「理由」(その11)
想い出してほしい。
瀬川先生にとってのJBLの4343(4341)、五味先生にとってのタンノイ・オートグラフ、
菅野先生にとってのJBLの375+537-500、マッキントッシュのXRT20、長島先生のジェンセンのG610Bは、
瀬川先生が、五味先生が、菅野先生が、長島先生が、惚れ込んで鳴らし込み、
よって光彩を放つようになった結果として、
瀬川先生にとっての、五味先生にとっての、菅野先生にとっての、長島先生にとっての、
名器となり、それぞれの特別な存在のスピーカーとなっていった、ということを。
REPLY))
結局所有するだけでは意味がないですよね。本は読まなければ意味は解らない、レコードは聴かなければその喜びと価値は生まれない、オーディオ機器は如何なる名器も繋いだだけでは名器たり得ないのだと思います。
若い頃はレコードの枚数も少なく、何度も何度も聴き尽くした、そして持っている盤をすべて覚えていた、録音年代・・・その付属データもすべて頭に入っていた。でもいつの間にか枚数が増え、あの盤は持っていたかどうか不確かとなり、時にレコード店で同じ盤を求めてしまう時代に突入しました。
ある本に貧乏なるが故の幸せ、そんな言葉がありました。少ないが故の幸せ。読み尽くし、聴き尽くし、出来る限りの聴き方を試してみる、そんなことは時間と情熱がないととても出来ない。もちろん貧しいが故に少ないが故に心も貧しくなっては始まらないのですが。
概して日本の富める人々は忙しく働かざるを得ません。そんな方が法外と思えるような価格の機器を手に入れても、シャブリ尽くすような聴き方は出来ないでしょうね。
富、収入、家庭、そして自分の時間を持つこと、一体どの辺りでバランスを取るのか、これが多分人生の生き方でありフィロソフィーと思います。時に時代の流れに棹さすだけでなく、何とか自らの情熱を持ち続けていたい、そんな思いです。
REPLY))
五味先生の、レコード・コレクションについて書かれた、
「どんなレコードを持たないかも、コレクションでは重要なことである」、が頭に浮かんできます。
本は人によって読むスピードが違いますし、訓練によって読むだけなら早く読めようになりますが、
レコードはそうはいかず、1枚のレコードを聴くには、収録時間分の時間は必要。
五味先生、瀬川先生の文章を読んで頭でわかっていたつもりのことが、
いまどうにか実感できるようになってきました。