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Date: 11月 13th, 2014
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・まず大事なのは、前提はなにか)

EMTのアナログプレーヤー、930st、927st、927Dstは放送局やスタジオといった、
プロフェッショナルの現場で実際に使われてきた。
930stも927Dstもプロ用機器である。プロ用のようなモノではない。

そのEMTにはステレオ再生に関してはRIAAのみである。
ステレオLPの録音カーヴについて疑問をもっている人は、
このことについて一度考えてみてはどうだろうか。

それでもマランツのModel 7は……、という人もいるだろう。
でもModel 7もRIAA以外のカーヴを選択した時にはモノーラルになるようにしたかったかもしれない。
そう考えられないだろうか。
Model 7のイコライザーカーヴ切り替えのためのレバースイッチは、
もともと小信号用のものではなく、一般市販されていた汎用品ときいている。

ここにロータリスイッチを使っていたら、Model 7もEMTのイコライザーアンプのように、
RIAA以外のカーヴではモノーラルになるようにしのではないか、と私は思っている。

このことに関しては、私のようにステレオLPはRIAAという者には、いま書いているように受けとれるし、
いやステレオLPにもRIAA以外のカーヴがある、と疑問をもっている人にとっては、違う見方ができる材料になる。

私がRIAA以外のカーヴがあるのではないか、ということに懐疑的なのは、
カッティングマシンがどうなっていたのか、がある。
ステレオLP用のカッティングマシンに録音カーヴの切り替え機能があったのか、ということだ。
なかったとしても、レコード会社の人が独自のカーヴ用のモジュールをつくり使用することは可能である。

だからRIAAカーヴ以外のステレオLPが存在しなかった、とは断言できない。
だが存在していたとしても、それらのステレオLP(RIAAカーヴ以外のステレオLP)は、
RIAAカーヴでの再生を前提としているはずである。

Date: 11月 13th, 2014
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・まず大事なのは、把握すること)

なぜ ステレオLPの録音カーヴに対して疑問を抱く人が出てくるようになったのか。
マランツのModel 7のようにイコライザーカーヴを切り替えられるコントロールアンプが存在していたことが、
大きく関係している、と考えられる。

あるレコードがうまく鳴ってくれない、
たまたまその人が使っていたコントロールアンプが、
Model 7のようにイコライザーカーヴが切り替えられるものだった。
試しにRIAA以外のカーヴにしてみた。
RIAAカーヴよりも、いい具合に鳴ってくれた。

これはもしかするとRIAAカーヴではないんじゃないのか……、
そう思うようになっていたことから始まってきたのかもしれない。

そう思うようになってみると、なぜModel 7がイコライザーカーヴを切り替えられるようになっているのか、
そのことについて考えてみるようになる。
ソウル・B・マランツは、
LPのイコライザーカーヴがステレオ以降もRIAAに完全に統一されていないことに気がついていたんだ──、
そんなふうに関連づけていくことだってできる。

けれど果してそうなのだろうか。
Model 7はイコライザーカーヴを選べる。
それもステレオ再生においてもだ。
だがこの機能は、モノーラルLPのための機能であり、
それをステレオLP再生時にも利用できる、ということにすぎないのではないか。

同じくイコライザーカーヴを切り替えられるものに、EMTのアナログプレーヤー内蔵のアンプがある。
四種類のカーヴが切り替えられる。
DIN45 536、DIN45 53、BBC、FLATであり、
DIN45 536がRIAAと同じく75/318/3180μSのROAAカーヴだ。
あとの三種類のカーヴは、そのポジションにすればモノーラル再生となる。

Date: 11月 13th, 2014
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・まず大事なのは、疑うな)

井上先生に何度もいわれたこと、
こうやって毎日オーディオ、音、音楽のことについて書いていて深く実感するようになってきたことに、
「レコードを疑うな」がある。

井上先生は、このことを何度もくり返された。
それは井上先生自身が、強く実感されていたからなのかもしれない、と最近思うようになってきている。

「レコードは神さまだ、その神さまを疑ってはいけない」
これは何もレコードを神聖化しろ、ということではない。

初めて聴くようなマイナーレーベルのレコードは例外があるかもしれないが、
少なくともメジャーレーベルのレコードに関しては、そのレコードを疑うべきではない、ということになる。

これに関係しているのは、「スピーカーが悪いのではない、鳴らし方・使い方が悪いんだ」がある。
これも出来の悪すぎるスピーカーは例外として存在しても、大半のスピーカーの場合、
スピーカーに非があるよりも使い手側に非があることが圧倒的に多い。

オーディオはさまざまな要素が絡んでいる。だからこそレコードは疑うべきではないともいえる。
レコードを疑ってしまえば、オーディオは基準とでもいおうか、
なにひとつ確かなものがないともいえるからだ。

だから私はステレオLPになってからの録音カーヴはRIAAであり、
ほかのカーヴが使われたとは思っていない。

ただ世の中には例外はある。
ごく一部のレコードで、ステレオ以降もRIAAカーヴではないものが存在していなかった、とは断言できない。
それでもはっきりといえるのは、そういうレコードであってもRIAAカーヴで再生するものである、ということだ。

Date: 11月 12th, 2014
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・まず大事なのは)

1953年6月にRIAAカーヴが制定されている。
1954年から1956年にかけてRIAAに統一されている。

RIAAカーブはRCAが1952年9月から使いはじめたニュー・オーソフォニックのカーヴとまったく同一である。
つまりRCAのLPに限っては1952年9月以降はRIAAと考えていい。

このあたりの事情については岡先生が「マイクログルーヴからデジタルへ」で書かれている。
     *
 アメリカで、RCAを別として逸早くRIAAに切換えたレーベルとしてはエンジェル、アトランティック、EMS、MGMなどで、コロムビア、エピック、ヴォックスは一九五四年二月からと、かなり早く転換した。ロンドンはLL八四七以降がRIAAになっているから、これも五四年はじめ頃からである。そのあとを追って、マーキュリー、キャピトル、バルトーク、ウェストミンスター、ヴァンガードも五四年後半から五五年中にかけてRIAAに切換えている。アメリカのレコードで一九五六年以降に出たものの録音特性は、特別なものを除いては、RIAAになっていると考えてほぼ間違いはないと、おもう。
 このふるいLPの録音特性のことで、はっきりしないのはヨーロッパのレコードである。英デッカのはあまりにも有名だから問題ないとして、ほかのレーベルでは、EMI(HMV、英コロムビア)は米コロムビアと同一のカーヴで録音されていたことぐらいで、DGGやテレフンケン、フランスの各社などはデータがわからない。しかし、RIAAの録音特性はすぐにCCIRやEIAでも承認されているので早い機会にこのカーヴになったものと考えられる。五〇年代前半のヨーロッバのLPは日本で入手できる機会はほとんどなかった。日本プレスのLPも、ごく初期にコロムビアがアメリカからメタル・マザーを取り寄せてプレスしていたものを除いては、RIAA特性になっているはずである。
     *
少なくともステレオLPはRIAA以外のカーヴはない。
にも関わらず、RIAAカーヴ制定後に発売されたLPについて、
その録音カーヴはRIAAではない、という人が、今も昔もいる。

確かにRIAAが制定される以前はレコード会社によって録音カーヴが違っていたのは事実である。
だからといってステレオLPにおいてもカーヴが違う、と考えるのはどうか、と前々から思っていた。

それでも個人で、アナログディスク再生をする際に、
1956年以降のLPでRIAAカーヴのものであっても、他のカーヴのほうが結果として好ましいことはあるだろう。
だからといって、そのレコードの録音カーヴがRIAAではない、ということにはならない。

それに常識として、カッティング時にもカッティング・エンジニアがイコライザーで周波数特性をいじっている。
この場合、RIAAカーヴでカッティングしても、
パラメトリックイコライザー、もしくはグラフィックイコライザーを使うわけだから、
トータルのカーヴとRIAAと少しずれてしまう。
その可能性を無視して、RIAAではない、というのはどうだろうか。

それにもうひとついいたいことは、RIAAかどうかを判断する再生装置の音のことである。

何かを測る時に定規が直線ではなく、曲っていたらどうなるか。
つまり再生装置の音のバランスがきちんと整えられているのであればいい。
けれどそうでなければ、多少なりとも曲った定規ということになる。

その曲った定規で、RIAAカーヴなのかどうかがわかるのか、ということである。
定規(基準)が直線なのか、
ここを曖昧にしたままでの録音カーヴ議論はいつまでも結論が出ない。

それが楽しい、というのであれば、別なのだが……。

Date: 11月 12th, 2014
Cate: audio wednesday

第47回audio sharing例会のお知らせ(気になる新製品)

12月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

今年も数多くの新製品が登場し、消えていった製品もある。
オーディオとは関係のない仕事をしているから、すべてを聴くことはできないし、
聴けたのはほんのわずかである。
それでも気になっている新製品はある。

今回は年末ということで、
2014年をふり返って気になっている新製品を中心に、新製品をテーマにしたいと考えている。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その3)

垂れ流しという言葉がある。穢い言葉である。
あえて意味を書く必要はないだろうが、いちおう書いておく。

大小便をたれ流すこと。
未処理の廃棄物などをたれ流すこと。
と辞書には書いてある。

この垂れ流しは、別項の「background…」でもふれることになるだろう。
BGM(Background Music)も、BGMとしてかける曲を選び、かける音量も設定した場合と、
ただ鳴っていればいい、鳴っていないといらいらする、とにかく常時音楽(音)が鳴っていなければ気がすまない、
そんな人が一日中鳴らしているのも、またBGMであり、
同じBGMという言葉でも、後者はあきらかに垂れ流し的なBGMがあるのではないか。

そんなBGMの垂れ流し(レコードはかけるものだから、かけ流しかもしれない)をしている人も、
最初のころはかける曲も音量も選んでいたであろう。
それがいつしか鳴っていればいい、ということになっていく。

そんなことを考えている。

ずっと以前、街中のBGMが煩いと話題(問題)になったことがある。
そのころからすれば、いまはよくなったといえるだろうか。
それでもBGMは、いろんなところで流れている。

なぜBGMは流されるのか。
なんらかの目的があってのことなのか。
そして、いま情報がBGM化しつつある、といえないだろうか。
情報の垂れ流しといえることが起りつつあるのではないか。

Date: 11月 11th, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・その6)

8Kをみて、今日までに数人に「8Kはすごい」という話をした。
きまって返ってくるのは「4Kで十分でしょう」といったものだった。

私が話をした人の中に、ホームシアターを趣味としている人はいなかった。
そのせいもあるだろうが、立場が反対で、もし私が「8Kはすごいよ」といわれたら、
やっぱり「4Kで十分でしょう」と答えている、と思う。

でも、私は8Kを観ている。
だから4Kを欲しいとは思わないけれど、8Kは本気で欲しい、と思っている。

けれど、それだけでは8Kのすごさを伝えるのは、
とくにホームシアターを趣味としていない人、8Kを観る以前の私のような人に対して、
どう伝えたらいいのか、と考えていた。

まず少し冷静に8Kの何が、4K以前と比べて格段に優れているのかを考えてみた。
とはいうものの、私が8Kを体験したのはオーディオ・ホームシアター展での一回のみで、
すごい、すごい、とやや昂奮気味に観ていたのだから、冷静に考えること自体が無理なのはわかっている。
それに映像に関しての専門知識も乏しい。

それでも、おそらく階調表現が4K以前よりも圧倒的に優れているのではないか、と思っている。
階調表現が8Kのレベルに達して、人はそれまでの映像とはあきらかに違うと認識しているような気がする。

Date: 11月 11th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その9)

JBLのユニットが、まずコーン型ユニットからアルニコからフェライトに変更されはじめたのは1980年。
この時4343BWXは一本610000円。
1976年に登場した時の730000円よりは円高のおかげで安くなっていたとはいえ、
スピーカーは二本買わなければならないから、100万円をこえる金額は、
まだ高校生だった私には、どうこうできる金額ではなかった。

4343を買おうとは決めていた。
決めていたけれど、それはあくまでも数年後。
いまアルニコからフェライトの4343Bになるのはしかたないけれど、
もし4343Bよりもアルニコの4343の方がいい、ということになったら、
数年後にはアルニコの4343が新品では手に入らなくなる。

数年後に買える4343はフェライトの4343Bでしかないわけだから、
4343と4343Bの音の違いは、ほかのどんな新製品よりも気になっていた。

ステレオサウンド 54号での特集では、黒田先生、すかの先生、瀬川先生の試聴記が、
新製品紹介のページでは、井上先生、山中先生の対談が、
つまり五人の評価が読めた。

新製品紹介のページでは、先ず山中先生が、中低域のレベルが聴感上で豊かになっている、と指摘されている。
このことは瀬川先生も指摘されている。
     *
ミッドバスの領域では明らかに改善の効果が聴きとれ、歪が減ってすっきりと滑らかで透明感が増して、音像の輪郭がいっそうクリアーになったと思う。
     *
そのこともあって、4343Bの方が、旧型よりも「音のつながりがなめらかだし、ふっくらしている」とある。
同じことを黒田先生も試聴記に書かれている。
     *
旧タイプの音に多少のつめたさを感じていた人は、このスピーカーの音の、旧タイプのそれに比べればあきらかにふっくらとした音にひかれるにちがいない。旧タイプとの一対一比較で試聴したが、その結果、旧タイプの音にいささかの暗さがあったということを認めざるをえなくなる。
     *
ここにも「ふっくら」という表現が出ている。
これらを何度も読みなおして、少しほっとしたことを憶えている。

Date: 11月 11th, 2014
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(Good Reproduction・その1)

High Fidelity ReproductionとGood Reproduction、
高忠実度再生と心地よい再生、
では、グッドリプロダクションに分類されるスピーカーシステムは、ハイ・フィデリティではないのか。

決してそんなことはない。
ハイ・フィデリティ指向のスピーカーであれ、グッドリプロダクションのスピーカーであれ、
いいスピーカーであれば、どちらも充分にハイ・フィデリティと呼べるクォリティを持っている。

ならば、ハイ・フィデリティとグッドリプロダクションの違いは、どこにあるのか、
どんな理由によってわけるのか。

そのスピーカーのブランドでわけるのか、
スピーカーの形式でわけるのか、
スピーカーに投入された物量でわけるのか、
それとも価格でわけるのか。

結局は音、ということになるわけだが、
ではどういう音がグッドリプロダクションなのか
グッドリプロダクションでなければ、ハイ・フィデリティ指向ということになるのか。

グッドリプロダクション(心地よい音)といっても、
万人に共通した心地よい音は存在するのか。
あるひとりの人物に対してでも、クラシックを聴く時とジャズを聴く時、ロックを聴く時、
すべてにグッドリプロダクションでありうる音はあるのか。

グッドリプロダクションにははっきりとした定義はあるのようでないような、
そんな曖昧さが残ったまま、語られているところがある。

では何をもってわけるのか。
ハイ・フィデリティ指向はHigh Fidelityに留まらないものだと捉えている。
High Fidelityの上、つまりHigher Fidelity、
さらにはHighest Fidelityであろうとしているスピーカーはハイ・フィデリティ指向であり、
充分にハイ・フィデリティでありながらもHigher Fidelityではない、
こういうスピーカーこそがグッドリプロダクションと呼べるのではないか。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その35)

菅野先生から何度かきいたことのひとつに、
マスターテープの音よりもレコード(アナログディスク)の音がいい、ということがある。

一般的というべきか、オーディオマニアの多くがマスターテープこそが最上であり、
最高の音が聴けるものという、いわば幻想を抱いているけれど、決してそうじゃない、
と菅野先生は強調されていた。

この話をしても、なかなか信じてもらえなかったり、反論がある場合もある。
そうなってしまうのは、マスターテープこそが絶対的存在として認識されているからではないのか。

そしてマスターテープの音こそが絶対的基準となっているようにも感じてしまう。
それがいつしか最高の音となっていくのではないか。

菅野先生はいうまでもなくオーディオ評論だけでなく、録音、レコード制作も仕事とされていた。
自身のレコード会社であるオーディオラボだけでなく、他のレコード会社でも録音を残されている。

いくつものマスターテープの音を聴き、
そのマスターテープからつくられたレコードの音も聴かれてきた経験から、
マスターテープの音よりもレコードの音がいい、といわれていることを、思い出してほしい。

そしてもうひとつ大事なことは、それはレコード(アナログディスク)である、ということだ。
プログラムソースとしてディスクだからのことであり、
これがテープであればダビングによって複製がつくられていく。
それであればマスターテープの音こそが……、というのはもっともなことである。

だが話はあくまでもレコード(アナログディスク)である。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: オーディオのプロフェッショナル

こんなスピーカーもあった(その4)

あるオーディオ・ブランドの主宰者に、こんな人がいる。

自分は誰からも教わっていない。
オーディオの参考書も見ていない。
すべての答を自分で見つけた。

たいへんな自信家である。
他にもまだあるけれど、書いていくのもアホらしいのでこのへんにしておくが、
とにかく、この人はまわりから「すごいですね」といわれたくてたまらないように私の目に映る。

だがオーディオの参考書というものが、この世にあるのだろうか。
あったら是非とも読んでみたい。
私は、オーディオの参考書などというものは存在していない、と考えている。

にも関わらず、彼はオーディオの参考書を読んで答を知るなんてことはやっていない、とここでも自慢げにいう。
参考書なんてものはないのだから、答は自分でみつけるのはあたりまえのことであり、
それをことさら強調するところに、小規模の会社でモノをつくり売っていくことの難しさ、
ひとり何役もやっていかなければならないのだから、
そうなっていくのもしかたないのかも……、とは思うけれど、みっともない行為でしかない。

この人は、だから、自分のブランドの製品はすべて自分が考えたものだと強調する。
そして、こうも言っていた。
いま彼がやっていることと同じことを、昔の人がやっていたとしても、
そんなことは自分はまったく知らないのだから、これは自分のオリジナルの技術だ、と。

彼がアマチュアとして、アンプやD/Aコンバーターを作っているのであれば、ここでこんなことを書く必要はない。
だが、彼はプロフェッショナルとしてオーディオ機器を作り売っている。

彼は技術者として、前例があったのかどうかを調べもしない。
この項の(その3)で書いたテクニクスの技術者とは雲泥の差である。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その4)

鏡に映す、ということで思い出すのは、以前小林悟朗さんが話してくださったことだ。
なぜ、女性にオーディオマニアが極端に少ないのか、という話題だった。

音楽好きの女性は少なくない。
なのにオーディオに凝っている人となると、極端に少なくなってしまう。

小林悟朗さんは、女性は毎日鏡を見る。その時間も男性よりもずっと長い。
つまり小林悟朗さんは、オーディオから鳴ってくる音を鏡として捉えられていて、
オーディオマニアにとって音を良くしていく行為は、
鏡を見て化粧することで、女性が自分自身を美しくしていく行為に近いのではないか。

だとしたら、毎日長い時間鏡の前にいる女性には、もうひとつの鏡であるオーディオは必要としないのではないか。
そんな趣旨のことを話された。

この論でいけば、若い世代にオーディオマニアが少なくなっていることも説明できなくはない。
男性でも若い世代ほど鏡を見ている時間は長い傾向にある。
ならば、そういう男性が増えてくること、一般化してくることは、
男性のオーディオマニアももう増えてくることはないことになる。

完全には同意できないにしても、なるほど、と思っていた。
一理あるかもしれない。

うつ・す、という字をあてはめてオーディオ(録音から再生まで)を捉えてみれば、
小林悟朗さんの話は、なにかのきっかけになる気がしている。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その8)

改良型の新製品として、私にとって最初に気になったのは、AU-D907Fだった。
何度か書いているようにAU-D907 Limitedを買っていた。

AU-D907FはAU-D907の改良型にあたる。
AU-D907 Limitedの直接の改良型とはいえないけれど、
AU-D907 LimitedはAU-D907がベースになっているのだから、どうしても気になる。

どちらが上なのか。
そんなことを思いながらオーディオ雑誌を、高校生のころは読んでいた。
ただ製品のもつ重みということではAU-D907 Limitedてのだが、
最新技術のスーパーフィードフォワードがなんとかAU-D907 Limitedに搭載できないものか、と、
サンスイに手紙(いまならメールだろうが)を書いたこともある。

返事が来るとは思っていなかった。
でもある日、丁寧な文面の手紙が届いた。
この手紙ですっぱりとAU-D907Fのことは気にならなくなった。

改良型の新製品が気になったのは、他にもある。
いちばん気になったのは4343Bであり、4345、4344だった。

4343を使っていたわけではない。
それでも非常に気になっていた。

ミッドバス(2121)とウーファー(2231A)がフェライトマグネットの2121Hと2231Hに変更された4343B。
ステレオサウンドには54号の特集と新製品紹介ページの両方に登場している。

なぜ所有していないオーディオ機器の改良型が気になったのか。
それは買えなかったからであり、目標でもあったからだ。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その11)

私が自分のモノとしたテクニクスのオーディオ機器はふたつある。
ひとつはSB-F01。
アルミダイキャストのエンクロージュア(といっても手のひらにのるサイズ)に、
ヘッドフォンのユニットを搭載したような小型スピーカーだ。

アンプのスピーカー端子でも鳴るし、ヘッドフォン端子に接いでも鳴る。
ペアで15000円だった。

サブスピーカーとして高校生の時に購入した。
ロジャースのLS3/5Aは高くて買えなかったから、というのもSB-F01を購入した理由のひとつである。
いまも実家にあるはずだし、手元にも1ペアある。
瀬川先生が所有されていたSB-F01である。

このSB-F01で、中目黒のマンションで深夜ひっそりとした音量で聴かれていたのだろうか。
はっきりとしたことはわからないが、瀬川先生がSB-F01をお持ちだったことが意外だったし、嬉しくもあった。

もうひとつのテクニクス製品はSL10である。
LPジャケットサイズのアナログプレーヤーである。
ダイレクトドライヴ開発10周年を記念して開発された製品だから、型番に10がついている。

このふたつのテクニクス製品に共通していえることは、小型ということ。
もともとテクニクスというブランドは、Technics1という小型スピーカーからスタートしている。
だからというわけでもないが、他のメーカーよりも小型の機器をうまくつくるところがある。

SL10がまさにそうだし、コンサイスコンポもそうだった。
それにSB7000の小型版、SB007もある。
その一方で非常に大型のアンプ、スピーカーシステムも手がけている。

小型のモノと大型のモノ。
テクニクスの製品に限っていえば、小型のモノには遊び心があるように感じている。
その遊び心に気づいたから、SB-F01とSL10を買ったのかもしれない。

遊び心。
辞書にこうある。
 ①遊びたがる気持ち
 ②まじめ一方でなく、ゆとりやしゃれ気のある気持ち
 ③音楽をたしなむ心

③の意味があるのは、意外だった。

遊び心という、自分自身が愉しむという気持、
これが使い手(買い手)に伝わる。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その3)

川崎先生のブログは毎日午前0時に更新される。
それとは別に、川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design(毎日ではないが)も更新されている。

11月7日の川崎和男のデザイン金言には、こう書いてあった。
     *
私は40余年、
デザインとデコレーションの違いを
いつも語ってきたと思う。

最大の理由は、
「デザインは機能だよね」という、
この発言を苦々しく思ってきたことだ。

デザインは問題解決の、その実務であり、
性能
効能を語って、
それから
機能である。

「機能論」はギリシアの哲学論、
その時代から語られている。

最近は、簡単に機能と言ったら、
確実に、私の喧嘩相手である。
     *
デザインを付加価値と捉えている人は、何度もくり返し読んでほしい。
そして考えてもらいたい、デザインとはなにかについて。

この項の(その2)に対して、facebookでコメントがいくつかあった。
そこに、IT業界では付加価値を皮肉って負荷価値と呼んでいる、というのがあった。

負荷という負担として、デザインが重荷になっているメーカーが見受けられるようになってきた。
そういうメーカーの人たちも、川崎先生がこれまで語られてきたこと、書かれてきたことを、
しっかりと読んでもらいたい、とおもう。

そしてオーディオ雑誌の編集者にも、である。
特に川崎先生の連載「アナログとデジタルの狭間で」を、わずか五回で終りにしてしまった編集者は。