Archive for category アナログディスク再生

Date: 10月 3rd, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(忘れられつつあること・その4)

テクニクスのSU-R1のボリュウムの、
アナログディスク再生時における操作性の悪さは、
インターナショナルオーディオショウでのテクニクスのスタッフの人が実感していたはずだ。

針の溝への導入音は、音を判断する上で重要な手がかりとなるといっても、
オーディオショウという場で来場者に聴かせる類の音ではない、ともいえる。
極力聴かせないような配慮を、テクニクスのスタッフはしていた。

テクニクスのスタッフも、入力セレクターの切替えで対処することは考えた、と思う。
誰でも思いつくことなのだから。
それでも、テクニクスのスタッフは針の上げ下しに合せてボリュウムツマミをまわす。

その行為を、好き好んでバカなことやっている、面倒なことやっている、と見ていた人もいたかもしれない。
でも、私は感心して見ていた。

アナログディスク再生へのこだわりをもって、
ボリュウム操作をしている人が目の前にいたからだ。

それも自分のリスニングルームにおいてではなく、
インターナショナルオーディオショウという場において、である。
こういう場での音出しならば、入力セレクターの切替えを利用した方が、ずっと楽だ。

不思議なのは、こういう人がいるにも関わらず、SU-R1の電子ボリュウムは、
アナログディスク再生においては扱い難い、ということだ。

SU-R1はフォノイコライザーを搭載していないから、
開発時の試聴ではアナログディスクは使われなかったのかもしれない。
それでもSL1200Gの開発では試聴を行っているはず。
その時点で、SU-R1のボリュウムの問題点には気づかなかったのか。
ここは疑問として残る。

気づいてそのままにしておいたのか。
それとも開発時の試聴では入力セレクターの切替えで対処していたのか、
それとも導入音を出しての試聴だったのか……。

Date: 10月 3rd, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(忘れられつつあること・その3)

この項のタイトルは「アナログディスク再生とは」ではなく、
「私にとってアナログディスク再生とは」にしている。
あえて「わたしにとって」をつけている。

針の上げ下しの際にボリュウムツマミをまわすことにこだわって、
そのことについて書いている。

合理的に考えれば、(その2)で書いたように、
ボリュウムツマミではなく、入力セレクターを使った方が楽である。

たとえば昔の海外製のフルオートプレーヤーには、
出力にリレーが入っていて、針が降りてからリレーがオンになり、
針が上る前にオフになる機構がついているモノがあった。

この手のプレーヤーを使うのではあれば、あらかじめボリュウムツマミをまわしておけばいい。
そういう使い方が本来的といえる。
私はフルオートプレーヤーを使ったことはないが、
もし使うとなっても、ボリュウムツマミを針の上げ下しにあわせて回すような気がする。

EMTのプレーヤーには927Dst以外クイックスタート・ストップがあり、
出力をリレーで同期させている。
この機能を使えば、フルオートプレーヤー同様、ボリュウムツマミをあらかじめまわしておけばいいのだが、
トーレンス101 Limitedを使っていたときでも、ボリュウムツマミをまわしていたからだ。

この項では、テクニクスの名前を出さない書き方もできた。
それでもテクニクスの名前を出しているのは、
テクニクスのスタッフは、レコードのかけかえごとにボリュウムツマミをまわされていたからだ。
そこに感心したから、である。

Date: 10月 2nd, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(忘れられつつあること・その2)

レコードの無音溝に針を降ろす。
音が鳴り始まるまでは、ほんのわずかしかない。
そのわずかのあいだにボリュウム操作を的確に行う。

上げすぎでもなく低すぎでもなく、ぴったりの音量になるようにすばやくボリュウムをまわす。
ボリュウムのツマミにふれている時間は、わずかだ。
そのわずかな時間でも、従来のポテンショメーターのボリュウムであれば、
すっと上げられもできたし下げることもできた。

だが電子式ボリュウムの中には、そうはいかないものがある。
テクニクスのSU-R1だけではない。
ジェームズ・ボンジョルノ設計のAmbrosiaもそうだと聴いている。

クルクルクルクルと何回もツマミをまわさないと、十分な音量まであげられない、そうだ。
ボンジョルノは、このボリュウムのプログラミングまで自分で行った、そうだ。
でも、その部分だけは外注すべきだったのではないたろうか。

レコードをかけるときのボリュウムの上げ下げは、
針が溝に落ちる際の音をまったくきにしない人であれば、
レコードかけかえごとに、ボリュウム操作はしないだろうから、
SU-R1やAmbrosiaのようなボリュウムでも、特に問題とは感じないであろう。

こう書いていくと、針の上げ下しのときには、
入力セレクターをPhonoポジションではなく、その他のポジションにすれば解決する、
そういう人がきっといる。

でも、違う。
レコードをかけるということは、
レコードをジャケットから取り出してターンテーブルにのせ、
針の上げ下しからボリュウム操作までを含む。

少なくとも私はそう考えている。
そんな面倒な……、と思うような人は、アナログディスク再生には向いていない、といえる。

Date: 10月 2nd, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(忘れられつつあること・その1)

瀬川先生のレコードのかけ方は見事だった、と、
それを間近で見てきた人は、そう言う。

私も熊本のオーディオ店で見て知っている。
レコードをに針を降ろして、ボリュウムをさっとあげるまでの動きのスムーズさ。
流れがある、とはこのことだと思う。

その瀬川先生でも、流れが留ってしまうだろう、という光景を目にした。
インターナショナルオーディオショウでのテクニクスのブースでだった。

またテクニクスのブースでのことになってしまうが、
ここで指摘する問題はテクニクスだけではない。
テクニクス以外にも、同じ問題を抱えているオーディオ機器(コントロールアンプ)はある。

いままで見落していたところであり、
たまたまテクニクスのブースで気づかされた。

テクニクスのコントロールアンプSU-R1のボリュウムは、
従来のポテンショメーターではなく、いわゆる電子式である。

音がよければ、ポテンショメーターであろうと電子式であろうと、
どちらでもいいわけだが、ここには操作性の問題が関係してくる。

テクニクスのスタッフがレコードをかけかえるたびに、
針の上げ下しの歳に、SU-R1のボリュウムのツマミをせわしくなく回されていた。

かなりまわさなければ、十分な音量まであげられないし、
音を絞ることができないのだ。

SU-R1はフォノイコライザーを搭載していない。
アナログディスク再生をしないという人ならば、
このボリュウム操作の問題は、さほど気にならないかもしれない。

だがアナログディスクではそうはいかない。

Date: 9月 8th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その31)

接点をこまめにクリーニングする知人がいた。
彼がオーディオ機器のセッティングを大きく変更するというから手伝ってほしい、といわれた。

セッティングの変更だから、まず接続ケーブルを外していくことから始まる。
ここで気づいたのだが、確かに接点はこまめにクリーニングされているようであるが、
RCAプラグがスポッと簡単に抜けてしまった。

スピーカーケーブルに関しても同様だった。
アンプ・リアパネルのスピーカー端子、スピーカーシステム裏側のスピーカー端子、
どちらも締めがゆるかった。
ほとんど力を入れずに緩めることができた。

これでは……、と思ってしまった。
ステレオサウンドの試聴室で、長島先生は特に接点の状態を気にされた。
接点のクリーニングはもちろん、
接点の嵌合具合に関しても,つねに気を配られていた。

RCAプラグがスポッと抜ける場合だと、
ロングノーズプライヤー(ラジオペンチ)で、RCAプラグのアース側の径を少し小さくされる。
あまり小さくしてしまうと、今度はRCAジャックにささらなくなるから、
適度に抵抗が感じられる程度にする。
何事もやりすぎは禁物である。

これでしっかりと嵌合するようになるのは、あくまでもアース側だけである。
それでもゆるいのとしっかりしている状態とでは、音に違いがあらわれる。
スピーカー端子も同じだ。
意識的に緩めた状態と締めた状態の音を比較してみれば、すぐにわかることだ。

アナログディスク再生だと、シェルリード線も交換できるし、この部分にも接点がある。
この個所の接点がゆるかったり、汚れていたりしては、
それ以降の接点をきちんとしていても、台無しである。

しかもシェルリード線の嵌合が緩いまま気にしていない人は、意外に多いようだ。

Date: 7月 24th, 2016
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その21)

数ヵ月前だった、facebookでダイレクトドライヴについての議論のようなものが目に留った。
肯定派、否定派による議論であれば読んで得られるものがあるが、
そこでは議論にはならずに議論のようなものの段階で留っていた。

ダイレクトドライヴはダメだ、と主張する人も、
ダイレクトドライヴは優れていると主張する人も、
なぜ、そこだけしか見ていない? と思えるほど微視的な視点での、
それも相手の言い分を聞かずに(読まずに)、一方的に主張するだけに終始していた。

アナログプレーヤーがLPをのせて回転するだけで事足りるモノであれば、
そこでの議論のようなものも議論にもう少し近くなろうが、
アナログプレーヤーはそういうモノではない。

回転機器として十分な性能を持っていたとしても、
オーディオ機器として充分かというと、そうではない。

テクニクスの新しいダイレクトドライヴを見ていると、
まさにそうである。回転機器としては、あのつくりでも問題はないであろうが、
オーディオ機器として見た場合には、問題が残ってしまう。

ああいうつくりにしてしまうのは、大量生産と安定した品質を得るためであることはわかるが、
それではオーディオ機器とはいえないのである。

オーディオエンジニアリングの不在が、SL1200の最新モデルからみてとれる。
何もSL1200の最新モデルだけがそうだというわけではない。

だがダイレクトドライヴを生み出したのは、テクニクスである。
だから、つい厳しいことを書きたくなる。

Date: 7月 23rd, 2016
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その20)

メーカーに余裕があった時代は、カットモデルが各社から発表されていた。
スピーカーシステムふアナログプレーヤーの内部をわかりやすく提示するために、
完成品を文字通りカットしたモノである。

中学生、高校生だったころ、カットモデルをつくるのに必要な完成品は一台だけだと思っていた。
完成品をなんらかの方法でうまくカットすれば、カットモデルはできあがるものだと思っていたのだ。

実際にはそう簡単につくれるモノではない、と知った。
複数台をカットして組み合わせて、一台のカットモデルができるそうだ。
お金も手間もかかることを、あのころのメーカーはやってくれていた。

ダイレクトドライヴ型のプレーヤーのカットモデルもけっこう多かった。
各社のカタログ、広告にはカットモデルのカラー写真が大きな扱いで使われていた。
カットモデルを一方向から見ただけで、構造のすべてが把握できるわけではないが、
カットモデルを、内部はこうなっていたのか、と感心しながら見ていた。

数年もすれば、見方は変化していく。
構造体としてカットモデルを見た場合に、気になることが目につくようになった。
どこのメーカーのカットモデルも見ても、
ダイレクトドライヴ型プレーヤーのほとんどに共通していえることがある。

これではいい音が出せるはずがない、といえる構造的な問題である。
デンオンのDP100Mは、その点に気づいてたのではないかと思う。
具体的なことはここでは書かないが、DP100Mの構造をすぐに思い浮べられる人ならば、
私が問題点と考えていることはすぐにわかるはずだ。

意外にもこの問題点は、いまのダイレクトドライヴ型プレーヤーには残ったままである。
テクニクスが昨年発表したプロトタイプのターンテーブルの内部を見ても、
この問題点にはまったく気づいていないとしか思えないつくりだった。

この問題が解消されていないつくりはそのままSL1200の最新モデルにも受け継がれている。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その36)

いまから20年ほど前は、日本でもMac World Expoが毎年開催されていた。
ある年のことだ。会場に着き、ブースを廻っていたときにパッと目に飛び込んできたモノがあった。
マウスだった。

どのブースだったのかはもう憶えていない。
そう大きくはないブースだったと思う。
ウィンドウズ用のマウス(Macでも使用可能)の新型が展示してあった。
ウィンドウズ用だから2ボタンで、マウスの中央にスリットが入っている。

さらにこのマウスには、スクロール用のホイールが新たについていた。
Mac World Expoの会場で、こういうマウスが世に出ていたことを知った。
そして、こんなモノを売っていていいんだろうか、とも思っていた。

そのマウスをしげしげ眺めて、そう感じたわけではなかった。
目に入ってきた瞬間に、そう感じた、「なんとヒワイなんだろう」と。
だから、こんなモノを売っていいんだろうか、と思ったわけだ。

フィデリティ・リサーチのFR7が男の性的なものを連想させるとすれば、
そのマウスは女の性的なものを連想させる、というか、
FR7よりも、もっと直接的にも感じた。

驚きのあまり、一緒に来ていた友人に「どう思う?」ときいてしまった。
そんなふうに捉えるのはお前ぐらいだよ、という返事だった。

そうかもしれないと少しは思っていても、
それにしても、なぜ、こんなふうに感じさせるのかを思っていた。

スクロール用のホイールがあれば便利なのはすぐにわかる。
問題は、デザインにある。
こういうのはデザインなのだろうか。

くり返すが性的なこと・ものを連想させるのが下品で悪いとはまたく思っていない。
けれどどこかあからさまで、安直とでもいおうか、つまりは何かが決定的に欠けているから、
見る人によってはそう見えてしまうのかもしれない。

もっとも、見る私の方に、何かが欠けているという可能性もあるけれど。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その35)

フィデリティ・リサーチのFR7の対極にあるカタチのカートリッジといえば、
オルトフォンのConcordeシリーズである。

どちらもシェル一体型だが、スマートさにおいては両極端の存在である。
ConcordeはMI型がメインだったが、MC型のMC100、MC200も発売になった。

Concordeシリーズのカートリッジをトーンアームに取り付けて、
FR7と見較べてみると、このふたつのカートリッジのスタイルの違いは、はっきりとしてくる。

さらにオルトフォンには、
SMEのトーンアーム3009 SeriesIIIの交換パイプと一体型のSME30Hもある。
FR7は3009 SeriesIIIには取り付けられないので、
別のトーンアーム(例えばFR64S)に取り付けてみると、
カタチの違いはもっとはっきりとしたものになる。

どちらがよくて、もう片方がダメというようなことではなく、
どちらもアナログディスクの音溝をトレースするオーディオ機器であり、
アンプやスピーカーとは異り、サイズ、重さに制約を大きく受けるカートリッジであっても、
これだけ、その世界が大きく違うことは、アナログディスク再生の奥の深さでもあり、
私にとっては、どうしてもFR7のカタチが受け容れ難いのかを認識させてくれる。

これから書くことは、FR7を愛用されている方からすれば、怒りを買うかもしれない。
それでも、FR7を見ていると、昔も今も感じることに変りはなく、
どうしても気になってしまう。
そして、もしかすると瀬川先生かFR7を無視されているのは、同じ感じ方をされていた……、
そんなふうにも思ってしまう(まるで違う可能性も否定しない)。

FR7の傾斜している部分に丸がふたつある。
これが目のように見えてくる。
そうなると、FR7が何か動物の頭のように思えてしまう。
さらに針先の位置を表すための縦のラインが入っている。

そんなふうに受けとっているのはお前だけだ、と言われそうだが、
FR7のカタチは男性ならば毎日数回は接している体の一部を、あまりにもイメージさせる。
つまり性的なもののイメージである。

オーディオのデザインとして性的なイメージを感じさせるものがダメなのわけではない。
性的なイメージが、ヒワイなイメージとなってしまうのが、受け容れ難いのだ。
ようするに洗練されていない、と思っている。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その30)

アナログプレーヤーの出力ケーブルが売られているということは、
簡単に交換できるからでもある。
つまりなんらかのコネクターを使っているから、ケーブルの着脱が用意に行える。

だがコネクターは接点である。
接点はそのままにしておけば経時変化によって、接点のクォリティが劣化していく。
それも急激におこる変化であれば、音の変化としても大きくあらわれるが、
徐々に変化するため、音の変化(劣化)もゆるやかに進行していく。
そのために気づきにくい、ともいえる。

接点はオーディオシステムのあらゆるところにある。
つまり接点のあるところでは、この劣化が進行しているわけだが、
アナログプレーヤーの出力は、再生系のシステムの中でも信号レベルがもっとも微小である。

そのため接点の影響を受けやすい。
接点を定期的に適切なやり方でクリーニングしていればいいけれど、
アナログプレーヤーの場合、機種によってはめんどうなことがある。

アナログプレーヤーの背面にRCAジャックを設けられているタイプであれば、
クリーニングはさほど面倒ではないが、
トーンアームの根元から出力ケーブルを交換するタイプとなると、
アームベースを取り外して行うことが多い。

慣れてしまえば、面倒だとは思わない人もいるだろうが、
それでも取り扱いの注意を怠ってはいけないことは変ることはない。

出力ケーブルを交換できるメリットもあるが、
交換できることによるデメリットもある。

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その4)

最初に聴いたCDの音に、驚いたことは前にも書いている。
発表前夜、ステレオサウンド試聴室で聴いた小沢征爾指揮「ツァラトゥストラはかく語りき」、
この音は、いまもすぐに思い出せるほど強烈な印象を残してくれた。

パイオニアExclusive P3とマランツ(フィリップス)CD63。
ディスクのサイズがコンパクトになったのと同じように、
プレーヤーのサイズもコンパクトになっていて、まさにコンパクトディスクなわけで、
それでも肝心の音が冴えなければ、それで終りである。

でも違っていた。

Exclusive P3が色褪てしまった。
私だけが感じていたのではなく、そのとき試聴室にいた編集者全員がそう感じていた。

Exclusive P3はよく出来たアナログプレーヤーである。
いまでも中古市場で人気があるのも、そうだろうな、と思う。

それでもテーブルの上にポンと置いただけのCD63から出て来た音は、
技術の進歩を感じざるをえなかった。

この時のディスクは一枚だけだった。
短い試聴時間だった。
それだからよけいに印象に残っていた。

その後CDは正式に発表され、各社からCDプレーヤーが一斉に登場した。
レコード会社からのタイトルも増えていった。

CDプレーヤーの総テストもあった。
各社のCDプレーヤーをほぼすべて並べて聴いていると、
あの日の衝撃はそこにはなく、けっこう冷静に聴いていた。

そうなってくると、CDとLPの音の違いについて、
初めてCDを聴いた後に、編輯部の先輩と話したことと、
その内容は変化していく。

いまから30年ほど前のことになるわけだが、
LPの音は気持ちいい、ということになった。
なぜ気持ちいい音のことが多いのか。

「それはこすっているからだ」と言った。
続けて「オーディオに限らず、こするのは気持ちいい行為でしょう」とも言った。

半分冗談でも半分は本気でいっていた。

CDは非接触で、LPは接触。
デジタルなのかアナログなのかという変調方式の違いも音に大きく関係していても、
非接触か接触か、という違いもまた音に大きく関係している、と思ったからだ。

そして接触することによって生じるノイズがある。
サーフェスノイズである。

Date: 5月 17th, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(呼称)

CDが登場する以前、アナログディスクのことはLPと呼んでいた。
45回転の17cm盤のことは、シングル盤、もしくはEPと呼んでいた。

CDはコンパクトディスク(Compact Disc)の略である。
直径12cmで、LPよりもEPよりも小さく、片手で扱えるサイズだ。
確かにコンパクトであり、ぴったりの呼び方だと思う反面、
CDはサイズのことしか表していないことにも気づく。

CDという呼称が登場する前は、DAD(Digital Audio Disc)だった。
これだと、どういう方式で記録されているのかがわかる。

こんなことをいまごろ書いているのは、
LP、EPのことをアナログディスクと書くのであれば、
CDのことはDADと書くべきかも、と思っているからだ。

最近ではアナログディスクのことをVinylと呼ぶようにもなっている。
Vinyl(ヴィニール、ヴァイナル)は、盤の材質のことである。
アナログディスクをこう呼ぶのなら、CDはポリカーボネイト盤と呼ぶべきかもしれない、とも思う。

そう思いながらも、結局のところ、アナログディスクと書いているし、CDと書いている。

Date: 5月 14th, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(あるラジオを聞いていて)

数日前、ラジオでアナログディスクについて語られていたのが、偶然耳に入ってきた。
途中からだったし、短い時間だった。周囲の雑音も多いところだったから、
どこまで正確に聴きとれていただろうか、と思うところはあるけれど、
概ね、こんなことが話されていた。

在日ファンクのヴォーカル、浜野謙太という人が言っていたことだ。

CDはドメスティックな感じがして、家庭でひとりで聴く感じ。
アナログディスクはみんなに聴かせたい、みんなと聴く感じのするもの。

アナログディスク再生とCD再生。
そこには違いがある。
その違いをどう感じて、どう表現するか。

1982年にCDが登場して以来、
そういう文章、発言をどれだけ目にして耳にしてきただろうか。

それらをすべて読んできたとはいわないけれど、
かなりの数、見聞きしてきた。

それでも、今回の浜野謙太氏の発言は初めてだった。

CDは冷たい、アナログディスクはあたたかい──、
そんな表現だったら、取り上げたりはしない。

CDは、という括りには、リッピングしたデータも含まれているとは思う。
ヘッドフォン、イヤフォンで音楽を頻繁に聴く人は、この時代、多い。
この人たちをイメージしての、CDはひとりで聴く、という発言につながったのかも……、
そう考えもしたが、続くアナログディスクは……、の発言をきくとそうでもないという気がする。

私にとっては、アナログディスクもCDも、リッピングしたデータであっても、
その他のメディアであっても、家庭でひとりで聴くものであり、
その上でのCDとアナログディスクの違いがある。

多くのオーディオマニアは私と同じだと思う。
けれど在日ファンクの浜野謙太氏は、そうではない。

浜野謙太氏の捉え方は少数といえるのだろうか。
意外と多いのかもしれない。
どちらなのかは,いまのところわからない。

ただテクニクスのSL1200の人気、
SL1200のニューモデルの登場、
限定モデルがすぐに予約完売してしまったことなどが、
ここにつながっていくような気がしている。

そして、いまのアナログディスクブーム、そうなのかもしれない……、
そんな気もしてくる。

このことについては、もう少し考えていきたい。
とにかく浜野謙太氏の発言は、私にはとても意外だった。

Date: 3月 26th, 2016
Cate: アナログディスク再生

DAM45

DAM45の文字を見て、なんのことかすぐに思い出せる人は、私と同世代か上の世代の方たち。
DAMとは、第一家庭電器オーディオメンバーズクラブの頭文字であり、
DAM45とは、DAM頒布会用LPのことであり、45という数字があらわしているように45回転のLPである。

第一家庭電器はおもにFM誌に積極的に広告を出していた。
ステレオサウンドでは見なかったはずだ。
1970年代後半はFM誌全盛の時代だった。

週刊FM、FMfan、FMレコパルが出ていた。
私は主にFMfanを買っていた。
そこにも第一家庭電器の広告は、ほぼ毎号載っていた(と記憶している)。
そのくらいよく見ていた。

広告には必ず「マニアを追い越せ!大作戦」のキャッチフレーズがあった。
広告に掲載されていたのは、カートリッジ、トーンアーム、アクセサリーなど、
アナログプレーヤーに関係するモノがメインだった。

カートリッジに関していえば、ディスカウント店の先駆けのような感じだった。
カートリッジをひとつ買ってもそうだが、二個三個とまとめ買いをすればさらに安くなる。
だからといって単なるディスカウント店ではなかった。
だからこそのDAM45の制作がある。

第一家庭電器の広告を見るたびに、東京および周辺に住んでいる方をうらやましくも思った。
しかも年二回のキャンペーン期間中にカートリッジを購入すれば、非売品のDAM45がもらえる。

そのDAM45の中に、グラシェラ・スサーナのLPもあったのを憶えている。
ほんとうにうらやましかった。

グラシェラ・スサーナだけでなく、カラヤンのDAM45もあった。
そのことからわかるのは東芝EMIがDAM45の制作に協力していることだ。

いま第一家庭電器も東芝EMIもない。
私のところには グラシェラ・スサーナのDAM45があるだけだ。

私と同世代、上の世代のオーディオマニアのレコード棚にはDAM45が何枚かあるのではないだろうか。
DAM45を手にして何をおもわれるだろうか。

懐しいなぁ……、最初に来るであろう。
それから、どちらの会社ともなくなったぁ……、がくるだろう。

これまではそこまでだった人が多かったように思う。
でも、いまはインターネットで、DAM45の制作に携われてきた人たちが、
公式といえるウェブサイトを公開されている。
当時の広告も公開されている。

もちろんそれぞれのレコードについての詳細なデータもある。
当時よりも、いまのほうがDAM45について詳しく知ることができるようになった。

Super Analogue DAM45

Date: 3月 12th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その29)

アナログプレーヤーとコントロールアンプの位置関係は、
ケーブルの引き回しに関係してくる。

何度も書くが、アナログプレーヤーは微弱な信号を取り扱っている。
オーディオ機器でいちばん微弱な信号ともいえる。
だからこそ細心の注意を払う。

1970年代、アナログプレーヤーの出力ケーブルとして、
低容量型と低抵抗型が、同じメーカーから発売されていた。

低容量型ケーブルはMM型、Mi型用であり、
低抵抗型ケーブルはMC型用である。

同軸ケーブルという構造上、
低容量と低抵抗を両立させることは難しい。
だからMM型には低容量、MC型には低抵抗という使い分けが常識だった。

低抵抗のケーブルは、いうまでもなく低容量のケーブルよりも静電容量が大きい。
インピーダンスが高いMM型だと、この静電容量が負荷となりハイカットフィルターが構成され、
容量が大きければ可聴帯域内で減衰が始まってしまう。

MC型でも同様にハイカットフィルターが構成されるが、
出力インピーダンスが低いため、カットオフ周波数は十分に高い周波数となる。

むしろ問題はケーブルの抵抗である。
ケーブルの抵抗値が高ければ減衰器として作用してしまう。

MM型よりも出力電圧の低いMC型の信号が、アンプもしくは昇圧トランスの入力に着く前に減衰してしまう。
ケーブルの抵抗値が大きいほどげ減衰量も大きくなる。

だからMM型には低容量、MC型には低抵抗のケーブルということになる。
そしてどちらのケーブルにおいても、ケーブルの長さが容量、抵抗と関係している。

短ければ容量、抵抗は低くなり、長ければ大きくなる。

同じ低容量のケーブルであっても長さが半分になれば静電容量は半分になる。
長さが倍になれば静電容量も倍になる。
抵抗に関しても同様だ。