「はだしのゲン」(その7)
1963年当時のジュリアード弦楽四重奏団と録音スタッフがそのまま2013年の現在にいたとしても、
1963年と同じ演奏をするとは思えない。
1981年の録音の方向へと、より洗練したものになるのではなかろうか。
1963年と、ジュリアード弦楽四重奏団がデジタルで三度目の録音としたときとでは、
バルトークの弦楽四重奏曲の聴かれ方も変化している。
レコードも、それほどとはいえないものの数は増えていた。
2013年の現在、バルトークの弦楽四重奏曲はいったい何組出ているのか。
HMVのサイトで検索してみると、けっこうな数があることがわかる。
1963年には現代音楽であったバルトークの弦楽四重奏曲は、
1981年には現代音楽と呼びにくくなっていたし、
2013年の現在では、現代音楽とはすでに呼べなくなっている。
もう「知らしめる」ということは必要ではなくなっている。
そんな時代の移り変りがあるから、
1963年当時のジュリアード弦楽四重奏団と録音スタッフがいまにいたとしても、
1963年と同じ演奏・録音(つまり表現)は行わない。
1963年のジュリアード弦楽四重奏団のバルトークに感じられた気魄は、
まだバルトークの弦楽四重奏曲が現代音楽であったこと、
そして知らしめると役目も担っていたからこその気魄でもあったはず。
そこに時代を、聴き手のわれわれは感じとることができる。
そして、五味先生にとって「バルトークは精神に拷問をかけるために聴く音楽としか思えなかった」ことにも、
それは影響を及ぼしている──。