Archive for category 岩崎千明

Date: 9月 11th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その6)

インターネットがなかったころには、こういう入門書の必要性は高かっただろうが、
いまではインターネットに、どこからでもアクセスできるようになり検索できるわけだから、
昔ほどには必要性はない──、
そういうことになれば、わざわざ項目をたてて書く必要もないわけだが、
むしろ昔よりも、いまのほうが必要性は増している、と私は考えている。

もう10年近く前のことだ。
ある人が、CDについて自身のサイトで公開していた。
そこには「CDは角速度一定だから」という記述があった。
たまたま、その人とは面識があったから、間違いの指摘の電話をした。

彼いわく、
今回のことを書くためにインターネットであれこれ調べた。
いくつかのサイトを見つけて、その中でいちばん信頼できると判断したサイトに、
「CDは角速度一定」と書いてあった、と。

何かについて書くときに調べてから、というのは理解できる。
けれど、わざわざ間違いが書いてあるサイトを、他のサイトよりも正しいと思い込み、
そのまま「CDは角速度一定」と信じ、文章を書く。

どのサイトに書いてあることを信用するのか、
それを見極めるに必要なものが、彼には欠けていた、といえるわけだが、
たまたま私が知っている例が彼だというだけの話であって、
この手の話は意外にも少なくないように思う。

Date: 9月 10th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その5)

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」のすごさがわかるようになるには、時間が必要である。

だからといって、オーディオをやり始めたばかりのとき、
いいかえれば、このふたつのすごさがよく理解できないときに、
「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」を読まなくてもいい、というわけではなく、
むしろ、その反対で、できるだけ早い時期に読んでいて、
とにかく理解しようとすることがなければ、その後、どれだけ時間が経とうとも、
「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」のすごさはわからない。

「オーディオABC」、「カタログに強くなろう」からオーディオの基礎・基本を出発することで、
いずれ、そのことがどれだけ確かなことをベースにしてこれたのか、に気づくだろうし、
「オーディオABC」、「カタログに強くなろう」を書くことの難しさにも気づくはずだ。

だから、岡先生が「オーディオABC」ではなくて「オーディオXYZ」と題した方がよかった、
と書評に書かれたことが理解できる。

「オーディオABC」も「カタログに強くなろう」も、
タイトルからも、編集者の意図からかも、掲載されたFM誌の性格からしても、
オーディオ入門者に向けてのものではあったはずだ。

けれど、一般的な意味でのオーディオ入門書では、決してない。

Date: 9月 9th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その4)

私のところに届いた「カタログに強くなろう」の記事は20本あった。
音をテーマにした記事、スピーカーをテーマにした記事が含まれた20本だった(1本抜けがあった)。

いつごろ連載されていたのかは、送ってくださった人もはっきりとはわからない、とのことだった。
記事の裏側に載っていた広告からすると、この連載の1974年ごろから始まったと思われる。

「カタログに強くなろう」、
いかにも初心者向きの記事といったタイトルのつけ方だ。

中学生のときの私だったら、素直に読み始めただろう、
でもこの記事が届いたときの私は、もう中学生ではなかった。
この「カタログに強くなろう」を書かれていたころの岩崎先生よりも、少し上になっていた。

軽い気持で読み始めた。
おもしろい。
私が担当編集者だたら、「カタログに強くなろう」というタイトルはつけない、と思った。

中学生のとき読んでいたら、いま感じている、この連載の価値はよくわからなかったはずだ。

岡先生は瀬川先生の「オーディオABC」について、
「オーディオXYZ」と題した方がよかった、と書かれている。

正直、「オーディオABC」を最初に読んだ時は、
岡先生がそこまでいわれることが、まだ理解できていなかったところもあった。

「オーディオABC」はたしかにいい本である。
でも、中学生にとっては、岡先生と同じようには読み込むことができていなかった。
それは、ふり返ってみれば、当然のことなのだが、当時はそんなことには気がつかない。

瀬川先生の「オーディオABC」、岩崎先生の「カタログに強くなろう」のすごさがわかるようになるには、
読み手側の勉強と経験が必要だということだ。

Date: 9月 9th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その3)

「オーディオABC」は、FM fanでの、同タイトルの連載記事に訂正・補足をくわえ、まとめたものである。
「オーディオABC」のあとがきには、昭和51年12月、とある。
1976年、この年の秋に、私は「五味オーディオ教室」に出逢っている。

オーディオ関係の雑誌を読み始めるようになったのは1976年の冬あたりからなので、
FM fanでの連載を直接読んでいたわけではない。

音楽之友社がそのころ出していた週刊FMは、FM fanのライバル誌であった。
「オーディオABC」がいつごのFM fanから載り始めたのか、は調べていない。
でも上巻、下巻、二冊にまとめられているのだから、一年くらい連載ではなかっただろう。
もっと長かったはずだ。

FM fanも週刊FMも月二回の発行だから、一年で24回の連載。
そうなると数年は連載が続いていた、と思われる。

とすると、週刊FMに連載されていた「カタログに強くなろう」と「オーディオABC」は連載時期が重なる。

「カタログに強くなろう」は岩崎先生による連載記事のタイトルである。
この連載があったことも、実は当時は知らなかった。
「カタログに強くなろう」を知ったのは、たしか2011年の冬ごろだった。

このブログを読んでくださっている方から連絡があり、
記事の切り抜きを送ってくださったおかげである。

Date: 9月 8th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その2)

瀬川先生の著書「オーディオABC」の上巻は1977年に共同通信社から出ている。
この本の、岡先生に書評がステレオサウンド 43号に載った。
(下巻の書評は46号に載っている。こちらも岡先生)

43号は、私にとって3号目のステレオサウンド。
オーディオに興味をもちはじめて、基礎的・基本的なことを吸収し始めたばかりのころにあたる。

岡先生はこう書かれていた。
     *
オーディオ・ブームといわれる現象がおこる以前からオーディオ入門書といった類の本はいくつかあり、最近はブームを反映してますますその種の出版物が賑わっている。瀬川さんの新著も「オーディオABC」というタイトルから、そういう類の本だろう、とおもわれてしまうにちがいないが、内容はさにあらずだ。むしろ「オーディオXYZ」と題した方がよかった。つまり音楽再生のためのオーディオのゆきつかなければならぬところを想定して、それがオーディオ機器のハード的なふるまいとどんな風にむすびついているのかというアプローチがこの本の根本的なテーマになっている。こういう書き方というものはやさしいようで実は一ばんむずかしいのである。
     *
この書評を読んで、「オーディオABC」は買わなければならない本、
しっかりと読まなければならない本だとおもい、手に入れた。

運が良かった、とおもう。
オーディオの、ごくはじめの段階で、「オーディオABC」という本があった。

オーディオにはいったきっかけとして、まわりにオーディオをやっていた人がいたから、
ということを挙げる人は少なくない。
そういう場合、まわりの人が、いわば師匠となることが多い(らしい)。

らしい、と書いたのは、私にはまわりにそういう人がいなかった。
だから、本だけが頼りだった。質の高い本だけを頼りにしていた。

Date: 9月 8th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その1)

書店に行くと、オーディオ関係のムックがときどき置いてある。
ステレオサウンド、音楽之友社など、これまでもいまでもオーディオ関係の本を出している出版社のではなく、
ほとんどオーディオとは関係のない出版社から出ているのを見れば、
オーディオは、いま静かなブームなのか、とも思えてくる。

売れないとわかっている本をわざわざ出すわけはないのだから、
出す側としては、ある程度の部数はさばけるという読みがあってのことだろう。
ならば、いまはオーディオ・ブームが始まろうとしているのか、ともいえることになる。

オーディオ・ブームが始っている(始まろうとしている)、として、
私がオーディオに関心をもち始めたころと、つい比較してしまうと、
いわゆる入門書と呼べる存在がないことに気づく。

いまはインターネットがある。
だから、そういった本はいらない、という見方もある。
けれど一冊の本で、きちっとまとめられた内容のものは、やはり必要である。

難しい理屈はいらない、いい音が簡単に得られればいい、と考える人に、
基本から丁寧に説明していってくれる内容の本は不必要だろうが、
そうでない人、さらに深い領域に自らはいっていこうとしている人にとっては、
昔もいまも必要とすべき本がなければならない。

とはいえ、昔も、そういう本がいくつもあったわけではない。
けれど、少なくともいくつかはあった。

Date: 7月 22nd, 2013
Cate: 岩崎千明

いつの日か、ジャズ・オーディオを!

「Harkness」はある事情から、エンクロージュアの補修が必要である。けっこう大がかりになると思う。
ネットワークも片チャンネルの、ウーファー側のコンデンサーがもうだめになっているし、
全体的にこまかな手直しも必要である。

トーレンスのTD224もヘッドシェルがない。
これをなんとかしないとカートリッジが取り付けられない。
一般的なSME-オルトフォン型とはコネクター部のピンの形状が異るのだ。

eBayにTD224のヘッドシェルが、少し前に出品されていたけれど、
300ドルぐらい値がつけられていた。
けっこうなお値段である。

それにトーンアーム・レストもないので、これもなんとかしないといけない。

とにかく完全な状態に仕上げるには、少し時間がかかる。
じっくりと手直ししていく。
いつになるのか、いまのところはっきりとしない。

すべて満足のいく手直しができたら、
どこかのスペースを短期間借りて、
一週間とか一日だけとか、そういうほんとうに短い期間だけ、
岩崎先生の残された「音」の片鱗でも、ひとりでも多くの人に聴いてもらえるようにしたい。

二年後かそれとも三年後、もしかするともっとかかるかもしれない。
アンプも、できればクワドエイトのLM6200Rを手に入れたいし、
パワーアンプもExclusive M4と組み合わせたい。
こんなことまでやろうとすると、もっと時間はかかる。
それでも、いつの日か、ジャズ・オーディオを! と誓っている。

Date: 7月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 終のスピーカー

終のスピーカー(2013年7月21日)

Tour de Franceの100大会の初日(6月29日)に、岩崎先生のお宅にはじめて伺った。
Tour de Franceの100大会の最終日の今日、また行ってきた。

意図的にそうしたわけではなく、たまたまTour de Franceの日程と重なっただけ。
今日は岩崎先生の原稿をお借りしてきた。
手書きの原稿が数本、
手書きの原稿をコピーしたものが数本、
それから口述筆記の原稿も数本あった。
その他に週刊FMで連載されていた「カタログに強くなろう」の記事のコピーが揃っていた。
この連載記事の一部はある方から譲っていただいてすでに入力が終っているが、
歯抜けが今回すべて埋めていけることになる。

実は、この他にいただいてきたモノがある。
パイオニアのチューナー、Exclusive F3だ。

外形寸法、W46.8×H20.6×D38.9cm、重量は16.6kg。
これだけの大きさで、受信できるのはFMだけである。

いまFM放送はインターネットを介して聴ける。
音にこだわらなければiPhoneでも聴くことができる。
こうなってきたこの時代に、プリメインアンプ並の大きさと重量のチューナーで聴く。

それはどこか時代錯誤といわれるのかもしれない。
チューナーは一台、なにか欲しい、と思ってはいた。
できればバリコンを使ったチューナーがいい。

インターネットで聴けるものを、わざわざチューナーを介して聴くわけだから、
チューナーならではの音の美しさをもっているモノで聴きたい、
そんなことを漠然と思っていた。
それに別項で「チューナー・デザイン考」を書いている。
そのためにも最高級のチューナーでなくともいいけれど、
すくなくとも手もとに置いときたくなるモノがいい──、
そこにExclusive F3がやって来た。岩崎先生が使われていたExclusive F3である。

Date: 7月 7th, 2013
Cate: 岩崎千明, 終のスピーカー

終のスピーカー(求めるものは……)

岩崎先生のモノだった「Harkness」で、いまは聴いている。

だからこそ忘れてはならないと改めて心に刻むのは、
「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」である。

Date: 7月 2nd, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(Electro-Voice Ariesのこと・続余談)

「Aries」は、そこにちょこんといた、という感じだった。
何の知識をもたない、オーディオにも無関心の人ならば、スピーカーとは思わないだろう。
小さめの収納家具にみえてもおかしくない。

「Aries」の写真を撮ってきた。
外観だけでなく、特徴的なサランネットを外して、スピーカーユニットの写真も、
それからリアバッフルの入力端子まわりの写真も。

サランネットの中央には、小さな把手がある。
これがあるから家具に見えて、観音開きできるように思ってしまうのだが、
引いてもびくともしない。
よく見ると左右に蝶番もない。
結局、横に寝かせて底板にあるネジ4本を外さなければ、スピーカーユニットとの対面はできない。

「Aries」は3ウェイ。
使われているユニットに、これといった特徴的なところはない。
コーン型の3ウェイ構成だった。

Ariesについて、岩崎先生は「豊麗な低音」とスイングジャーナルに書かれている。
このサイズで、そういう低音が鳴り響くのか。
それゆえのフロアー型なのか。

とにかく音は聴けなかった。
でも次回訪れる時には、音が聴ける。
「Aries」の音が、豊麗な低音が、きっと聴ける。

この続きは、だからその時が来たら、書いていく。

Date: 7月 2nd, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(Electro-Voice Ariesのこと・余談)

エレクトロボイスのAriesを見たことはなかった。
いったい、このスピーカーシステムは、日本にどのくらい輸入されたんだろうか。

岩崎先生の評価が高かったことは知ってはいたから、
Ariesの音を聴きたい、と思いつづけていても、実物すらお目にかかったことがなかった。

昔は中古を扱っているオーディオ店にもよく足を運んでいたいたけれど、
最近はめったに行かなくなってしまった。
もっと行くようにしよう、とは思いはじめている……。

そういう具合だから、最近の中古を扱っているオーディオ店には、
Ariesがあったりする可能性もあるかもしれない。
でも可能性は低い、と思う。

先週末、やっとAriesを見ることができた。
「Harkness」を迎えに行った際に、ずうずうしくも「Ariesを見たい」と言って、見せていただいた。
こういうときは、もう遠慮はしない。
ここで遠慮していては、もうAriesと対面することもないかもしれないし、
なんといっても岩崎先生が使われていた「Aries」が見れる機会は、そうそうないのだから。

「Harkness」は一階にあった。
「Aries」は二階にあった。
階段をあがり、ドアのすぐ隣に左チャンネル用の「Aries」があった。

外形寸法はなんとはなく頭にはいっていたから、
だいたいのサイズは想像がついていたけれど、
それでも実物を見て、まず思ったのは「小さい」だった。

小さいけれど、このスピーカーはフロアー型なのだ。

Date: 6月 30th, 2013
Cate: 岩崎千明, 楽しみ方

Electro-Voiceの1828Cというドライバー(その3)

エレクトロボイスの1828Cというコンプレッションドライバーを、
一般的なドライバーとして捉えずに、コーン型のスピーカーユニットとしてとらえれば、
このダイボール型のコンプレッションドライバーで、
岩崎先生が何をされようとされていたのか──、
もしかすると、という答が浮んでくる。

タンノイのオートグラフのような、フロントショートホーンとバックロードホーンを組み合わせた、
そういう構造のスピーカーにされることを考えられていたのではないか──、
そんな気がしてならない。

1828Cはコンプレッションドライバーだから、当然ホーンをつけて鳴らす。
前側だけでなく後側にもホーンを取り付けられる1828Cだから可能な構造といえば、
オートグラフのような複合ホーンである。

FC100と組み合わせた1828Cは250Hzから10kHzとなっている。
ワイドレンジではない、かなりのナロウレンジだが、
良質のラジオの延長としてのシステムを構築しようとするならば、
この帯域幅でも充分とはいえなくとも、不足はない、といえなくもない。

ホーン型だから能率は高い。
周波数特性からいっても、ハイパワーの最新のパワーアンプは必要としない。
真空管アンプ、それもシングルアンプあたりをもってきたい。
スピーカーの周波数特性からいって、トランスに広帯域のモノをもってくる必要もない。

真空管アンプ以外だったら、D級の小出力の小型アンプもおもしろいかもしれない。
D/Aコンバーター内蔵のヘッドフォンアンプでも、鳴るように思えてくる。

だとしたらiPodとヘッドフォンアンプ(iPodのデジタル出力を受けられるモノ)という、
ミニマムなシステムが可能になる。
しかもドライバーはエレクトロボイスのフェノール系のダイアフラムなのだから、
人の声のあたたかみは、格別ではなかろうか。

岩崎先生が実際のところ、何のために、この1828Cを購入されたのかはわからない。
誰にきいたところでわからないだろう。
それでもいい、
とにかくいま手もとに岩崎先生が所有されていたエレクトロボイスの1828Cとホーンがあり、
それを眺めては、こんな妄想を楽しんでいる。

こういうのもオーディオの楽しみのひとつなのに……、ともおもう。

Date: 6月 30th, 2013
Cate: 岩崎千明, 楽しみ方

Electro-Voiceの1828Cというドライバー(その2)

エレクトロボイスの1828Cは、実はいまも現行製品としてエレクトロボイスのサイトには載っている。
トランス付きの1828Tとなしの1828Cがある。
Hi-Fi用ではなく、”Commercial Sound Compression Drivers”という括りになっている。

828HFと組み合わせされていたA8419ホーンが、
トランペットスピーカーのような構造となっていることからもわかるように、
1828CとペアとなるホーンFC100の外観はトランペットスピーカーのホーンそのものの形をしている。

こういう用途のドライバーをなぜ岩崎先生は所有されていたのだろうか。
この、正解のわからぬことを考えてみている。

誰もが思いつくのはPatrician IVの代替ドライバーとして用意されていた、
ということだろうが、これはおそらく可能性としてはかなり低いと思う。

1828Cと同じダイボール型ドライバーと呼べるモノに、848HFがあった。
828HFに少し手を加えてダイアフラムの両側にホーンを取り付けられる仕様にしている。
1828は、用途は違うものの、848HFの後継機ともいえるのかもしれない。

1828Cと組み合わせるためなのか、ホーンもいただいてきたモノの中に入っていた。
トゥイーターのT35とほぼ同サイズのホーンで、スクリューマウント式になっている金属製。
ホーンの色も1828Cと同じである。

このホーンでは低い周波数までは使えない。
1828CはFC100ホーンとでは250Hz以上を受け持つことができる、
そういうドライバーであるから、
ただ単に、金属製のホーンとの組合せで使うことを考えられていたわけでもないはずだ。

Date: 6月 30th, 2013
Cate: 岩崎千明, 楽しみ方

Electro-Voiceの1828Cというドライバー(その1)

JBLの「Harkness」以外にも、いくつかのオーディオ機器をいただいてきた。
トーレンスのTD224も、それには含まれている。
キャビネットはスイングジャーナルの編集者であった藤井氏の製作によるもの。
オートチェンジャーゆえに横幅は70cmをこえる。
EMTの927Dstよりも横幅は広い。

その他にもトーンアームを数本。
エレクトロボイスのドライバー1828Cと専用と思われるホーンもあった。

このエレクトロボイスのペアは箱こそ古くなっているものの、
どうにも未使用のようだ。

1828という型番はきいても、どんなドライバーだっけ? と思われる方が大半だろう。
ただ型番の「828」に気づけば、もしかして、あのドライバーのヴァリエーションなのか、と思われるだろう。

828HFは、Patrician IVのミッドバスに採用されていたユニットで、
二回折返しホーンのA8419と組み合わせされていた。

828HFはJBLやアルテックのコンプレッションドライバーを見慣れた目には、
やや特殊な構造のドライバーとしてうつる、そういうドライバーである。

JBLやアルテックではドーム状のダイアフラムの凹面側にフェイズプラグがあり、
こちら側から音を放射する。

828HFはダイアフラムの凸面側にフェイズプラグがあるだけでなく、
音が放射されるのは、バックチェンバー側でもある凹面側であるわけだから、
フェイズプラグ側は開放状態となっている。

いわばダイボール型コンプレッションドライバーといえなくもない。
そういうドライバーが、今日いただいてきたモノの中にあった。

Date: 6月 10th, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続・ジャズの再生の決め手)

一瞬の結晶化こそが、ジャズの再生の決め手だ、と、昨年の12月に書いた。

一瞬一瞬の結晶化、ひとつひとつ音の結晶化、
そうやって結晶化されたもの同士がぶつかり合い燃焼することで、多彩な色を発する。
そういうジャズの再生を目指されていたのだろうか、とおもうことがある。

そして結晶は燃焼し消え去るわけだが、
ただきれいに消え去るだけでは、いわば対岸の火事である。

燃焼し消え去る時に火の粉が生れる。
この火の粉が、聴き手のくすぶった心に飛び火する。

聴き手の心に火をつける。
それまでくすぶっていたものを燃やすことになる。

ジャズを聴くということはそういうことであり、
ジャズを再生するとは、そういうことではないのか。

クラシックばかり聴いてきた私は、憧れをもって、そうおもっている。