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Date: 4月 14th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その2)

私がQUADの50Eの存在を知ったのは、ステレオサウンド 43号に載った記事である。
「クラフツマンシップの粋」という連載記事で、鼎談形式により過去の銘器について、
その時点の視点から捉え直そうというもの。

43号ではQUADの管球式アンプがとりあげられていて、
最後のところでQUAD初のソリッドステートアンプの50Eについても語られている。

山中先生の発言をひろってみる。
     *
この50Eというアンプは、いままでのパワーアンプと違って(註:QUADのそれまでの管球式アンプのこと)、完全に最初からソリッドステートということを意識したスタイリングをもっているわけで、これも大変シンプルで、しかもプロ的なイメージの強い製品として興味深いんですが、音の点でも大変ユニークな製品だったと思うんです。いわゆるソリッドステートアンプということではなく、球のアンプのもつスムーズさというか……。これはピーター・ウォーカー氏によれば、現時点ではもう特性的に魅力がないんだということですが、実際に聴いてみると、303とはやはり全然違った魅力というのはありましたね。
     *
ピーター・ウォーカーの発言がいつのことなのかは、これだけでははっきりとしないが、
ステレオサウンド 43号は1977年3月に出ている。
すでにカレントダンピングという新しい回路を搭載した405は世に登場していた。

405の登場の時の発言なのか、それとも303の時点での発言なのか。
どちらにしても50Eが「特性的に魅力がない」ということは、そのまま言葉通りに受けとめていい、と思う。

けれど音の魅力としては、山中先生の発言にもあるように「魅力がない」とはいえない。

私は43号を読んだ時点では、50Eをそういうアンプとして受けとめていた。

50Eは1965年ごろに発表されている。
もう50年近く経っている。
ステレオサウンド 43号の1977年は50Eが発表されて約10年、
製造中止になってそれほど経っていないころだ。

この間、アンプだけをみてもずいぶんと変遷があり、
あのころの50Eをみていた眼といま50Eをみている眼は、私個人に関してもずいぶんと変化してきている。

あらためて50Eの回路図を眺めていると、どこか新鮮さにつながるものを感じている。

Date: 4月 14th, 2013
Cate: 電源

電源に関する疑問(その28)

伊藤先生の349Aプッシュプルアンプは、ウェストレックスのA10がベースになっている。
A10はいうまでもなく映画館で使われるアンプであり、
そこではセリフのとおりがもっとも重要視される。

もしA10で鳴らしたときに低音がボンつくことがあったら、
セリフの明瞭度は著しく落ち、とおりも悪くなるだろう。
だからA10では、絶対にそういうことがないだけでなく、
むしろセリフの明瞭度ととおりが、他のアンプ(いいかえれば家庭用のアンプ)より優れていなければならない。

そういうアンプに、ウェストレックスの開発陣は出力管に350Bを使い、
出力トランスの2次側からのNFBをかけることをとっていない。
かわりにチョークインプットと1kΩの抵抗の直列挿入を行っている。

つまり、このことはA10の出力段はAクラス動作であることを表してもいる。
A10の出力段、伊藤先生の349Aアンプの出力段がBクラスもしくはABクラスであったなら、
1kΩという値の抵抗を直列にいれることは無理となる。

抵抗の中を電流が通れば、電流×抵抗値の分だけ電圧降下が起る。
出力段の電流変動の大きいBクラス、ABクラスだと大出力時、電流が多く流ることで電圧降下が大きくなり、
結果出力管のプレートにかかる電圧が大きく低下することになってしまう。

電流変動がごくわずかであればこそ、電源回路に1kΩという抵抗を挿入することができる。

ウェストレックスのA10は一見すると無駄の多い回路のようにもうけとれる。
チョークインプットと1kΩの抵抗で、電圧のロスはかなり大きい。
抵抗が発する熱もかなり大きい。
そして三極管より効率の高い多極管をあえてAクラスで使い、出力はアンプ全体の規模からすれば小さい。

こういうアンプを、あえてウェストレックスの開発陣がつくったということは、
セリフの明瞭度ととおりを重視してのことなのかもしれない。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その1)

この項の(その2)にこう書いている

真空管アンプには、いくつか採用例があったチョークインプット方式だが、
トランジスターアンプになってからは、1987年に登場したチェロのパフォーマンスまで採用例はなかった(はず)。

今日、ある方から、このことで指摘を受けた。
QUAD最初のソリッドステートアンプ50Eも、チョークインプットだ、と。

回路図を見ると、たしかにチョークインプットである。
となると、ほぼまちがいなくトランジスターアンプで最初にチョークインプットを採用したのは50Eだろう。

50Eの増幅部の回路構成は、真空管アンプのプッシュプル回路の増幅素子をそのままトランジスターに置き換えた、
そういえる回路構成である。

そのため、一般的なトランジスターアンプ(シングルエンテッドプッシュプル型)にはない位相反転回路がある。
真空管アンプのP-K分割ならぬ、トランジスターだけにC-E分割回路である。
50Eは出力トランスも搭載している。

こういう回路構成のアンプ、当時いくつかのメーカーで試作品的なものはつくられたそうだが、
実際に製品化されたのはQUADの50Eだけ、らしい。

実は増幅部の回路構成については回路図を以前みたときから知っていた。
でも、そのときは電源部にまで注意がいかなかった。

増幅部の回路構成が真空管アンプそのものであるなら、
電源部もそうである、と、なぜか当時は思わなかった。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その7)

1980年にはいったころからか、
「FM放送がライヴ中継をやらなくなりはじめた」という声を耳にしたり目にしたリした。

これがどのくらい正確に当時の状況を語っているのかは、
国会図書館にでも行き、1970年代、1980年代のFM誌に掲載されていた番組表を照らし合せてみるしかない。
でも、そこまでやろうとは思わない。

FMにもそれほど関心があったわけでもない私の、なんとなくの印象ではそうかなしれない、ぐらいである。
ライヴ中継は減っていたかもしれない。
けれど五味先生の影響をつよく受けている私にとって、
FMでの大きな意味をもつ放送といえば、バイロイト音楽祭ということになる。

これはライヴ中継ではなく、毎年録音による放送で12月だった。
これはずっと続いていたし、
来日した演奏家の演奏会のいくつかは録音による放送があった。

ステレオサウンドにはいったばかりのころ、シルヴィア・シャシュをよく聴いていた。
菅野先生も試聴レコードに、ある時期、よく使われていた。

ある日、NHK-FMでシルヴィア・シャシュの演奏会の放送があった。
ライヴ中継ではなかった、と記憶している。
それでも嬉しくて、
ステレオサウンドの試聴室にあったケンウッドのL02Tとナカミチの700ZXL(だったと思う)で録音した。

少しでも鮮度の高い音で、ということで L02Tの出力はコントロールアンプを通さず、
直接7000ZXLのライン入力に接いだ。

1986年、カルロス・クライバーがバイエルン国立歌劇場管弦楽団と来日した時、
やはりNHK-FMが放送した。これも録音による放送だった。

たしか放送された日の演奏は会場にいて聴いていた。
それでももう一度聴けるとなると、嬉しい。
そのときチューナーはすでに持っていなかったから、知人にところに聴きに行ったこともある。

その彼もチューナーは持っていなくて、
なかば無理矢理、その日チューナーを買わせてしまった。
「何がいいですか」ときかれたので、トリオのKT3030を薦めた。
そして、ふたりしてスピーカーの前で、放送が始まるのを待っていた。

けれどクライバーの演奏が始まり、すぐに一瞬モノーラルになり、
その後放送が中断してしまった。NHK側のトラブルで後日再放送ということになった。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その6)

私がチューナーはほとんど関心をもっていなかったことはすでに書いている。
それがいまごろになって、チューナーのデザインに強い関心をもちはじめて、
記憶を辿っているのだが、メーカーもチューナーに力をいれていた時期は短かったように思う。

日本でのFM多局化は1980年代後半以降なのだが、
この時期以降、チューナーで意欲的な製品が登場していただろうか。

いまでもチューナーの銘器として、中古市場でも人気をもつマランツの10Bは1963年に登場している。
10Bの設計者のセクエラが自らの名を冠したセクエラ・Model 1を発表したのは、1970代中頃か。

日本には高級チューナーがいくつか存在していた。
パイオニアのExclusive F3、ヤマハのCT7000、オーレックスST720、アキュフェーズのチューナー、
サンスイのTU-X1、ケンウッドのL01Tなどあった。
これらは1970年代のモノばかりである。

これらのなかで、その後もチューナーの開発を継続していたのはアキュフェーズだけではないだろうか。
トリオからはケンウッド・ブランドでL01Tを超えるL02Tが1982年に出ている。
けれどその後に登場したL03Tは、L02Tのような性格のチューナーではなくなっていた。
パイオニアにしてもアンプに関してはその後もExclusiveシリーズをC5、M5、C7、M7と開発していったけれど、
チューナーのF5、F7は存在しない。

メーカーはチューナーの新製品は出していた。
けれど1970年代のチューナーを超えようとする意欲的な製品では決してなかった。
少なくとも私はそう感じている。

何度も書くが私はチューナーに関心・興味がほとんど持てなかった。
けれどメーカーも、オーディオがブームのころは積極的にチューナーを開発していても、
いつしかメーカー側も「チューナーはこのくれらいで充分」というふうに流れていってしまった──、
私にはよけいにそうみえてしまう。

Date: 4月 12th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その6)

再生音とは……、ということについてあれこれ考えていると、
アトムのことが頭に浮ぶ。

アトム──、
鉄腕アトムのことだ。

マンガは幼いころから読んできた。
とくに手塚治虫のマンガは集中的に、意識して読むようにしてきた。
私にとっては「昭和が終った……」と実感したのは、手塚治虫の死だった。

ブラック・ジャックが、私にとって最初のヒーローだった。
ブラック・ジャックのような大人になりたい、と思っていた。
何も医者になりたいわけではなかったけれど、
どんな職業につくにしろ、ブラック・ジャックのように生きてきたい──、
そんなことを夢想していた。

このことを書いていくと、別の話になっていくのでこのへんにしておいて、
アトムに話を戻せば、アトムはいわゆる人型のロボットである。

天馬博士が事故でなくなった息子・飛雄(トビオ)の替りとして、似せられてつくられたロボットであるから、
人型、それも少年としてのロボットである。

鉄腕アトムだけでなく、手塚治虫のマンガの中には、さざまなロボットが登場する。
アトムのような人型のロボットもいれば、ある機能に特化した形態のロボットも登場する。

それら数多くのロボットの中で、アトムは突出して優れたロボットと位置づけられる。

Date: 4月 11th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その8)

どんな本にも誤植が完全になくなるということは、ないのかもしれない。
大出版社であろうと小出版社であろうと、誤植のある本を一度も出したことはない、ということはまずない。

どんなに細心の注意を払って、何人もの人が何度も校正したとしても、
不思議とすり抜けてしまう誤植がある。

しかも、そういう誤植は、これまた不思議と本に仕上ってしまうと、
いとも簡単に見つかってしまうことも多い。

初版で見つけた誤植は、次で直せればいいけれど、
雑誌はそういうわけにはいかない。第二版、第三版などは雑誌にはない。

ステレオサウンド 185号の「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」は、
いわゆる誤植ではない。
これはすり抜けさせてはいけない間違いである。

過去のステレオサウンドに、間違いがひとつもなかったかというと、そうではない。
私がいたときも間違いはあった。
それ以前もあったし、それ以降もある。

でもそういう間違いと、185号の「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」とでは、
少々事情が異る。

技術的な事柄に関しては、
特に海外製品の場合、ほとんど資料がないこともあるし、
資料があったとしても抽象的な表現で、何が書いてあるのか(言いたいのか)はっきりしないこともある。
またそこに投入された技術が新しすぎて、理解が不充分なこともある。
それでも新製品の紹介記事では、少しでも情報を多く読者に伝えようとするあまり、
間違いが起きてしまうことだってある。

そういう間違いを見つけても、ことさら問題にしようとは思わない。
185号の「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」は、
本来なら間違えようのないことで、編集部はミスを犯してしまっている。

なぜ「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」がすり抜けて活字になってしまったのか。

新製品ページの担当編集者は、高津修氏から原稿を受けとる。
そこで当然もらった原稿を読み、朱入れが必要ならそうする。
その原稿を編集長がチェックする。それで問題がなければ次の段階に進む。

以前は、この段階を「写植にまわす」といっていたけれど、いまはなんというのだろうか。
写植があがってきたら、コピーにとり、そのコピーを編集部全員が読み校正する。
そして青焼きが、次の段階であがってくる。

ここでも私がいたときは文章のチェックをしていた。

本来ならば、青焼き以前で校正はしっかりと終えておかなければならないのだが、
写植の段階の校正ですり抜けてしまう誤植やミスがあるから、ここでも校正する。

時にはけっこう大きなミスがあって、
バックナンバーの版下を取り出してきて、活字を切貼りしたこともある。
常に締切りをこえて作業していたから、自分たちで最後は手直しということになってしまう。

いまはパソコンでの処理が大半だろうから、
細部では違いがあっても、原稿を届いて青焼きを含めて、
編集部全員によって複数回の校正がなされるわけだ。

にも関わらず「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」がすり抜けてしまったのは、
考えられないことである。

これがトーレンスのプレーヤーではなく、
新進メーカーの、新技術を投入したアンプであれば、
技術的なことは触っただけではわからないのだから、仕方ない面もあるのだが、
何度も書くけれど、トーレンスのプレーヤーについては触ればわかることだし、
オーディオ雑誌に携わっている者、オーディオを趣味としている者ならば、
トーレンスのプレーヤーがどういう構造なのかは、すくなくとも言葉の上ではわかっているのが当然である。

ここに編集部のシステムとしての問題がある。

Date: 4月 11th, 2013
Cate: 世代
5 msgs

世代とオーディオ(JBL 4301・その6)

いま目の前に4301の程度のいい中古品が出て来たら、買ってしまうかもしれない。
うまくタイミングが合ってさえいたら、私にとって初めてのJBLとなっていたかもしれない4301だけに、
いまでも、いい出合いがあれば欲しい、という気持が残っている。

4301は最初はアルニコモデルだった。
けれど1980年ごろからのアルニコ不足の波によって、フェライト仕様のBタイプへと変っていった。

アルニコの4301、フェライトの4301B、
程度が同じであればアルニコ、といいたいところだけれど、
4301に関してはやや事情が、他のJBLのスタジオモニターとは異る。
それはフロントバッフルの色。

4301は側版、天板、底板はウォールナット仕上げ。
4343だと、この場合フロントバッフルはブルーになる。
けれど4301は、なぜか黒だった。

4301Bもウォールナット仕上げだが、
フロントバッフルはブルーになっている。

これは実に悩ましい。
見た目では4301Bにしたいところだから。

こんなふうに書いていくと、
これを読まれている方の中には、
もしかすると4301はいいスピーカーみたいだから……、と思われる方も出てくるかもしれない。

その人たちに、私は積極的に4301はおすすめしない。
他にもっといいスピーカーシステムはいくらでもある。

4301は、あのときもうすこしで手が届きそうでついには買えなかったという経験をもつ、
そしてJBLのスタジオモニターに憧れをもっていた人、
私とほぼ同世代の人ならば、4301への、私のこの想いは理解してくれるはずである。

4月のaudio sharingの例会でも私より上の世代のOさんはすでに書いてるように、
4301の評価は高くない。
でも私と同世代のKさんという、
私とまったく同じ想いで、いまも4301に手を出そうかどうか迷っている人もいる。
彼も4301が買えずにオンキョーのM6を買っている。

そんな想いで4301をみている人は、世代的にも少数のはずだし、
世代が違ってくれば、また別のスピーカーシステムが、Kさんや私にとっての4301と同じ存在になろう。

私と同じ世代でも、JBLの4343に憧れのなかった人にとっては4301は、そういう存在にはならない。

世代と、あの時の憧れ・嗜好が一致しているからこその、ふたりにとっての特別な存在の4301である。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その7)

現在のステレオサウンドの編集部のオーディオの知識がどれだけのレベルなのかはわからない。
けれど、トーレンスのプレーヤーがフローティング型かどうかは、
よほどの初心者でない限り間違えようがない。

仮に勘違いで高津修氏の原稿を編集部が
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」と書き換えたとしよう。
そうなると編集部は高津修氏に断りもなく書き換えたことになる。

高津修氏に事前に、ここがおかしいと思うので書き換えたい、という旨を伝えたのであれば、
高津修氏が「TD309はフローティング型だよ、資料を見てごらん」といったやりとりがあるはず。
それで編集部が資料にあたるなり、TD309の実機にふれるなりすれば、すぐにフローティング型ということはわかる。
にも関わらず「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」が活字となって、
ステレオサウンド 185号に掲載されている。

私がいたころは、その記事の担当者が試聴に立ち合うし、試聴記の操作も行う。
このシステムが、いまのステレオサウンドでは違うのだろうか。
試聴室で試聴に立ち合う人と記事の担当者が別とでもいうのだろうか。
だとしても、トーレンスのプレーヤーがフローティング型であることは、あまりにも当り前すぎることであり、
仮にフローティング型でなかったとしたら、高津修氏の原稿も、
トーレンスがフローティング型ではなくなったことから書き始めるのではないだろうか。

この件は考えれば考えるほど、ほんとうに奇妙なことである。
私が考える真相は、もう少し違うところにあるのだが、それについてはここで書くことではないし、
書きたいのは、なぜ
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」が活字になってしまったかである。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その6)

ステレオサウンドのサイトに、昨年の12月10日、
季刊ステレオサウンド185号(2012年12月11日)に関するお詫びと訂正」が載った。

そこには、185号の新製品紹介のページに掲載されているトーレンスのTD309について、
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」という、
事実とは異る記述があるというもので、
「これは編集部の校正ミス」ということになっている。

185号発売日の前日に、これが載ったということは、
おそらく見本誌を見た輸入元から事実と異るというクレームがあったから、だと思う。

このお詫びと訂正に気づかれていた人も多いだろう。
でも、この「お詫びと訂正」はよく考えれば、実に奇妙なところがある。

校正ミスとある。
これをバカ正直に信じれば、TD309の試聴記事を書かれている高津修氏が書かれているわけだが、
高津修氏の原稿に「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」と書いてあり、
そのことを編集部が見落していた、ということになろう。

でも、そういうことがあるだろうか。
トーレンスのプレーヤーはフローティング型で知られているし、
試聴で実際に触れれば、すぐにフローティング型がそうでないかとわかる。
資料がなくても、すぐにわかることであり、誰にでもわかることである。

つまり高津修氏の原稿に
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」と書いてあったとは考えにくい。
となると編集部が高津修氏の原稿を書き換えた(それも間違っているほうにへと)ということになる。
でも、これも考えにくいことである。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: 電源

電源に関する疑問(その27)

伊藤先生による349Aアンプにおける電源回路の1kΩの働きが、
ほんとうのところはどういうものであるのかは、
実際に、この349Aアンプを製作して、しかも電源トランスの2次側のタップをふたつ用意して、
片方は1kΩがなくてとも規定の電圧がとれるタップ、
もうひとつは1kΩを挿入した状態で規定の電圧がとれるタップとで、
1kΩの抵抗のあるなしの音を聴いていくしかない。

1kΩの抵抗なしでも低音がボンつくことなく鳴るのであれば、
伊藤先生の349Aアンプの音の秘密は、別のどこかにあるということになる。
1kΩの抵抗なしで低音がボンつけば、
1kΩの抵抗による効果ということができ、そうなると(その26)に書いた推論が、ある程度正しいといえよう。

こんなことを書いている暇があったら、さっさと伊藤先生の349Aアンプを作って確かめればすむこと。
1kΩの抵抗の役割に気がついて、もう20年以上が経つ。
にも関わらず検証せずにいる。

それでも1kΩの抵抗の役割について考えていくと、
ある時期のゴールドムンドのパワーアンプの平滑コンデンサーの容量が小さかったこと、
47研究所のアンプにしても、ぎりぎりの容量のコンデンサーしか搭載していないこと、
これらの理由は主に応答速度と語られることが多い、そのことについてもこれだけではない見方ができる。

確かに同一コンデンサーで、容量だけが違うものを集めて測定すると、
充放電の時間は容量が小さなコンデンサーのほうが、わずかとはいえ速い。
ゆえに応答速度の速さが音の反応の良さに活きている──、
そういえないこともないけれど、
電源トランスとの2次側のコイルとの共振周波数の、
コンデンサーの容量による変化も忘れるわけにはいかない。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その5)

4301が登場したころの私のスピーカーの最終目標は、JBLの4343だった。
4ウェイという、鳴らしやすいとはいえない構成の4343をうまく鳴らす──、
オーディオの経験なんて、まだほんのわずかしかないにも関わらず、そんなことを夢想していた私にとって、
4301は、このスピーカーを、このスピーカーと同じ価格帯のアンプとプレーヤーで鳴らせないようであれば、
4343を手にしたとしてもうまく鳴らせないはず。

だから将来4343を手にして鳴らす時のためにも、
いま、この4301で、JBLを鳴らす感覚を身につけ磨いていく──、
そんなことを考えていたからこそ、4301が欲しくてたまらなかったわけだ。

私が編集部にいたときもそれ以前の読者だったころも、
ステレオサウンドは発売日に出たためしがない。
いつも遅れていた。

いまは12月発売の号を除けば1日発売で、それ以前は11日発売。
さらにその前は15日発売だったのだが、たいてい書店に並ぶのは20日すぎ。

ステレオサウンド 46号も、だから私が住んでいた田舎町の書店に並んだのは、3月下旬。
その少し前に国産の3ウェイのブックシェルフ型を買ったばかりだった。
46号が、いまの発売日のように1日であり、発売日に書店に並んでいたら、
4301は第一候補になっていたはず。

けれど実際には、私が手にしたデンオンのSC104は一本43800円。
4301は20000円以上高い。ペアでは40000円以上違ってくる。

この差は大きい。
プレーヤーが買える価格差であるし、
たとえステレオサウンド 46号がもっと早く発売になっていたとしても実際には4301は買えなかったであろう。

4301には、そんな想い出がある。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その4)

JBLの4301の試聴記が載っているステレオサウンド 46号には測定結果も載っている。
その中にはトータルエネルギー・レスポンスとして、
残響室内でのピンクノイズとスペクトラムアナライザーによる周波数特性がある。

これが他のJBLのスタジオモニター(4331A、4333A)よりもずっと優秀で、かなりフラットに近い。
JBL同士の比較だけでなく、46号で取り上げられているスタジオモニター17機種の中でも、
優秀といえるレベルだった。

意外な感じだった。
17機種の中でももっとも安価な、一本65000円の4301が、
ずっと高価な、スピーカーユニットにしても本格的なものを搭載しているシステムより優秀な特性を示している。
もちろんすべての測定結果について優れているわけではないものの、
トータルエネルギー・レスポンスに関しては、
この結果だけを見ていたら、65000円のスピーカーシステムとは思えなかった。

理由はいくつか考えられるが、
4331A、4333Aよりも、JBLのスタジオモニターとして新しい時代のモノであることも関係しているだろう。

とはいえ一本65000円の4301。
瀬川先生の試聴記にもあるように、
4301と同等クラスのアンプやプレーヤーで鳴らした場合には、
46号での試聴記にあるような結果は得られないことは、これを読んだ時にも思っていた。

だからだろう、この項の(その1)でOさんがL26と比較したけれど、
4301がそれほどいい音は思えなかったのは。

でも、だからこそ46号を読んだ時、4301が欲しくなっていた。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その5)

その4)まで書いてきて、ふと思ってしまったことは、
この項では生の音(原音)にはあって、再生音にはないものについて考えてきているわけだが、
逆のことだって考えられること、ということ。

つまり生の音(原音)にはなく、再生音にのみあるもの。
このことも併行して考えていかなければ、再生音の正体には、いつまでたってもたどりつけない。

Date: 4月 9th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その5)

いくつかの呼称がある。
オーディオマニア(audio mania)という呼称が一般だったが、
maniaの意味は、熱狂的性癖、……狂だから、これを嫌う人たちもいて、
1980年代にはいってから、もっとスマートな呼称としてオーディオファイル(audio phile)が登場してきた。
(それにしても最近の「性癖」の使い方は間違っていて、性的嗜好の意味で使われることが目につく)

そして菅野先生によるレコード演奏家も生れてきた。

古くには音キチという呼び方もあった。
音キチガイの略であって、いまこれを使っている人は稀であろう。

オーディオに、一般的な人には理解不能なぐらい情熱をかたむけている人をどう呼ぶか(呼ばれたいか)。
人によって違う。
私などは、何者か? と問われれば「オーディオマニア」とためらうことなく答えるけれど、
オーディオファイル、オーディオ愛好家という人もいるし、
私はそう名乗ることはないけれど、レコード演奏家と口にされる人もいる。

どう呼ばれるかには、こだわりがあるのだろう。
だからいくつもの呼び方が登場しているわけだ。

山口孝氏による「オーディスト」が、そこに加わるかたちとなった。

雑誌の編集者の仕事は実に雑多で多岐であり、
その仕事の中には、新語・造語に対しての判断も含まれている。

ステレオサウンド編集者は、179号の時点で、
山口孝氏からの原稿を届いた時点で、「オーディスト」について調べ、
すでに存在している言葉であるのならば、その意味を確認する必要があったわけだ。

けれどステレオサウンド編集者は、それを怠った。
なぜ怠ったのか。

それは山口孝氏の熱心な読み手と同じだったからではないのだろうか。