ベートーヴェン(交響曲第三番・その2)
ほんとうに、この曲は傑作だ、と思えた瞬間だった。
アバド/ウィーンフィルハーモニーの演奏によって、心からそう感じることができた。
それからはそれまで買って聴いていたディスクをひっぱり出して、ふたたび聴きはじめていた。
フルトヴェングラー/ウィーンフィルハーモニーの演奏に圧倒された。
五味先生が「フルトヴェングラーで聴いてはじめて、〝英雄〟を知ったようにおもうのだ」
と書かれたことが実感できたのは、私にとってはアバド/ウィーンフィルハーモニーの演奏があったからである。
アバド/ウィーンフィルハーモニーのディスクがもし登場していなかったら、
登場していたとしても、アバドのベートーヴェンなんて、という思い込みから手にとることさえしなかったら、
ベートーヴェンの交響曲第三番の素晴らしさに気づかずに20代を終えていたかもしれないと思うと、
なんといったらいいのか、或る意味、ぞっとする。
アバド/ウィーンフィルハーモニーの交響曲第三番は、これだけでは終っていない。
このディスクを聴いてしばらくしたったときの朝。
ステレオサウンドに通うために、このころは西荻窪に住んでいたので荻窪駅で下車して丸ノ内線に乗り換えていた。
電車が荻窪駅に停車する寸前、ドアの前に立っていた私の頭の中に、
ベートーヴェンの交響曲第三番の第一楽章が鳴り響いた。
こんな経験ははじめてだった。
いきなり、わっ、という感動におそわれた。もうすこしで涙がこぼれそうになるくらいに。
なぜか、その演奏がアバド/ウィーンフィルハーモニーのものだ、とわかった。
だからというわけでもないが、私はアバド/ウィーンフィルハーモニーの第三番には恩に近いものを感じている。