オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その8)
これまで書いてきたことを読まれた方の中には、
私が、そのベテラン筆者に対して怒っている、と誤解、勘違いされている方もいるような気がする。
くどくなるのはわかっていても書いておくと、
そのベテラン筆者を批判したり、怒っているというわけではない。
それはもちろん、もう少し注意をはらってほしかった、という気持はある。
けれど、私の怒り(というよりもやや失望に近い)は、編集部に対してのものであることを、
もう一度はっきりさせておく。
今回のことは防げたことである。
それは難しいことでもなんでもない。
編集部が編集部として機能していれば、防げて当然のことが、
そのまま活字になってしまったことに対して、私は書いている。
誰にでも勘違いはある。
私も毎日ブログを書いていると、いくつかは勘違いがあり、
コメント欄で指摘をもらって訂正したことがある。
なぜ勘違いが起るのか、その発生のメカニズムが完全にわかればいいけれど、
勘違いが発生する理由は、その時によってさまざまである。
筆者の勘違いが編集部が編集部として機能していないから、活字になってしまう。
誰かひとりでよかった、そのひとりが気づいて筆者にすぐさま連絡していれば、
筆者も自分の勘違いに気づき、原稿を訂正する。
こういう地味で細かなことを筆者との関係において重ねていくことが大事だということに、
その関係が生むものに気づいていれば、
原稿を受けとったとき、最初に原稿を読むときの姿勢に変化があらわれる。