「はだしのゲン」(その9)
「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」
五味先生の言葉だ。
これを「五味オーディオ教室」で読んだ。
それ以来、「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」は私にとって、
オーディオについて迷ったとき、これを思い出すようにしている。
五味先生は、バルトークの弦楽四重奏曲を聴かれたからこそ、
この「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」という真理にたどり着かれたのではないのか。
私の勝手な想像でしかないのだが、
あるひとつのきっかけ、出来事でこの「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」にたどり着かれたとは思えない。
いくつかのことから、ここにたどり着かれたのだとおもう。
そのひとつが、ジュリアード弦楽四重奏団によるバルトークの演奏盤での体験だったはずだ。
この項の(その4)で引用したところから、一部くり返す。
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バルトークに限って、その音楽が歇んだとき、音のない沈黙というものがどれほど大きな慰藉をもたらすものかを教えてくれた。音楽の鳴っていない方が甘美な、そういう無音をバルトークは教えてくれたのである。他と異なって、すなわちバルトークの音楽はその楽曲の歇んだとき、初めて音楽本来の役割を開始する。人の心をなごめ、しずめ、やわらげ慰撫する。
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この体験なくして、どうして「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」にたどり着けるだろうか。