オーディオとは……(その2)
演奏会場に出向いて聴く音楽と、
オーディオを介して聴く音楽、
このふたつをわれわれは楽しめる時代に生きている。
どちらも同じ音楽なのだが、
聴き手の聴き方は、演奏会場に出向いて聴くときとオーディオを介して聴くときとでは、
同じところもあれば、そうでないところもある。
オーディオを介して聴くという行為は、
確認という行為でもある、と思う。
演奏会場に出向いて聴く音楽と、
オーディオを介して聴く音楽、
このふたつをわれわれは楽しめる時代に生きている。
どちらも同じ音楽なのだが、
聴き手の聴き方は、演奏会場に出向いて聴くときとオーディオを介して聴くときとでは、
同じところもあれば、そうでないところもある。
オーディオを介して聴くという行為は、
確認という行為でもある、と思う。
ステレオサウンド 80号は1986年に出ている。
ESL63が登場した1981年にまだ10代だった私も、1986年には20代になっていた。
ESl63もESL63Proという派生モデルを生み出している。
1982年にはCDが登場している。
いくつもの変化が、周囲にも私自身にもあって、
ESL63Proの音の良さを、それまで頭で理解していたところがあったのが、
素直に、いいなぁ、と思えるようになってきていた。
ESL63よりもESL63Proのほうを、私はとる。
ただ外観に関してはESL63Proは、いかにも仕事用のスピーカー然としていて気にくわないところはある。
けれど、なによりも型番の63が、1963年生れの私にとっては、
無視できない魅力として、このスピーカーが登場したときから続いている。
このころになると、ESL63Pro、たぶんいつかは手に入れるんだろうな、とも思うようになった。
でもできればESL63の外観で、ESL63Proの音であってほしい、という希望つきでもあったけれど。
これは決意ではなかった。
予感、といったほうがいい。
そんな予感は、いつの日か現実になるようだ。
1986年から10数年以上経ったころ、ESL63Proを譲ってくれる人がいた。
ESL63Proの中でも、古いロットのモノであったが、相場からするとずいぶんと安く譲ってもらった。
全面的に修理が必要な状態なため、いまは押入れの中で眠ったままになっている。
いつの日か、きちんと鳴らしたい。
音だけでいえば、現行のESL2912、2812の方がいいに決っている。
でも、両スピーカーの型番には63の文字がないから、このESL63Proを鳴らす。
それに、このESL63Proは小林悟朗さんのモノだったのだから、なおさらだ。
いまふりかえると、63という数字は、私にとってひとつの縁だった。
小林悟朗さんから譲られたESL63Proも縁である。
これまで書いてきたことを読まれた方の中には、
私が、そのベテラン筆者に対して怒っている、と誤解、勘違いされている方もいるような気がする。
くどくなるのはわかっていても書いておくと、
そのベテラン筆者を批判したり、怒っているというわけではない。
それはもちろん、もう少し注意をはらってほしかった、という気持はある。
けれど、私の怒り(というよりもやや失望に近い)は、編集部に対してのものであることを、
もう一度はっきりさせておく。
今回のことは防げたことである。
それは難しいことでもなんでもない。
編集部が編集部として機能していれば、防げて当然のことが、
そのまま活字になってしまったことに対して、私は書いている。
誰にでも勘違いはある。
私も毎日ブログを書いていると、いくつかは勘違いがあり、
コメント欄で指摘をもらって訂正したことがある。
なぜ勘違いが起るのか、その発生のメカニズムが完全にわかればいいけれど、
勘違いが発生する理由は、その時によってさまざまである。
筆者の勘違いが編集部が編集部として機能していないから、活字になってしまう。
誰かひとりでよかった、そのひとりが気づいて筆者にすぐさま連絡していれば、
筆者も自分の勘違いに気づき、原稿を訂正する。
こういう地味で細かなことを筆者との関係において重ねていくことが大事だということに、
その関係が生むものに気づいていれば、
原稿を受けとったとき、最初に原稿を読むときの姿勢に変化があらわれる。
技術の進歩という言い方をする。
時には、進化ともいうことがある。
私も、これらを使う。
使い(書き)ながら、ここで、進歩と使っていいのかと考えてしまうことはある。
技術は進歩しているように見える。
見えるだけでなく、確実に進歩しているのはわかっている。
それでもことオーディオに関しては、
こと音に関しては、本当に進歩しているのか判断が微妙なところがあるのもまた事実である。
となると安易に進歩といっていいのだろうかと思うし、
他の表現があるようにも思えてくる。
けれどぴったりとくる言葉を思いつかず、少し安易に進歩という言葉を使ってしまうことがある。
いったい、そういうときに、どういうことばを持ってくれば、
違和感を感じることなく、自分の安易さに気づきながら、それをごまかすことなく書けるのだろうか。
「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」
五味先生の言葉だ。
これを「五味オーディオ教室」で読んだ。
それ以来、「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」は私にとって、
オーディオについて迷ったとき、これを思い出すようにしている。
五味先生は、バルトークの弦楽四重奏曲を聴かれたからこそ、
この「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」という真理にたどり着かれたのではないのか。
私の勝手な想像でしかないのだが、
あるひとつのきっかけ、出来事でこの「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」にたどり着かれたとは思えない。
いくつかのことから、ここにたどり着かれたのだとおもう。
そのひとつが、ジュリアード弦楽四重奏団によるバルトークの演奏盤での体験だったはずだ。
この項の(その4)で引用したところから、一部くり返す。
*
バルトークに限って、その音楽が歇んだとき、音のない沈黙というものがどれほど大きな慰藉をもたらすものかを教えてくれた。音楽の鳴っていない方が甘美な、そういう無音をバルトークは教えてくれたのである。他と異なって、すなわちバルトークの音楽はその楽曲の歇んだとき、初めて音楽本来の役割を開始する。人の心をなごめ、しずめ、やわらげ慰撫する。
*
この体験なくして、どうして「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」にたどり着けるだろうか。
ステレオサウンド 80号での「フィガロの結婚」の試聴でのESL63Proのセッティングは、
通常の試聴におけるセッティングとは異り、フィリップスの録音チームがやっているのと同じようにしている。
ESL63Proの中心が聴き手の耳の高さと合せるためにまず通常よりも高いスタンドを用意し、
さらにここがもっとも特徴的なのだが、スピーカーを110度ほどに、思いっきり振っている。
実際の配置の詳細は80号の476ページに写真と図が掲載されているので、そちらを参照してほしい。
こういうセッティングとすることで、低音の音圧感は減るものの、
このセッティングならではの音場感が浮び上ってくる。
黒田先生はこう語られている。
*
よく音がこちらにくるという表現を使いますが、このスピーカーの配置で聴くと、音は、絶対にこちらにきません。幹スピーカーの右端と左スピーカーの左端の線のむこう側に音場があって、むこう側で終わっている感じがするから、いちいち首をつっこんで、あすこにおまえがいるというふうに聴いてしまう聴こえかたなんですね。音を大きくすると、それがあまってくる。この中で形成する音量で、音場があったところを確かめるという聴こえかたですね。今度はオペラではなくて、楽器は動いたりしないから、よけいにそれが鮮明にでた。
*
この発言で「オペラではなくて」は、「フィガロの結婚」を聴いた後で、
同じフィリップス録音の、ハイティンク指揮アルプス交響曲を聴いてのものであるからだ。
この時の試聴は、個人的に興味深く、いまでも憶えている。
黒田先生の「この中で形成する音量で」の発言にもあるように、
ヨーロッパのクラシック・レーベルの録音モニター時の音量は、
日本で想像されているよりもずっと低い、ということを、
このときのESL63Proの独特のセッティングと、そこでの音量が如実に語っていた。
QUADのESL63は、その後ESL63Proという、いわば録音モニター用のモデルも出している。
ESL63は早い時期からフィリップスの録音エンジニアたちモニタースピーカーとしてつかわれていて、
そのときから高域のリニアリティを少しでもよくするためにネットを外していたのが、
QUADがフィリップスの録音チームの、そういう要望をきき、
ESL63のパンチングメタルの孔を大きくしている。
その他保護回路の働き(設定)が通常モデルとは異る。
ESL63Proが出る、ときいて、それでも少し期待していた。
もっとも冷静に考えれば、型番の末尾にProとつくのだから、
ESLのしっとり感を、このモデルに期待するのは無理だというのは聴く前からわかってはいた。
それでも、もしかするという、わずかな希望をもっていた……。
ESL63ProはESL63のシックな外観から、いかにも可搬型として使いやすいように変っていた。
音はESL63よりも、モニター的性格を聴き取ろうと思えば聴きとれるような、そういう変化だった。
このESL63Proを使って、フィリップスの最新録音を聴くという企画が、
ステレオサウンド 80号に載っている。
黒田先生、諸石幸生氏、草野次郎氏で、
ネヴィル・マリナー指揮のモーツァルトの「フィガロの結婚」を聴くというものだった。
タイトルは、
フィリップスのモニターサウンドで聴く最新録音『マリナー/フィガロの結婚』。
QUAD・ESL63が出て、そう経たないうちにステレオサウンドで働くようになったから、
意外にも早く、それも販売店の試聴室とは比較にならない、いい条件で聴くことができた。
たしかに、ステレオサウンド 61号で、
特集「ヨーロピアン・サウンドの魅力」と長島先生による「QUAD ESL-63研究」、
この二本の記事で高い評価を得ていたし、期待はふくらむだけふくらんでいた、
そして実際のESL63の音は、ステレオサウンド 61号に書かれている通りの音だった。
でも、私としては不満があった。
音がしっとりしていない、ただその一点だけがどうしても受け入れられなかった。
音がしっとりしていない、
つまり音が乾燥気味に聴こえる。
ただ、これはあくまでもESLのしっとり感と比較しての印象であって、
乾ききった音ではないのだが、
どうしてもコンデンサー型スピーカーに対して照らし合せると、
しかもそのコンデンサー型スピーカーの音イメージは旧型のESLによってつくられているから、
だからこそやっかいなのだが、
ESL63の音は立派ではあっても、しっとり感が足りないというだけで不満だった。
型番がESL63ではなく、ESL62とかESL64だったら、
そこまで不満にも思わなかった。
ESL63だから、1963年生れの私は、個人的な強烈な思い入れがあった。
その思い入れが、ほんのすこしだけ損なわれた、というだけの話であっても、
当時まだ10代だった私は、とても大きなことではあった。
QUADのESLは、マーク・レヴィンソンがHQDシステムの中核として使っていたスピーカー、
というイメージが、1970年代後半からオーディオに興味を持ち始めた私にはある。
Electro Static LoudSpeakerの頭文字をとったESLではあるが、
昔からいわれているように、loudな音は苦手とするスピーカーである。
音量はどちらかといえば控え目で繊細な表現を得意とするESLだから、
よりloudな音を要求する人は、ESLを二段スタック、さらには三段スタックの道に行く。
それに発音原理上、平面波ということ、そして3ウェイという構造もあいまって、
聴取位置はかなりシビアなスピーカーシステムでもあった。
それでも、このスピーカーシステムでしか聴けぬ音の表現があったからこそ、
ながいこと、多くの人の支持を得てきたし、
いまもドイツのQUAD Musikwiedergabe GmbHの手によって再生産されている。
オリジナルのESLが持つ、そういうところについては、
開発・設計者のピーター・ウォーカーがいちばんよくわかっていたことであろうし、
だからこそ1963年という早い時期から次期モデル開発をスタートさせたのだろう。
ESL63に関する記事がステレオサウンドが載った時、
そのころ魅かれていたロジャースのPM510とともに、
ESL63は私にとって、かなり理想に近いスピーカーシステムとなるのではないか、
そう感じていた。
音を、はやく聴きたい、と思っていた。
QUADのコンデンサー型スピーカーシステムが、ずいぶんよくなっている、ときく。
現在のラインナップは6枚パネルのESL2912と4枚パネルのESL2812がある。
個人的には放射面積の広さが増えることのメリットをとりたいので、
ESL2812よりもESL2912の方に魅力を感じる。
スピーカーとしての奥行き、横幅はどちらも同じなのだから、
背の高さが気にならなければESL2912であり、
現在日本に輸入・販売されているスピーカーシステムのなかで、
いま何を選ぶかとなると、その第一候補としてESL2912がある。
ESL2912は前作のESL2905から、細部のいくつものところが改良されている、とのこと。
そうなると原型といえるESL63と比較すると、その改良点はどれだけの数になるのだろうか。
いろいろな箇所が改良されている、ということは外観からもうかがえる。
ESL2912の音は聴いていないが、音は間違いなく良くなっている、と確信している。
ESL63が日本に登場したのは1981年。
もう30年以上前のことになる。
外観もずいぶん変っている。
QUADという会社の体制も変っている。
そんなことを考えると、ESL2912と型番がなってしまったのは当然とは理解できても、
どこかにESL63の後継機種であることを示してほしい、と思う。
「63」と数字を活かした型番に、個人的にはしてほしかった理由がある。
ESL63の「63」という数字には、
1963年から開発が始まった、という意味がこめられている。
この項のつづきを書こうとして、いま考えていることに、
素朴な音と近い音として、正直な音、というのがあって、
この正直な音を、これまで意識してこなかったけれど、ずっと求めてきた・探してきたような気がしている。
オーディオは、ある意味で虚であるからこそ。
いま聴くことができるバルトークの弦楽四重奏曲のすべてを聴いているわけではない。
自分で購入して聴いてきたもの、友人・知人のところに行ったおりにたまたま聴く機会があったもの、
レコード店にてあれこれ見てまわっているときに、たまたまかけられていたもの、
インターネット・ラジオを聴いていたら、たまたまかけられたなどによって、
いくつかの弦楽四重奏団によるバルトークを聴いてきた。
それらの中には、五味先生がもし聴かれたら、
「バルトークは精神に拷問をかけるために聴く音楽としか思えなかった」、
「気ちがいになっても、バルトークのクヮルテットがあるなら私は音楽を失わずにすみそうだ」
と思われただろうか──、そんなことをつい思ってしまう演奏もある。
そういう弦楽四重奏団によるバルトークが「歇んだとき」、
五味先生は「ホッとした」のだろうか。
どんな弦楽四重奏団による演奏であれ、
バルトークの弦楽四重奏曲が、ほかの作曲家の弦楽四重奏曲に変るわけはない。
五味先生がバルトークの弦楽四重奏曲に感じられた、いくつかのことは、
バルトークの音楽だからであるから、であり、それがジュリアード弦楽四重奏団による演奏盤であったからである。
私は、そう考えている。
アニー・フィッシャーに関する情報は、昔は少なかった。
いまではインターネットのおかげで、
私がアニー・フィッシャーをはじめて聴いた時に比べればずっと多くの情報が得られるとはいえ、
それでもほかのピアニストと比べれば、情報はそれほど多くはない。
それでもアニー・フィッシャーが素晴らしいピアニストであることにはなんら影響を与えることはないのだが、
それでもアニー・フィッシャーの人となりは、少しは知りたい気持は、いまもある。
twitterには、Botとよばれる、著名人の発言をツイートするアカウントがある。
私もそんなBotをいくつかフォローしていて、そのなかのひとつにRichterBotがある。
ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルに関するものだ。
今日ツイートされた中に、リヒテルがアニー・フィッシャーについて語っているものがあった。
*
(アニー・フィッシャーは)実に率直な人物で、私の見るところ外交辞令など一切抜きである。だから言うことが信じられる。何でも包み隠さず、こちらの目を見ながら言ってくれる。私の弾いたバッハ『フランス組曲ハ短調』とモーツァルトの『ソナタへ長調』の演奏を的確に批判したことをよく覚えている。
*
やはり、そういう人だったんだ、と思った。
1963年当時のジュリアード弦楽四重奏団と録音スタッフがそのまま2013年の現在にいたとしても、
1963年と同じ演奏をするとは思えない。
1981年の録音の方向へと、より洗練したものになるのではなかろうか。
1963年と、ジュリアード弦楽四重奏団がデジタルで三度目の録音としたときとでは、
バルトークの弦楽四重奏曲の聴かれ方も変化している。
レコードも、それほどとはいえないものの数は増えていた。
2013年の現在、バルトークの弦楽四重奏曲はいったい何組出ているのか。
HMVのサイトで検索してみると、けっこうな数があることがわかる。
1963年には現代音楽であったバルトークの弦楽四重奏曲は、
1981年には現代音楽と呼びにくくなっていたし、
2013年の現在では、現代音楽とはすでに呼べなくなっている。
もう「知らしめる」ということは必要ではなくなっている。
そんな時代の移り変りがあるから、
1963年当時のジュリアード弦楽四重奏団と録音スタッフがいまにいたとしても、
1963年と同じ演奏・録音(つまり表現)は行わない。
1963年のジュリアード弦楽四重奏団のバルトークに感じられた気魄は、
まだバルトークの弦楽四重奏曲が現代音楽であったこと、
そして知らしめると役目も担っていたからこその気魄でもあったはず。
そこに時代を、聴き手のわれわれは感じとることができる。
そして、五味先生にとって「バルトークは精神に拷問をかけるために聴く音楽としか思えなかった」ことにも、
それは影響を及ぼしている──。
10年以上前のレコード芸術の記事だったと記憶している。
ドイツ・グラモフォンのプロデューサーが語っていたことがある。
著名な演奏家による、いわゆる売れ筋の録音のときに、
同時にあまり知名度のない作曲家や新しい作曲家の作品を録音してカップリングするのは、
より多く売れる録音とひとつとして売ることで、
そのレコード(録音物)の聴き手に、知らしめるためでもある、ということだった。
そういった作曲家の、そういった作品だけを集めた録音では、
マニアックなごく一部の聴き手は買ってくれるだろうがほ、
多くの、そうでもない聴き手の耳に届くことはない。
彼らは音楽のプロフェッショナルである。
プロフェッショナルであるから、音楽を録音してそれを売ることで収入を得ている。
だが、商業的なことだけを考えて、企画をたて録音をしているわけではない。
そこには聴き手への教育的な意味合いもこめられている。
1963年のジュリアード弦楽四重奏団によるバルトークの弦楽四重奏曲の全集にも、
そういう意味合いがこめられている──、そんな気もする。
1963年にバルトークの弦楽四重奏曲がどれだけ一般的な聴き手の耳に届いていたのか、
正直わからない。
この時代のシュワンのカタログでもあれば、
バルトークの弦楽四重奏曲のレコードがどれだけ出ていたのか、それがわかるし、
おおよそのことは想像できるだろうが、この時代のシュワンのようなレコードのカタログ誌はもっていない。
ハンガリー弦楽四重奏曲による1961年の録音とジュリアード弦楽四重奏団のモノーラルの録音くらいしか、
他にどれだけあったのかを、私は知らない。
バルトーク弦楽四重奏団による録音は1966年ごろ、
タートライ弦楽四重奏団は年代がはっきりしないが60年代半ばごろだ。