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Date: 1月 27th, 2014
Cate: 広告

広告の変遷(を見ていく・その5)

オーディオに関する年表は、いままでなかったわけではない。
オーディオ雑誌が、あるメーカー(ブランド)の特集記事をつくるとき、
そのメーカー(ブランド)の年表が掲載されることはよくある。

ステレオサウンド別冊の「世界のオーディオ」シリーズでも、年表がつくられ載っている。
それにオーディオ全体の歴史についての年表もある。

とはいえ、それらのいくつもつくられてきた年表をひとつにまとめたものはなかった。
そういう年表をつくってみたいと思っているものの、
それだけの年表をひとりでつくる時間が、あるといえばあるのかもしれないけれど、
ないといえばないともいえる。

そういう年表をつくるのもいいけれど、
いままでつくられたことのない年表を、the Review (in the past)の作業を行ないながら、
つくれるんじゃないか、と思えるようになってきた。

スイングジャーナルは1970年代を中心に約10年分、
1980年代のオーディオ雑誌はいくつかある。
これだけではオーディオの歴史すべてを網羅することはできないのはわかっている。

それでもいまあるオーディオ雑誌の広告をスキャンして公開していけば、
年表の土台をつくることはできる。

Date: 1月 26th, 2014
Cate: 広告

広告の変遷(を見ていく・その4)

the Review (in the past)は2009年6月に始めた。
始めたころは、いまとは違い、公開した日付をそのままにしていた。
手元にあるステレオサウンドから入力していったから、年代順になっていたわけではなかった。

これが一般の本であれば、年代順に並べる手間をかけるけれど、
ブログでは検索が簡単に行えるから、
それに掲載雑誌の号数は表示していたから、年代順に並べる必要性を感じていなかった。

しばらくそのままで更新を続けていた。
入力した記事が3000本をこえたころから、
やっぱり年代順に並べ替えようと思うようになっていた。

つまりその記事が掲載されたオーディオ雑誌の発売日を、公開の日付にしようと思ったわけだ。
とはいえ、すべてけっこうな数の入力を終えていて、
ひとつひとつの記事の日付を手作業で変更していかなければならない。

めんどうだな、と思いながら、少しずつ変更していっていた。
実際、めんどうだった。

それでも日付を変更して、少しずつ記事が年代順に並んでいくと、
ブログ全体がオーディオの年表になりつつあることを感じはじめていたから、
いくつかの年代(日時)がはっきりしない記事を残して、すべて変更し終えた。

こうなると、ますます年表としてのブログのありかたを考えるようにもなっていた。
どうしようかなと考えていたところに、
ある人からスイングジャーナルを始めとするオーディオ雑誌が届いた。

だからスキャンを始めた。

Date: 1月 25th, 2014
Cate: 広告

広告の変遷(を見ていく・その3)

2012年が終ろうとしているときから、スキャン作業を始めた。
本をバラしてスキャンするページだけを残して、残りは処分。
1ページ1ページ、スキャンしていく。

スキャンの作業は、特に頭を使うわけではない。
ホコリやスキャナーのガラス面の汚れにときどき気を使いながら、
ただ黙々とやっていくしかない。

毎日これだけのページをスキャンする、と決めてとりかかる人もいるけれど、
私はとにかくやりたいときに朝から晩までずっとスキャンする日をつくって作業を続けていた。

約一年間かけて、スイングジャーナルがほぼ10年分、
それからステレオ、別冊FM fanなどのオーディオ雑誌をふくめて、
14000ページのスキャンを終えた。

半分以上はレコード会社の広告で、残りがオーディオ関係の広告となるが、
昔は同じ広告が二号続けて掲載されることもあったりしているのと、
見開きや三つ折りの広告もあるから、それらを1ページとしてまとめてると、
何割かは減ることになる。

それにページに破れが生じている広告もあり、
最終的にレタッチがうまくいかなかい広告をどうするのかは決めていないけれど、
少なくとも2000〜3000ページ分のオーディオ関係の広告は、データとしてスキャン済みである。

Date: 1月 25th, 2014
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その65)

ごく初期のクレルのペア(コントロールアンプのPAM2とパワーアンプのKSA100)の音は、
マークレビンソンのアンプとは、ある意味対照的な音像の描き方をもっていた。

この場合のマークレビンソンとは、同時代のML7、ML6Aといった、
新しい世代のマークレビンソンのアンプのことではなく、
その前の、LNP2、JC2、ML2までのアンプのことであることをことわっておく。

クレルのペアが聴かせた、あの質感は、いま思い出せば朦朧体ともいえる描き方だったといえる。
音の輪郭線を際立たせたり強調したりすることなく、音像を形作るような音だった。

どんなモノにも、輪郭線は存在しない、といえる。
けれど絵を描くとき、輪郭線に頼ってしまうし、
音だけのオーディオの世界においても音の輪郭線は、重要な要素である。

マークレビンソンのアンプは、輪郭線の描き方に特徴があった。
その特徴ある輪郭線に魅了される人は多かったし、私もそのひとりだった。

だからクレルのごく初期のペアは、マークレビンソンのアンプと対照的だといえるし、
また別の意味で、GASのペア(コントロールアンプのThaedraとパワーアンプのAmpzilla)とも対照的である。

GASのアンプも、朦朧体の音のアンプとして、もっとも早い時期に登場したといえる。
その意味ではクレルも同じことになるわけだが、
GASが男性的であるのに対し、
あの時期のクレルのペアは、あきらかに女性的といえる音の魅力があったからだ。

Date: 1月 24th, 2014
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その11)

五味先生の本を読んだのか、と問えば、ほぼ間違いなく、読んだ、と返ってくるはず。
そこで、ただ読んだだけなのでは? と問えば、感動した、と返ってくるであろう。

だが感動とは、フルトヴェングラーの言葉が真理であるとすれば、
感動とは人と人の間にあるものであり、
同じ五味先生の本を読んでも、五味先生)(の本)と私の間にあるもの、
五味先生(の本)と別の人の間にあるものが、同じとは限らない。

同じところもあるだろうし、まったく違う感動なのかもしれない。
けれど、どう違っているのかははっきりとしない。

私と同じである必要はまったくない。
けれど、五味先生の本を読んで感動した、感銘を受けた──、
それがどの程度なのかは、「オーディスト」という言葉を誌面に載せてしまったあと、
ステレオサウンド編集部がどうしたのか(なにをしなかったのか)が、はっきりと語っている。

「オーディスト」は、ステレオサウンドに載せるべきではなかった。
けれど間違って載せてしまった。防ぐことはできたけれども、である。

その間違いそのものをいまさら否定しているわけではない。
その後のステレオサウンド編集部が、「オーディスト」を載せてしまったことに対し、黙りつづけていることに、
ステレオサウンド創刊から受け継がれてきた精神的支柱が喪失してしまっていることを指摘しているのである。

Date: 1月 24th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その19)

SQ301は、もしかすると上原晋氏のデザインなのかもしれない、と思ったこともある。

1983年にラックスはアルティメイト(ultimate)シリーズの管球式アンプを、三機種発表した。
コントロールアンプのCL36u、パワーアンプのMB88u、プリメインアンプのLX38uであり、
LX38とCL36のフロントパネルは、SQ301から続いているデザインである。

そしてこのアルティメイト・シリーズの型番の末尾につけられた「u」は、
アルティメイトの頭文字であるとともに、このシリーズをひとりで担当された上原氏の「u」とみることもできる。

このアルティメイト・シリーズに関する記事は、
ステレオサウンド 65号に永井潤氏が、66号に柳沢功力氏が書かれている。

上原氏のデザインの可能性もある。
それを確かめるために、65号をひっぱりだしてみると、
上原氏のデザイナーとしてのデビュー作はSQ505とある。

SQ505は1968年の新製品で、
この年、大阪デザインハウスの最優秀デザイン賞を受けている。

SQ301はそれ以前に登場しているから、上原氏のデザインでないことは確かである。

SQ505はステレオサウンド 8号のアンプ特集でとりあげられている。
SQ505のデザインについて、瀬川先生は次のように書かれている。
     *
ツマミの配置は、意匠的にも人間工学的にも優れたものだ。ただし、ボリュームと同軸のバランスのツマミは、もう少し形を整えないと、ボリュームの操作にともなって一緒に廻ってしまい、具合が悪かった。ロータリ・スイッチの手ざわりが、もう少し柔らかくなれば申し分ないと思う。
     *
一部注文をつけられているが、デザインに関しては優れたものと認められている。

Date: 1月 24th, 2014
Cate: 広告

広告の変遷(を見ていく・その2)

私だって、できることなら本はバラしたくない。
けれどきれいにスキャンするためには、1ページ1ページを一枚の紙の状態にするしかない。

バラバラにした本は、基本的には戻せない。
スキャンしたあとのスイングジャーナルは処分するしかない。

最初はレコード会社の広告だけをスキャンするつもりだった。
だけど、バラしてしまったスイングジャーナルをレコード会社の広告だけで処分してしまうのは、
すこしもったいないな、と感じて、ついでだからとオーディオ関係の広告もスキャンしておこう──、
そう思った。

そこまでやるのなら、すべてスキャンしたら、ということになるけれど、
そこまでの時間を、スキャンのためだけには費やせない。
それにスキャンしたからといって、ほとんどそのまま公開できるページもあれば、
本そのものが古すぎるため、紙が変色していたりやぶれているページもあったりで、
多少なりともレタッチが必要となるページもある。

そして1ページだけの広告であればまだいいけれど、見開きの広告はひとつに合成しなければならないし、
三つ折りの広告もあり、一回のスキャンではデータとして取りこめない。

とにかくスキャンした後の作業が待っている、それもけっこうな時間を必要とするであろう作業が。

だからレコード会社と、オーディオ関係(国内メーカーと輸入商社)だけに絞った。

Date: 1月 23rd, 2014
Cate: 広告

広告の変遷(を見ていく・その1)

広告は興味深い。
ことオーディオの広告だけに話を絞っても、まとめて大量の広告を見ていくと、
それらの広告が掲載されていたオーディオ雑誌を発売時に買って読んでいたときには、
気がつかなかったことが目に入ることもある。

その意味で、広告は資料としての価値も高い。

私のもうひとつのブログ、the Review (in the past)は、基本的に文章だけである。

ここで公開しているオーディオ機器の多くを、
型番を見ただけで、どういうモノたったのかを思い出せる人にとっては、これだけでも充分だろうが、
そうでない人も大勢いる。

思い出せる人にとっても、写真やスペック、価格があれば、もっと鮮明に当時のことを思い出せるし、
それだけ資料的価値も増してくる。
それはわかっていたけれど、ただオーディオ機器の写真をスキャンして、スペックをまとめるのは、
必要なことではあっても作業としては面白くなく、ただしんどいだけである。

しんどいのはかまわないけれど、それだけだと長続きしないはわかっている。
もう少し違ったことがやれないだろうかと思っていた。

一昨年ある人からスイングジャーナルをほぼ10年分いただいた。
他のオーディオ雑誌もスイングジャーナルほどではないけれど一緒にはいっていた。

最初はスイングジャーナルに掲載されたレコード会社の広告をなんとか残せないものかと考えた。
とりあえず一冊スキャンしてみよう、ということで、スイングジャーナルをばらしていった。

Date: 1月 23rd, 2014
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その36)

スタインウェイ、ベーゼンドルファー、そしてヤマハのピアノについて書いていることは、
あくまでも聴き手側からのことでしかすぎない。

ピアノが達者に弾けるのであれば、また違う感じも受けるのだろうが、
ピアノを弾けるだけの腕はない。

twitterにリヒテルの言葉を集めたアカウントがある。
S.Richter_botである。

そこに、こんなリヒテルの発言があった。
     *
なぜ私がヤマハを選んだか、それはヤマハがパッシヴな楽器だからだ。私の考えるとおりの音を出してくれる。普通、ピアニストはフォルテを重視して響くピアノが良いと思っているけれど、そうじゃなくて大事なのはピアニッシモだ。ヤマハは受動的だから私の欲する音を出してくれる。
     *
これはもう、ピアニストでなければできない発言である。

ヤマハのピアノはパッシヴであり、受動的だから欲する音を出してくれる──、
たしかに、ここがスタインウェイ、ベーゼンドルファーといったピアノと決定的に違うところなのだろう。

そして、同じことは、日本のオーディオ機器の中で特に優れたモノにもいえるのではないだろうか。

Date: 1月 23rd, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その5)

何で読んだのかは忘れてしまっているが、
たしか黒田先生が、アバドの「幻想」には、
「幻想」が作曲された時代におけるベルリオーズの前衛性がはっきりと浮び上っている──、
そんなことを書かれていたことを、いま思い出している。

アバドの「幻想」のそういう面は、ミュンシュの「幻想」と比較することで、よりはっきりとしてくる。
そうなるとふたつのディスクのジャケットの違い、
アバドの「幻想」にベルリオーズが大きく描かれていることにも、
あのジャケットのデザインが優れているかどうかは別として、納得できることになる。

その意味では、アバドは、作品(曲)に対して、いくぶん距離をとる指揮者といえるところはある。

こんなことを考えていたら、そういえばアバドのディスコグラフィにワーグナーがあまりないことに気づく。

アバドは積極的にレコーディングを行なった指揮者であろうに、
またオペラも数多く振っているにも関わらず、ワーグナーはローエングリンの全曲盤の他に、
ベルリンフィルハーモニーの芸術監督の退任直前に録音したディスクがあるくらいか。

アバドにとって、ワーグナーはどうだったんだろう、と思う。

これも何で読んだのかは忘れてしまっているし、
ずいぶん以前に読んだもので、
フルトヴェングラーがミラノ・スカラ座を振った「ニーベルングの指環」を、
アバドが絶賛していたことを思い出しているところだ。

Date: 1月 22nd, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その4)

広島の「平和の鐘」の音色について、岡先生は、
「明るく澄んでいて、いかにもアバド好みでもある」と書かれている。

この一節があらわしているようにアバドの「幻想」には、
日本でも評価の高いミュンシュ/パリ管弦楽団の演奏に感じられる激情さ、熱気といったものは、
感じられない。
それだけにアバドの「幻想」は精緻であるともいえよう。

そのことはジャケットのイラストにもあらわれている。
ミュンシュ/パリ管弦楽団のイラストは、どう説明したらいいのか迷ってしまう。
「ミュンシュ 幻想」で検索すれば、ジャケットはすぐに見られるので、そちらをご覧いただきたい。

アバド/シカゴ交響楽団に使われているイラストは、ベルリオーズの胸像であり、
はっきりいえばあまりいいジャケット・デザインとは思えない。

「幻想」の名演ディスクということになれば、ミュンシュ盤を支持する人が多いかもしれない。
たしかにミュンシュ盤には凄味があり、
その凄味はアバド盤には稀薄でもあるが、録音の進歩もあいまって新鮮さがあるともいえる。

もしミュンシュ盤が、アバド盤と同程度の録音クォリティだったとしても、
試聴用ディスクとしてはアバド盤が選ばれると思う。

試聴用ディスクは同じ箇所を何度も何度もくり返し聴く。
10回、20回ではない。アバドの「幻想」に関しては、ほんとうに多かった。

これがミュンシュ盤だったら、そうとうにヘヴィーな試聴になったであろうからだ。

Date: 1月 22nd, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その3)

アバド/シカゴ交響楽団とによるマーラーの第一交響曲は、ステレオサウンドの試聴室でよく聴いた。
といっても、それはあくまでもステレオサウンド別冊Sound Connoisseurでの試聴において、であった。

他の試聴の時にアバドのマーラーの第一交響曲を使ったことはなかった。

ステレオサウンドの試聴室でもっとも多く聴いたアバドのディスクといえば、
ベルリオーズの幻想交響曲である。
1984年にドイツ・グラモフォンから出ている。

ステレオサウンド 71号の巻頭対談(菅野沖彦・山中敬三)でも、
「アバドの『幻想』をきっかけにコンサートフィデリティについて考える」と題して、
このアバドの「幻想」がとりあげられている。

同じ号の岡先生のクラシック・ベスト・レコードも、最初に取り上げられているのは、
このアバドの「幻想」である。

岡先生の原稿に詳しいが、
このアバドの「幻想」はシカゴ交響楽団の本拠地のオーケストラホールで録音されている。

シカゴ交響楽団といえば、この当時デッカでのショルティによる録音が多かったけれど、
こちらはオーケストラホールがデッドすぎるということで、
メデナテンプルやイリノイ大学のクレナートセンターを使っている。

ドイツ・グラモフォンの録音スタッフは、オーケストラホールの客席全面に板を敷きつめ、
音の反響をよくするとともに、PZM(Pressure Zone Microphone)を、
メインマイクの他にバルコニーの先端におくことで、全体のバランス、パースペクティヴを、
できるだけ自然な感じにするとともに、細部の明瞭度も保つための工夫がなされている。

そして、終楽章での鐘に、広島の「平和の鐘」が使われていることも話題になっていた。

とにかくアバドの「幻想」は、よく聴いた。いったい何度聴いたのだろうか。

Date: 1月 22nd, 2014
Cate: audio wednesday

第37回audio sharing例会のお知らせ

2月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

テーマは、このあいだ久しぶりにマークレビンソンのLNP2を聴いて思っていたこと。
あのころマークレビンソンの新製品に感じていた、というよりも期待していたこと、
それに関係することでオーディオにおけるニューウェーヴとは、どういうことなのか。
はたしてマークレビンソンはニューウェーヴだったのかどうか。

まだ決定ではありませんが、このことについて話そうと考えています。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 21st, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その2)

KAJIMOTOのサイトに「マエストロ・クラウディオ・アバドの訃報に寄せて」に、
これまでのアバドの来日公演の記録がある。

1987年にウィーンフィルハーモニーと来たアバドは、
翌88年にヨーロッパ室内管弦楽団と来ている。

このときの話を黒田先生から聞いている。
ウィーンフィルハーモニーとの公演はチケットもすぐに売切れで、当日の会場も満員だった、とのこと。
ヨーロッパ室内管弦楽団との公演においては、空席のほうが多かった、そうだ。

この話をされているとき、黒田先生の表情には怒りがあったように感じていた。

私はどちらの公演にも行っていないけれど、
黒田先生によればヨーロッパ室内管弦楽団との公演も素晴らしかったらしい。

素晴らしい、と同じ言葉で表現しても、
ウィーンフィルハーモニーとの素晴らしいとヨーロッパ室内管弦楽団との素晴らしい、とには、
共通する素晴らしさもあればそうでない素晴らしさもある。
比較するようなことではない。

その素晴らしいヨーロッパ室内管弦楽団の公演に空席が目立っていたことに、
コンサートのチケットを購入する人たちが、何を目安にしているのか。
そのことに怒りを持たれていたようだった。

いまではどうなんだろう、アバドの知名度はクラシックに関心のない人でも知っているのだろうか。
カラヤンの名前は、いわば誰でも知っている。
聴いたことがなくても、カラヤンの名前だけは知っている人はいても、
アバドとなると、当時はどうだったのか。

ウィーンフィルハーモニーの名前も、
クラシックに関心のない人にとっては、カラヤンの名前と同じなのだろう。

1980年代、そういう人たちにとってカラヤンとアバドの知名度、
ウィーンフィルハーモニーとヨーロッパ室内管弦楽団の知名度の差だけで、
チケットの売行きに差が大きく出ただけのことで、
そこでの演奏が劣っているわけではなかった。

だが現実にはヨーロッパ室内管弦楽団とアバドの公演では空席が多かった。

このことを思い出していた。
そして黒田先生なら、アバドのことをどう書かれるんだろう……、とおもっていた。

Date: 1月 21st, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その1)

昨日の午後から、facebookとtwitterに表示されていたのは、アバドが亡くなったことだった。

バーンスタインが亡くなったことをテレビのニュースで知った時、
それは膝の骨折のリハビリで通っていた病院のテレビだったのだが、ほんとうにショックだった。
バーンスタインで聴きたい(録音してほしい)曲がいくつもあった。

ジュリーニが亡くなったこともショックだった。
すでに引退していたとはいえ、喪失感は大きかった。

アバドが亡くなったことをfacebookやtwitterといったSNSで知ると、
亡くなったという事実に、フォローしている人がどう感じているのかも、一緒に知ることになる。

テレビ、ラジオ、新聞などで人の死を知ることと、ここが微妙なところで違っていると感じる。

アバド、亡くなったんだ……。
大きなショックはなかった。

アバドは多くの録音を残している。
すべてを聴いてきたわけではないし、これから先すべてを聴いていこうとは思っていないけれど、
以前書いたようにベートーヴェンの第三交響曲でのこともあるし、
ステレオサウンドの試聴室で何度も聴いたマーラーの第一交響曲が、頭に浮ぶ。

これだけではない。シカゴ交響楽団とのマーラーは、いま聴いても輝きを失っていない。
シューベルトのミサ曲は、CDを買ったばかりの菅野先生のリスニングルームで聴いている。

ポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲の再生にある時期夢中になったこともある。
ベルクの「ヴォツェック」は、それまでベームの、世評の高い演奏を聴いてもピンと来なかったけれど、
アバドの演奏(CD)で聴いて、この曲のおもしろさと美しさを感じることができた。

まだまだあるけれど、すべてを書こうとは思っていない。
これからもアバドのディスクは聴きつづけていくのが、ある。

バーンスタインの時と私にとって違うのは、
アバドに、これを録音してほしい、という個人的な思い入れがなかった、というだけである。
なぜなんだろう、とぼんやり思っていた。

それに黒田先生はなんと書かれるんだろう、ともおもっていた。