世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その2)
どんなことを書いていくのか、その詳細はまだ決めていない。
それでも、オーディオ評論にも関係してくるテーマだし、ジャーナリズムということにも関係してくる。
だから、タイトルをどうしようかと迷っていた。
それでも今回の「世代とオーディオ」にしたのは、
GS1の登場が今から30年以上前のことであり、
このスピーカーシステムのことをまったく知らない若いオーディオマニアがいても不思議ではないし、
そのころからオーディオをやっていた人でも、
GS1の実物を見たことはない、音は聴いたことがないという人も少なくないと思うからだ。
聴いたことのある人でも、きちんと鳴っている音を聴いている人はわずかなはずだ。
どうしてかということについてはこれから書いていくが、
GS1は、いくつかの制約のあるスピーカーシステムでもあった。
だから、うまく鳴らすには鳴らし手にかなりの技倆が求められるし、
試聴条件も十分に気を使うことを要求するスピーカーであった。
そういうスピーカーシステム(といっても他のスピーカーにも基本的には同じことがいえる)だから、
きちんと鳴っているとは言い難いGS1の音しか聴いたことがない、という人もいるはずだ。
そんな存在であったGS1を、登場から30年以上が経ってGS1について語るということは、
それだけに配慮が語り手側には求められる。
GS1に限らない、あるオーディオ機器の開発に携わった人が、
その製品について語ってくれるのはユーザー側にとって興味ある話のはずだ。
だが気をつけなければいけないのは、その評価をめぐって開発者が語るケースである。
GS1ほどの製品ともなれば、開発者の思い入れはそうとうなものである。
だからといって、自分が開発したオーディオ機器の評価がどうであったのかを、
歪めて伝えていいものだろうか。
私のようにGS1登場を現場で見て聴いた者であれば、そこに違和感をおぼえる。
けれどGS1を見たことも聴いたこともない世代に対して、
そういう語りを作り手側がした場合、そういった世代にはなかなか検証手段もないから、
そのまま鵜呑みという危険性もある。
あのころオーディオをやっていた人でさえ、GS1の存在を忘れている人なら、
開発者の語りをそのまま信じてしまうかもしれない。
何も私がこれから書いていくことが絶対的に正しい、と主張するわけではないが、
少なくとも実際にどんな評価を得ていたのかを知ってほしいし、
その上で、どう評価するのか、GS1というスピーカーシステムの存在をどう認識するのかは、
その人の自由であり、私がとやかくいうことではない。
GS1の評価ひとつとっても、こういうことを書いていけるというのは、
こういうところにも世代による断絶(に近いもの)があるのではないのか。
だからタイトルは「世代とオーディオ」にしている。