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Date: 5月 7th, 2013
Cate: 手がかり

手がかり(その12)

とにかく私は最初のオーディオの手がかりとして、グラシェラ・スサーナの歌を頼りにした。
そしてグラシェラ・スサーナの歌が情感をこめて歌っている音で鳴れば、
その時はグラシェラ・スサーナの歌だけでなく、バックの楽器もそれらしく響いてくれるようになっている。
そうやって、すこしずつ手がかりを増やしていった。

このことにすこし遅れて考えたことがある。
もうひとつ、別の方向での手がかりとなるものがないのか、ということだった。

例えばスピーカーケーブル。
その理想は存在がない、ということになる。
そういう考えにたてば、スピーカーケーブルをいくつかの長さのものを用意する。
5m、3m、1.5m、1m、50cmというふうに、同じケーブルで数種類の長さによる音の違いを聴く。
このとき長いケーブルよりも短いケーブルの音が理屈としてはいい音になっているわけだ。

オーディオは理屈にあわないことが起ったとしても、
同じスピーカーケーブルで5mと50cmと、このくらい極端に長さが違っていれば、
まず50cmよりも5mのスピーカーケーブルの場合が音がいいということは、まずありえない。
そんな仮定を立ててみた。

この考えでは、例えば信号系に直列にはいるコンデンサーでは、
直結の音(コンデンサーなしの音)を基準として、
それに近い音を出してくれるコンデンサーがいい、ということになる。

オーディオをやり始めたばかりのころ、こんなことを考えていた時期がある。
そのときは間違っていない、と思っていた。
けれど少しずつ経験を積んでいくと、この考えは必ずしも正しいばかりとはいえないのではないか、
そう思いはじめてきた。

Date: 5月 6th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その12)

アイロニーがアイロニーとして、ギャグがギャグとして機能しなかったのは、
発信者である長岡鉄男氏と受け手である読者とのあいだに「ズレ」があったから、といえるだろう。

この「ズレ」がなぜ生じたのかについては、どこかで改めて書きたいけれど、とにかくこの「ズレ」が、
598という、日本独自の、この時代ならではのスピーカーシステムの「膨張・肥大」をうんできた、とおもう。
つまり誰が、ということではなく、何が、ということになる。

これはあくまでも1980年代、
ステレオサウンドで働いていた私の捉え方・見方である。
この時代、ステレオサウンドは、598のスピーカーシステムに対して、
どちらかといえば批判的・否定的な立場をとることが多かった。

私は、そのことに影響を受けていたところはある。
だから598のスピーカーシステムを当時肯定的であったところにいた人とは捉え方が違ってくる。
そういう私だから、このブログで598のスピーカーシステムについて書こう、とまったく考えていなかった。
もし書くことがあったとして、別の項でなにかのきっかけで少しだけ触れるだけ、
それもおそらく否定的なことだけを書いていただろう。

それが、こうやって「598というスピーカーの存在」という項を設けてまで書いているのは、
598のスピーカーシステムが、あのまま「膨張・肥大」という改良がなされてきたら、
いったいどういうスピーカーシステムとなったのだろうか、
とふと想像してしまったところがきっかけになっている。

598のスピーカーシステムは、とにかく59800円という価格の制約がある。
実際には59800円よりもやや高い価格になっているだろうが、それでもこの価格の制約は大きい。
その中で、1台あたり、どれだけの利益を生んでいたのか、といらぬ心配をしたくなるほど、
この時代の598のスピーカーシステムは薄利多売の製品であり、
いわばこれがデフレのはじまりなのかもしれない、とまで思ったりもする。

それでもメーカーがいくつもあり互いに競争していくことで、技術者は工夫を重ねていく。

Date: 5月 5th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その11)

長岡鉄男氏にはファンが多かった、ときいている。
熱心なファンもいた。
ときに、それは長岡教とも長岡信者とも呼ばれることもあった。

この熱心な人たちに長岡鉄男氏のアイロニー、ギャグはそうとは受けとめられずに、
長岡鉄男氏が意図しない方向で受けとめられてしまった──、私にはそうみえる。

だいたいスピーカーユニットやアンプのボリュウム・ツマミの重量を量ってみたところで、
その数字が何を表しているのかといえば、それはただ単に重量でしかない。
それ以上のことは、特に表していない。

そんなことは長岡鉄男氏は百も承知でやっていたはず、と私は思う。
これが他の人がやっていたのであれば、受けとめられ方もずいぶん違ってきただろうが、
国産オーディオ機器への影響力の大きかった長岡鉄男氏が、
熱心な読者をもつ長岡鉄男氏がこれをやったがため、
598のスピーカーシステムの重量増加を煽ることになってしまった。

アイロニーがアイロニーとして、ギャグがギャグとして機能することなく受けとめられて、
時は進んでいった。

メーカーの中には、
長岡鉄男氏のアイロニー、ギャグだと受けとめていた人もいるだろうし、
長岡鉄男氏の読者の中にも、そう受けとめていた人もいたはず。
でも、そういう人たちよりも、
長岡鉄男氏が重さを量って発表するということは、
それが音の良さへと直接関係することである、と思い込んでしまった人の方が多かった──、
そういえないだろうか。

そうなってしまうと、メーカーもそれに乗らざるを得ない。
長岡鉄男氏のアイロニー、ギャグだとわかっていても、
他社製よりも重いことが売上げに大きく関係してくるのであればやらざるを得ない。

1980年代の598のスピーカーをうみだしたのは、結局誰だったか、と考えることもある。

Date: 5月 5th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その10)

長岡鉄男氏は執筆だけでなく精力的に活動されていた、といっていいだろう。
読者訪問やそうだし、リスニングルームへ読者を招くこともあった。
他の人よりも、読者と直接会うことの多かった人だったはず。

会えば話す。
話せば、自分が書いてきたことがどう受けとめられているかがわかる。
そこには失望もある。ともすると失望のことが多かったりもする。

私だってそういう経験はある。
何も自分で書いたものに関してだけでなく、
私が熱心に読んできたものに対して、「なぜ、そんなふうにしか読めないの?」と思うことは、
ずっと以前から何度となくあった。

私が書いたものに関してだけなら、自分の書き方がまずかった、と反省することにもなるけれど、
五味先生や瀬川先生、岩崎先生の書かれたものについても、そんなことを経験していると、
「読む」という行為も、実に人さまざまだと思い知らされる。
(何も失望ばかりではないのだけれど、記憶としては失望のほうが強く残る)

長岡鉄男氏は、私よりもずっとそんな経験をされてきたのではなかろうか。
何を書いてもどう書いても誤解・曲解される。
最初から最後まできちん:と読んでくれればわかるように書いているつもりでも、
意外に思われるかもしれないが、最初から最後まで読まない人もいることを、
私だって体験的に知っている。

本、雑誌は商品であり、その商品を購入した人がどう読もうが、
それは購入者の自由であり勝手である、とは私は思っていない。
けれど、そう読まれることが事実としてある、ということは知っている。

そういう事実に対して長岡鉄男氏がとられた手段が、
スピーカーユニットやアンプのボリュウムのツマミの重量を量ることだった。
すくなくとも私はそうみている。

つまり長岡鉄男氏のこの行為は、アイロニーでありギャグでもあったように思えてならない。

Date: 5月 4th, 2013
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その1)

スイングジャーナル 1978年5月号に「岩崎千明を偲ぶ会開かれる」という記事が載っている。
一関ベイシーの菅原昭二氏が、岩崎先生との想い出について書かれている。

そこにこうある。
     *
背筋を伸ばしたままの状態でそっと腰をおろすとパラゴンがうなった。圧倒的な音量。私だって音量では人後におちない部類に入ると思うのだが、岩崎さんのそれはまたひとつ、ケタが違うのだ。見るとSG520のボリュームつまみはこれ以上、上に昇れないところに行っている。プリ・アンプのボリュームをオープンにしちゃうとどうもスカッとふんぎりがつくようなのだ。これができるかできないかで、岩崎さんになれるかなれないかが別れるのだ。
     *
岩崎先生のパラゴンはLE15Aが入っているものだから、カタログに載っている出力音圧レベルは95dB。
菅原氏が聴かれたのは引越しの途中であって、新居にはすでにハーツフィールドやパトリシアンがおさまっていて、
ステレオサウンド 38号にも載っているパラゴンが置かれている、いわば旧宅での音である。

菅原氏の文章ではパワーアンプがなにかははっきりしないけれど、
ステレオサウンド 38号ではクワドエイトLM6200RとパイオニアExclusive M4だったが、
これらのアンプはすでに新居に運ばれていたのだろう。
だからコントロールアンプはSG520だったと思う。

ということはパワーアンプもM4ではなく、JBLのSE400なのかもしれない。
出力はM4もSE400もほぼ同じ。だから、どのパワーアンプなのかはっきりしなくても、
そんなことは些細なことでしかない。

岩崎先生の旧宅のリスニングルームは、写真でみるかぎり、ものすごく広い空間ではない。
そこでSG520のボリュウムが全開ということは、正直想像つかない。

菅原氏が「またひとつ、ケタが違うのだ」と書かれている。
そうとうに大きなことだけははっきりしている。

でも、それがほんとうのところ、どれだけのレベルなのかは、いまの私にはまだ想像つかない。
しかも音圧計で、ピークで何dB出ていました、といったことで表せる領域でもない。
ただ音がでかいだけではないのだから。

それでも、その領域に少しでも近づきたい、という気持が芽生えている。

Date: 5月 3rd, 2013
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(ふたつの絵から考える・その1)

目の前に造花がある。
その造花をふたりの絵描きが描いていく。

ふたりとも高い技術をもっている。
絵を描く技術の優劣はつけがたい。

ひとりの絵には、造花が造花として描かれていた。
もうひとりの絵には、ほんものの花を見て描かれたような花があった。

ふたりの絵描きのどちらの絵が、High Fidelityといえるだろうか。

目の前にあったのは造花である。
花弁も葉も茎も、本来の植物とはまったく異る素材を使ってつくられている。
どんなに精巧につくられていても、造花は造花であるのだから、
その造花を忠実に描くのであれば、その絵に描かれたものは見る者に造花であることを意識させなければならない。
そうもいえる。

もうひとりの絵描きによる絵のように、造花のもととなったほんものの花を見る者に意識させるのは、
その意味では忠実ではない、忠実性の低い絵ということになる。
そうもいえる。

どちらも造花を描いた絵であることに変りはない。

Date: 5月 3rd, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その44)

スピーカーの能率をあらわす出力音圧レベルは通常、93dB/W/mというふうに表記される。
つまり1Wのパワーを測定するスピーカーシステムに入力して、正面1m距離の音圧を表示するわけなのだが、
JBLのS9500の出力音圧レベルは97dB/2.83V/mであり、
入力されるパワーの1Wではなく、2.83Vと電圧値となっている。

この2.83Vというのは、8Ωのスピーカーに1Wのパワーを入力したときのスピーカーにかかる電圧である。
オームの法則により、電力は電圧の二乗をインピーダンスで割った値だから、
2.83×2.83÷8=1(W)ということである。

ということはS9500の場合、インピーダンスは3Ωと発表されているから、
2.83×2.83÷3=2.669(W)となる。
つまりS9500の出力音圧レベルは2.669Wのパワーをいれて正面1mで測定した値である。

2.669Wは1Wの2.669倍。
2.669倍は4.26dBとなる。
ということはS9500に2.669Wではなく1Wの入力を加えた場合の音圧は、4343とほぼ同じということになる。

4343の出力音圧レベルは93dB/W/m。
この値はウーファーの2231Aの出力音圧レベルと同じ。
たいていのスピーカーシステムがそうなのだが、
マルチウェイシステムにおいてもっとも音圧レベルが低いのはウーファーであり、
中高域のユニットはアッテネーターによりレベル合せが行われているから、
ウーファー単体の音圧レベルがたいていにおいてシステムの音圧レベルとなることが多い。

もっとも中にはネットワークで補整をかけているシステムもあり、
ウーファー単体の音圧レベルよりも低くなっているものも存在する。

Date: 5月 2nd, 2013
Cate: Digital Integration
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Digital Integration(デジタルについて・その9)

ケーブルによる伝送の場合、インピーダンスに不整合があれば信号が反射される。
このことは知識としては知っていた。
特に高周波においては顕著であるからこそ、
デジタル信号の伝送経路であるトランスポートD/Aコンバーター間は、
コンシューマーオーディオのライン信号の受け渡しで常識となっているやり方──、
送り出しはローインピーダンスで受ける側はハイインピーダンスと設定(ロー出しハイ受けともいう)ではなく、
75Ωということでケーブルのインピーダンスまで規定されている。

その部分に、ケーブルのインピーダンスなどあまり問題とされないラインケーブル(アナログ信号用)を使う。
単純に考えれば反射が、75Ω規格のケーブル使用よりも多く発生するのだろうから、
それだけ音は悪くなる可能性がある。

そんなことをぼんやりと思いながらも、ラインケーブル数種を試しにデジタルケーブルとして使ってみた。
すくなくとも明らかな音の劣化は、そのときは感じられなかった。
むしろ気がついたのは、別のことだった。

ケーブルを変えたときの音の傾向が、
ラインケーブルとして使った時の音の傾向とほぼ同じであることに気がついた。
このことは正直意外だった。

ラインケーブルとして使った時、そのケーブルに流れるのはいわばアナログ信号。
アナログ信号の帯域幅は広い。
デジタル信号のように非常に高い周波数の信号よりはずっと低い周波数帯ではあるけれど、
20Hzから20kHzまでは10オクターヴある。

デジタル信号はオーディオの音声信号よりずっと高い周波数であっても、帯域幅はそれほど広くはない。
信号の波形だって違う。

にも関わらず、ケーブルを変えたときの音の傾向は、
そこを流れるのがアナログであろうとデジタルであろうと、ある共通したところがはっきりとある。

この現象のもつ意味を深く考えるようになったのは、数年後であった。

Date: 5月 1st, 2013
Cate: audio wednesday
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岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(第29回audio sharing例会のお知らせ)

「昔はよかった」と書いている。
だからいまは、そのよかった昔よりもずっとよい、といいたい。
本音で、心からそういいたい。

すべてがその昔よりも悪くなっているとは言わないけれど、
それでも「昔はよかった」といわざるをえないのが現実であり現状である。

「昔はよかった」と書いている私は、いま50。
私より上の世代の人は大勢いる。
私が「昔はよかった」といっている時代よりも、もっと前のことを体験してきている人たちがいる。

私は瀬川先生とは何度かお会いできた。
話をすることもできた。
けれど五味先生、岩崎先生には会えなかった。

オーディオ界には、岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた人たちがいる。
その人たちに、いまのうちに話をきいておこう、と思っている。

「昔はよかった」のはなぜだったのかを、より深く知りたいという気持もあるからだ。

6月5日(水曜日)のaudio sharingの例会には、
岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた国内メーカーに勤務されていた、
いわばオーディオの先輩といえる人たちに来ていただく。

パイオニアに勤務されていた片桐陽氏、サンスイに勤務されていた西川彰氏、
おふたりに「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」について語っていただく。

折しも5月31日には、ステレオサウンドから岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊、
さらに瀬川先生の著作集の出版も予定されている。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」についてなら、
私にも語らせろ、という方いらっしゃいましたらご連絡ください。

Date: 4月 30th, 2013
Cate: オーディオ評論
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「新しいオーディオ評論」(その1)

もっと「新しいオーディオ評論」を期待しています。

このメッセージを受けとって、改めて自覚していた。
私は五味先生の書かれたものを核として、
瀬川先生、岩崎先生、菅野先生、伊藤先生たちの書かれたものによってかたちづくっている。

このことを全否定しての「新しいオーディオ評論」は私はない、とおもう。

以前書いているように、
長島先生の言葉を借りれば、
瀬川先生によって
「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。
彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、
オーディオを、『音楽』を再生する手段として捉え、
文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。」

ということは、全否定なしに「新しいオーディオ評論」はしょせん無理なことなのか。
これについて、まったく考えなかったわけではない。
でもほぼ同時に答もあった。

青は藍より出でて藍より青し

これが答だった。
藍より青し、も「新しいオーディオ評論」のはず。
そして、やはり「青」なのか、とおもった。

Date: 4月 29th, 2013
Cate: audio wednesday

第28回audio sharing例会のお知らせ

5月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

テーマはいまのところまだ決めていません。
6月5日に行う29回のテーマはすでに決めてますし、ゲストをお呼びする予定なんですけど。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 4月 29th, 2013
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その8)

ソニーとLo-Dがほぼ同時にセパレート型のCDプレーヤーを発表してからしばらくしてのことだった。
そのときステレオサウンドの試聴室にあったのはソニーだったと記憶している。
もっとも、ここではソニーであろうがLo-Dであろうが、その後に登場した他社製のモノであってもかまわない。
セパレート型であることが条件だったのだから。

このときやっていたのはトランスポートとD/Aコンバーターを接続するケーブルによる音の違い。
トランスポートD/Aコンバーターを結ぶケーブルは75Ω規格のケーブル。
この部分で音が変化することは、誰しもが思うことであって実際に音は変化する。

CDプレーヤー登場以前、
CDプレーヤーはデジタル技術の産物だから音は変らない、という意見も一部ではあった。
けれど、出て来た製品を聴く限り、音はあたりまえのように違っていた。

でもこの部分のケーブルは、
CDプレーヤーでは音は変らない、と考える人にとっては、
絶対に、といいたくなるほど音が変るとはおもえないところであろうが、
ケーブルを変えれば音は変る。

音が変るのは確認できた。
次はいったいどこまで音が変るのかに興味がうつっていく。

75Ωのケーブルをいくつか試していた。
といってもそれほど多くの75Ωケーブルが、当時のステレオサウンドにあったわけではない。
だからラインケーブルをあれこれ試してみた。

75Ωではない、ラインケーブルを使っても音は出る。
とくに問題は感じられなかった。
それよりもあれこれ聴いていくうちに、気がつくことがあった。

このときからである、デジタルに対して疑問が出て来きたのは。
とはいっても、このときはまだ小さな小さな疑問ではあったのだが。

Date: 4月 28th, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その43)

S9500登場以前のJBLのスピーカーシステムといえば、
1976年に発表された4343を筆頭とするスタジオモニターが、その代名詞となりつつあった。

コンシューマー用のスピーカーシステムも、もちろんあったし、新製品も登場していた。
1980年代にはそれまでのJBLのラインナップとはやや異る特色をもつL250が登場したものの、
すくなくとも日本では4343、それに続いた4345、4344の人気が圧倒的に高く、
本来の実力の割には話題にのぼることは少なかった。

S9500はそんなJBLのコンシューマー用スピーカーシステムの頂点としてだけではなく、
JBLのスピーカーづくりの、あの時点での集大成ともいえる内容と外観をもつ登場した。

素材面でそれまでのJBLでは採用してこなかったモノを大胆に使い、
コンクリートの台座を含める4ピース構成という、エンクロージュアを分割させている。
他にもいくつかの特徴をもつ中で、出力音圧レベルが97dBと、
4343の93dBと比較して4dBも上昇している。

JBLの、いわば原器といえるD130の100dBをこえる、
いまとなっては驚異的ともいえる高能率ほどではないにしても、
1989年に97dBの出力音圧レベルは充分高能率スピーカーといえる値になっていた。

しかもS9500はD130よりもずっと周波数レンジが広い。
S9500は2ウェイだから広くて当然ということになるが、低域に関してもより低いところまでのびている。
レンジの広さと高能率の両立を実現している、ともいわれたS9500は、
ほんとうに高能率スピーカーといっていいのだろうか。

S9500のカタログの出慮音圧レベルの項目には、こう記してある。
97dB/2.83V/m、と。

Date: 4月 27th, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その42)

インピーダンスは電磁変換効率を把握する上で重要な項目といえる。

パワーアンプが真空管から半導体へと増幅素子の変化があり、
真空管アンプ時代では考えられなかったほどの大出力が、家庭内で気楽に使えるようになった。

ハイパワーアンプの出現がスピーカーの能率を低下させる理由のひとつともいえるし、
スピーカーの周波数特性を伸ばすために能率が低下し、補うためにアンプの出力が増していった、ともいえる。

真空管アンプ、それも小出力しか得られなかった時代にはスピーカーの能率は100dBをこえるものが珍しくなった。
それが真空管アンプも出力をましていくようになり、
スピーカーの能率も以前ほど100dBをこえるものは少なくなっていった。
それでも90dB程度は、能率が低いスピーカーといわれていた。

それがステレオになり大型スピーカーシステムを家庭内にペアで置くことの難しさが発生してくるようになると、
スピーカーの小型化が望まれるようになるし、
そのころのスピーカーの常識としてはサイズが小さくなれば能率も低くなりがちである。

とにかくスピーカーの能率は低くなっていく一方で、
90dBを切るモノも珍しくなくなっていった。

そういう流れの中で、JBLから1989年、Project K2 S9500が登場した。
一部では高能率スピーカーの復活、という表現もされたスピーカーシステムである。

Date: 4月 27th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その32)

海老沢徹氏による連載「針先から見たスーパーアナログの世界」、
ステレオサウンド 75号に掲載されているこの記事のなかで、
ウェストレックスのカッターヘッド3D RECORDERが写真とともに紹介されている。

この3D RECORDER海老沢氏所有のもので、撮影のためにお借りしてけっこうな期間私が預っていた。
机の引出しの中にしまっていて、見たくなればいつでも好きな時に好きなだけ見れて、そして触れた。

3D RECORDERは実測で2060g。金属のかたまりであるから、ずしっと重い。
感覚的には実測値よりも重く感じる。
誌面の都合で写真が小さくなってしまったのが、いまでも悔やんでしまうのだが、
3D RECORDERはカートリッジとは、まったく別物であることを、実際に手にして実感していた。

カッターヘッドはラッカー盤に溝を刻んでいくもの、
カートリッジはプレスされた塩化ビニール盤の溝をトレースしていくもの、
だからこのふたつがまったくの別物であることは知識として理解はしていても、
実際にカッターヘッドの実物を見て手にすれば、感覚的に理解できるほどの違いが歴然としてある。

これで、私の中でカッティングマシンがアナログディスクのプレーヤーとして理想とはいえないことに確信を得た。
アナログディスクのプレーヤーが、プレスされた塩化ビニール盤を再生するものではなく、
ラッカー盤を再生するものだとしても、
カッターヘッドとカートリッジの違いについて考えれば考えるほど、
プレーヤーとしての理想は、別のところにあると考えるようになる。

これだけが理由ではないのだけれど、
リニアトラッキング方式がけっしてアナログディスク再生のトーンアームとして、
カートリッジを移動させるための機構として理想とはいえないと、
私は結論づけている。