Author Archive

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その13)

D130は厳密にはJBLの出発点とは呼びにくい。
実質的にはD130が出発点ともいえるわけだが、事実としてはD101が先にあるのだから、
D130はJBLの特異点なのかもしれない。

そのD130の実測データは、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に出ている。
無響室での周波数特性(0度、30度、60度の指向特性を併せて)と、
残響室でのピンクノイズとアナライザーによるトータルエネルギー・レスポンスがある。

このどちらの特性もお世辞にもワイドレンジとはいえない。
D130はアルミ製のセンターキャップの鳴りを利用しているため、
無響室での周波数特性では0度では1kHz以上ではそれ以下の帯域よりも数dB高い音圧となっている。
といってもそれほど高い周波数まで伸びているわけではなく、3kHzでディップがあり、その直後にピークがあり、
5kHz以上では急激にレスポンスが低下していく。
これは共振を利用して高域のレスポンスを伸ばしていることを表している。
周波数特性的には0度の特性よりも30度の特性のほうが、まだフラットと呼べるし、グラフの形も素直だ。

低域の特性も、38cm口径だがそれほど低いところまで伸びているわけではない。
100dBという高い音圧を実現しているのは200Hzあたりまでで、そこから下はゆるやかに減衰していく。
100Hzでは200Hzにくらべて約-4dB落ち、50Hzでの音圧は91dB程度になっている。
トータルエネルギー・レスポンスでも5kHz以上では急激にレスポンスが低下し、
フラットな帯域はごくわずかなことがわかる。

周波数特性的にはD130よりもずっと優秀なフルレンジユニットが、HIGH-TECHNIC SERIES 4には載っている。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するフルレンジユニットの中には、
アルテックの604-8GやタンノイのHPDシリーズのように、
同軸型2ウェイ(ウーファーとトゥイーターの2ボイスコイル)のものも含まれている。
それらを除くと、ボイスコイルがひとつだけのフルレンジユニットとしてはD130は非常に高価もモノである。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するボイスコイルひとつのユニットで最も高価なのは、
平面振動板の朋、SKW200の72000円であり、D130はそれに次ぐ45000円。このときLE8Tは30000円だった。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その12)

JBLのD130の息の長いスピーカーユニットだったから、
初期のD130と後期のD130とでは、
いくつかのこまかな変更が加えられ、音の変っていることは岩崎先生自身も語られている。
とはいえ、基本的な性格はおそらくずっと同じのはず。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4(1979年)で試聴対象となったD130は、
いわば後期モデルと呼んでもいいだけの時間が、D130の登場から経っているものの、
試聴記を読めば、D130はD130のままであることは伝わってくる。

同程度のコンディションの、製造時期が大きく異るD130を直接比較試聴したら、
おそらくこれが同じD130なのかという違いは聴きとれるのかもしれない。
でも、D130を他のメーカーのスピーカーユニット、もしくはスピーカーシステムと比較試聴してしまえば、
D130の個性は強烈なものであり、いかなるほかのスピーカーユニット、スピーカーシステムとは違うこと、
そして同じJBLの他のコーン型ユニットと比較しても、D130はD130であることはいうまでもない。

そのD130は何度か書いているようにランシングがJBLを興したときの最初のスピーカーユニットではない。
D101という、アルテックのウーファー、515のフルレンジ版といえるのが最初であり、
これに対するアルテックにクレームがあったからこそ、D130は生れている。

ということは、もしD101にアルテックのクレームがなかったら、
D130は登場してこなかったはず。
となれば、その後のJBLの歴史は、いまとはかなり異っていた可能性が大きい。
かりにそうなっていたら、つまりD130がこの世に存在してなかったら、
岩崎先生のオーディオ人生はどうなっていたのか、
いったいD130のかわり、どのスピーカーユニット、スピーカーシステムを選択されていたのか、
そしてスイングジャーナル1970年2月号のサンスイの広告で書かれた次の文章──、
この項の(その11)で引用した文章をもう一度引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
この文章(表現)は生れてきただろうか──、そんなことを考えてしまう。

おそらくD101では、D130のようにコーヒーカップのスプーンのように音は立てない、はずだからだ。
そう考えたとき、ランシングのD101へのアルテックのクレームがD130を生み、
そのD130との出逢いが……、ここから先は書かなくてもいいはず。

Date: 1月 6th, 2012
Cate: 言葉

ひたむき

13のときに「五味オーディオ教室」で出逢って、これまでがある。
いまふりかえって思うのは、ひたむきだったのか、ということ。

ひたむきの意味は、ひとつのことに集中する様、ひとつのことに一生懸命になる様、と辞書にはある。
この意味では、ひたむきであった、ともいえるけれど、
それでも、ひたむきとは、これだけの意味だけだろうかと思うと、
やはりひたむきであっただろうか、と自問することになる。

昨年秋から「ちやはふる」というテレビ番組の放送がはじまった。
どういう内容の番組かはリンク先を見てもらえばすぐにわかる。
リンク先に表示されるものをみて、こういうものなんだぁ、とか、こんなもの、とか思われる人もいるだろうし、
あいつはこんなものを見て、それをわざわざブログに書くのか、と思われる方もいてもいい。
それでも、この「ちはやふる」を見ていると、自問せずにはいられない。

作り事の主人公のひたむきさはしょせん作り事、とは思えない。
テレビは持っていないから、GayO!での配信で見ている。
毎週見ているし、先週から昨日まで1話から7話まで、
今日からおそらく12日まで8話から12話まで配信されている。
すでに一度見たものをまた見て、ひたむきだったのか、とまた自問していた。

同じ話を2度見れば、答えらしきものは出てくる。

「ちはやふる」の主人公は、「ちはやふる」というタイトルからわかるように小倉百人一首に向き合っている。
それだからひたむきなのではない、「ちやはふる」の主人公には仲間がいる。
仲間とも向き合っているから、
仲間とともに小倉百人一首と向き合っているから、ひたむきなのだと感じたのだと思う。

「ちはやふる」の主人公と同じ年齢のとき、私にはオーディオの仲間はいなかった。

ひたむきは、直向き、と書く。

Date: 1月 5th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その10)

昨年秋、ピーター・ガブリエルの「new blood」が出た。
「new blood」、新しい血、である。

組織には新しい血が必要だ、的なことがいわれている。
新卒、中途採用などによって新しい人がはいってきて、定年や自己理由などで出ていく人もいる。
そうやって新陳代謝して組織は生きのびていく、──こんなふうにいわれている。

けれど新しい人がはいってきたから、といって、組織の新陳代謝が行われているのかは疑問だ。

以前菅野先生からこんな話をきいたことがある。
あるオーディオメーカーが、いままでの音から脱却するため、イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。
ただ引き抜いてきただけでは、それだけでは不充分だということで、
設計・開発だけでなく、製造に関しても、この彼にまかせたそうだ。
ところが、実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。

それまでの設計・開発、それに製造まですべて一新して、中心となる人間も引き抜いてきたにもかかわらず、
音は変らなかったのはなぜだろうか。

これはたとえ話ではなく、実際の話である。

他社から引き抜かれてきた技術者は、いわば、新しい血だったはず。
その新しい血にほぼ全権まかせることで組織は生れ変る、と多くの人が思うことだろう。

朱に交われば赤になる、といわれる。
組織という朱に交われば、新しい血も赤になる、ということなのか。

組織とはそういうものなのだろうか。
だとしたら、1977年春に岩崎先生ひとりいなくなっても、
スイングジャーナルにおけるジャズ・オーディオへの取組みは変化するわけがない、といえるのだが、
実際には、またくり返しになるが、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルは岩崎千明がいなくなり、おわった。

これはどういうことなのかと考えると、”new blood”ではなく、
組織に必要なのは”strange blood”ではないか、ということが頭に浮ぶ。

Date: 1月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その9)

スイングジャーナルはおわった、と書いたことに異論・反論を抱いた方が多いのか少ないのか、
まったく見当がつかない。
私にとってスイングジャーナルはジャズ雑誌ではなくて、ジャズ・オーディオ雑誌だった。
ジャズ雑誌としてスイングジャーナルはおわっていなかったのかもしれないが、
ジャズ・オーディオ雑誌としては、岩崎先生が亡くなられたことでおわった、と言い切ろう。

スイングジャーナルのオーディオのページは、なにも岩崎先生ひとりだけが書かれていたわけではない。
菅野先生、瀬川先生、山中先生、上杉先生、長島先生、それにときどき黒田先生も登場されていたし、
ほかの方々もおられた。
岩崎先生はそのなかのひとりだろう、そのひとりがいなくなったからといって、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルがおわるわけはないだろう。
編集部に変化はなかっただろうし、どれだけ岩崎氏がすごい存在であったとしても、
筆者・編集者をふくめて組織というものはそういうものではないはず──。

本来、「組織」とはそういうものでなければならないはず。
それでも一読者としてスイングジャーナルをジャズ・オーディオ雑誌として読めば、
やはり岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった、というところにたどりつく。

スイングジャーナルにとって、いいかえればジャズ・オーディオにとって岩崎千明という存在について、
スイングジャーナルのその後の変化をみた者としては、なんだったのかを、いま、きちんと見直していく必要がある。

ジャズ雑誌としてのスイングジャーナルについて、私はあれこれいえる資格はない。
ジャズの熱心な聴き手ではないし、ジャズ雑誌・スイングジャーナルの熱心な読者でもなかったから。
これは言い訳半分でもあるし、
だからこそジャズ・オーディオ雑誌としてスイングジャーナルをみることができた、ともいえる。

Date: 1月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その8)

1970年代のスイングジャーナルのオーディオのページを読んでいて、
そして岩崎先生、菅野先生、それにときどき瀬川先生が参加される座談会を読み、
facebookページ「オーディオ彷徨」のための入力作業を行っているときに思っているのは、
菅野先生の著書「音の素描」の入力作業のときと同じことを感じて、思っている、ということだ。

これはほんとうに20年前、30年前、40年前に書かれた文章、行われた座談会なのだろうか、
と多くの人が思うのではなかろうか。
そこで問題提起されたことは、示唆的なことは、じつはそのまま現在にもほぼ(というよりもそっくり)あてはまる。
オーディオが抱えてきた問題は、じつのところ、なにひとつ変っていない、どころか、
むしろ昔はそういうことがきちんと語られていたのに、いまはどうだろう……。

問題は解決した、という認識なのだろうか、それともただ目をそむけているのか。
もしかするとただ気づいていないだけなのかも……。

すべてがそうだといっているのではない。
明らかに古いと感じさせるところもある。
それにしても、そうでない、むしろいまこそ多くの人に読んでほしいと思えるところが随所にある。
そして密度が濃い。

読み終れば、必ずいくつか心に刻まれる言葉と出くわすはず。
そして考えさせられることにも出会える。

つまり、おもしろい。
そのおもしろさは、つまりは人に通じる。
オーディオのおもしろさは、オーディオ機器のおもしろさだけだろうか。
オーディオ機器のおもしろさは認める。
だが、ほんとうにおもしろいのは、つねに人でしかない。

だから岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった。

Date: 1月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その7)

1982年以降、ステレオサウンドで働くようになってからは、
編集部で毎号購入していたのか、それともスイングジャーナル社から届いていたのか、
そのへんは曖昧になってしまったが、毎号読むことはできた。
といっても、しっかり読むというよりも、目を通す、という感じだった。

岩崎先生は1977年3月に亡くなられている。
瀬川先生は1981年11月に亡くなられている。

1982年以降のスイングジャーナルには、岩崎先生も瀬川先生も登場しない。
私がスイングジャーナルの熱心な読者でなかったのは、そういうことも関係している。

スイングジャーナルに対して、そういう読み方(というより接し方)しかしてこなかった私に、
オーディオブームの頃のスイングジャーナルはオーディオ業界に対してステレオサウンドよりも影響力があった、
と会うたびに力説するKさんがいる(ここ2年ほど会っていないけれど)。

Kさんはスイングジャーナル編集部に在籍していた人であるから、
正直なところ、彼がその話をするときは話半分で聞いていた。
私にとって、オーディオ雑誌はステレオサウンドが、ほぼすべてという10代をおくってきたから、
そこでスイングジャーナルのほうが凄かった、と力説されても、素直に頷けない。
それだけステレオサウンドには思い入れがあって読んでいたし、
スイングジャーナルに対しては、上に書いたような読者でしかなかったのだから、
Kさんと私とでは、スイングジャーナルに対する想いには大きなギャップがあって当然のことだ。

Kさんがスイングジャーナル自慢をするたびに、また始まった、と思っていた私でも、
この1年、スイングジャーナルのバックナンバー、
つまり岩崎先生が健在だったころのスイングジャーナルをまとめて読んできて、
Kさんが言っていたことは、多少オーバーなところはあったとしても、
確かにステレオサウンドよりも影響力があった部分は、確実にあっただろう、と思っている。

私がそう思うようになったのは、facebookページの「オーディオ彷徨」で公開している座談会を、
どれでもいい、数本読んでみてもらえばおわかりいただけるはず。

Date: 1月 3rd, 2012
Cate: audio wednesday

第12回公開対談のお知らせ

明日(1月4日)は今年最初の公開対談(といっても今回はひとりですけど)であると同時に、
昨年2月2日から始めた、この公開対談の12回目である。つまり1クールの最後となる。
1年やりとげられたな、と新年最初の回に思っているわけだ。

前回ひとりで話したときは11月ということで、瀬川先生について語った。
今回は、まだテーマを決めかねている。
何について語ろうか、テーマがまったく思い浮ばないわけではない。
あれについて話そうか、それともこれについて語ろうか、と迷っている。

そういう状態ですけど、
明日夜7時、四谷三丁目の喫茶茶会記でお待ちしております。

Date: 1月 3rd, 2012
Cate: Claudio Abbado, ベートーヴェン

ベートーヴェン(交響曲第三番・その2)

ほんとうに、この曲は傑作だ、と思えた瞬間だった。
アバド/ウィーンフィルハーモニーの演奏によって、心からそう感じることができた。

それからはそれまで買って聴いていたディスクをひっぱり出して、ふたたび聴きはじめていた。
フルトヴェングラー/ウィーンフィルハーモニーの演奏に圧倒された。
五味先生が「フルトヴェングラーで聴いてはじめて、〝英雄〟を知ったようにおもうのだ」
と書かれたことが実感できたのは、私にとってはアバド/ウィーンフィルハーモニーの演奏があったからである。

アバド/ウィーンフィルハーモニーのディスクがもし登場していなかったら、
登場していたとしても、アバドのベートーヴェンなんて、という思い込みから手にとることさえしなかったら、
ベートーヴェンの交響曲第三番の素晴らしさに気づかずに20代を終えていたかもしれないと思うと、
なんといったらいいのか、或る意味、ぞっとする。

アバド/ウィーンフィルハーモニーの交響曲第三番は、これだけでは終っていない。
このディスクを聴いてしばらくしたったときの朝。
ステレオサウンドに通うために、このころは西荻窪に住んでいたので荻窪駅で下車して丸ノ内線に乗り換えていた。
電車が荻窪駅に停車する寸前、ドアの前に立っていた私の頭の中に、
ベートーヴェンの交響曲第三番の第一楽章が鳴り響いた。

こんな経験ははじめてだった。
いきなり、わっ、という感動におそわれた。もうすこしで涙がこぼれそうになるくらいに。
なぜか、その演奏がアバド/ウィーンフィルハーモニーのものだ、とわかった。

だからというわけでもないが、私はアバド/ウィーンフィルハーモニーの第三番には恩に近いものを感じている。

Date: 1月 3rd, 2012
Cate: Claudio Abbado, ベートーヴェン

ベートーヴェン(交響曲第三番・その1)

ベートーヴェンの交響曲第三番は、ベートーヴェン自身のそれ以前の交響曲、第一番と第二番だけでなく、
他の作曲家によるそれ以前の交響曲とも、なにか別ものの交響曲としての違いがあるのは、
頭では理解できていても、実を言うと、なかなか第三番に感激・感動というところまではいけなかった時期があった。

世評の高いフルトヴェングラー/ウィーンフィルハーモニーによるレコードは、もちろん買って聴いた。
他にもカラヤン/ベルリンフィルハーモニー、トスカニーニ/NBC交響楽団、
ワルター/コロンビア交響楽団なども買って聴いた。

五味先生は「オーディオ巡礼」の所収の「ベートーヴェン《第九交響曲》」の冒頭に書かれている。
     *
ベートーヴェンでなければ夜も日も明けぬ時期が私にはあった。交響曲第三番〝英雄〟にもっとも感激した中学四年生時分で、〝英雄〟は、ベートーヴェン自身でも言っているが、〝第九〟が出るまでは、彼の最高のシンフォニーだったので、〝田園〟や〝第七〟、更には〝運命〟より作品としては素晴しいと中学生でおもっていたとは、わりあい、まっとうな鑑賞の仕方をしていたなと今はおもう。それでも、好きだったその〝英雄〟の第二楽章アダージォを、戦後、フルトヴェングラーのLHMV盤で聴くまでこの〝葬送行進曲〟が湛えている悲劇性に私は気づかなかった。フルトヴェングラーで聴いてはじめて、〝英雄〟を私は知ったようにおもうのだ。
     *
そのフルトヴェングラーの演奏でも、〝英雄〟の素晴らしさをうまく感じとれない、ということは、
ベートーヴェンの聴き手として、なにか決定的に足りないところが私にあるんだろうか、
このまま、この先ずっと交響曲第三番に感動することはないまま生きていくのだろうか、
と不安にちかいものを感じていたことが、20代前半にあった。

それでも交響曲第三番の新譜が出れば、買っていた。
1985年録音のアバド/ウィーンフィルハーモニーのCDも、そうやって購入した一枚だった。
クリムトのベートーヴェン・フリーズがジャケットに使われたディスクだ。
アバド/シカゴ交響楽団のマーラーは聴いていたけれど、正直、アバドのベートーヴェンにはさほど期待はなかった。

CDプレーヤーのトレイにディスクを置いて鳴らしはじめたときも、
ながら聴きに近いような聴き方をしていたように記憶している。
なのに鳴り始めたとほぼ同時に、
いきなり胸ぐらをつかまれて、ぐっとスピーカーに耳を近づけられたような感じがした。
目の前がいきなり拓(展)けた感じもした。
このとき、ベートーヴェンの交響曲第三番に目覚めた感じだった。

Date: 1月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その9)

ステレオサウンド 38号の特集は、オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ、である。
インタヴュアーとして、井上先生、黒田先生、坂氏の三人が、
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、柳沢功力、上杉佳郎、長島達夫、山中敬三、井上卓也、
八氏のリスニングルームを訪ね、「音」を聴く、という内容である。

ステレオサウンドのなかで、どれがいちばん面白いかは、人によって違って当然。
同じ人にとっても、時代によって面白い、と感じるステレオサウンドは変ってくることだってある。
こんなことを書きながらも、それでもいちばん面白いステレオサウンドは、やはり38号だ、と私は言いたい。

いま私の手もとにあるステレオサウンド 38号は、私が購入した38号ではない。
この38号は、岩崎先生のご家族からいただいた38号であり、岩崎先生が読まれていた38号である。
いただいたステレオサウンドは38号だけではなく、他に数冊ある。
けれど、この38号だけはかなりくたびれていた。
おそらく、岩崎先生もステレオサウンド 38号は、くり返しに手にとり読まれてきたから、
こんなふうにくたびれているのだろう、と思われる。
ほかのステレオサウンドは、かなりきれいな状態なのだから。

ステレオサウンド 38号の特集は、
オーディオ評論家八氏のインタヴューがまとめられていて、これがメインの記事となっている。
それに井上先生による、八氏の再生装置についての文章があり、
八人に宛てた黒田先生の手紙がある。

瀬川先生への手紙「アダージョ・ドルチェ」、
岩崎先生への手紙「アレグロ・コン・ブリオ」には、
「さわやか」という黒田先生による表現が共通している。

Date: 1月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その8)

岩崎先生の書かれたものをステレオサウンドなりスイングジャーナルに掲載されたときに読んできたわけではない、
ということは以前にも書いたとおりである。
そのことが、岩崎先生とライバル関係にあったのは、ジャズという共通項目だけで、
菅野先生がライバルだと思い込んできたことに、いま思うと関係している。

それこそ10年はやく生れていて、岩崎先生の文章が掲載されるオーディオ雑誌の発売を楽しみに待って読む、
という体験があったなら、岩崎先生とライバル関係にあったのは菅野先生だけではない、ということに、
もっとはやくに気がついていたはずだ。

菅野先生と瀬川先生はライバル、
岩崎先生と菅野先生はライバル、
瀬川先生と岩崎先生もライバル。
このライバル関係は三角形を形成する。

なんとおもしろい時代だったのか、と思う。
そして羨ましくも思う……。

Date: 1月 1st, 2012
Cate: re:code

re:code(その3)

黒田先生は、次のように書かれている。
     *
しかし、蓄音機=再生装置とは、いったいなにか。
蓄音機=再生装置は、機能の面でいうと一種の情報解読機である。レコード面の溝にきざまれている凹凸は、たとえ虫メガネでみようと、顕微鏡でみようと、なにがなんだか皆目わからない。レコードは、蓄音機=再生装置にかけてはじめて、レコードとしての意味をもつ。レコード面の溝にきざまれている凹凸という暗号を針先でこすって、そこから音をみちびきだす。そのことに限っていえば昔も今もさして変わらない。
     *
黒田先生は蓄音器=再生装置を、一種の情報解読機とされているし、
レコード面の溝にきざまれている凹凸という暗号、という表現も使われている。
情報解読機を暗号解読機ととらえても問題なかろう。

再生側のオーディオ機器は、暗号解読器であり、
録音側のオーディオ機器は、暗号生成器ということになる。

こう考えていくと、暗号はcode(コード)であるから、
オーディオにおけるレコード(record)とは、暗号を記録したモノであり、
その暗号を、オーディオ機器によって聴き手が、
別項「音を表現するということ」に書いているようにリモデリングして、
リレンダリングして、リプロデュースしていくと考えれば、その元となるレコードは、re:codeでもあるはずだ。

レコードをrecordでもあり、re:codeでもある、ととらえることで、
オーディオとは何モノなのかが、よりはっきりと浮び上ってくるのではないだろうか。

Date: 1月 1st, 2012
Cate: re:code

re:code(その2)

なぜ録音に関しては、その記録の確認に器械を必要とするのか。
それは音を記録にするにあたって、ある種の暗号化が行われているから、である。

暗号化というと、デジタル方式は、アナログ信号を0と1のデジタル信号に変換するのだから、
そういえるだろうが、アナログ方式ではアナログ信号のまま取り扱うから暗号化しているわけではない、
と受けとられる方もいよう。

でもテープへの記録は、マイクロフォンがとらえた振動を電気信号に変換して、
さらに録音ヘッドによって磁気に変換して磁気テープに記録する。
CDがデジタル式の暗号化であるならば、磁気録音はアナログ式の暗号化といえる。
つまり暗号化された信号が磁気テープには記録されている。
だからその暗号を解読する器械が必要となるわけだ。

アナログディスクへの記録もそうだ。
電気信号を振動へと変換して記録しているから、その暗号を解読するには専用の器械を必要とする。
アナログディスクで、溝のうねり具合で、フォルティシモがわかるのは、
磁気テープにくらべて暗号化の度合いが低い、ということになろうか。

つまり再生側のオーディオ機器は、暗号解読器といえる。
このことは、すでに黒田先生がずっと以前に書かれている。

黒田先生の著書「レコード・トライアングル」におさめられている
「〈レコードのレコード〉でレコードを考える」のなかに出てくる。
黒田先生が「〈レコードのレコード〉でレコードを考える」を書かれたのは、ステレオ誌1977年1月号であるから、
1976年11月から12月にかけて、ということになる。30年以上の前のことだ。

Date: 1月 1st, 2012
Cate: re:code

re:code(その1)

CDが登場する1982年以前は、オーディオにおいてレコードはアナログディスクのことを指していた。
レコード(record)は、記録、成績という意味ももつから、
LPやSP、シングル盤(EP)といったアナログディスクだけではなく、テープもレコードということになるのだが、
そんなことはわかっているオーディオマニアのあいだでも、レコードはアナログディスクのことであり、
テープはテープ、もしくはヒモという。

アナログからデジタルに変っても、レコードは記録されたもの、ということに変りはないから、
CDもDVDもSACD、DATなどもレコードのなかに含まれる。
とはいうものの、いまもレコードというと、アナログディスクのことになってしまう。

同じ記録するものとして、写真がある。
写真を撮る器械はカメラである。
レンズがあり、カメラ本体があり、フィルムがある。
録音ではレンズがマイクロフォンにあたり、カメラ本体はテープデッキ本体、
フィルムが磁気テープ、ということになる。

レンズがとらえた光はフィルムに記録される、マイクロフォンがとらえた音は磁気テープに記録される。
フィルムは現像しなければならないが、フィルムに記録されているものは、
レンズがとらえた一瞬を、ほぼそのままの形で記録する、と、録音と比較すると、そういえる。
ネガフィルムでは色まではわからないものの、なにをがそこに写っているのかは、フィルムをみるだけでわかる。
ポジフィルムであれば色までわかる。
現像されていれば、フィルムに写っている記録をみるのに特別な器械は必要としない。
たしかにビューアーがあった拡大鏡があれば細部まではっきり見ることができるけれど、
何が写っているのかを確かめるのであれば、それらはモノは特に必要としない。

録音の場合はそうはいかない。目の前にある磁気テープに何が録音されているのかは、
目で見ただけではなにもわからない。
録音と同じようにテープデッキという器械と、あとすくなくとも音を出すモノ(ヘッドフォン)は必要となる。

録音に関してはテープ録音だけではない。ディスク録音でも同じことだ。
溝のうねりをみて、ここはフォルティシモが刻まれているな、ぐらいは判断できても、
溝の形を見ただけで、どんな音楽がそこに記録されているのかを判断できる人は、まずいない。
ここでも、その記録を耳で確かめるためには、なんらかの最低限の器械を必要とする。