オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・続余談)
誕生日を迎えてひとつ歳をとれば、友人・知人も同じように毎年ひとつずつ歳をとっていく。
いちばん若い友人も今年40歳になったということで、20代・30代の友人・知人がいなくなったから、
大和田氏の指摘を読むまで、そんなことになっていようとは思いもしなかった。
もちろん20代・30代でも年配世代よりもマニアックな聴き方をしている人もいるだろうから、
大和田氏の指摘は、大まかにみて、ということだろうが、
野々村氏からのツイートにも、「けっこうそういうところ、あります」と書いてある。
野々村氏は大学で教える方だから、同じようなことを実感として感じておられたのだろう。
野々村氏からもう1通ツイートをもらっており、
そちらには携帯電話の着うた、iPod、iPhone向けの配信によって、
アルバム単位ではなく曲単位で楽曲を聴くことができるようになったことが大きい」とあった。
川崎先生の「機能性・性能性・効能性」に刺戟をうけて、
オーディオにおける「機能性・性能性・効能性」について考えはいるし、
オーディオ機器を紹介するにあたっても、
この「機能性・性能性・効能性」をベースにしていくべきと考えはいたけれど、
機能「的」な音楽の聴き方、ということにはまったく考えが至らなかった。
大和田氏、野々村氏の指摘を読んでいて、思い出したことがある。
先月の公開対談で、四谷三丁目の喫茶茶会記にいったときのことである。
すこし早めに着き、何度か会ったことのある常連の方と話していた。
その彼が最近気になっている店が、恵比寿にあり、そこにはタンノイのオートグラフがあり、
マッキントッシュの古いアンプで鳴らしていて、壁には一面アナログディスク、
さらにステレオサウンドのバックナンバーもある、という話。
その店の客層は30代が中心で、ときには入りきれず並んで待っている、という。