会って話すと云うこと(その20)
仲良しチームと呼ばれている三人で、ヘッドフォン祭に行っていた。
ヘッドフォン祭は中野で開催されている。
一人で行くのであれば、交通の便が悪くなければ、
どこで開催されていてもいいけれど、
仲のいい人たちといっしょに行くのであれば、
その後に、飲みに行きましょう、ということに必ずなる。
そうなると、ヘッドフォン祭の中野は、いいなぁ、と感じる。
仲良しチームと呼ばれている三人で、ヘッドフォン祭に行っていた。
ヘッドフォン祭は中野で開催されている。
一人で行くのであれば、交通の便が悪くなければ、
どこで開催されていてもいいけれど、
仲のいい人たちといっしょに行くのであれば、
その後に、飲みに行きましょう、ということに必ずなる。
そうなると、ヘッドフォン祭の中野は、いいなぁ、と感じる。
仲良しチームと周りの人に呼ばれている私を含む三人。
今日は、新しい人を加えて四人で会っていた。
少し飲みすぎて、この時間でもかなりアルコールが残っている。
ブログを書くのも面倒に感じるくらいに、まだ酔っている。
四人で会っていて盛り上った。
帰り際に「もう一軒よりももう一回」ということばがあった。
そうだな、と思ってきいていた。
「もう一回」は再会を約束することばでもある。
再会というと少し大袈裟すぎるように受け止められがちだが、
再会を約束して、きちんとまた会う。
それだけのことだ。
でも、そのことをきちんとしていくのが、幸福なのだろう。
10日ほど前、「黒田恭一氏のこと(「黒恭の感動道場」より)」を書いた。
最後、こう書かれている。
*
自己の全人格を賭けてなどと、大袈裟なことをいうつもりはないが、少なくとも、これはと思った情報を伝える時には親しい友だちに伝えるときの真剣さを忘れべきではないと思う。
*
いまから11年前に書かれている。
iPhone登場前であり、
SNSもmixiがあったくらいである。
黒田先生は、この文章を書かれた後の世の中の変化を、もうご存知ない。
いまなら、なんと書かれるだろうか、とおもうことがある。
《親しい友だちに伝えるときの真剣さ》とある。
けれど、いまはどうだろうか。
iPhoneに代表されるスマートフォンが、一人一台といえるくらいに普及していると、
そのディスプレイに表示されている情報を、
それこそコピペ(こうした略語は極力使わないようにしているが、ここではコピペがふさわしい)して、
親しい友だちに送信する。
手軽である。それだけにスピーディでもある。
わざわざ会って話して伝えるのにくらべて、ずっと楽である。
でも、そこで口コミは、もう口コミではなくなっていることが多いのではないか。
真剣さは、ここでも稀薄になりつつある。
そんなふうにおもう私でも、今日は楽しかった。
つきあいのながい人たちと観に行ったわけではない。
一人は11月に知りあったばかり。
でも、そんなことはどうでもいいほどに、映画の後の雑談が楽しい。
映画の後に、何を話そうか……、などと考えながら映画を観てもつまらない。
そんな観方はしない。
オーディオで、誰かのところに行って音を聴くということを、
私の方から積極的にしないのは、同じ理由からである。
初対面の人のところに行って、音を聴く。
聴き終れば、当然感想を聞かれる。
これが苦痛になることがある。
なんといおうかと考えながら聴いていては、
中途半端に聴き方になってしまうし、聴かせてくれた人に対して失礼でもある。
それでも、なんといおうかと、言葉につまることも、実際にある。
当り障りのないことでごまかすのも失礼だし、
かといって正直に話すのも……、と憚られることも少なくない。
確認したわけではないが、いっしょに行った二人も、
そんな映画の観方はしていないはず。
そういう三人でも、というか、そういう三人だから、というべきか、
話は盛り上る。
10数年、誰かと映画を観ることはしてなかった。
映画だけでなく、コンサートもオーディオに関係することも、
ひとりでやることが圧倒的に多い。
これからもそうであろう。
それでも、これからは、ひとりで、ということに頑なにならずに、
これからは機会があれば、積極的に誰かと映画を観ることにしよう。
映画館で映画を観るようになったのは、小学校の低学年からか。
その時代、東映まんがまつりが、春休み、夏休み、冬休みに上映されていた。
そのあたりから映画館で観るようになって、今日までに何本の映画を観てきたのか、
けっこうな本数を観ている。
子供のころは、親と一緒だった。
けれど中学生ともなると、一人で行く。
一人で観るようになってから、誰かと一緒に観た映画はわずかだ。
思い出すかぎりで、十本に満たない。
映画は一人で行って観るものだ、とおもうようになったのは、
観たいと思った時に、観たい映画を観たいから、である。
そんな私も、今日は三人で観てきた。
先週の水曜日に、観に行こう、ということになった。
こんなことは初めて、である。
いままで誰かと観に行った映画は、当日、「じゃ観に行こうか」という感じだった。
前もって約束して、集合時間と場所を決めて観る。
そんなの当り前だろ、といわれそうだが、
こと映画に関しては、初めてだった。
観終って映画館を出たら、そこで別れるわけではなく、
三人で軽く食べながら飲みながら、映画の話となる。
実をいうと、20代、30代のころは、これが苦手だった。
観終ったばかりの映画について語る──、
なぜ、観終ったばかりの映画について、こんなに語れるのか、
一緒に行った人が語るのを聞いていて、不思議に思うこともあった。
20代終りごろ、ある試写会に行った。
ちょっと変った試写会で、観終った後に、
アンケート用紙に記入させられた。
まわりの人をみると、かなりのいきおいでびっしりと書いている人ばかりだった。
この人たちは、映画評論家を目指しているのか、と思うほどに書いていた。
その姿を見ていて、
この人たちは映画を観ながら、何を書くかを考えていたんじゃないのか──、
そんなことを勝手に思っていた。
もうそうだとしたら、なんとつまらない映画の観方なのだろう、ともおもっていた。
火曜日は、別項「実感した電源事情」で書いているように、
渋谷のギャラリー・ルデコに行っていた。
4Fで24日まで開催されているSUBTERRANEAN HOMESICKは、
金村修、小松浩子、マイク野上、三人の写真家による展示である。
SUBTERRANEAN HOMESICKで音楽を鳴らしているシステムは、野上さんのモノである。
12日の夜は、野上さんと渋谷で飲んでいた。
ライカの話が出た。
ライカの話をされるときの野上さんの手つきは、
そこにライカのカメラがあるかのような手つきである。
ライカのカメラが、そこにスポッとおさまっているかのようである。
野上さんのライカの話を聞いていて、
瀬川先生の文章を思い出してもいた。
*
カメラについて、私の知るかぎり最もその扱いの見事な人は、故人となった木村伊兵衛先生だった。写真に凝ったあげく「ライカ倶楽部」の会員の端くれに入れて頂いた私にとって、木村先生は雲の上のような存在だったが、その木村先生のカメラさばきの見事さについては、いくつもの〝伝説〟が残っている。だが、それを最もうまく言いあてているのは、「まるで呼吸すると同じように」カメラを扱った、という大倉瞬二氏の表現だろう。木村伊兵衛氏が写真を「撮っている」ところを、しかと見た人は少ない。つまり、カメラを「構えた」という感じを周囲の人にまったく気づかせない。首からぶら下げたライカが、時折、顔のところまでスっと引き上げられ、スっと元のところにおさまる。居合抜きもかくやという雰囲気で、確かにそれはもう、呼吸すると同じくらい、身体の一部になってしまっていた。
(「音の味覚学(ガストロノミー)」より)
*
ライカこそ、そういうカメラなんだ、と野上さんの話を聞きながら思っていた。
楽しい三時間は、あっという間だった。
帰宅して布団の中に入って、ふと気になったことがあった。
iPhoneで「木村伊兵衛」で検索してみた。
木村伊兵衛氏は、1901年12月12日の生れだった。
その場に居合わせなかった人にとって、どうでもいいことなのだろうとわかっていても、
12月12日に、ライカについての野上さんの話を聞けたことは、
私にとっては単なる偶然ではない意味をもつ。
夕方、オーディオ仲間、友人のAさんの家に行っていた。
数年前までアメリカに住んでいたAさんは、アメリカに倉庫を借りていて、
そこにいろいろ保管している。
その一部を今夏アメリカで整理して、日本に送っている。
その中に、JBLのユニットがあり、それを見に行っていた。
075、375+537-500、N800である。
そのどれも何回となく見ているし、音も聴いている。
人によっては、ただ見に行くだけなの? と思うかもしれない。
音は聴いていない。見に行っただけである。
いまではスマートフォンで、そこそこきれいな写真が簡単に撮れ、
すぐに送信できるし、してもらえる。
行って直接見ることは、触れることでもある。
ひさしぶりに触った375+537-500。
見る・聴く機会はけっこうあっても、触れるのは20数年ぶりだろうか。
2441+2397の組合せよりも、375+537-500の方が重い。
ホーンが木製か金属製かの違いがある。
それに537-500にはスタンドも付属している。
375も2441も、重量は変らないが、
ホーンシステムとしての重量バランスは、
2441+2397は悪い。アンバランスである。
375+537-500はホーンが重たい分、重量バランスはずっといい。
トータル重量と重量バランスに関しては、
カタログに記載されている数値を見れば、想像がつくことではあっても、
こうやって自分の手で持ち上げてみると、思い出される感覚がある。
大切にしたい感覚だと思う。
2月に大分から来られたUさんと会って飲んでいた。
数日前には、兵庫からのTさんと会っていた。
Uさんと初対面だった。
facebookで知りあった。
Tさんとは30年ぶりだった。
元同僚である。彼も短い期間ではあったが、ステレオサウンドで働いていた。
お互いの連絡先は知らないままだったけれど、facebookのおかげでまた会うことになった。
facebookがなければ、UさんともTさんとも、今年会って飲むことはなかったかもしれない。
facebbokがなくともインターネットはあるわけで、
audio sharingを公開しているし、ブログも毎日書いていて、メールアドレスも載せているので、
facebookがなくとも知りあったり、再会したりという可能性はまったくないわけではない。
でもfacebookがあったから、と感じている。
UさんもTさんもオーディオマニアだ。
2月も数日前も、オーディオの話がほとんどだった。
Tさんと再会する二日前には、友人のAさんと飲んでいた。
会って話すということは、目の前に相手がいる、ということである。
私の前に、誰かが坐ってくれている、ということだ。
今日は飲み会(パーティか)だった。
表参道にあるとある事務所での、それは行われていた。
私としては、まあまあの量飲んだので、いまもほどほどに酔っている。
酔っている状態で、今日は書いている。
このブログを書くために途中で抜け出して帰ってきた。
30人以上の人が来ていた。
すごいにぎわいだった。
何人かの方と話した。
あるメーカーの人がいた。
このブログを読んでいる人ならば、みな知っているメーカーである。
そのIさんが、
「若い才能は育ってきているけれど、贅沢な環境は失われつつある」
といわれた。
まったく同感である。
オーディオ業界は、若い才能が育ってきているか疑問も残るが、
他の分野では確かに若い才能は育ってきている、といえるだろう。
けれど贅沢な環境は失われつつある、のもまた事実である。
オーディオの場合、特に失われつつある、といえるかもしれない。
いろんな人が集まる場になれているわけではない。
今夜は、とある女性に「気弱にならない」ともいわれた。
そういうタイプの私でも、誘いがあると出掛けていくのは、
やはり人と会って話すのは楽しいからである。
ステレオサウンドにいたら、多くの人と会えたであろうが、
それはすべて仕事が関係してのことであり、ステレオサウンドという看板があってのことである。
そういうこととは関係なく、会って話せるというのは楽しい。
ひとりで酒を呑むことは、もう30年ほどやっていない。
誰かといっしょに呑むのは楽しい。
だから親しい人からの誘いがあれば、極力出掛けるようにしている。
今日も出かけていた。
友人で、オーディオ仲間のAさんと会って、あれこれ話して帰ってきたところである。
オーディオの話も、もちろんした。
それ以外の話のほうが多かったけれども。
オーディオの話で驚いたことを聞いた。
オーディオの話というより、オーディオマニアについての話である。
Aさんは私よりも、多くのオーディオマニアを知っている。
AさんがSNSに、あるオーディオ機器を買った、と書いたとする。
それが高額なモノであれば、彼を知っているオーディオマニアの方から連絡が来るそうだ。
聴かせてほしい、と。
ところが、新しいモノを何も買わずにいると、
まったく連絡がなくなるそうだ。
そういう人の中には、Aさんから連絡をしても無視する人もいるとのこと。
なんだろう、と思う。
そういう人は、Aさんに会いに来るのではなく、
Aさんが購入したオーディオ機器に会いに来ているのか。
そんな人も「音は人なり」というのだろうか。
だとしたら、Aさんが購入したオーディオ機器を聴きに来るということは、
Aさんの音を聴きに来ると同義であるのに……、とも思う。
人はいつか死ぬ。
死を避けることのできる人なぞいない。
そんなことみなわかっている。
にも関わらず、死ぬということをわすれてしまいがちでもある。
いつでも会える。
そう思っていないだろうか。
たしかにお互いが生きていれば、いつでも会える。
でも人は死ぬのだ。
いつか死ぬ。
こんなことを書いている私だって、いつ死ぬのかはわからない。
20年後かもしれない。もっと後かもしれない。
でも、もしかしたら明日、事故にあって……、ということだって、
可能性としてはあるわけだ。
会って話すことは、互いが生きているからだ。
相手が生きていて、私が生きていてこそ、会って話せる。
このことを忘れないでほしい。
憶えていても、つい先延ばしにすることがある。
そこでの後悔は、どうしようもない。
「岩崎千明氏のこと(その5)」に書いた。
年明けにでも、と思っていたから、急ぐ気持はなかった。
人はある日突然いなくなる。
会えなくなる。
昨晩は忘年会だった。
明るいうちからひとつ目の忘年会があり、夜は次の忘年会に移動していた。
20数年ぶりだろうか、始発電車で帰ってきた。
この時期、ブログを書くペースを増しているのは、
大晦日までに7000本目(年に千本)を書くためである。
なので早めに帰宅してブログを書きたい、という気持は強い。
それでもひょこひょこ出掛けていた。
昨晩のブログは、忘年会の最中にiPhoneで書いていた。
昨晩の忘年会は、どちらも、どこかの飲食店に出掛けて、というものではなかった。
最初の忘年会は、
毎月第一水曜日にお世話になっている四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記での、
常連の人たちを集めてものだった。
次に行った忘年会は、とある事務所でのものだった。
そこにはホワイトボードがあり、
途中からホワイトボードにそれぞれがテーマについて書きながらの忘年会になっていた。
いまや連絡ツールはいくつもある。
しかも手軽になっている。
話すこともできれば、文書で、絵文字、写真などで伝えることも手軽にできる。
それでも移動して会って話す。
面倒だな、と思う気持がまったくないわけではない。
上に書いているように、この時期はブログを書く時間を優先したい気持もある。
それに出不精なところもある私であっても、
やっぱり会って話すことは、楽しいと感じる。
会って話してわかることもある。
今回のジャズ喫茶・名曲喫茶めぐりには、30代・40代・50代・60代の方が参加された。
いちばん若い人は34歳。
私はその年代のころ、あることを思っていて口にしていた。
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」
こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。
けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。
もし、このときに、MAC POWERを手にしていなければ、
川崎先生のDesign Talkと出逢っていなければ、読みつづけていなければ、
ずっとこのままきていたかもしれない。
大人とは──、と問われれば、
誰かのために自分の時間の一部を使うことにためらわないことだ、と答える。
残り時間は短くなっていくばかりなのだから、
お金にもならないことのために自分の時間を費やすなんて……、
そう思う人がいても、それはそれでいいじゃないか、と思っている。
私自身もそうなっていたであろうから。
一時に中野駅に集合して、中野・渋谷・新宿とまわってナルシスを出たのは七時をまわっていた。
今回決めていたのは一軒目にロンパーチッチに行くということだけで、
次にどの店に行くのかを、はっりきと決めていたわけではない。
そうやってまわったあとに大久保に移動して忘年会。
ここでは当然アルコールがはいる。
話すことはあれこれある。
音楽とオーディオのことばかり話していたわけではない。
最後の店を出たのは十時をまわっていた。
audio sharing例会を毎月行って、そこで話しているわけだから、
こんなふうに集まっていくつかの店をまわって呑みながら話すこともないだろう、とは思っていない。
今回参加されていた方はひとりをのぞいてみなfacrbookをやっている。
それでも、会って話すのは楽しい。
いまは会わなくともやりとりはスマートフォンがあれば、頻繁に、どこででも行える。
今回のことにしても、どの店をまわるのか決めてなくともスマートフォンがあったから、
途中参加の人もすんなり合流できている。
便利にはなっている。
それでも直接会って話す。
一対一で会って話すのもいいし、こうやって何人もが集まって話すのもいい。
歳をとれば、いままで生きてきた時間よりも残り時間は確実に短い。
短いからこそ、自分のためだけに使いたい、好きなように使いたい、という気持はわかる。
けれど、その短くなった時間の一部を、
自分のためだけでなく、好きなようにではなく使うのも大切なことではないのか。
今回まわった四軒の店のシステムを書き出すことはしないが、
ナルシスのシステムは、ほとんどのオーディオマニアの関心をひかない内容である。
五時開店のナルシスに、われわれはこの日最初の客だった。
私は、四軒の音で、ナルシスの音がもっとも印象に残っている。
インターネットで検索すれば、ナルシスは古くからの店で有名なことを知る。
渋谷のライオンも古い店なのだが、私にはナルシスの方が驚きもあった。
歌舞伎町の真ん中に、こういう店がずっと存在している。
しかも、そこで聴ける音は、なかなかのもの。
今回のジャズ喫茶・名曲喫茶めぐりに参加したのは私もふくめて八名。
途中参加の人、最初参加して途中抜けてまた合流という人もいたので、
八人がいっしょにいたわけではないが、五人だったり六人だったりしていた。
ロンパーチッチの音が気に入った、という人もいたし、
ライオンの音はダメという人もいれば、ここが良かった、という人もいる。
ナルシスの良かったけれど、JBSの方が印象に残っている人もいた。
どこがいちばんの音なのかを決めるために廻っていたのではないから、これでいい。
これを読まれた方の中には、
なにも一緒に行かなくとも、どれも東京都内の店なのだから、ひとりで行けばいいじゃないか、というかもしれない。
たしかにそうだ。
でもこうやって数人で一緒に廻ることで気づくことがある。
それにナルシスは今回のことがなければ、ずっと知らないままだったと思う。