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Date: 10月 16th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その2)

今日から開催のオーディオ・ホームシアター展(音展)に行ってきた。

先月聴いたヤマハのNS5000がまた聴けるということで行ってきた。
だが残念ながらNS5000はなかった。

出かける前にヤマハのウェブサイトにあるNS5000のイベント情報で確認していた。
そこにはオーディオ・ホームシアター展(音展)の日程が書いてある。
誰だって、こう書いてあればオーディオ・ホームシアター展(音展)でNS5000が聴けると思ってしまう。
さきほどまた確認したが、やはりオーディオ・ホームシアター展(音展)のことがイベント情報で表示されている。

ヤマハのブースに入ろうとしたら、ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねている人がいた。
NS5000の音が聴けるのを楽しみにされていたのだろう。

そのやりとりを横で聴いていた私は、ヤマハのブースには入らなかった。
NS5000をオーディオ・ホームシアター展(音展)に持ってこないのは事情、理由があってのことだとしても、
それならばNS5000のイベント情報を更新しておくべきだ。

ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねていた人、私以外にもNS5000を目的で、
オーディオ・ホームシアター展(音展)に行かれる人がいると思う。
だからもう一度書いておく。

今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)では、NS5000は聴けないし見ることもできない。

Date: 10月 15th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その1)

「世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって)」で書いていきたいことを考えていると、
ガウスのことを思いだし、なぜガウスはいつの間にか話題にのぼらなくなり、消えてしまったのか、
その理由を考える。

ガウス(Gauss)はブランド名で、会社名はセテックガウス(Cetec Gauss)だった。
JBLでいくつもの実績を残したバート・ロカンシーが中心となったスピーカーメーカーである。

ガウスの登場は華々しかった。
ウェストレックスのスピーカーシステムに搭載された、ウェストレックスに認められたスピーカーユニットとして、
ガウスの名前は輝いていたといえる。

日本の輸入元はシャープだった。
当時はスピーカーシステムは開発しておらずユニットの輸入からだった。

新しいメーカーとは思えないほど、ラインナップは揃っていた。
フルレンジユニットは2841、2641、5841、1841、
トゥイーターは1502、コンプレッションドライバーはHF4000、
ホーンは4140、4075(どちらもディフレクションホーン)。

ウーファーは充実していた。
2840、5840、5640、5440、5831、5842、5642、5831F、8840、8442、8440、8842があった。

シャープもオプトニカ・ブランドでHF4000用に4110というホーンを作っていた。
この4110を使った3ウェイのスピーカーシステムを最初に出し、ガウス・オプトニカ・ブランドで展開していく。

アメリカではウェストレーク・オーディオがガウスを採用しはじめた。
それまではJBLのユニットを使っていたのがガウスに鞍替えした。
(ただしTM3は最高域だけはJBLの2420を使っていた)

日本では天然チーク材を使ったディフレクションホーンで知られていた赤坂工芸が、
ガウスのユニット搭載の3ウェイのシステムPHG8000を出した。

ガウスに勢いはあった、と感じていた。
個々のユニットの価格も重量もJBLの同口径のユニットよりも高く重かった。

高校生のころ、JBLの4343のユニットをすべてガウスに置き換えたら……、そんなこともけっこう真剣に考えていた。
ただし、ガウスのラインナップには25cm口径のユニットは1841だけで、
このユニットはフルレンジということもあってセンターキャップがアルミ製だったから、
ガウス版4343は難しいところがある。

だから物理的にユニットの置き換えが可能な4350は、どんな音を聴かせてくれるのか、
そんなことを夢想していた。

ガウスの存在は、私をわくわくさせていた。

Date: 10月 14th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その3)

オンキョーのGS1が、ステレオサウンドに初めて登場したのは71号(1984年夏)である。
71号には、GS1の広告も載っている。

それまでのオンキョーの広告、他の製品の広告とはかなり印象の違う仕上りであった。
このときのGS1の広告のキャッチコピーは、こうだった。

マーラーの「響き」を再現できるか?
ブラームスの「影法師」の漂いを再現できるか?
ベルリオーズの「幻想」表現のひだを再現できるか?

キャッチコピーが三本、つまりカラー6ページの広告だった。
ひとつの製品でカラー6ページの広告は、過去に例があっただろうか。

それに応えるわけではないのだが、GS1の記事もカラー扱いだった。
菅野先生が書かれている。

GS1がなぜ生れてきたのかについて書かれている。
     *
 オンキョーは、 もともと、スピーカー専門メーカーである。そのンキョーが今回発売した「グランセプター」は、同社の高級スピーカーシステム群「セプター・シリーズ」の旗艦として登場した。しかし、このシステムは元来商品として開発されたものではなく、研究所グループが実験的に試作を続けていたもので、それも、ごく少数の気狂い達が執念で取組んでいた仕事である。好きで好きでたまらない人間の情熱から生れるというのは、こういう製品の開発動機として理想的だと私は思う。ただ、情熱的な執念は、独断と偏見を生みがちであるから、商品としての普遍性に結びつけることが難しい。
 変換器として物理特性追求と具現化が、どこまでいっているかに再びメスを入れ、従来の理論的定説や、製造上の問題を洗い直し、今、なにが作れるか、に挑戦したオンキョーの研究開発グループの成果が、この「グランセプター」なのである。そして、その結果が音のよさとしてどう現われたか? このプロトタイプを約一年前に聴く機会を得た私は、条件さえ整えば、今までのスピーカーから聴くことのできないよさを、明瞭に感知し得るシステムであることを認識したのであった。
     *
そして、GS1の、システムとしての大きな特長と、その成果について書かれている。
そして最後にこう書かれている。
     *
 使用にあたっては、かなり厳格に条件を整えなければならない。決してイージーに使えるようなシステムではない。それだけに条件が整った時の「グランセプター」は得難い高品位の音を聴かせるのである。
 とにかく、この徹底した作り手側のマニアックな努力と精神は、それに匹敵した情熱をもつオーディオファイルに使われることを必要とし、また、そうした人とのコミュニケイションを可能にする次元の製品である。そして過去の実績を新たなる視点で洗い直して、歩を進めるという真の〝温故知新〟の技術者魂に感銘を受けた。
(全文は”the re:View (in the past)“で公開している。)
     *
GS1の、この記事は”THE BIG SOUND”である。
カラー三つ折りの記事であり、扱いとしてもっとも目立つ記事としてつくられている。

ステレオサウンドは注目の新製品をカラーページで扱う。
同じカラーページであってもページ数に違いがある。
このころのステレオサウンドはそうだった。

“THE BIG SOUND”は、注目製品の中の注目製品というわけである。
三つ折りの”THE BIG SOUND”は71号で終り、
72号からは”BIG New SOUND”となり通常のカラーページになった。

GS1は翌72号にも登場している。

Date: 10月 14th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その2)

どんなことを書いていくのか、その詳細はまだ決めていない。
それでも、オーディオ評論にも関係してくるテーマだし、ジャーナリズムということにも関係してくる。
だから、タイトルをどうしようかと迷っていた。

それでも今回の「世代とオーディオ」にしたのは、
GS1の登場が今から30年以上前のことであり、
このスピーカーシステムのことをまったく知らない若いオーディオマニアがいても不思議ではないし、
そのころからオーディオをやっていた人でも、
GS1の実物を見たことはない、音は聴いたことがないという人も少なくないと思うからだ。

聴いたことのある人でも、きちんと鳴っている音を聴いている人はわずかなはずだ。
どうしてかということについてはこれから書いていくが、
GS1は、いくつかの制約のあるスピーカーシステムでもあった。

だから、うまく鳴らすには鳴らし手にかなりの技倆が求められるし、
試聴条件も十分に気を使うことを要求するスピーカーであった。

そういうスピーカーシステム(といっても他のスピーカーにも基本的には同じことがいえる)だから、
きちんと鳴っているとは言い難いGS1の音しか聴いたことがない、という人もいるはずだ。

そんな存在であったGS1を、登場から30年以上が経ってGS1について語るということは、
それだけに配慮が語り手側には求められる。

GS1に限らない、あるオーディオ機器の開発に携わった人が、
その製品について語ってくれるのはユーザー側にとって興味ある話のはずだ。

だが気をつけなければいけないのは、その評価をめぐって開発者が語るケースである。

GS1ほどの製品ともなれば、開発者の思い入れはそうとうなものである。
だからといって、自分が開発したオーディオ機器の評価がどうであったのかを、
歪めて伝えていいものだろうか。

私のようにGS1登場を現場で見て聴いた者であれば、そこに違和感をおぼえる。
けれどGS1を見たことも聴いたこともない世代に対して、
そういう語りを作り手側がした場合、そういった世代にはなかなか検証手段もないから、
そのまま鵜呑みという危険性もある。

あのころオーディオをやっていた人でさえ、GS1の存在を忘れている人なら、
開発者の語りをそのまま信じてしまうかもしれない。

何も私がこれから書いていくことが絶対的に正しい、と主張するわけではないが、
少なくとも実際にどんな評価を得ていたのかを知ってほしいし、
その上で、どう評価するのか、GS1というスピーカーシステムの存在をどう認識するのかは、
その人の自由であり、私がとやかくいうことではない。

GS1の評価ひとつとっても、こういうことを書いていけるというのは、
こういうところにも世代による断絶(に近いもの)があるのではないのか。
だからタイトルは「世代とオーディオ」にしている。

Date: 10月 14th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その1)

facebook、twitterといったSNSをやっていると、
オーディオのことだけにかぎってみても、あることについてこう思っている、こう感じている人がいることがわかる。

だからこそさまざまな人がいる理由があるわけだし、それを多様性といいかえることもできるのかもしれない。
それでも……、とおもうことがないわけではない。

あるスピーカーシステムについてのことだ。
このスピーカーシステムについて、このことについて書こうと以前から思っていいたが、
そのスピーカーシステムが何であるのか、
その開発者であるのであるのかをふせたまま書くのか、はっきりとさせるのか。
それでためらっていた。

こうやって書き始めたのだから、はっきりと書こう。
そしてはじめにことわっておくが、個人批判や特定のスピーカー批判ということではなく、
どうして、そういうすれ違いが起ったのか、
その理由について書くことは無理かもしれないが、それでもいくつか書いておきたいことがある。

そのスピーカーシステムとは、オンキョーが1984年に発表したGrand Scepter GS1(以下GS1と略す)であり、
その開発者は由井啓之氏である。
由井氏は現在タイムドメイン・ブランドのスピーカーシステムを主宰されている。

由井氏は、GS1は海外では高く評価されたにも関わらず、
日本での評価は不当なものだったといった趣旨のことを何度か書かれている。
それを目にするたびに、そうじゃないのになぁ……、と思っていた。

私は1984年のころステレオサウンドにいた。
だから、その場にいた者の一人としてオンキョーのスピーカーシステムGS1について、
その評価がどうであったのかについて、書いておく。

GS1は、不当に評価されていたのか。
私はそうは思っていない。
ステレオサウンド誌上での評価は、かなり高いものだった。
ステレオサウンド 73号ではComponents of the years賞に選ばれているだけでなく、
さらにゴールデンサウンド賞にもなっている。

ステレオサウンドで、GS1の評価がどうであったのかは、これから詳しく書いていくし、
そのために当時のステレオサウンドを引っ張り出し、いくつかの記事を読み返したが、
私には、由井氏が「日本では不当な評価」だったとされる理由が思い当たらなかった。

Date: 10月 13th, 2015
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(小さい世界だからこそ・その2)

オーディオの世界は、世界の大きさからすれば、まさしく目の前におかれたコップ一杯の水くらいである。
けれど、そのコップ一杯の水は、渇きをいやす水でもある。

だから、その水は濁っていてはいけない。
澄んでいなければならない。

なのに、その水は知らぬ間に濁っていく。
なぜ、その水はそうなっていくのか。

そうなっていく水をどうすれば、澄んだ水に、渇きをいやせる水に戻せるのか。
もう戻せないのだろうか、たったコップ一杯の水も戻せないのか。

過去は変えられないが、過去のもつ意味は変えられる。
そのためには検証していかなければならない。

Date: 10月 13th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・番外)

少し前のことだ。
とあるオーディオ店を覗いてみた。
中古も扱っているから近くを通ったら寄ってみたくなる。

30代後半くらいにみえる店員と客との会話が耳に入ってきた。
客は店員の友人のようだった。
パソコンの画面をみながら、おおよそこんな会話をしていた。

「これ、かっこいい」
「いいでしょう」
「いい、いい、いくらくらいするの?」
「古いモノだから、けっこうボロボロでよければ四万から五万くらいからな」
「それでもいい、欲しい、かっこいいよ、これ」

ここまで聞いていて、いったいどのオーディオ機器のことなのかあれこれ考えていた。
ヒントはあった。
店員の「逆さまなんだけどね」だった。

あっ、あれかと思った。4311のことを話しているんだと気づいた。

「新しいモデル(4312)になって逆さまじゃなくなっているけどね」
「こっち(4311)がいい、かっこいい」

店員の友人である客は、話をきいているとオーディオにはさほど詳しくはなさそうである。
そういう人の心を、4311は瞬間的につかんでしまった。

4312では無理かもしれない。
多くの、4311と同価格帯、同サイズのブックシェルフ型スピーカーでも無理だと思う。

4311というJBLのスピーカーの存在を、あらためて意識した。

Date: 10月 13th, 2015
Cate: 使いこなし

スピーカー・セッティングの定石(アンテナの場合)

瀬川先生がFMチューナーのアンテナはフィーダー型を使われていたことを書いた。
だからといってアンテナをないがしろに考えられていたわけではない。

共同通信社の「オーディオABC」、新潮社の「オーディオの楽しみ」、
どちらでもFMのアンテナのことについてかなり詳しく説かれている。
どんなに高性能なチューナーをもってきても、
電波を正しくとらえることができなければ、そのチューナーの性能の高さは発揮できない。

もっとも高性能なチューナーほど、受信環境が悪くとも(アンテナが不十分であっても)、
受信能力の高さを発揮してくれるという考え方もできなくはないが……。

アンテナが重要なことはかわっていても、アンテナは他のオーディオ機器やアクセサリーなどと違い、
住宅環境が大きく影響してくる。

八素子のアンテナを建てたくとも一戸建てであればそう問題はなくとも、
共同住宅住いとなると簡単にはいかなくなる。
どれだけ電界強度が高くとも、八素子のアンテナを建ててアッテネーターを介してチューナーに接ぐ。
わざわざ減衰するくらいなら素子数を減らしたほうがいいと考える人もいるたろうが、
実際にやってみると、アッテネーターをかませた方がはっきりと音がよくなる、と昔からいわれている。

アナウンサーの声が、その差をはっきりと出してくれるそうだ。
(私がアンテナに関してはほとんど経験がないので伝聞を書くしかできない)

アンテナの重要性は経験がなくとも理解できることである。
それでも書いておきたいのは、アンテナもまた基本通りにはいかないことがある、ということ。

「オーディオの楽しみ」で瀬川先生が、そのことについて書かれている。
     *
 以前住んでいた筆者の家では、専用のFMアンテナを使わずにフィーダーアンテナで済ませていた。まさに紺屋の白袴だが、それは、住んでいた四階建てのアパートが、大きな道路からずっと引っ込んでいて自動車等の雑音の影響がほとんどないこと、筆者の家がその三階で、アンテナの位置が地上約8メートル以上あったこと、そして、家の窓から東京タワーが見えるはど、途中に障害物がはとんど無かったことなど、FM受信については非常に恵まれた環境にあったからだ。専門家の友人がこれをみて、アンテナがひどいことにびっくりしていたが、電界強度も十分とはいえないまでもまあまあ。そしてマルチパスがほとんど無いことを知ってまたびっくりした。
 マルチパス対策という点では、フィーダー・アンテナを水平に張らず、一方の端を鴨居にビョウで止めて、垂直にダラリとたれ下がった状態で使っていた。こんな使い方は、FMアンテナの教科書によれば最低で、避けなくてはいけない設置法のはずだ。しかし筆者の家では、南側約30メートルのところに六階建ての大きなマンション群が建っていて、そこからの反射を避けるためにいろいろ工夫しているうちに、常識を破った垂直設置になってしまった。
 このように、FMアンテナの設置というのは、基本を知った上であえてそれを破るような設置を研究してみると、かえって良いコンディションに調整できることが少なくない。ことに建物の入り組んだ街中では、前記のように常識外れの方法で好結果を得ることがあるので、いろいろやってみなくてはわからない。が、ともかくFMアンテナ設置の基本だけは知っておく必要がある。
     *
フィーダーアンテナしか選択肢がないからといって、何も工夫しないことだけはさけたい。
フィーダーアンテナでもあれこれやってみることで、
ときには瀬川先生のようにすいへいにではなく垂直に垂らして使うことで、いい結果がえられることもある。

フィーダーアンテナの垂直使用は、いまやっている。
いま住んでいるところは電界強度が高いとはいえない。
フィーダーアンテナでは十分とはいえないからこそ、あれあれやってみた。
垂直にすることは憶えていたから、試してみた。悪くはない、といえる。

フィーダーアンテナの垂直使用がいいとはいわない。
でも、世の中にはやってみないとわからないことがある、ということ。
そして、それでも大事なのは瀬川先生も書かれているように、
基本だけは知っておく必要がある、ということ。

基本と常識は必ずしも同じではない、ということだ。

Date: 10月 12th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その人気)

「世代とオーディオ(その14)」を書き終って、ステレオサウンド 59号をぱらぱらとめくっていた。
特集はベストバイ。
このころのベストバイはオーディオ評論家だけでなく、
読者が選ぶベストバイ・コンポーネントの集計結果が載っている。

それだけでなく投票した読者の現用機器の集計結果も掲載されている。
これを丹念にみていくと実に興味深い。

59号の発売、つまり1981年におけるパワーアンプ使用台数の一位は、QUADの405の102台、
二位がアキュフェーズのP300Xの92台、三位はパイオニア Exclusive M4(a)の85台、
四位はデンオンのPOA3000の84台、五位にAmpzillaが来ている。

Ampzillaの使用台数はAmpzilla II、Ampzilla IIAも含めて51台である。
ちなみにサンプル数は3003。Ampzillaの総数率は2.8%で、
1978年度は十六位、1979年度は八位と確実に順位をあげている。

Ampzillaより上位に来ているパワーアンプは、どれもAmpzillaと同価格帯のモデルではない。
405はAMpzillaの約1/4、アキュフェーズ、デンオン、パイオニアにしても1/2から1/3の価格であること考えると、
このころのAmpzillaの人気と実力の高さが読み取れよう。

ブランド別/現用装置対照表もある。
GASはパワーアンプ部門で53台の十一位。
Ampzillaが51台だから、あとの2台はSon of AmpzillaかGrandsonであろう。
Godzillaということは考えにくい。

Ampzillaとペアとなるコントロールアンプをみると、Thaedraは16台の二十五位。
ということはGASの純正ペアで使われるAmpzillaは1/3以下となる。
この結果は、ちょっぴり残念に思う。

Date: 10月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その14)

音は消えていってしまう。
それをマイクロフォンでとらえ電気信号に変換して、テープレコーダーが磁気に変換してテープに記録しないかぎり、
音は消えていく宿命である。

音が電波に変換される。
この電波もまた誰かが受信しないかぎり音にはならないし、
受信されても音に再び変換されるわけだから、ここでも録音しないかぎり消えていく。

エアチェックして記録として残すことについて、少し考えてみたい。
     *
菅野 これも個人によって全く考え方がちがうと思いますね。たとえば、自分があまり関心のないジャンルというものがある。ぼくにとってはFMチューナーがそうです。ぼくはFMチューナーで、レコードに要求するだけの音を聴こうとは思わないんですよ。まあ、そこそこに受信して鳴ってくれればいい。だから大きな期待をもたないわけで、FMチューナーなら、逆に値段の高いものに価値観を見出せないわけです。
 亡くなられた浅野勇先生みたいにテープレコーダーが大好きという方もいる。「もうこのごろレコードは全然聴かないよ、ほこりをかぶっているよ」とおっしゃっていたけれど、そうなると当然レコードプレーヤーに関しては、大きな要求はされないでしょう。やはりテープレコーダーの方によりシビアな要求が出てくるはずですね。
 そのようにジャンルによって物差しが変わるということが全体に言えると同時に、今度はその物差しの変わり方が個人によってまちまちだということになるんじゃないでしょうか。
柳沢 ぼくもやはりFMチューナーは要求度が低いですね。どうせ人のレコードしか聴けないんだから……といった気持ちがある。
瀬川 そうすると、三人のうちでチューナーにあたたかいのはぼくだけだね。ときどき聴きたい番組があって録音してみると、チューナーのグレードの差が露骨に出る。いまは確かにチューナーはどんどんよくなっていますから、昔ほど高いお金を出さなくてもいいチューナーは出てきたけれども、あまり安いチューナーというのは、録音してみるとオヤッということになる。つまり、電波としてその場、その場で聴いているときというのは、クォリティの差がよくわからないんですね。
     *
この座談会はステレオサウンド 59号「ベストバイ・コンポーネント その意味あいをさぐる」からの引用だ。
チューナーの音は、チューナーからの信号をアンプに入力して聴くよりも、
いったん録音してそれを聴く方が、チューナーの差がはっきり出てくる──、
それまでチューナーの聴き比べをやったことはなかった私には、意外な事実であり新鮮な驚きだった。

Date: 10月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その13)

聴きたいと思ったレコードを自由に買えるのであれば、
レコードによる放送を録音する必要はなかったし、ライヴ録音ものばかりを録音していたことだろう。

それにそれだけの経済的余裕があれば、テープを使いまわしすることもない。
録音したものは、気に入ったものだけでなく、そうでないものも消さずに置いておける。

カセットテープでも本数が増えると収納について悩むけれど、
オープンリールテープは、もっと嵩張る。
そのためにしかたなく消去ということをやっていた人もいるはずだ。

そして消した後に後悔することもあったはずだ。

そのことについて座談会で瀬川先生は語られている。
     *
二年とか四年とかのサイクルなら消してもなんとも思わないけれど、十年経ってあの時消さなければよかったなァというのは必ず出てくる。一度録ったものを、繰り返して聴くということの意味は、そういう所にも出てくるんで、その時になっても、よかったなァと思うのが本物ということですね。
     *
そうだと思うし、さらに二十年、三十年、さらにもっと経つと、ここに変化が出てくる。
このへんのことについても語られている。
     *
 最後に一つ、お話しておきたいのは、この前、「週刊朝日」だったかで明治時代の写真を日本中から集めたことがありましたよね。
 要するに、家の中に眠っている写真を何でもいいから、日本中から集めて。そうしたら、しまっていた人でさえ気がつかなかったようなすばらしい資料がたくさん集まったわけですね。
 今エア・チェックでやっていることって言うのはそれに似ていると思うんですよ。一人一人は何気なく自分が聴きたいから、あるいは、そういう意志もなしに、習慣でテープのボタンを押してしまって、録っちゃったみたいなこともある。これだけFM放送がはんらんしてくると、それぞれ、みんな録る番組が違うと思うんですよ。しかし、どこかにみんな焦点が合っている。これから十年、二十年たって、あるいは五十年くらいたって、かつてこんな番組があったのか、誰かこれ持ってないかなと言うときに、ちゃんと残っていたら、これは大変な資料になると思うんです。
 エア・チェックには楽しさの他に、そうした意義があると思う。そこに、エア・チェックのスゴサみたいなものをぼくは強く感じるわけです。
     *
ここでの瀬川先生の発言は、当時の人よりもいまの人たちのほうが強く実感できているはずだ。

Date: 10月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その12)

別冊FMfan 10号の特集は創刊10周年記念でもあり、「エア・チェックのすべて」である。

巻頭には五味先生が登場されている。「FMエア・チェック・マニア言行録」と題して、
五味先生のリスニングルーム訪問と五味先生のNHK訪問の二本立てからなっている。

いまでは考えにくいことだろうが、
このころはエアチェック(FM放送)が特集となることもあった時代だ。
それほどエアチェックが盛んだった。

エアチェックとは、本来はプロ用の言葉である。
放送局からの電波が正しく送信されているのかをチェックするから、エアチェックなのである。

それがいつしか一般の人たちが、
家庭で放送されたものをテープ録音することを指す言葉として使われるようになっていった。

いまでこそFM局はいくつもあるが、
1970年代は東京でもNHK FMと東京FMの二局のみだった。
アメリカのような音楽ジャンルの専門局など夢のまた夢として語られている時代だった。

とはいえ、むしろだからこそなのかもしれない、
FM放送を受信して、テープに録音するという行為(エアチェック)を熱心に行っている人の数では、
アメリカ以上に多いのではないか、ともいわれていた。

私も高校生だったころ、エアチェックをやっていた。
私が住んでいた熊本には民放のFM局はなかった。
NHKのみがエアチェックの対象だった。

カセットデッキは一台だけだったこともあって、
バイロイトの放送の録音には挑戦しなかった。
レコードを自由に買えていたわけではないので、もっぱらレコードが放送されたのを録音していた。
そして気に入ればレコードを購入していた。

レコードを買いたくなることもあれば、
録音したものでいいや、と思うものもあるし、
消去して他の録音に使うこともあるのは、多くの人は同じだろう。

エアチェックしたものは、消すことができる。

Date: 10月 10th, 2015
Cate: オーディオマニア

夏の終りに(情熱とは・その1)

情熱とは? なんだろうと考えることがないわけではない。
オーディオへの情熱を持っているのだろうか、という自問自答とセットでもある。

情熱を辞書でひくと、
激しく高まった気持ち。熱情。
そう書いてある。

だから熱情を、ひく。
物事に対する熱心な気持。情熱。
そう書いてある。

熱心について、また辞書をひく。
物事に情熱をこめて打ち込むこと。心をこめて一生懸命すること。また、そのさま。
そう書いてある。

ここでの物事は、オーディオ、そして音楽をいうことになる。
つまりは、オーディオに激しく高まった気持ちをこめて打ち込むこと、となる。

「激しく高まった気持ち」を、オーディオに対して一度も持ったことがない、とはいわないが、
「激しく高まった気持ち」を、常に、今も持ち続けている、とはいえない。

情熱とは? と考えるときに思い浮べる人がいる。
そのひとりが、マルコ・パンターニだ。

Date: 10月 9th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その11)

別冊FMfan 10号(1976年6月発売)に、「われらエア・チェック族」という記事がある。
瀬川先生を司会に、六人の読者による座談会だ。

以前書いているし、瀬川先生のリスニングルームの写真を見ている人は、
左右のスピーカーの中央にアンペックスのAG440B-2が置かれてあったことを記憶されているだろう。

瀬川先生は、このアンペックスのプロ用のオープンリールデッキで、主に何を録られていたのか。
アンペックスは据え置き型だから、これを外に持ち出して……ということは、まず考えられない。
やはりFM放送の録音なのか。

座談会の冒頭で、ひと頃、いっしょうけんめいにエアチェックをやっていたと発言されている。
     *
あとから聴いてみて、これだけは取っておきたいと思うのは、一年に十本あったかどうか、みたいな気がするわけです。だから、ただ録ってみるだけでは受け身な行為にすぎない。そこでただ単にパシッブなままでいるのか、それとも、よりアクティブな楽しみ方を見つけていくのか、恐らく皆さんは、そのステキな方向を見つけた方々だと思いますが、そこにどういう楽しみ方があるのか、話しているうちに、いろんな話題が出てくることと思います。
     *
FM放送の録音は、どうしてもパッシヴな行為に流れがちである。
どんなに音の良いチューナーを用意し、オープンリールデッキ、カセットデッキを揃え、さらにはアンテナにも十分な配慮をする──、
それでも、それだけではアクティヴな行為とは言いがたい。

そこになんらかの、その人なりの楽しみ方があってアクティヴな行為へとなっていくものだろう。

この座談会が行われた1976年は、ステレオサウンド 38号が出た年でもある。
38号にある瀬川先生のリスニングルームには、パイオニアのチューナーExclusive F3がある。
これでFM放送を受信されていたのだろう。

アンテナは……、というと、フィーダーアンテナだと、この座談会で白状されている。
そういえば菅野先生もフィーダーアンテナだということを、何かで読んでいる。

瀬川先生の当時の住居では、このアンテナでもマルチパスは少なく、感度も十分だったそうだ。
弁解にもなるけれども、とことわったうえで、アンテナは理屈通りにはいかないもので、
やってみてよければ、それでいいと発言されている。

Date: 10月 8th, 2015
Cate: audio wednesday

audio sharing例会(予定)のお知らせ

毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースを借りている。

喫茶茶会記のスピーカーはふたつある。
ひとつは渋谷のあるジャズ喫茶で鳴らされていたモノが、
そのジャズ喫茶の閉店によって喫茶茶会記で鳴らされる。

アルテックのユニットを使ったモノである。
かなり使い込まれていて、今回エンクロージュアを新調することになった。
今月中には新しいエンクロージュアが届く予定だそうだ。

どんな音になるのか、
実際にエンクロージュアが届き、ユニットを装着してみなければわからないが、
せっかくの機会だから、いくつかアンプを持ち込んでみようという話になった。

11月か12月のどちらかの例会で行う予定である。
アンプは常連のKさんのコレクションをいくつかをお借りして、ということになる。
最新アンプの比較試聴とはまったく違う、
眉間にしわ寄せて聴くというものとも違う、
アンプによって、新調されたスピーカーがどう鳴ってくれるのかを楽しもうというものである。