使いこなしのこと(その33)
「オーディオは耳の延長」だということが、以前からいわれている。
けれど、すなおに、このことにはうなずけない。
マイクロフォンはその機能からして、耳の延長である。
もちろん生録をやる人以外に、マイクロフォンで自分で聴くために録音する人はいない。
マイクロフォンを使っている人たち、つまりレコーディングのプロフェッショナルにとって道具であるけれど、
それでもマイクロフォンこそが、聴き手の耳の延長にある、という見方ができる。
ではおもにスピーカーシステムということになろうが、再生系のオーディオはなんなのか。
これは聴き手の耳の延長というよりも、送り手側にとっての演奏手段の延長である、という見方ができる。
オーディオ機器も、それを使い調整するのは聴き手側であっても、
どちら側の延長にあるかというと、必ずしも聴き手側にあるとは断言しにくいところを感じてしまう。
そこに前回(その32)で書いたことが、ここに加わり、
正直なところ、私はオーディオを道具として捉えることに矛盾に近いものを感じていた。
では、聴き手の目の前に存在しているオーディオは、
いったい何なのか、という問いに明確な答えを見出せずにいた時期が続いていた。
別項「続・ちいさな結論(その1)」でも書いているが、
やっと答えを出すことができた。
おもしろいもので、その数ヵ月後にふとして偶然で出合えたのが、池上比沙之氏による「岩崎千明考」、
ここにも同じ答があった。
このことは3日前にここで書いているし、池上氏の文章はfacebookにて公開している。
答えは「意識」である。