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Date: 8月 15th, 2011
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」(その12)

音場は、音を表現する言葉のなかで、もっとも曖昧性の少ない、
いいかえれば書き手と読み手の間に深い共通認識を要求しない、
そして量的表現にも近い──、そういえるところをもつ。

音場の横方向の広がりはどこまでだとか、前後方向に関しては、さらに上下方向は、などと表現される。
いわばそこに主観的な判断は入りこみにくく、
見えない定規を左右のスピーカーシステムのあいだに形成される音場にあてて測るようなものだ。
よほどひねくれた聴き方をしないかぎり、聴く人によって音場の大きさについての判断がくい違うことはまずない。

それに音場は基本的に左右にきれいに広がり、奥に展開してくのを良し、とする。
これも間違えようがない。

日本の一部のオーディオマニアの中には、日本のオーディオ評論家はずっと音場について語ってこなかった。
それは音場よりも音色を重視したためてあったり、音場に対する感度が低かったからだといって貶める。
そんなことをほざく輩は、アメリカの、たとえばアブソリュートサウンドを非常に高い評価する傾向がある。
それに音場についても、アブソリュートサウンドが、
もっとも早くからステレオ再生における重要性を語っていた、とも。

ほんとうに、そうだろうか。
ステレオサウンドのバックナンバーを、おそらくそんなことを平気でいいふらしている輩は、読んでいないのだろう。
読んでいたとしても、ただ文字を目で追っていただけだろう。

日本でもかなり早い時期から、音の広がり、奥行の再現性については注目している。
とくにモノーラル時代からオーディオに取り組んできた人たちにとって、
ステレオになり何が可能になって、どういう可能性が拓かれたのか、もっとも注目すべきことであり、
そこでモノーラル時代の延長線上に留まる聴き方をする人もいたけれど、
むしろ生れた時からステレオ再生が当り前の時代の人たちよりも、音場に対しては敏感であった人も多い。

Date: 8月 15th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その23)

ウィルソン・ベネッシュのCircleは、実は手もとにある。
いまは別のカートリッジがついているが、エンパイアの4000D/IIIはいちど試してみたいし、
それ以上にこのCircleにとりつけてみたいのは、実のところオルトフォンのSPUである。

いまSPUにはいくつかのグレードがあるが、私が鳴らしたいののはもっともスタンダードなClassic。
当然シェルから取り出してなんらかのスペーサーを介して取りつけることになる。
CircleにSPU? オルトフォンなら、ほかのカートリッジの方がCircleの方向性と添うのではないか。

私もそう思わないわけではないが、いままでEMTがメインだったこともあり、
SPUを自分のシステムで鳴らしたことがない。
ステレオサウンドの試聴室では、SMEの3012Rでの音、SeriesVでの音は、じっくり聴いている。
これらの鳴らし方をSPUらしい鳴らし方とすれば、あえてやや異色な鳴らし方をしてみたい。
だからといって、踏みはずしたような鳴らし方を望んでいるわけではない。
SPUに、SMEのトーンアームと組み合わせた時とは異なるところから、異なる照明をあてることで、
いままで聴き落していたかもしれないSPUの音というのがあれば、それを聴いてみたい、と思っている。
だからSPU Classicを選ぶ次第だ。

そしてこのSPU Classicは、またAnna Logでもじっくり聴いてみたいカートリッジでもある。

Date: 8月 14th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その48)

試してもいないのに断言するが、タンノイ・ヨークミンスターとユニゾンリサーチのP70はうまくいく。
では、プレーヤーはどうするのか、アナログ、CDともに、何を選ぶのか……。
でも、その前にひとつ思うことがある。

これを秋が深まってきた頃に書いていれば思ったりしなかったことだが、
こうも暑い日が続いていると、P70の放出する熱だけでなく、
その音にしても、さすがにこの暑さのなか聴くのは、
時としてしんどく感じるだろう(たとえそこまで感じなくても少し敬遠したくなるだろう)。

となると夏の季節だけヨークミンスターを鳴らすアンプが欲しくなる。
真空管アンプではなくて、トランジスターアンプ。
セパレートアンプではなくて、これもプリメインアンプにしたい。
さらっとした微粒子の肌あいをもった音であってほしい。

こんな条件を充たしてくれるものとして浮んできたのは、コード(CHORD)の、
以前の聴く機会のあったCPM2600だ。
だがすでに製造中止になっていて、現在コードのプリメインアンプはCPM2800、1機種のみ。
価格は、税込みで100万と8千円。P70との価格差はけっこうなものがある。
CPM2600よりもけっこう高くなっている。
ただCPM2600にはなかったD/Aコンバーターが搭載されている
デジタル入力は同軸、TOSリンクのほかに、USBとBluetoothをもつ。
いまどきのプリメインアンプの形態になっているわけだが、
内蔵D/Aコンバーターがどういうものなのか、輸入元タイムロードのサイトをみても詳細はわからない。
同社の単体D/AコンバーターのDAC64、その後継機種のQBD76に準じるものであれば、
暑い日がつづく、この季節用の音として、より希望に添うものになってくれる可能性は十分にあり、
そうなるとCDプレーヤー選びは、P70との併用を考えて、ということになってくる。

Date: 8月 14th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その47)

真空管アンプは、使用されている真空管を自分で選別していくことで、より自分のモノとしていくことができる。
メーカーは補修パーツとしてある一定数以上同じ真空管を保管しておく必要があるため、
音質的に真空管全盛時代につくられたモノがよかったとしても、
それを正規の部品としての採用は難しいところがある。

それはしかたのないことだし、それに真空管はハンダ付けによって固定されているわけではないから、
その交換は手軽にできる。使い手側の楽しみでもある、といえよう。
もっとも手軽にできるのは抜いたり挿したりの行為までで、ほんとうに満足できる真空管を探し出すまでには、
けっこうな時間とお金を必要とすることになる。
特に出力管はプッシュプルだと特性の揃っているものにしたい。
それは精神衛生上だけでなく、音の上からでもそうしたい。
音のにじみみたいなものが、よく揃った真空管同士のペアではあきらかに減っていく。

五味先生はマッキントッシュのMC275の真空管の交換について、書かれている。
     *
もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管——KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために——スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
だが違う。
倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差意を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
     *
この時代KT88は現役の真空管だったし、いまよりも良質のものが入手できていて、これである。
いまもしP70の出力管をKT88に置き換えて、五味先生と同じことをやろうとしたら、
いったいどれだけのKT88を用意することになるだろうのだろうか。
そしていくらするだろうか。

でも、そういうふうに丹念に真空管を選別していくことで、ヨークミンスターの音は磨かれていくはずだ。

Date: 8月 13th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その11)

空気をビリビリと振るわせる。
ときには空気そのものをビリつかせる。

「オーディオ彷徨」とHIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだ後、
私の裡にできあがったD130像が、そうだ。

なぜD130には、そんなことが可能だったのか。
空気をビリつかせ、コーヒーカップのスプーンが音を立てるのか。
正確なところはよくわからない。
ただ感覚的にいえば、D130から出てくる、というよりも打ち出される、といったほうがより的確な、
そういう音の出方、つまり一瞬一瞬に放出されるエネルギーの鋭さが、そうさせるのかもしれない。

D130の周波数特性は広くない。むしろ狭いユニットといえる。
D130よりも広帯域のフルレンジユニットは、他にある。
エネルギー量を周波数軸、時間軸それぞれに見た場合、D130同等、もしくはそれ以上もユニットもある。
だが、ただ一音、ただ一瞬の音、それに附随するエネルギーに対して、
D130がもっとも忠実なユニットなのかもしれない。
だからこそ、なのだと思っている。

そしてD130がそういうユニットだったからこそ、岩崎先生は惚れ込まれた。

スイングジャーナル1970年2月号のサンスイの広告の中で、こう書かれている。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
JBL・D130の本質を誰よりも深く捉え惚れ込んでいた岩崎先生だからこその表現だと思う。
こんな表現は、ジャズを他のスピーカーで聴いていたのでは出てこないのではなかろうか。
D130でジャズで聴かれていたからこその表現であり、
この表現そのものが、D130そのものといえる。

Date: 8月 13th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その10)

私は、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだあと、
そう経たないうちに「オーディオ彷徨」を読んだことで、D130を誤解することなく受けとることができた。
もちろん、このときD130の音は聴いたことがなかったし、実物を見たこともなかった。

HIGH-TECHNIC SERIES 4の記事をだけを読んで(素直に読めばD130の凄さは伝わってくるけれども)、
一緒に掲載されている実測データを見て、D130の設計の古さを指摘して、
コーヒーカップのスプーンが音を立てたのは、歪の多さからだろう、と安易な判断を下す人がいておかしくない。

昨日書いたこの項の(その9)に坂野さんがコメントをくださった。
そこに「現在では欠陥品と呼ぶ人がいておかしくありません」とある。
たしかにそうだと思う。現在に限らず、HIGH-TECHNIC SERIES 4が出たころでも、
そう思う人がいてもおかしくない。

D130は優秀なスピーカーユニットではない、欠点も多々あるけれども、
欠陥スピーカーでは、断じてない。
むしろ私はいま現行製品のスピーカーシステムの中にこそ、欠陥スピーカーが隠れている、と感じている。
このことについて別項でふれているので、ここではこれ以上くわしくは書かないが、
第2次、第3次高調波歪率の多さにしても、
その測定条件をわかっていれば、必ずしも多いわけではないことは理解できるはずだ。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での歪率はどのスピーカーユニットに対しても入力1Wを加えて測定している。
つまり測定対象スピーカーの音圧をすべて揃えて測定しているわけではない。
同じJBLのLE8Tも掲載されている。
LE8Tの歪率はパッと見ると、圧倒的にD130よりも優秀で低い。
けれどD130の出力音圧レベルは103dB/W/m、LE8Tは89dB/W/mしかない。14dBもの差がある。
いうまでもなくLE8TでD130の1W入力時と同じ音圧まであげれば、それだけ歪率は増える。
それがどの程度増えるかは設計にもよるため一概にいえないけれど、
単純にふたつのグラフを見較べて、
こっちのほうが歪率が低い、あっちは多すぎる、といえるものではないということだ。

D130と同じ音圧の高さを誇る604-8Gの歪率も、だからグラフ上では多くなっている。

Date: 8月 12th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(誰かに調整してもらうこととインプロヴィゼーション・その1)

音楽は好きだけど、オーディオ機器の使いこなしに煩わされたくない。
だから信頼できる人に調整してもらい、そして定期的にチェックしてもらいその音を維持したい、という方が、
自分の手で自分のオーディオをいっさい調整しないことについては、別に否定的なことはいっさい言わない。
そういう方たちは音楽が好きでいい音で聴きたい、と思い、それなりにオーディオに投資をされていても、
オーディオ好き、オーディオマニアではないから、結構なことだと思っている。

とはいいながらも、ひとつ疑問がある。
その音楽好きの方が、ものすごく熱心なジャズの聴き手であり、
もし「ジャズはインプロヴィゼーションこそが大事なこと」といわれているのであれば、
たとえその方がオーディオに関心のない方でも、やはり自分で調整すべきではないか、という疑問だ。

オーディオに特に関心がなければ、最初に誰かに調整してもらい、
ここまできちんと調整すれば、こういう音が出るんだという、そのオーディオがもつ可能性を知ることは大事だ。
やれば、いつかはあの音が出せる、さらにはあの音以上の音が鳴らせる、という確信があるとないのとでは、
やはり使いこなしにかける情熱も変ってこよう。
だから最初は誰かに調整してもらうのもいい、と思う。

でも、ジャズにおけるインプロヴィゼーションをほんとうに大切にしたいのであれば、
調整してもらった後に、自分の手でケーブルを外し、スピーカーシステムの位置も変え、
つまり一度システムをバラして、一から自分の手でセッティングして調整していかなくて、
なにがインプロヴィゼーションだ、とすこし悪態をつきたくなる。

どんなに信頼できる人に調整してもらったからといっても、
その人は所詮赤の他人である。
その赤の他人に、己のインプロヴィゼーションをまかせてしまう。
それがジャズの聴き方なのだろうか。ジャズなのか。
ジャズをオーディオで聴くということなのか。

Date: 8月 12th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その34)

「理由」(その11)で書いたことのくり返しになるが、それでももう一度書いておく。

五味先生にとってのオートグラフ、長島先生にとってのジェンセンG610B、
菅野先生にとってJBL・375+537-500、マッキントッシュXRT20、
岩崎先生にとってのパラゴン、D130、
瀬川先生にとってのJBL・4343(4341)、グッドマンAXIOM80は、
五味先生の、長島先生、岩崎先生の、菅野先生の、瀬川先生の「意識」の具象であった。

Date: 8月 12th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明
1 msg

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その9)

D130は、凄まじいユニットだと、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだときに、そう思った。
そしてHIGH-TECHNIC SERIES 4のあとに、私は「オーディオ彷徨」を読んだ。
「オーディオ彷徨」1977年暮に第一版が出ているが、私が手にして読んだのは翌年春以降に出た第二版だった。
「オーディオ彷徨」を読み進んでいくうちに、D130の印象はますます強くはっきりとしたものになってきた。

岩崎先生の文章を読みながら、こういうユニットだからこそ、コーヒーカップのスプーンが音が立てるのか、
とすっかり納得していた。

D130よりも出来のいい、優秀なスピーカーユニットはいくつもある。
けれど「凄まじい」と呼べるスピーカーユニットはD130以外にあるだろうか。

おそらくユニット単体としてだけみたとき、D130とD101では、後者のほうが優秀だろうと思う。
けれど、音を聴いていないから、515や604-8Gを聴いた印象からの想像でしかないが、
D101には、D130の凄まじさは微塵もなかったのではないだろうか。
どうしてもそんな気がしてしまう。

D130を生み出すにあたって、
ランシングはありとあらゆることをアルテック時代にやってきたことと正反対のことをやったうえで、
それは、しかし理論的に正しいことというよりも、ランシングの意地の結晶といえるはずだ。

素直な音の印象の515(それにD101)と正反対のことをやっている。
515は、アルテック時代にランシングがいい音を求めて、
優秀なユニットをつくりるためにやってきたことの正反対のことをあえてやるということ──、
このことがもつ意味、そして結果を考えれば、
D130は贔屓目に見ても、優秀なスピーカーユニットとは呼びにくい、どころか呼べない。

だからD130は人を選ぶし、その凄まじさゆえ強烈に人を惹きつける。

Date: 8月 12th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その8)

D101では、コーヒーカップのスプーンは、音を立てただろうか。
おそらく立てない、と思う。

アルテックの604シリーズの原形はランシングの設計だし、
604のウーファーは、やはりランシング設計の515相当ともいわれている。
その604ではスプーンが音を立てなかったということは、
同じく515をベースにフルレンジ化したD101も、スプーンは音を立てない、とみている。

以前、山中先生が、
ウェスターン・エレクトリックの594を中心としたシステムのウーファーに使われていた
アルテックの515を探したことがあった。
山中先生からHiVi編集長のOさんのところへ話が来て、さらに私のところにOさんから指示があったわけだ。

いまでこそ初期の515といってもわりとすぐに話が通じるようになっているが、
当時はこの時代のスピーカーユニットを取り扱っている販売店に問い合わせても、
まず515と515Bの違いについて説明しなければならなかった。

それこそステレオサウンドに広告をだしている販売店に片っ端から電話をかけた。
そしてようやく515と515Bの違いについて説明しなくても、
515がどういうユニットなのかわかっている販売店にたどりつけた。
すぐ入荷できる、ということでさっそく編集部あてに送ってもらった。

届いた515は、私にとってはじめてみる515でもあったわけで、箱から取り出したその515は、
数十年前に製造されたものと思えないほど状態のいいモノだった。
それでHiViのOさんとふたりで、とにかくどんな音が出るんだろうということで、
トランジスターラジオのイヤフォン端子に515をつないだ。

このとき515から鳴ってきた音は、実に澄んでいた。
大型ウーファーからでる音ではなく、大型フルレンジから素直に音が細やかに出てくる感じで、
正直、515って、こんなにいいユニット(ウーファーではなくて)と思ったほどだった。

もしD130で同じことをしたら、音が出た瞬間に、
たとえ小音量ではあってもそのエネルギー感に驚くのかもしれない。

Date: 8月 11th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その33)

「オーディオは耳の延長」だということが、以前からいわれている。
けれど、すなおに、このことにはうなずけない。

マイクロフォンはその機能からして、耳の延長である。
もちろん生録をやる人以外に、マイクロフォンで自分で聴くために録音する人はいない。
マイクロフォンを使っている人たち、つまりレコーディングのプロフェッショナルにとって道具であるけれど、
それでもマイクロフォンこそが、聴き手の耳の延長にある、という見方ができる。

ではおもにスピーカーシステムということになろうが、再生系のオーディオはなんなのか。
これは聴き手の耳の延長というよりも、送り手側にとっての演奏手段の延長である、という見方ができる。
オーディオ機器も、それを使い調整するのは聴き手側であっても、
どちら側の延長にあるかというと、必ずしも聴き手側にあるとは断言しにくいところを感じてしまう。

そこに前回(その32)で書いたことが、ここに加わり、
正直なところ、私はオーディオを道具として捉えることに矛盾に近いものを感じていた。

では、聴き手の目の前に存在しているオーディオは、
いったい何なのか、という問いに明確な答えを見出せずにいた時期が続いていた。

別項「続・ちいさな結論(その1)」でも書いているが、
やっと答えを出すことができた。

おもしろいもので、その数ヵ月後にふとして偶然で出合えたのが、池上比沙之氏による「岩崎千明考」、
ここにも同じ答があった。
このことは3日前にここで書いているし、池上氏の文章はfacebookにて公開している。

答えは「意識」である。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その7)

凄まじいユニット、というのが、私のD130に対する第一印象だった。

HIGH-TECHNIC SERIES 4には37機種のフルレンジが登場している。
10cm口径から38cm口径まで、ダブルコーンもあれば同軸型も含まれている。
これらの中には、出力音圧レベル的にはD130に匹敵するユニットがある。
アルテックの604-8Gである。

カタログ発表値はD130が103dB/W/m、604-8Gが102dB/W/m。
HIGH-TECHNIC SERIES 4には実測データがグラフで載っていて、
これを比較すると、D130と604-8Gのどちらが能率が高いとはいえない。
さらに残響室内における能率(これも実測値)があって、
D130が104dB/W/m、604-8Gが105dB/W/mと、こちらは604のほうがほんのわずか高くなっている。
だから、どちらが能率が高いとは決められない。
どちらも高い変換効率をもっている、ということが言えるだけだ。

だが、アルテック604-8Gの試聴のところには、
D130を印象づけた「エネルギー感」という表現は、三氏の言葉の中には出てこない。
もちろん記事は編集部によってまとめられたものだから、
実際に発言されていても活字にはなっていない可能性はある。
だが三氏の発言を読むかぎり、おそらく「エネルギー感」が出ていたとしても、
D130のそれとは違うニュアンスで語られたように思える。

ここでも瀬川先生の発言を引用しよう。
     *
ジャズの場合には、この朗々とした鳴り方が気持よくパワーを上げてもやかましくならず、どこまでも音量が自然な感じで伸びてきて、楽器の音像のイメージを少しも変えない。そういう点ではやはり物すごいスピーカーだということを再認識しました。
     *
おそらく604-Gのときにも、D130と同じくらいの音量は出されていた、と思う。
なのにここではコーヒーカップのスプーンは音を立てていない。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その6)

JBLのD130というフルレンジユニットとは、いったいどういうスピーカーユニットなのか。

JBLにD130という15インチ口径のフルレンジユニットがあるということは早い時期から知っていた。
それだけ有名なユニットであったし、JBLの代名詞的なユニットでもあったわけだが、
じつのところ、さしたる興味はなかった。
当時は、まだオーディオに関心をもち始めたばかり若造ということもあって、
D130はジャズ専用のユニットだから、私には関係ないや、と思っていた。

1979年にステレオサウンド別冊としてHIGH-TECHNIC SERIES 4が出た。
フルレンジユニットだけ一冊だった。

ここに当然のことながらD130は登場する。
試聴は岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によって、
1辺2.1mの米松合板による平面バッフルにとりつけられて行われている。
フルレンジの比較試聴としては、日本で行われたものとしてここまで規模の大きいものはないと思う。
おそらく世界でも例がないのではなかろうか。

この試聴で使われた平面バッフルとフルレンジの音は、
当時西新宿にあったサンスイのショールームでも披露されているので実際に聴かれた方もおいでだろう。
このときほと東京に住んでいる人をうらやましく思ったことはない。

HIGH-TECHNIC SERIESでのD130の評価はどうだったのか。
岡先生、菅野先生とも、エネルギー感のものすごさについて語られている。
瀬川先生は、そのエネルギー感の凄さを、もっと具体的に語られている。
引用してみよう。
     *
ジャズになって、とにかくパワーの出るスピーカーという定評があったものですから、どんどん音量を上げていったのです。すると、目の前のコーヒーカップのスプーンがカチャカチャ音を立て始め、それでもまだ上げていったらあるフレーズで一瞬われわれの鼓膜が何か異様な音を立てたんです。それで怖くなって音量を絞ったんですけど、こんな体験はこのスピーカー以外にはあまりしたことがありませんね。菅野さんもいわれたように、エネルギー感が出るという点では希有なスピーカーだろうと思います。
     *
このときのD130と同じ音圧を出せるスピーカーは他にもある。
でもこのときのD130に匹敵するエネルギー感を出せるスピーカーはあるのだろうか。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その5)

D101は資料によると”General Purpose”と謳われている。
PAとして使うことも考慮されているフルレンジユニットであった。

よくランシングがアルテックを離れたのは
劇場用の武骨なスピーカーではなく、家庭用の優秀な、
そして家庭用としてふさわしい仕上げのスピーカーシステムをつくりたかったため、と以前は言われていた。
その後、わかってきたのは最初からアルテックとの契約は5年間だったこと。
だから契約期間が終了しての独立であったわけだ。

アルテックのとの契約の詳細までは知らないから、
ランシングがアルテックに残りたければ残れたのか、それとも残れなかったのかははっきりとしない。
ただアルテックから離れて最初につくったユニットがD101であり、
ランシングがアルテック在籍時に手がけた515のフルレンジ的性格をもち、
写真でみるかぎり515とそっくりであったこと、そしてGeneral Purposeだったことから判断すると、
必ずしも家庭用の美しいスピーカーをつくりたかった、ということには疑問がある。

D101ではなく最初のスピーカーユニットがD130であったなら、
その逸話にも素直に頷ける。けれどD101がD130の前に存在している。
ランシングは自分が納得できるスピーカーを、
自分の手で、自分の名をブランドにした会社でつくりたかったのではないのか。

だからこそ、D101とD130を聴いてみたい、と思うし、
もしD101に対してのアルテック側からのクレームがなく、そのままD101をつくり続け、
このユニットをベースにしてユニット開発を進めていっていたら、おそらくD130は誕生しなかった、ともいえよう。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十九 K+Hのこと)

30年近く前に読んだ記事の中に、新時代の戦闘機はコンピューターによる制御を組み込むことで、
それまでは腕のいいベテランパイロットにしかできなかったアクロバット飛行が、
ふつうの技倆のパイロットでも安全に可能になる、とあった。

つまりアクロバット飛行は、わざと不安定な飛行状態をつくりだすことによって可能になるもので、
安定に飛行するように設計されているのを、そういう不安定な状態にもっていき制御することの難しさがある。
だからあえて不安定な飛行をする設計をしたうえで、コンピューター制御によって安定な飛行状態にする。
そんな内容だったと記憶している。

それが実現されているのかどうかは、わからないが、
少なくともこの記事は、より高性能を求め実現するためにはハードウェアの進歩だけでは限界があり、
ハードウェアとソフトウェアがひとつになることで進化できる、と、いまだったらそう読み取れる。

私がK+HのO500Cについて触れてきたのは、実のはこのことを、
非常に高いレベルで実現したスピーカーシステムだとみているからだ。

これまでにもアンプをスピーカーシステム内に組込み、それだけでなく電気的な補整を行っているものはあった。
けれど、それらがO500Cのレベルにまで達していたかというと、私の目にはそうは見えない。
多くがハードウェアのみであったり、ソフトウェアでのコントロールを導入していても、
ハードウェアとソフトウェアの融合とまでいえるところには達していなかったのではないか。

私が知らないだけで、他にもO500Cと同じレベルに達しているスピーカーシステムがある可能性はある。
でも、まだごく少ないはずだし、おそらくそれはプロ用のスピーカーシステムであろう、O500Cがそうであるように。

ここまでお読みくださって、なぜドイツのメーカーのK+Hのことを書いているのに、
タイトルは「BBCモニター考」なのか疑問に思われただろう。

あえてこのタイトルにしたのは、O500Cを生み出すに至った測定方法は元をたどれば、
BBCの研究開発にいくつくからだ。
「現代スピーカー考」に書いたこととダブるからこれ以上は書かないが、
BBCに在籍していたショーターが実現を夢見ていたスピーカーシステム像が、
K+HのO500Cによって実現された、と私はそう思っているからだ。