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Date: 10月 21st, 2015
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・その4)

セレッションのDEDHAMが日本で発売されるようになったのは1978年。
その六年後のステレオサウンド 72号の巻頭対談で、山中先生が発言されていることが、
DEDHAMにも関係してくる。
     *
山中 オーディオの機械の中で一番の困りものは、スピーカーなんですよ。
 ほかのものは、極端なことを言えば、よく向こうの人がやっているけど、アンプとかそういうものを家具の中に入れちゃう。部屋のコーナーをうまくつかって、自分の気に入らないものは見せないようにすることもできるけれども、スピーカーはそれができない。
 イギリスでは18世紀ぐらいの古い建物をきれいに直して住むというのが、最近の中流以上の人たちのひとつの流行みたいになっている。その場合にどうしてもその部屋の中にオーディオ装置は欲しい。そこで一番困るのはスピーカーなんだそうですよ。
 いま出ているスピーカーでそこの部屋に置いてマッチするものがない。
菅野 ないでしょうな。
山中 そのために、スピーカーの外側に家具調というか、その部屋に合わせたデコレーションする業者があって、それが結構いい商売になる。
菅野 むずかしいことですね、音響的に言ってもね。
山中 性能的には必ず落ちますよ。
     *
この対談のテーマは「日本のオーディオのアンバランスさと日本人の子供っぽさについて考える」だった。
この対談を読んでいて、DEDHAMが誕生してきた背景には、こういうことがあったのかと思った。

DEDHAMの試作品は1977年のオーディオフェアに参考出品されていた。
そのころから、18世紀の古い建物に住むということが流行し出していたのか、
それともすでにそういう建物に住んでいる人たちから、こういう外観のスピーカーが欲しいという、
要求に応えてのDEDHAMだったのだろうか。

そうとも考えられるし、違うとも考えられる。
少なくともメーカーが、そう多くはない数とはいえ量産するわけだから、
既存のスピーカーにデコレーションする業者とは違うところにたってのDEDHAMであったといえよう。

それに、そういう業者によるスピーカーは、山中先生の発言にあるようにデコレーションが施される。
DEDHAMはどうだろうか。
デコレーションといえる要素は確かにある。
けれど、デザインといえる要素もはっきりとある。

Date: 10月 20th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その6)

38Wを、どう読むのかはスイングジャーナルには書いてなかったはずだ。
38W(さんじゅうはちだぶりゅー)ではないと思う。
やはり38W(サンパチダブル)と読むはずだ。

他の口径、30cmのダブル(30W)、25cmのダブル(25W)、20cmのダブル(20W)を、どう読むか。
38Wほどのキマリの良さがない。

そんな読み方は、音には無関係のはずだ。けれど、決してそうじゃないと言い切れないものを感じる。
38Wには、他の口径のダブルウーファーでは味わえぬ、38Wならではの不思議な魅力がある。

もちろん、すべての38Wが素晴らしいとは言わないし、
私が38Wとして真っ先に思い浮かべるJBLの4350Aにしても、
角を矯めて牛を殺すような鳴らし方をしていては、38Wならではの不思議な魅力ある音は味わえない。

それでもうまく鳴ったときの「38Wならでは!!」と、つい口走りたくなる躍動感、
フォルティシモでの音の伸び、音楽としての表情の豊かさと深さ──、
一度でも体験すれば、いつかは38W……と思ってしまう。

肌が合う、という。
38Wの音は、まさに肌が合う。
耳で聴く低音と肌で感じる低音感とのバランスがうまくいっているからこそなのかもしれない。

肌が合う、とは、あくまでも感覚的なものだから、
私に賛同してくれる人もいれば、そうでない人もいる。

そうでないという人の中には、肌が合う、というようなことを再生音に求めていない人もいるように思う。

Date: 10月 19th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その5)

その1)で、私にとっての「ダブルウーファー」とは15インチ口径のウーファーが二発のこと、と書いた。

38cmよりも小口径のウーファー、
それが30cm口径のダブルであっても、38cmのダブルに感じるものからすると、
なにかひとまわりもふたまわりもスケールダウンしたように感じてしまう。

ましてもっと小口径のダブルウーファーとなると……、書くまでもないだろう。
そういうダブルウーファーのスピーカーシステムを否定はしないし、
そういう仕様のシステムでもいいスピーカーはある。

けれど、そこには38cm口径のダブルウーファーに感じる凄みがない。
だから、まったく別種のダブルウーファーのスピーカーシステムのように感じる。

これはなぜなのだろうか。

よく井上先生はいわれていた。
低音とは、耳で聴く低音と肌で感じる低音感、
このふたつのバランスが巧みにとれていることが、低音再生(低音感)にとって大事である、と。

私には、このふたつのバランスが破綻をきたすぎりぎりのところでバランスがとれるのが、
38cm口径のダブルウーファーのような気がしている。

これは私だけが感じていることはないと思う。
少なからぬ人が感じていることではないのだろうか。

そういえば昔スイングジャーナルでは、38cm口径のダブルウーファーのことを、
38Wと表記していた。

古くからのオーディオマニアだと、
エレクトロボイスの30Wという30インチ(76cm)口径のウーファーがあったから、
38Wとあると38インチ口径のウーファーと思わないわけではないが、
それでもあえて38Wという表記を使うスイングジャーナル編集部の気持はわからないわけではない。

38Wには、2トラ38(ツートラサンパチ)に通じるところがある。

2015年ショウ雑感(その6)

こういう試聴方法で何が聴きとれるのか。
五味先生の「五味オーディオ教室」にも書いてある。
     *
 音の味わい方は、食道楽の人が言う〝味覚〟とたいへん似ているように、思う。
 佳い味つけというのは、お吸物(澄まし)の場合なら、ほとんどが具の味をだしに生かしてあり、一流の腕のいい板前ほど塩加減でしか味つけをしない。したがって、たいへん淡白な味だが、その淡白さの中に得も言えぬ滋味がある。でもこれを、辛くて粗雑な味の味噌汁を飲んだあとで口にすると、もう滋味は消え、何かとても水っぽい味加減に感じるものだ。
 腕のいい板前はだから、他の料理が何であるかも加味して、吸物の味をつけるという。淡白で、しかもたいへん上品な味加減のその素晴らしさは、粗悪な味のあとでは賞味できないものだから。
 人間の舌はそれほど曖昧——というより、他の味つけの影響をとどめやすいものなので、利き酒を咽喉に通さず、一口ふくんでは吐き出す理由もここにあろう。
 ヒアリング・テストも同じだ。よほど耳の熟練した人でも、AのスピーカーからBのスピーカーに変わった瞬間に聴き分けているのは、じつは音質の差(もしくは音クセ)なので、そのスピーカー・エンクロージァがもつ独自な音色の優秀性(また劣性)は、BからAにふたたび戻されたときには、もう聴き分け難いものとなるのがしばしばである。
     *
私がオーディオに興味を持ち始めた1976年の時点で、
すでに瞬時切り替え試聴の問題点は指摘されていた。

それでも……、と反論する人がいると思う。
いるからこそ、今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、あのやり方が行われたのだろう。

Aの音とBの音の違いが聴きとれれば、何の問題もないじゃないか、という人がいるだろう。
だが、このやり方で聴きとれるのはAの音とBの音の違いではなく、あくまでも差である。

くり返すがA-Bの音という差、B-Aの音という差であり、
違いではなく差であるからこそ、A-Bの音とB-Aの音は、人間の感覚として同じになることはない。

味覚では、この話は通用するのだが、
なぜか聴覚となると、私の耳はそうではない、といいはる人がいて、通じない場合もある。

違いと差は決して同じではない。
そして試聴(特に比較試聴)では、
何が聴きたいのか、何を聴こうとしているのか、何を聴いているのか、
これらのことを曖昧にしたままでは、何を聴いているのかがわからなくなってしまう。

それできちんとしたデモ、プレゼンテーションができるわけがないし、
ましてスピーカーの開発は……、である。

2015年ショウ雑感(その5)

瀬川先生が「コンポーネントステレオのすすめ」の中で、
この瞬時切り替え試聴の注意点について書かれている。
     *
 たくさんのスピーカーが積み上げられ、スイッチで瞬時に切換比較できるようになっている。がそこには大別して三つの問題点がある。
 第一、スピーカーの能率がそれぞれ違う。アンプのボリュウムをそのままにして切換比較すると、能率の高いスピーカーは大きな音で鳴り、能率の低いスピーカーは小さな音になってしまう。馴れない人は、大きな音が即、良い音、のように錯覚しやすい。スピーカーを切換えるたびに、同じような音量に聴こえるよう、アンプのボリュウムを調整しなおすこと。
 第二、AからB、BからCと切換えて聴くと、その前に鳴っていた音が次の音を比較する尺度になってしまう。いままで鳴っていた音が、次の音を聴く耳を曇らせてしまう。この影響をできるだけ避けるため、A→B→Cと切換えたら、こんどはB→A→C、次はC→B→A、B→C→A……と順序を変えながら比較すること。もしも少し馴れてきたら、切換比較をやめて、あるレコードをAで聴いたらそこで一旦やめて、Bのスピーカーで同じ部分を改めて反復する。そして、音色の違いを比較しようとせずに、どちらがレコードをより楽しく、音楽の姿を生き生きとよみがえらせるか、という点に注意して聴く。
 第三、スピーカーの置かれてある場所によって、同じスピーカーでも鳴り方が変る。下段は概して低音が重くなり、音がこもり気味になる。冗談は低音が軽くなり、音のスケール感が失われがち。中段が大体いちばん無難、というように、本当に比較するなら、抜き出して同じ場所に置きかえなくてはわからないが、それが無理なら、一ヵ所に坐って聴かずに、鳴っている二つのスピーカーの中央に自分の頭を移動させる。めんどうくさがらずに、立ったりしゃがんだりして聴く。あるべくスピーカーのそばに近づいて聴いてみる。別の店で、同じスピーカーの置き場所が違うと音がどう変るか聴いてみるのも参考になる。
     *
今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、
そのブースではふたつのスピーカーシステムの音量はほぼ同じに感じられるようになっていた。
なので、ここでは第一の問題点について取り上げる必要はない。

第三のスピーカーの置かれている場所による音の違い。
これは厳密には試聴のたびにスピーカーを移動して、という作業をする必要がある。
ステレオサウンドの試聴室ではそうやっていた。
だが、今回のケースはいわばオーディオショウという場であり、
限られた時間でのデモということを考慮すると、しかたないという面もある。
だから、この問題点についても、とやかくいわない。

問題としたいのは、第二のことである。
今回は比較対象となるスピーカーシステムは二組だから、AとBということになる。
10秒ごとのスピーカーの瞬時切り替えということは、
A、B、A、B……となるわけで、そこで聴いているのは
Aの音、Bの音というよりも、A-Bの音、B-Aの音である。

A-Bは、前に鳴ったAの音とBの音の差であり、
B-Aは、前に鳴ったBの音とAの音の差である。

AとBは交互に鳴っているわけだから、A-Bの音とB-Aの音は同じじゃないか、と考える人もいよう。
だが人間の感覚として、A-Bの音とB-Aの音は同じではない。

A-Bの音とB-Aの音が同じだと考えているから、
そのブースでは10秒ごとの瞬時切り替えを行っていたのではないのか。

Date: 10月 19th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その4)

ステレオサウンド 72号でオンキョーのGS1を取り上げているのは、
「エキサイティング・コンポーネントを徹底的に掘り下げる Dig into the Exciting Components」である。

この記事は71号から始まった企画で、
71号ではマイクロのターンテーブルSX8000II(5000II)、
京セラのCDプレーヤーDA910、アナログプレーヤーPL910、
コントロールアンプC910、パワーアンプB910が取り上げられている。筆者は柳沢功力氏。

カラー口絵があり、それぞれの本文は、マイクロが6ページ、京セラが10ページ。
それまでの新製品紹介の記事では無理だったページ数を割いている。

二回目となる72号では、アキュフェーズのC200LとP300Lのペア、
それとオンキョーのGS1で、前者を柳沢氏、後者を菅野先生が担当されている。

アキュフェーズ、オンキョーともに11ページが割り当てられている。
アキュフェーズはコントロールアンプとパワーアンプの二機種で11ページ、
オンキョーはGS1の一機種で11ページとなっている。

GS1の試聴はステレオサウンドの試聴室だけでなく、
菅野先生のリスニングルームにも持ち込んでも行っている。

菅野先生のご自宅は一階が車庫になっているから、
GS1は玄関の階段を担ぎ上げなければならない。
GS1の重量はカタログ発表値は117kg。
ウーファー部とトゥイーター部に二分割できるとはいえ、
それぞれ77kgと40kgで、けっして持ちやすい形状ではない。

そういう大変さがあるけれど、じっくり聴いてもらうために菅野先生のリスニングルームに運び込んでいる。

そしてステレオサウンドの試聴室での試聴でも、
それまでであれば編集部が設置するのだが、このときはオンキョーの人たちによるセッティングだった。
これも異例のことである。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その15)

チューナーというオーディオ機器をどう捉えるのか。
それによって、いわゆる高級チューナーの必要性に対しての、人によっての考え方が違ってくる。

ステレオサウンド 59号の特集「ベストバイ」で長島先生が書かれていることを思い出す。
     *
 チューナーにもスーパーマニア向けといってよい超高級チューナーがある。これらの持つ魅力とはいったい何なのだろうか。昔、マランツ♯10Bやマッキントッシュのチューナーは、どう考えても放送局が送り出している元の音より美しいと話題になったことがある。簡単に考えるなら、チューナーは単なる伝送系の一部に過ぎず、このようなことが起るはずがないのだが、実際は、チューナーは単なる伝送系ではなく、ある意味ではリプロダクションシステムと考えることができるである。なぜならば、チューナーを通してオーディオ信号が出てくる仕組みは、受信電波を単に増幅しているだけではなく、受信検波、ステレオ復調という部分でチューナーがオーディオ信号を再組立しているともいえるからだ。したがって、回路構成、使用部品によって、前述のようなことが起り得る。この良い意味での個性を持つということが超高級チューナーの必要条件のひとつだと考えている。
     *
私がFM誌を読んでいたころ(1970年代終りごろ)、
何かの雑誌の相談コーナーで、自分のプレーヤーでレコードをかけるよりも、
同じレコードがFMで放送されるのを聴いたほうが音がいいのはどうしてでしょうか、という質問があった。
これはこういった相談コーナー以外でも取り上げられていた。

この場合のチューナーは、決して高級チューナーではない、普及型のチューナーであり、
アナログプレーヤーに関しても同じである。

FM放送のほうがよく聴こえるのであれば、
アナログプレーヤーのクォリティが低いのか、調整がうまくなされていない。
そう回答されていた。

中にはNKH FMの場合、使用カートリッジはデンオンのDL103なのだから、
FMよりも音が悪いということは、あなたが使っているカートリッジがDL103よりもクォリティが低い、
そんなことを書いているのも読んだ記憶がある。

この話も、同じ普及型のチューナーを使っていても、アンテナが違っていれば、
受信地域が違っていれば、その他の条件の違いによって変ってくるにしても、
当時、アナログプレーヤーの音の基準として、
同じレコードがFMで放送されたのよりも悪かったから、まだまだということだった。

このふたつの話は、レベルの違いはあるし、同一視できないところもあるけれど、
たとえレコードの放送であっても、
場合によっていい音、美しい音で聴けることが起り得ることを、考えさせる。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(映画・ドラマのセリフ)

映画やドラマで、ときどきこんなセリフに出会す。

人はいつか死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ。

こんなセリフが映画やドラマの中で使われることがある。
このあいだも聞いた。
たいてい、このセリフがいいたいことは、
早く死ぬことも遅く死ぬことも大きな違いはない、ということだ。

この手のセリフを聞くたびに思うことがある。
確かに人は必ず死ぬ。死なない人はいない。
世の中に絶対といえることは、このことくらいである。
死は避けられないのだから、早いか遅いかの違いだけだ、というセリフには半分同意できても、
半分は、早いか遅いかの前に、言葉がひとつないことを思ってしまう。

親より早く死ぬか遅く死ぬか、である。
私は、この違いは大きいと思う。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: audio wednesday

第58回audio sharing例会のお知らせ

11月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

テーマはまだ決めていません。
時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その2)

ガウスのスピーカーユニットは、バート・ロカンシーが開発に携わっていたおかげでだろう、
JBLのユニットと寸法的な互換性があった。

コンプレッションドライバーのHF4000は、JBLのホーン、スロートアダプターが使えた。
アルテックのコンプレッションドライバーはホーンとは三本のネジで取りつける、
JBLは四本であり、ガウスの四本である。

だからJBLの既存のスピーカーシステムのユニットの換装が、
なんらかの加工やアダプターを必要とせず行える。

ガウスにはコンプレッションドライバーはHF4000だけだった。
HF4000はJBLの2440に相当するモノで、2420に相当するモノはガウスにはなかった。

ようするにガウスのユニットにすべて換装したければ、
対象となるJBLのシステムとなると限られてくる。
4343は、この点でもすべてガウスに換装するのは無理だった。

4350はホーンと音響レンズはそのままで、あとのユニットは換装できる。
4350のウーファー、2231Aに相当するガウスのウーファーは5831Fである。
Fのつかない5831もあったが、こちらはf0が32Hz、5831Fは18Hz。
ガウスのウーファーの中で5831Fがいちばんf0が低い。
2231Aは16Hzである。

ミッドバスの2202に相当するの2842。
ガウスに30cm口径は他に2840と2831があったが、
2840はコルゲーション入りのコーン紙だし、2831はコーン紙が白い。

確かガウスのコーン型ユニットの型番の末尾二桁が31なのがHiFi用であり、
42がホーンローディング用ユニット、40が楽器用、PA用だったはずだ。

こんなことをステレオサウンドが当時刊行していたHi-Fi STEREO GUIDEをみながら、考えていた。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 再生音

残像、残場、残響(その2)

スピーカーから鳴ってくる音すべてが再生音ではない、ということ。
この当り前のことを、つい忘れがちになるのではないか。

スピーカーからは鳴ってくる音の中には、ライヴで使われる拡声器としての音もある。
これは再生音ではない。

再生音とは、あくまでも何かにいったん記録(録音)されたものを、
もう一度音に戻したものである。

これまであれこれ考えてきた、これからも考えていく。
それはスピーカーから鳴ってくる音が再生音だから、である。

2015年ショウ雑感(その4)

そのブースに入ると、正面のディスプレイに、どういうプログラムで試聴を行うかが表示してあった。
そこで鳴らされるソースは鑑賞曲と試聴曲とにわけられていて、交互にかけられていた。

鑑賞曲ではそのメーカーのスピーカーシステムだけで鳴らされる。
試聴曲で他社製のスピーカーシステムとの比較ができるというわけである。

このやり方は問題はない。
問題があるのは、試聴曲の鳴らし方だった。
10秒ごとに自社製と他社製のスピーカーシステムを切り替える。
曲を再生しながらである。

いわゆる瞬時切り替えによる試聴である。
それも切り替えて、曲の頭に戻るのではなく、
一曲を流したままでの瞬時切り替えを、このブースではやっていた。

この試聴は、ずっと昔、オーディオ販売店でみられたやり方だ。
多くの販売店にはスピーカーが壁一面に積み上げられていて、
アンプも棚に何台も収納されていた。

これらはすべて切り替えスイッチに接続されていて、
ボタンを押すだけで、希望するスピーカー、アンプに切り替えられる。
いまでもこのシステムを使っているところはある。

どんなモノでもそうだが、問題はどう使うかである。
ボタンひとつで切り替えできるからといって、
曲を流したままにして、ボタンを押してAB比較をやる。

これが昔々のやり方だった。
このやり方は、ずいぶんとまずいもので、
当時からこの比較試聴に対しては、心ある人たちが問題視していた。
そして、いつしかそういう比較試聴はなくなっていった。

なくなってずいぶん経つ。
それをやっているメーカーがある。

このことに驚いたわけである。
少なくとも彼らは、自社製と他社製のスピーカーの音の違い(優劣)を、
来場者にはっきりと示したい、と考え、
もっとも有効なやり方として、今回の方法をとったのだろう。

ということは、彼らはそのスピーカーシステムの開発においても、
同じ聴き方をしているということにもつながっていく。

2015年ショウ雑感(その3)

去年のオーディオ・ホームシアター展(音展)で驚いたのはNHKの8Kのデモだった。
今年もNHKは8Kをやっていた。
今年は8Kのロゴの下に”SUPER Hi-VISION”とあった。

8KがSUPER Hi-VISIONなら、次に登場するであろう16KまではSUPER Hi-VISIONのままで、
その次の32Kまでいくと”ULTRA Hi-VISION”となるのかなと思いながら、8Kのデモを観ていた。

去年の驚きがあるから、今年はそれほど驚いたわけではなく、じっくりとみていた。
やっぱり8Kはいいな、と思う。
来年には試験放送がはじまり、2020年までには本格的普及を目指すということだった。

その展開の速さに今年は驚いていた。

今年のオーディオ・ホームシアター展(音展)で驚いたのは、
どこかのメーカーの製品の音ではなく、あるブースの比較試聴のやり方だった。

そこではスピーカーのデモが行われていた。
そのメーカーのスピーカーの他に、
ほぼ同サイズの他社製のスピーカー(世評の高い者)を並べての比較試聴である。

こういうデモをやるということは、それだけ自信があるということであり、
そのこと自体はとやかくいうことではない。

ただ、その比較試聴のやり方に驚いてしまった。
いまどき、こんな比較試聴をやるのか、
だとしたら、このスピーカーの開発過程における試聴でも、
彼らはそういう試聴をやっているのではないか──、
そう思って驚いていた。

それは昔々の比較試聴のやり方だった。

Date: 10月 16th, 2015
Cate: ディスク/ブック

「レコードと暮らし」

夏葉社から「レコードと暮らし」という本が出ている。
筆者の田口史人氏は東京・高円寺で「円盤」というレコード店を営まれている、とある。

夏葉社のサイトに書いてある紹介文には《音楽というよりも、レコードという「もの」の本です》とある。
「レコードと暮らし」に登場する235枚のレコードは、音楽ではなく、
《農協からのお知らせや、企業からの宣伝や、我が母校の校歌や、アイドルのひそひそ話など》をおさめたレコードだ。

紹介文の最後に《おもしろいです。》とある。
たしかにおもしろい。

そしてジョン・ケージの
「音楽は音である。コンサートホールの中と外とを問わず、われわれを取り巻く音である。」を思い出せる。

これはオーディオ機器の音にも深く関係している。
別項でいずれ書いていくが、
そのオーディオ機器を生み出した空間はどこなのか。

オーディオメーカーの試聴室なのか、
開発者のリスニングルームなのか、
それともオーディオメーカーの実験室なのか。

Date: 10月 16th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その2)

今日から開催のオーディオ・ホームシアター展(音展)に行ってきた。

先月聴いたヤマハのNS5000がまた聴けるということで行ってきた。
だが残念ながらNS5000はなかった。

出かける前にヤマハのウェブサイトにあるNS5000のイベント情報で確認していた。
そこにはオーディオ・ホームシアター展(音展)の日程が書いてある。
誰だって、こう書いてあればオーディオ・ホームシアター展(音展)でNS5000が聴けると思ってしまう。
さきほどまた確認したが、やはりオーディオ・ホームシアター展(音展)のことがイベント情報で表示されている。

ヤマハのブースに入ろうとしたら、ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねている人がいた。
NS5000の音が聴けるのを楽しみにされていたのだろう。

そのやりとりを横で聴いていた私は、ヤマハのブースには入らなかった。
NS5000をオーディオ・ホームシアター展(音展)に持ってこないのは事情、理由があってのことだとしても、
それならばNS5000のイベント情報を更新しておくべきだ。

ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねていた人、私以外にもNS5000を目的で、
オーディオ・ホームシアター展(音展)に行かれる人がいると思う。
だからもう一度書いておく。

今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)では、NS5000は聴けないし見ることもできない。