試聴の際にいわれたことばを思い出す。
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少し危険な感じさえする誘惑的な音であるだけに、一度のめりこんでしまうと自閉症的になってしまうんではないかな。自分のおへそだけを見て、だんだん沈んでいってしまうような危険な部分をこのスピーカーは持っている。
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「自分のおへそだけを見て」という表現は、まさしくそうだと思って、そのときの黒田先生の発言を聞いていた。
アクースタットのModel 3だけの世界にどっぷりはまってしまったら、
アクースタットの音のある空間に引きこもってしまいそうになる。
まして椅子(ソファ)に坐らず、床に坐っていたら、耳の位置は自分の臍よりも後ろに行くことはまずない。
音楽を聴いていくうちに、耳の位置は臍よりも前に移動し、頭を垂れて聴くようになれば、
「自分のおへそだけを見て」音楽を聴くことになってしまう。
アクースタットのModel 3は、私にはそういうスピーカーシステムである。
だから、私はこのModel 3を猛烈にほしいと思いながらも、買わなかった。