Author Archive

Date: 7月 8th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その13)

この項の(その8)に、「展く」について書いた。

iPadで、自分でつくったePUB形式の電子書籍を読むのに使っているのは、iBooks。
このソフトウェアは、本棚が画面いっぱいに表示され、そこにインストールした電子書籍の表紙が並べられている。
インストールしている電子書籍の冊数が増えていけば、本棚のイメージはスライド式書棚となっていくだろうし、
さらに増えていけば、それは本棚・書棚から書斎となっていくはず。
さらにもっともっと冊数が増えていけば、小さな図書館となっていく。

電子書籍を収める電子書棚(本棚)から電子書斎、そして電子図書館へと、iPadが展開していく。
iPadで触れられるのは、電子書籍だけではなく、電子図書館まで拡がっていく。

Date: 7月 7th, 2011
Cate: audio wednesday

第7回公開対談のお知らせ

来月の公開対談は、8月3日に行います。

昨夜の公開対談の終りに、話の流れとしてのリクエストというかたちで、
あえて、いまの時代にJBLの4343をどう鳴らすか、について話すことになりました。

発売から35年が経っている4343は、ただ古くなってしまったスピーカーシステムなのか、
そのへんのことも含めて話す予定です。

Date: 7月 7th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・続々続余談)

「若い人にオーディオが売れない」は、この数年、耳にすることが多くなった。
どのくれい売れなくなったのか、正確なデータはおそらくないのだろうが、
オーディオに関わっている人たちに共通する印象として、
「若い人にオーディオが売れない」が広がりつつあるから、私の耳にもそのことが届いてきているのだろうか。

そういえば数年前に菅野先生から、
20代の若いオーディオマニアの方が、オーディオに関心のない友人・知人に、
「オーディオが趣味だ」ということを言えない、
そんなことを言ってしまうと、奇異な目でみられてしまうかもしれない──、
という話を聞いたことがある。

これはひとつの実例にすぎないけれど、
若い人の趣味として、関心事として、オーディオはそこに含まれていないのかもしれない。

これらのことを聞いていたから、喫茶茶会記の常連の方から聞いた、
恵比寿の店に若い人が大勢来ることと結びつかなかった。
「若い人にオーディオが売れない」のに、なぜ、この店には若い人が集まるのか。
そのことについて考えていたところに目にしたのが、大和田氏の記事だったわけだ。

機能的な理由で音楽を聴く、のであれば、
躍りたいからクラブで聴く音楽とも、ひとりで泣きたいからヘッドフォンで聴く音楽とも異り、
いい音で聴きたいから、と思ったときに、自分でいい音を出せるオーディオ機器を購入し調整して鳴らすよりも、
自分ではなかなか購入できそうにない高額なオーディオ機器で鳴らしている店に行き聴くことが、
機能的な音楽の聴き方、といえなくもない。

Date: 7月 7th, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その7)

2ウェイのスピーカーシステムで、仮に20Hzから20kHzまでをほぼフラットにカヴァーしていれば、
ひとつめの総合特性としての周波数特性においては、40万の法則どうりに仕上がっている。

この2ウェイのスピーカーシステムのクロスオーバー周波数が1kHzだとしよう。
ウーファーの受持ち帯域は20Hzから1kHz、トゥイーターの受持ち帯域は1kHzから20kHz。
それれのユニットの下限と上限の積は、ウーファーが2万、トゥイーターは2000万となり、
40万という値からは大きくズレてしまう。

2ウェイでは、クロスオーバー周波数をどこにもってきても、
ふたつのポイントにおける40万の法則は成り立たない。あくまでもトータルでの周波数特性のみである。

3ウェイでは、(その6)に書いたようにクレデンザ+555の組合せをスコーカーに持ってくれば、
2つの40万の法則が成りたつ。とはいうものの、スコーカーにもってくるユニットの受持ち帯域次第である。

クレデンザ+555は100Hzから4kHzと、5オクターヴをすこしこえる帯域幅をもつ。
ここではカヴァーできるスコーカーは、実際のところはほとんどない。
もしうすこしウーファーのスコーカーのクロスオーバー周波数をあげて200Hzとすると、
スコーカーの上限は2kHzとなるが、市販された3ウェイのスピーカーシステムのクロスオーバー周波数が、
200Hzと2kHzに設定されているものは、私は見たことがない。

ではウーファーとスコーカーのクロスオーバー周波数を300Hzにしたら、
トゥイーターとスコーカーのクロスオーバー周波数は約1.3kHzとなる。
300Hzと1.3kHzのクロスオーバー周波数となると、
JBLの4300シリーズの4ウェイのスタジオモニターのミッドバスの受持ち帯域が、ほぼ合致する。

4ウェイにおいて、やっとふたつの40万の法則が成りたつことになる。

Date: 7月 7th, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その5・追補)

友人のOさんからのメールに、
知合いの方がクレデンザ+555のステレオ再生を実践されていた、と書いてあった。

ただその方はボストン在住なので、Oさんもクレデンザ+555によるステレオの音を聴く機会はまだない、とのこと。

とにかくひとりおられたということは、他にも実践されている方は、
日本のどこかにおられても不思議ではない、と思う。

Date: 7月 6th, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その6)

クレデンザと555を組み合わせてのステレオ再生を、仮に実現できたとしよう。
その音を聴けたら、すぐに次の段階に移る準備をはじめたくなるだろう。

モノーラルであればクレデンザと555の組合せの音だけでも満足して、そのまま聴いているだろうが、
ステレオとなると、どうしてもクレデンザ+555を核として、ウーファーとトゥイーターをもってきたくなる。

そんてことは邪道だといわれようが、クレデンザを2台用意して、ということを考えた時点で、
そんなことはわかっている。それでも一度は、どんな音がするのか、聴いてみたい欲求がある。

おそらくクレデンザ+555の組合せがカヴァーできる帯域は、100Hzから4kHzだろう。
仮にもう少し帯域が広かったとしても、この100Hzから4kHzのあいだで使いたい。
それは、この帯域が40万の法則になっているからである。

40万の法則からスピーカーを考える際、
スピーカーシステムとしての周波数特性、エネルギーバランスが40万の法則になっていればいい、とするのか、
それとも現時点ではスピーカーシステムはマルチウェイにするしかない、
いくつかのスピーカーユニットを使うことになるわけだが、そのうちのひとつが40万の法則に則っていること、
このふたつの40万の法則を満たすことができないか、と思う。

クレデンザ+555の組合せを核として、ウーファーとトゥイーターを加え、
低域を30Hzあたりまで延ばせたとしたら、高域は40万を30で割った13.33kHzまで延ばす。

つまりただワイドレンジを目指すのではなく、
つねにふたつのポイントにおいて40万の法則を意識してレンジを延ばしていく、ということだ。

Date: 7月 5th, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その5)

おそらくクレデンザは一台一台職人の手による完全な手作業によるモノだろうから、
作られた時期が違えば、多少の違いは仕方ないだろう。
できるだけ同じ時期に作られたもので、程度のいいモノを2台探し出して、
さらにウェスターン・エレクトリックの555も、程度のいいモノを2つ……となると、
いったいどれだけの予算を必要とするのか。

個人で、こんなことをやっておられる方は、きっといないはず、ではなくて、
どこかにおられるはず、だと思う。
一度でもクレデンザと555の組合せの音を聴いたことがある人で、
つまりその人は、そういう音に興味を持っている人であろうから、聴けば惹かれる、と思う。

以前、朝日新聞社が発行していた「世界のステレオ」の1号のカラーページに、
野口晴哉氏のリスニングルームが6ページにわたり紹介されている。

当時、この記事を見たとき、そこに紹介されているオーディオ機器の多くは、まだ知らないものばかりだった。
1976年の冬のことで、オーディオに関心をもってまだ数ヵ月、しかもこの本はこづかいが足りなくて買えなかった。
世の中には、すごい人がいるものだ、とただ驚いていた。

いま野口氏のコレクションを見ても、凄いと思う。
これだけのモノを、あの時代、よく集められたものだ、と思ってしまう。
予算がどれだけ潤沢にあっても、ただそれだけでは、あの時代、これらのモノのいくつかは入手し難かったはず。

野口氏のような御仁は、まだ他にもおられるはず。
そういう方の中に、きっとクレデンザ+555でステレオを楽しまれている方がおられても不思議ではない。
むしろひとりもいない、というほうが、私には不思議に感じられる。

Date: 7月 5th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その10)

たとえばレコード店に寄った際に、未知の演奏者のディスクが目にとまる。
その演奏者のことはまったくなにひとつ知らない。でも何か惹かれるものを感じて買って買える。
封を切りプレーヤーにセットして鳴らす。

レコードをこれまで聴いてきた時間が永ければ、買ってきたディスクについてなにも知らなくても、
なんとなく予想はできる、期待もする。
鳴ってきた音楽を、予想通りととらえるか期待通りととらえるか、は、
鳴ってきた音楽によって変ってくる。

新しい音楽を聴く喜びが、そのディスクに収められた音楽にあれば期待通り、であるし、
そうでなければ予想通り、ということになるだろう。

ときには、こちらの期待を大きく上廻る喜びを与えてくれるディスクと出合える。
そういうとき、音楽好きの多くの人は、誰かにそのことを、そのディスクのことを、
そのディスクに収められている音楽のことを、その音楽が与えてくれた喜びを、伝えたくなる。
誰でもいいというわけにはいかない。

そういうディスクと出合えたときには、そのディスクの存在を誰かに伝えたいと思ったときには、
ほぼ当時に、この人に伝えたい、と、誰かの顔が浮ぶはずだ。

昔だったら電話をする。いまだったら、仕事を邪魔をしてはいけないと思い、メールで伝えるかもしれない。
伝える内容は、ことこまかにそのディスクに収められている音楽について書く必要はない。
演奏者の名前とレーベル、それにディスク番号──、
つまり同じディスクを買うために必要なことだけを伝えれば、それを受けとった友人は、きちんと理解してくれる。

これこそが「情報」だと思う。

Date: 7月 5th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・続々余談)

教えてもらったは、恵比寿にもう1店舗、新宿に3店舗をもち、
そのいずれもがタンノイのレクタンギュラー・ヨークやB&Wのスピーカーシステム、
ガラードの301、マッキントッシュのアンプなど置いている。
どんな人がやっているのかはまったく知らない。
どんな雰囲気の店なのかも、ウェブサイトを見たぐらいで、それ以上のことは知らない。
どういう音が鳴っているのかも知らない。

他の店舗がどうなのかは知らないが、喫茶茶会記の常連の人に教えてもらった恵比寿の1店舗は、
若い人でにぎわっている、ときいた。
恵比寿、新宿、あわせて5店舗経営しているということは、どの店も繁盛していると思っていいだろう。

他の店舗がどうなのかは聞かなかったけれど、恵比寿の店は、音楽を聴くことを楽しむための店だ、と聞いている。
酒を飲んで騒ぐ店ではなく、私語が他の客の迷惑になるようだと注意を受けることもあるらしい。

こんな店があることは、うれしい。
でもどうにも理解できないのは、
昨日も書いたようにときには行列ができ、入店するのは待つこともある、ということ。
30代の若い人が、
いい音楽をいい装置(いい音、と書きたいところだが、行ったことがないので、あえて、装置と書く)で聴くことに、
そのために足を運び、そのためにお金を使う──、
そういう人がそんなに大勢いることに驚いた。

いま若い人に、オーディオが売れない、という話をよく聞いていたからだ。

Date: 7月 4th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebook)

2月にアカウントをつくったまま、ほとんどほったらかしにしていたfacebook
思うことあって、使い始めました。
まだどう使っていくかを探っているところで、あれこれやっていくつもりです。

今日は、瀬川先生が描かれたアンプのデザイン画を数点公開しました。

Date: 7月 4th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・続余談)

誕生日を迎えてひとつ歳をとれば、友人・知人も同じように毎年ひとつずつ歳をとっていく。
いちばん若い友人も今年40歳になったということで、20代・30代の友人・知人がいなくなったから、
大和田氏の指摘を読むまで、そんなことになっていようとは思いもしなかった。

もちろん20代・30代でも年配世代よりもマニアックな聴き方をしている人もいるだろうから、
大和田氏の指摘は、大まかにみて、ということだろうが、
野々村氏からのツイートにも、「けっこうそういうところ、あります」と書いてある。
野々村氏は大学で教える方だから、同じようなことを実感として感じておられたのだろう。

野々村氏からもう1通ツイートをもらっており、
そちらには携帯電話の着うた、iPod、iPhone向けの配信によって、
アルバム単位ではなく曲単位で楽曲を聴くことができるようになったことが大きい」とあった。

川崎先生の「機能性・性能性・効能性」に刺戟をうけて、
オーディオにおける「機能性・性能性・効能性」について考えはいるし、
オーディオ機器を紹介するにあたっても、
この「機能性・性能性・効能性」をベースにしていくべきと考えはいたけれど、
機能「的」な音楽の聴き方、ということにはまったく考えが至らなかった。

大和田氏、野々村氏の指摘を読んでいて、思い出したことがある。
先月の公開対談で、四谷三丁目の喫茶茶会記にいったときのことである。
すこし早めに着き、何度か会ったことのある常連の方と話していた。

その彼が最近気になっている店が、恵比寿にあり、そこにはタンノイのオートグラフがあり、
マッキントッシュの古いアンプで鳴らしていて、壁には一面アナログディスク、
さらにステレオサウンドのバックナンバーもある、という話。

その店の客層は30代が中心で、ときには入りきれず並んで待っている、という。

Date: 7月 4th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その16)

これまで私がふれてきたベルトドライヴのアナログプレーヤーについてふりかえってみて、
低トルクのモーターによるものが、音が良かった、といえる。
ただし、音が良かったベルトドライヴのプレーヤーは低トルクのモーターばかりだったが、
低トルクのモーターを使っていたら、いい音のするアナログプレーヤーというわけではない。

そして、ここでいう音の良さは、リムドライヴのアナログプレーヤーとベルトドライヴのアナログプレーヤーでは、
性質的に正反対のところにある──、そんな印象も持っている。

そのことが駆動方式の構造の、どういったところに関係していて、そういう差が出るのかは、
正直掴みきれていない。理論的にも、だが、直感的にも、こうじゃないだろうか、ということすらない。
ただ、これまでの経験から、リムドライヴではモーターのトルクはあったほうが、
ベルトドライヴではモーターのトルクはできるだけ小さいほうが、
それぞれの駆動方式ならではの音の特質を発揮してくれるように、私の耳は捉えている。

だから「20世紀の恐竜」として捉えたとき、EMTの927Dstを最後のプレーヤーとして選びたいし、
21世紀にアナログディスク再生を積極的に楽しむためのプレーヤーとしては、
ノッティンガムアナログスタジオのAnna Logを選びたい。

Date: 7月 4th, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その4)

クレデンザにウェスターン・エレクトリックの555レシーバーがそのまま取りつけられることは、
意外に知られていないようで、このことを話すと、少し驚かれることがある。

じつはこのことも池田圭氏の「盤塵集」に書いてあることで、
知識だけではあったが、10代のころに知ってはいた。
ただ実際にその音を聴くことができたのは、かなりあとのことになるが、
クレデンザ+555の音は、555にことさら関心をもっていなかった私なのに、
できれば手に入れたい、と思ってしまった。

555が優れたドライバーだということは、オーディオに関心をもち始めたころから知ってはいたし、
何度か音を聴く機会もあった。その音のすべてが十全に鳴らされていたわけではないが、
少なからぬ数の人を魅了するだけの「何か」はあると感じたものの、
だからといって池田圭氏のように、組み合わせるホーンは15Aというのは無理なこと。
ホーンとの組合せを考えると、購入できるだけの資金があるとかないとかよりも、そのことがネックに思えてくる。
家庭で使うにふさわしい、つまり劇場用ではないホーンがなければ、欲しい、という衝動までにはいたらない。

同じ劇場用のスピーカーでも、シーメンスのオイロダインは欲しい、と思うから、
ホーンがどうのというのは、後付けの理由に近いもので、
なぜか555には、モノとしての魅力もそれほど感じていなかった。

そんな私でも、クレデンザと組み合わされた555の音は、何かを変えてくれるほどの魅力があった。
クレデンザ+555の音は、いずれもモノーラルでしか聴いていない。
聴いているときは、いい音だ、と感じ、
モノーラル専用というよりもSPから復刻されたCD専用のスピーカーシステムと使ってみたい、と思っていても、
その音から離れひとりになってみると、ステレオで聴いてみたい、と思っている。

Date: 7月 4th, 2011
Cate: audio wednesday

第6回公開対談のお知らせ

今週水曜日(6日)に、2月から行なっていますイルンゴ・オーディオ楠本さんとの公開対談の6回目を行ないます。

時間は夜7時から、です。
いつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・余談)

週刊文春は毎号買っている。1ヵ月分たまったところでまとめて資源回収日に出すことにしている。
で、その前にパラパラとページをめくり、読み落としているところがないか、軽くチェックする。

6月2日号の書評(文春図書館)のページ「筆者は語る」に、
「アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップポップまで」の大和田俊之氏が登場されている。

そこには、世界的にみて珍しいこととして、
日本の年配世代はマニアックに自分の好きなジャンルの音楽を聴いてきた人が多く、
一方で、今の学生は、「泣きたいから」「躍りたいから」といった機能的な理由で、音楽を聴いている、とあった。

年配世代ははっきりと好きな音楽のジャンルがあり、今の学生はジャンルにとらわれず、
音楽を楽しんでいるということ、だそうだ。

大和田氏は1970年生れ、とあるから、年配世代と今の学生のあいだにいる世代ということになるのか。

「アメリカ音楽史」は、今日知ったばかりだから未読だが、
今の学生の機能的な音楽の聴き方、という指摘には、あれこれ考えさせられる。

私の周りに、「今の学生」はいないから自分で確かめようはないが、
大和田氏の指摘通りと仮定すれば、今の学生は機能的な理由で音楽を聴くわけだから、
聴く手段も機能的で、選択しているのかに、興味がわいてくる。

「躍りたいから」躍れる音楽を、躍れる場所(クラブ)で聴く、
「泣きたいから」泣ける音楽を、ひとりでひっそりとヘッドフォン(イヤフォン)・オーディオで聴く、
ということになるのだろうか。

こんなことを、今日Twitterに書いたら、野々村文宏氏からのツイートがあった。