Author Archive

Date: 10月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続々ヘッドフォン祭)

昔からスピーカーの鳴り方・鳴りっぷりは、車の乗心地に例えられることがある。
時速50kmで走っていたとしても、小型車と大型車では乗心地が違うのと同じように、
同じ音量においても、小型スピーカーと大型スピーカーの鳴り方・鳴りっぷりは違ってくる。

完全密閉型(アコースティックサスペンション方式)時代のARのスピーカーシステムを、
井上先生は高回転・高出力のエンジンの車にたとえられていた。

大音量(つまりエンジンを高速回転させている)時は、
驚くほどの低音を聴かせてくれる。
パワーを上げれば上げるほど、活き活きと鳴ってくれる。
オーディオ的快感ともいえる鳴りっぷりがある。
一方で音量を絞ってしまうと、バランスは崩れやすく、
ウーファーの反応も鈍く感じられてしまう──、そんな話を井上先生から聞いている。

ARのスピーカー(正確にはプロトタイプ)がデビューした1954年、
ニューヨークのホテルで開催されていたオーディオフェアで、
250ℓのエンクロージュアのスピーカーシステムを出品していたワーフェデールのベースに、
ARのエドガー・M・ヴィルチュアは、一辺が40cmに満たない立方体のスピーカーを持ち込んでいる。
公開試聴をヴィルチュアは申込んでいる。

この時、ハイプオルガンのレコードで、充分な量感を聴かせたのは、大型のワーフェデールではなく、
小型のヴィルチュアのスピーカーだったことは、
ワーフェデールのブリッグスとともに会場の多くの人が認めている。

この公開試聴の音量はどれほどの大きさだったのかはわからない。
かなり大きな音量だったのではないか、と推察できる。

音量をかなり絞った状態であれば、ワーフェデールのスピーカーに軍配をあげる人もいたかもしれない。
想像でしかないが、このふたつのスピーカーは大きさだけでなく、鳴りっぷりと、
その鳴りっぷりの良さが活きる音量も大きく違っていたはずだ。

現行のARのスピーカーシステムには、そういう点はないであろう。
もう完全密閉型ではないし、時代も技術も変っているから。

こんなことをARのヘッドフォンアンプを見て思い出していたし、
そういえば……、と思い出したことがもうひとつある。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: audio wednesday

第58回audio sharing例会のお知らせ(スピーカーの変換効率とは)

11月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

別項でオンキョーのスピーカーシステムGS1について書いている。
GS1の、能率を犠牲にしたシステムとしてのまとめ方について書いているところだ。

変換効率を犠牲にして周波数特性をよくするのは、GS1だけではない。
他にもいくつかの例がある。

スピーカーは変換器である。
変換効率は変換器として重要な項目であるはずなのに、
アンプの進化によってプライオリティは低くなっている。

私は、いま100dB/W/mをこえるスピーカーを鳴らしている。
98dB/W/mのスピーカーユニットを鳴らしていたこともある。

90dB/W/m以下のスピーカーもいくつか使ってきた。

やはり変換効率の高さは、いまも重要だと確信している。
それでも単に無響室での出力音圧レベルの値と初動感度の良さは、
完全に一致するとは感じていない。

本来ならば、出力音圧レベルが同じであれば初動感度も同じのように考えられそうだが、
聴感上の初動感度も出力音圧レベルも、また何かの要素が関係している。

今回は、スピーカーの変換効率と関連することについて話したい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 26th, 2015
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その11)

音について語られた文章は、以前はオーディオ雑誌で読むのがほとんどだった。
少なくともオーディオ評論家と呼ばれている人たちの、しかも編集者の目を経た文章であった。

いまは違う。
インターネットには、あのころとは比較にならないほど多くの音について語られた文章が、溢れている。
どんな人が書いているのか、まったくわからないものもある。
それらの大半は、編集者という第三者の目を経ることなく、公開されている。

それらすべてをオーディオ評論と呼べるのなら、
オーディオ評論が溢れているし、これからも減ることはないであろう。

Facebook、twitterといったSNSをやっていると、
特に見ようと思っていなくとも、音について語られた文章が目に入る。

昔は個人の音の印象は仲間内だけであった。
いまはそうではない。
その人をまったく知らない人の目にも留る。

そうなると、仲間内で好きに語っていたときと同じ感覚で音について語っていいものだろうか。
「アマチュアだから、いいじゃないか」、そう言い切れるだろうか。

そうやって書かれた文章を読むと、耳のいい悪いではなく、聴き方の巧みさは必ずしも同じではないことを思うし、
鍛えられた耳とそうでない耳との違いについて考えてしまう。

自己流の聴き方の怖さも感じる。
「アマチュアだから、好きに聴いていいだろう」、たしかにそうである。
けれど仲間内から一歩でも出て、音について語るのであれば、そのままではまずい。

東京では、今年のオーディオのショウは終ってしまった。
去年もそうだったが、ショウがあると、音の触見本の必要性をいつもより強く感じる。

Date: 10月 25th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続ヘッドフォン祭)

ヘッドフォン祭に、アコースティックリサーチのヘッドフォンアンプAR-M2があった。

ARのロゴは以前のロゴに少し変更が加えられていたが、一目で、あのARとわかる。
正直、ARはなくなっていたと勝手に思っていた。
だからARのロゴを見て、まだあったのか、が先にあった。

そこにはAR-M2のみの展示だったから、さっそく他の製品は出していないのか、
スピーカーシステムはどうなのか、ヘッドフォンアンプを出すくらいだから、ヘッドフォンも出しているのか、
そんなことが気になって、すぐにiPhoneで検索していた。

ARはあった。
本国のサイトには、D/Aコンバーターもあり、やはりヘッドフォン、イヤフォンもあった。
スピーカーシステムもあった。

ARSP80TGWNというモデルが、現在のARのスピーカーのトップモデルのようだ。
トールボーイの、このスピーカーシステムはリアバッフルにポートをもつバスレフ型である。

時代の変化とともに会社も変っていくのか……、と思う。

ARの完全密閉型のスピーカーシステムが、うまく鳴っているのは聴いたことがない。
コンディションもあまりよくなかったこともあっただろう。

私はARのスピーカーシステムに関心をもつことはなかった。
そんな私なのに、いまARのことを書いているのは、以前井上先生が話されたことが残っているからだ。

どの機種だったのかは聞いていないか、忘れてしまったか、
ARの完全密閉型をハイパワーアンプで思いっきり鳴らした音は、凄かった、と聞いている。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その7)

オンキョーGS1の能率の低さに関しては、他の方も発言されている。
     *
山中 グランセプターの良さは充分認めた上でのことですが、さっき、菅野さんがちょっと振れられたけれど、ネットワークの問題というのは、ぼくはあのスピーカーでいちばん気になるところなんです。あれだけの高能率のスピーカーが、あそこまで能率を落とされてしまうというのは。例えばアクティブなイコライザーとか、そういうものを早く開発してもらいたいですね。そうしないと、本当のグランセプターの実力を発揮した音は出てこないんじゃないかと思うんです。
(中略)
 ぼくは、やっぱりホーンスピーカーというのは、能率がいいというのが大きなメリットだと思う。本当はそうあるべきなのが、86dB/W/mというのは、非常に低い。
菅野 単に能率が高いか低いか、大きな音を同じパワーで出せるか出せないかじゃなくて、リニアリティに関係してくるんですよ。もったいないですね。
     *
菅野先生はステレオサウンド 74号での特集では、
《今までこのスピーカーを聴いた体験から、200Wや300Wではちょっと足りない》
とされている。74号ではGS1を鳴らすパワーアンプとして、
マッキントッシュのMC2500を組合せの第一候補にされている。

MC2500の出力は500W+500W。
菅野先生は《本当は1kWぐらい欲しいところ》とされているが、
1985年時点ではコンシューマー用パワーアンプとしては500Wが上限だった。

オンキョーはGS1を鳴らすためにGrandIntegra M510を出している。
出力300W+300Wの、かなり大型のパワーアンプである。
外形寸法はW50.7×H26.4×D21.2cmで、重量63kgのパワーアンプである。

M510もステレオサウンド 73号で、Components of the years賞に選ばれている。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(ヘッドフォン祭)

今日から中野で開催されているヘッドフォン祭に行ってきた。
今年は聴いておきたいモノがあった。
シュアーが先日発表した、同社初のコンデンサー型のKSE1500が聴きたかった。

注目の新製品ということとイヤフォンという性格上、
試聴するには整理券が必要だった。
私が行った時間がタイミングが悪かったのか、
いちばん早い時間の整理券でも二時間後だった。

あの会場で二時間待つのはちょっとつらいので、結局聴かずに帰ってきた。
タイムスケジュールをみながら、二時間待とうかどうか思案していた私の横で、
シュアーのブースの受けつけの人に、ぶしつけなことを言っている人がいた。

見た感じ四十代後半か、それより上の世代の人。
スタッフの人に「シュアーにコンデンサー型なんてないでしょ。どこに作らせたの?」と言っていた。

KSE1500は発表になったばかりだから、その存在を知らなくともかまわないけれど、
訊ね方というものがある。
こんな訊ね方をされても、シュアーのスタッフはイヤな顏ひとつせずにきちんと説明されていた。

ヘッドフォン祭は若い人たちが圧倒的に多い。
今回もやはり多かった。女性ひとりで来場されている人もいる。

その中に昔からのオーディオマニアと思われる世代の人がいる(私もここに属する)。
インターナショナルオーディオショウやオーディオ・ホームシアター展(音展)と違い、
そういう世代の人たちのほうが少数であり目立つように感じている。

その中のひとりが、横柄ともとれる訊ね方をしている。
本人にはそういうつもりはなかったのかもしれない。
ただ単に、ものを知っていると思われたくての発言だったかもしれない。

それでも傍にいた私には、そういうふうには聞けなかった。
シュアーのスタッフは若い人だった。
もっと年輩の人がスタッフだたら、違う訊ね方をしていたのかもしれない。
そうだとしたら、この人は若い、オーディオに関心を持ち始めた人に対して、
今回と同じような話し方をするのかもしれない──、そんなことを思ってしまった。

数ヵ月前に、若者のバイク離れは、上の世代が原因のひとつという記事を読んでいた。
オーディオにも同じことがいえるのではないか、とその時思っていたから、
他の人からすれば、どうでもいいことに反応してしまったのかもしれない。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その9)

SUMOの輸入元であるバブコの広告には、
THE POWER、THE GOLDのコンストラクションのことをモノコック構造と記していた。

モノコック(monocoque)とは車における車体とフレームが一体構造であることをさす。
単体構造ともいう。
自転車のフレームでモノコックといえば、フレームを形成する前三角、後三角が一体成型したものをいう。

THE POWER、THE GOLDのコンストラクションをモノコック構造といっているのは、
ジェームズ・ボンジョルノだったのか、それとも輸入元なのかははっきりしない。
ただ、当時SUMOの広告を見ながら、これがモノコック構造なのか……、と少し疑問に感じていた。

バブコの広告ではTHE POWERの外装が取り外された写真が中央に大きくあった。
この写真をみると、THE POWERの中心部にはシールドされた電源トランスがある。
その両脇にヒートシンクがあり、ヒートシンクの下側に平滑コンデンサーがある。

ヒートシンクの上には電圧増幅部の基板、電源トランスの上にもプリント基板があった。
この基板がアンバランス/バランス変換回路でもる。
すぐ目につくプリント基板は三枚だが、ヒートシンクにはパワートランジスターの配線をかねた基板が、
ヒートシンクの両脇に一枚ずつある。つまり計七枚のプリント基板がある。

AMPZiLLAがヒートシンクの下側に空冷ファンを配置していたのに対して、
THE POWER、THE GOLDではヒートシンクを水平に設置。
空冷ファンはフロントパネル側に取りつけられ、リアパネル側に排気する。

バブコの広告写真をみたときには、どんなにじっくりみても気づかなかったことがあった。
THE GOLDを手に入れて、一度分解して各部のクリーニングを徹底して行ってから組み立て直して、
確かにこれはモノコック構造といえるな、と思っていた。

Date: 10月 23rd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その6)

ステレオサウンド 73号の特集、Components of the years賞。
オンキョーのGS1はカウンターポイントのパワーアンプSA4とともに、この年のゴールデンサウンド賞でもある。

岡俊雄、井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、長島達夫、柳沢功力、山中敬三、
七氏の座談会で、GS1について語られている。

GS1についての座談会のまとめは三ページ、
SA4のそれは二ページと、同じゴールデンサウンド賞受賞機種であっても、扱いに差があるとみることもできる。

GS1についての各氏の発言を読んでいくと、いくつかの注文がつけられている。

まず、その能率の低さがある。
カタログ値は88dB/W/mである。

いまどきのスピーカーシステムとしての低い値とはいえないけれど、
GS1は1984年登場のスピーカーシステムで、しかもオールホーン型でもある。

この88dBという値は、ホーン型としてはかなり低いといわざるをえない。
ただ、カタログをみると、100dB/W/mとも書いてある。
こちらの値は外部イコライザー使用時のもので、
この100dBがGS1本来の出力音圧レベルということになる。

なのになぜ12dBも低い値になっているのか。
この点について、菅野先生の発言はこうである。
     *
 ただし、スピーカーはどんなスピーカーでもそうですが、いろんな点であちらを立てれば、こちらは立たずということろがあり、このスピーカーも、何でもかんでも全面的にいいスピーカーというふうに理解すると問題もあろうかと思います。
 例えば、オールホーンシステムで、あんなに低い能率しか持っていない。その低い能率というのは、結果的に高い能率のものを、かなりアッテネーターで絞り込んで使っているからですが、そういう点では変換機としてある部分、全く問題がなしとも言えないと思います。
     *
72号のGS1の記事には、この点に関しての記述がある。
高域ホーン部の端子部分の写真の下に、
周波数特性補正用イコライザーをネットワークに内蔵するため能率は88dB/W/mでしかないが、とある。
周波数特性を良くするために能率を12dB犠牲にしているわけである。

もっともネットワークでそういう補正を行っている関係で、最大入力は高い。
カタログには300Wとあり、瞬間最大入力は3000W(3kW)である。

Date: 10月 23rd, 2015
Cate: オリジナル, 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(オリジナルとは・その2)

昨晩、JBLのハーツフィールドの外観だけをコピーしたスピーカーを作ろうと考えていた人のことを書いた。
私は、はっきりいって、こういうことは否定する。

だが一方で違う考え方ができる。
ハーツフィールドの外観だけそっくりのスピーカーを作ろうとしていた彼は、
少なくともオリジナルのハーツフィールドを手に入れて、
それに手を加えようとしていたわけではない。

その意味で、彼のことをオリジナル尊重者だとみることもできるし、
そう見る人もいると思う。

むしろ、私のように購入したオーディオ機器に手を加える者は、
オリジナルを尊重していない、けしからんやつだという見方もできる。

彼は彼なりにハーツフィールドを尊重しての考えだったのだろうか。
私には、どう考えてもそうは思えない。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半は、
電波新聞社からオーディオという月刊誌が出ていた。
このオーディオ誌の別冊として、自作スピーカーのムックが何冊か出ていた。

スピーカーを自作するために必要な知識、実際の製作例の他に、
自作マニアの紹介のページもあった。

ここに登場する人たちは、JBLのパラゴンやハーツフィールドを自作するような人たちだった。
オリンパスの、あの七宝格子をコピーして自作のスピーカーに取りつける人もいた。

この電波新聞社のムック以外にも、
当時は、アマチュアとは思えない木工技術をもっているオーディオマニアが、
タンノイのオートグラフやその他のスピーカー・エンクロージュアをコピーしていた。

そんな人たちの中には木工を仕事とする人もいたようだが、
世の中にはすごい人がいるものだと、中学生の私は感心していた。

この人たちは、ハーツフィールドの外観だけをコピーしようとした彼とは違っていた。
この人たちの木工技術があれば、彼が計画していたスピーカーをつくることは造作も無いことだろう。
複雑な内部構造は無視して、外観だけをそっくりに作ればいいのだから。

けれど、この人たちの中に、そんなコピーともいえないコピーを作る人はいなかった。
少なくとも当時のオーディオ雑誌に登場する人の中にはいなかった。

Date: 10月 22nd, 2015
Cate: オリジナル, 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(オリジナルとは・その1)

ハーツフィールドのことを書いていて思い出した人がいる。
彼もまたハーツフィールドを欲しい、といっていたひとりだし、
彼の財力があれば、程度のいいハーツフィールドを手に入れることはそう無理なことではなかった。

けれど、彼はハーツフィールドを買おうとはしなかった。
彼の求める音の方向とハーツフィールドは違っていた。

折曲げ低音ホーンの音を彼は毛嫌いしていた。
生理的にだめだったのかもしれない。
だから彼はハーツフィールドそっくりのエンクロージュアをどこかに作らせる、という。
ただし内部構造はホーン型ではなく、一般的なエンクロージュアとして、である。

ウーファーは左右の開口部に配置する。
ハーツフィールドの寸法からいって15インチ口径のウーファーを開口部のところにおさめるのは無理がある。
だからここにおさまる範囲の中口径のウーファーを数発左右に配置する。
そこそこの数のウーファーが取りつけられる。

中高域はJBLのホーンとドライバーを使う。
これで見た目はハーツフィールド、
出てくる音はハーツフィールドは違う、彼好みの音ということになる。

そんなことを熱心に話してくる。
やんわりとやめたほうがいい、といっても、
彼は、うまくいく、ハーツフィールド(の外観)がほしい、と熱っぽく語っていた……。

なんなんだろうなぁ……、と思っていた。
彼はこういう人だったのか、と。

Date: 10月 22nd, 2015
Cate: 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(その3)

瀬川先生にとって「イメージの中の終着点」であったJBLのハーツフィールド。
けれど、ハーツフィールドは、瀬川先生にとって求める音のスピーカーではなかった。

ハーツフィールドは美しいスピーカーである。
JBLのスピーカーシステムの中で、もっとも優れたデザインのスピーカーシステムだと、
いまも思う。

ステレオサウンド 41号「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」、
ここでハーツフィールドが取り上げられている。
カラーページのハーツフィールドは、素敵なリスニングルームのコーナーにおさまっていた。

ハーツフィールドは、こういう部屋に置くデザインのスピーカーなんだ、と痛感させられた。
その部屋におかれることで、ハーツフィールドはさらに美しかった。

写真でみてもそうである。
もし、この部屋に入って直にみることができれば、
「イメージの中の終着点」としてのハーツフィールドの存在は確固たるものになっていくはずだ。

意を尽くし贅を尽くした──、
ハーツフィールドをみていると、そういいたくなる。
ゆえに「イメージの中の終着点」となっていくのかもしれない。

それでも……、と思うことがある。
ハーツフィールドは美しい。
デザイナーを目指されていた瀬川先生だから、
そういう目でみても、ハーツフィールドは「イメージの中の終着点」であったと思う。

だがどうしてもハーツフィールドのイメージと瀬川先生のイメージとが一致しないところがある。
ハーツフィールドの中高域はスラントプレートの音響レンズなのだが、
この形状は1950年代のアメリカのイメージそのものであり、
これなくしてハーツフィールドは成り立たないことはわかっていても、
この537-509ホーンの形、大きさ、色とが、瀬川先生と結びつかないのだ。

Date: 10月 22nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その5)

ステレオサウンド 72号で、菅野先生がオンキョーのGS1をどう書かれているかは、
the re:View (in the past)“で全文を公開しているので、興味ある方はお読みいただきたい。

とはいえ、一部だけ、最後のところだけを引用しておく。
     *
しっとりと鳴る弦、リアリティに満ちたピアノの音色の精緻な再現、ヴォーカリストの発声の違いの細部の明瞭な響き分け、たった一晩のグランセプターとのわが家におけるつき合いであったが、このスピーカーはそんな正確な再生能力に、しっとりと、ある種の風格さえ加えて鳴り響いた。
 このわずかのつき合いの間に、私は、このスピーカーを欲しくなっている私自身を発見した。ただ、せっかくの仕上げの高さにもかかわらず、あの〝グランセプター〟のエンブレムはいただけない。前面だけならまだしも、サランをはずした時にはホーンの開口部にまで〝ONKYO〟と貼ってある。このユニークな傑作は誰が見てもオンキョーの製品であることを見誤るはずがない。本当はリアパネルだけで十分だ。エンクロージュアやホーンと看板とをごちゃまぜにしたようなものだ。
 私がこのシステムを買わないとしたら、このセンスの悪いブランドの誇示と、内容からして決して高いとは思わないが、とにかくペアで200万円という大金を用意しなければならないという理由ぐらいしか見つからない。
     *
エンブレムに関してだけは注文をつけられているが、
肝心の音に関しては、絶賛に近いといえよう。

なにしろ《わずかのつき合いの間に、私は、このスピーカーを欲しくなっている私自身を発見した》
とまで書かれている。

72号の記事では、菅野先生の一万字を軽くこえる本文とともに、
写真の枚数も少なくない。
その中に「グランセプター開発の歩み」として、14枚の写真が載っている。
数々の試作品の写真である。

20以上のホーンが写っている写真がある。
この写真の下には、《これでも全数の何分の一かにすぎない》とある。
また別の写真には大理石の中高域ホーンがある。
この写真の下には、こうある。
《某雑誌の編集長の発言がもとで、大理石のホーンを作ってみたこともある。
しかし固有の音色があるのと、あまりにも高価になりすぎるため結局あきらめざるを得なかったという。》

あえて書くまでもないだろう。
某雑誌とはステレオサウンドのこと、編集長とは原田勲氏である。

オンキョーGS1は、翌73号にも登場している。
この項の(その1)にも書いたComponents of the years賞である。

GS1はステレオサウンド 71、72、73と、
さらに74号の特集「ベストコンポーネントの新研究」でも菅野先生が取り上げられている。
つまり四号続けてカラーページに登場することになる。

Date: 10月 21st, 2015
Cate: オーディオマニア
1 msg

つきあいの長い音(その17)

つきあいの長い音は、鳴らし手の「おもい」を受け止めてくれているのだろうか。

Date: 10月 21st, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その7)

38Wといっても、二発のウーファーをどう配置するのかがある。
横に二発なのか、縦に二発なのか。

私にとって38Wの代名詞といえるJBLの4350Aは横に二発のシステムである。
1980年代ころまでは、ダブルウーファーといえば横に二発というイメージがあった。

それが変化してきたのは、
いわゆるヴァーチカルツイン(仮想同軸配置)と呼ばれるモノの登場によってだ。

レイオーディオのRMシリーズ、JBLのK2(38Wではないけれども)によって、
縦に二発のダブルウーファーが増えてきた。

そのころ同じダブルウーファーなら、縦と横、どちらが有利なのか、という記事をみかけたことがある。
そこにはこんなことが書いてあった。

ふたつの図があった。どちらの図もスピーカーと床との関係をあらわしたもので、
ひとつは横に二発のダブルウーファー、もうひとつは縦に二発のダブルウーファーである。

横に二発の場合、どちらのウーファーと床との距離は等しい。
一方、縦に二発の場合は、下側とウーファーと上側のウーファーとでは床との距離が違う。
そのため床からの影響を受けにくい、と説明するものだった。

その記事を書いていた人は、だから縦に二発のダブルウーファーがいい、と結論づけていた。
確かに床からの影響だけをみれば、そう捉えることはできる。

だが現実の部屋は床もあれば天井もあるし、左右の壁、前後の壁がある六面体である。
ほとんどの場合、天井と床、左右の壁、前後の壁は平行面である。
そういう空間において床だけからの反射を示して、
縦に二発のダブルウーファーが音的に有利という理屈は成り立たない。

スピーカーから見て横の壁に対してはどうなのか、となる。

どちらのウーファー配置がいいのかは、そう簡単には断言できない。
それでも横なのか縦なのか。
大まかな傾向はあるとは感じている。

私にとっての38Wは、やはり横に二発のダブルウーファーである。
38Wならではの音が得られるのは、横に二発なのではないだろうか。

だからといって横に二発の方が縦に二発よりも音が優れているというわけではない。
あくまでも私にとって38Wならではの音を聴かせてくれるのは、縦よりも横だというだけのことだ。

Date: 10月 21st, 2015
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・その4)

セレッションのDEDHAMが日本で発売されるようになったのは1978年。
その六年後のステレオサウンド 72号の巻頭対談で、山中先生が発言されていることが、
DEDHAMにも関係してくる。
     *
山中 オーディオの機械の中で一番の困りものは、スピーカーなんですよ。
 ほかのものは、極端なことを言えば、よく向こうの人がやっているけど、アンプとかそういうものを家具の中に入れちゃう。部屋のコーナーをうまくつかって、自分の気に入らないものは見せないようにすることもできるけれども、スピーカーはそれができない。
 イギリスでは18世紀ぐらいの古い建物をきれいに直して住むというのが、最近の中流以上の人たちのひとつの流行みたいになっている。その場合にどうしてもその部屋の中にオーディオ装置は欲しい。そこで一番困るのはスピーカーなんだそうですよ。
 いま出ているスピーカーでそこの部屋に置いてマッチするものがない。
菅野 ないでしょうな。
山中 そのために、スピーカーの外側に家具調というか、その部屋に合わせたデコレーションする業者があって、それが結構いい商売になる。
菅野 むずかしいことですね、音響的に言ってもね。
山中 性能的には必ず落ちますよ。
     *
この対談のテーマは「日本のオーディオのアンバランスさと日本人の子供っぽさについて考える」だった。
この対談を読んでいて、DEDHAMが誕生してきた背景には、こういうことがあったのかと思った。

DEDHAMの試作品は1977年のオーディオフェアに参考出品されていた。
そのころから、18世紀の古い建物に住むということが流行し出していたのか、
それともすでにそういう建物に住んでいる人たちから、こういう外観のスピーカーが欲しいという、
要求に応えてのDEDHAMだったのだろうか。

そうとも考えられるし、違うとも考えられる。
少なくともメーカーが、そう多くはない数とはいえ量産するわけだから、
既存のスピーカーにデコレーションする業者とは違うところにたってのDEDHAMであったといえよう。

それに、そういう業者によるスピーカーは、山中先生の発言にあるようにデコレーションが施される。
DEDHAMはどうだろうか。
デコレーションといえる要素は確かにある。
けれど、デザインといえる要素もはっきりとある。