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Date: 1月 10th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ、の様子)

1月6日のaudio sharing例会の様子を、
喫茶茶会記の店主、福地さんが感じたことを書いてくださった。

準備をしている私が写っている写真の公開されている。

Date: 1月 9th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その9)

数年前、「井上さんの使いこなしはたいしたことない」とか、
「オーディオの理屈をわからずにやっている」とか、そういうことを私に向って言った人がいた。

しかも、その人は井上先生と一度も会ったことのない人だった。
失礼な人だな、と思ったし、他にもあれこれ思った。

その人とは疎遠になった。
で、ふと思い直したことがある。

確かにその人は井上先生を誤解している。
だが、なぜ誤解したのか。

井上先生を、オーディオの使いこなしの名人と呼ぶ人は多い。
その人たちの中には、井上さんと呼ぶ人もいれば、井上先生と呼ぶ人もいる。

井上先生と呼ぶ人の中で、直接井上先生から使いこなしを教えてもらったという人(Bさん)もいる。
この人の使いこなしの程度を、井上先生を誤解している人(Aさん)は写真で知っている。

Aさんは、Bさんの使いこなしを見て、これが井上卓也の使いこなしなのか、と思ったのではないのか。
こんなレベルの使いこなしだったのか、とAさんが思ってもしかたない。
そんなBさんのリスニングルームの写真であるのだから。

尊敬している人を、先生と呼ぶ。
でも、そう呼ぶことで、そう呼ばない人を誤解させることにつながる危険がある。

Bさんが井上先生とは呼ばずに、井上先生から使いこなしを教えてもらった、と公言しなければ、
Aさんは、井上先生を誤解することはなかったかもしれない。

Bさんは、悪意をもって井上先生と呼んでいるわけではない。
そのことは承知している。

けれど、Bさんの使いこなしの未熟さが、
Aさんに井上先生を誤解させるきっかけとなっているとしたら……。

そう考えると、先生と呼ぶことで責任が生じる。
そのことに無自覚な人が、先生と呼ぶのをみていると、
どうしても黙っていられない。

Date: 1月 9th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ・その4)

1月のテーマは、アンプの愉しむであり、アンプを選ぶではなかった。
とはいっても、今回のaudio sharing例会に参加された方がたは、
それぞれに気に入った音のアンプがあったと思う。

私は、というと、是枝重治氏のパワーアンプ三機種の中で、
7695シングルアンプが印象に残っている。

真空管の、それもシングルアンプというと、
私の中では、はっきりとしたイメージがある。
7695シングルは、まさにそういう音がしてくれた。

私がもっているシングルアンプの音のイメージが、
多くの人がもつイメージとどれだけ重なっているかはわからない。
だから、私が7695シングルをシングルアンプらしい音の良さを聴かせてくれた、といっても、
別の人が聴けば、シングルアンプらしさを感じない、ということになるかもしれない。

それでも、7695シングルはシングルアンプの良さがあった、と感じている。
スピーカーが能率が高いということもあって、その良さが活きていた。

是枝氏のコントロールアンプとの組合せでも良かったけれど、
ゴールドムンドのMIMESIS7との組合せにも惹かれるものがあった。

では、今回聴いたアンプの音で、この組合せを選ぶのかときかれれば、
選択の条件次第ということになる。

アンプを何ひとつ所有していなくて、
今回聴いたアンプから一機種(ペア)だけを選ぶということになると、
ゴールドムンドのペアということになる。

けれど、すでにアンプを所有していて、それも気に入っているアンプということで、
もうひとつアンプを、ということであれば、ゴールドムンドのMIMESIS7と7695シングルをとる。

是枝氏の7695シングルの音を聴いていると、
これこそが五極管シングルアンプの音だ、といいたくなる。

こんないい方がどんなに乱暴な表現なのかはわかっている。
それでも、そういいたくなる良さを感じ、
7695という真空管(今回初めて聴いた)への関心ももつことができた。

私だったら、こう作るかも、ということを想像する愉しみもあった。

Date: 1月 8th, 2016
Cate: audio wednesday

第61回audio sharing例会のお知らせ(聴感上のS/N比)

2月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

今週水曜日のaudio sharing例会の終りのほうで、あることをスピーカーの施した。
やったことに対して音の変化の大きさに、驚きがあった、と私は感じていた。

ちょうどその時かけていたCDはアナログ録音で、テープヒスも聴こえてくるものだった。
そのテープヒスが、ノイズリダクションでもかけたように、耳につかなくなったので、
ある人は、グッドマンのトゥイーターDLM2を何かで覆ったのでは? と思ってしまったそうだ。

昔ヤマハのNS10Mのトゥイーターのティッシュペーパーで覆うというのが流行ったことがある。
だから、そう思われたのかもしれない。

けれど、それをやってしまうと、高域のレスポンスが減衰する。
それでいい結果が得られれば、いいということになるが、
それでも、その手法は一時しのぎ、またはごまかしともいえる。

今回私がやったのは、そういうことではない。

今回の例会では、こんなこともあった。
クイーンのCDをかけたら、フレディ・マーキュリーの声が若すぎる、という声があった。

これはネットワークに問題がある、という指摘があった。
喫茶茶会記のスピーカーのネットワークはアルテック純正ではない。
店主の福地さんが選んだモノが接続されている。

このネットワークの出来が満点とは、私だって思っていない。けれど大きな問題を抱えている、とも思っていない。

私は、フレディ・マーキュリーの声が若すぎるのはネットワークのせいではない、といったけれど、
それでもネットワークに問題がある、と言われる。

ネットワークに問題がなかったことは、私が施したことによる音の変化で確認できた。

聴感上のS/N比をよくするために、それまでさまざまなことを試してきて、実際に成果を出してきて、
聴感上のS/N比とはどういうことなのかを理解している人ならば、
ネットワークに起因することでないのは判断できることなのに……、とどうしても思ってしまう。

聴感上のS/N比は、いまでは特別な言葉ではなくなっている。
そのこと自体はけっこうなことだが、聴感上のS/N比が正しく理解されているのかは、私は疑問を持っている。

残念なことに、フレディ・マーキュリーの声が若すぎるのはネットワークのせいだ、と主張された人は、
途中で帰られたため、私がスピーカーに施したことによる音の変化を聴かれていない。
それでも聴いた人もおられる。

ここでの音の変化を聴いた人たちには、今回のこと、音の変化は共通体験として残っている。
だから、今回のテーマは聴感上のS/N比にする。

これまで聴感上のS/N比について話しても、ある種のもどかしさを感じていたが、
今月の例会をやったことで、そういうもどかしさはなくなったのではないだろうか。
だから話せることがある、話せるレベルのことがある。

そういうわけで、今月の例会での音の変化を聴いていない人には、あまり実感のわかない内容になるはずだ。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 7th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ・その3)

昨夜、私にとって驚きといえることもあった。
喫茶茶会記のお客さん、つまりオーディオには何の関心もない人が、
途中から参加された。

アンプの音は一通り聴いた後だった。
三人のうち、ひとりはプロのダンサーということだった。
少し聴かれていたら、「踊ってもいいですか」ときかれた。
ことわる理由は特にないので、踊ってもらった。

こういうことが起るのは、ここが喫茶茶会記だからである。
オーディオ雑誌の試聴室やオーディオ店では、こういうことは起きない。

そんなこと起きない方がいい、と思う人が多いのかもしれないが、
少なくとも昨夜鳴っていた音は、プロのダンサーが踊りたくなる音であったのだろう。

踊れない音、というものもあると思う。

三人のうち一人は女性だった。
「バグダッド・カフェのような感じがする、なぜだろう……」とくり返していた。
そういえば、バグダッド・カフェ(映画)を観ていないことに気づき、
そもに対して、何の返答もしなかったけれど、ここでの「バグダッド・カフェのよう」は褒め言葉だった。

少なくとも、昨夜鳴っていた音の何かが、彼女にバグダッド・カフェを想起させたのかもしれない。

23時をすぎたころ、プロのダンサーの人が、今度は椅子にこしかけて、
真剣に鳴っている音(音楽)を聴いている姿は、印象に残っている。
背筋をのばして、両手は膝の上において正しい姿勢で聴かれていた。

この時、別のところをいじって、音を変えていた。
その音の変化に対しても、彼にとっては初めての体験であっただろうが、
真剣に耳を傾けている姿は、ここ(喫茶茶会記)で、
こういうことをやった意味があったかも、と思わせてくれた。

まだまだやりたいことはいくつもあった。
喫茶茶会記のアルテックの音は、まだまだ良くなる余地がそうとうにある。

私のスピーカーではないから、あえて積極的には手を出さないようにしている。
それでもこの一年で、少しずつあれこれ店主の福地さんをそそのかしてやっていこうとたくらんでいる。

今日、片付けに喫茶茶会記に昼間行っていた。
Kさんとふたりで片付けながら、またやりたいですね、と話した。

Date: 1月 7th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ・その2)

昨夜は、私とKさんは喫茶茶会記に15時半ごろには着いていた。
アンプの梱包をといて、アンプの置き台を用意して、そのうえにセッティングしていく。
アンプのAC極性をチェックしながら、配線、それから音出しのチェックを行う。

喫茶茶会記はステレオサウンドの試聴室とは違う。
それに伴ういくつかの制約はある。
ケーブルに関してもそうである。

スピーカーケーブルに関しては、試聴室レベルとは到底いえない。
ここもきちんとやれば、もっといい結果が得られるはわかっているけれど、
時間という制約もある。
その中で、今回はアンプの試聴ということなのだから、
そのために必要なことを選択して、それを優先してやっていく。

傍で見ているだけの人からすれば、
あそこがいいかげんだな、と思うだろう。
それはすべてわかってやっている。

その人が気づかないことも、やっている者は気づいている。

今回一通りアンプを聴き終り、何人か換えられたあと、
スピーカーに関するセッティングを手直しした。

ここで、何をやったのかは書かない。
昨夜、最後までいた人は、私が何をやったのかはわかっている。
そして、彼らは、そのことによる音の変化に驚いていた。

その驚きは、アバド/ポリーニのバルトークのピアノ協奏曲を初めて聴いた驚きとは違う種類のもの。
私がやったことは、ここで何度も書いている聴感上のS/N比に関係することである。

オーディオ雑誌で聴感上のS/N比という言葉をみても、なかなか実感のわくものではないのではないか。
わいていたとしても、ズレたものであることも少なくない。

昨夜やったことは、はっきりと聴感上のS/N比を向上させることである。
スピーカーを正面から見ていても、何をやったのかはわからないことをやっている。

費用も手間もほとんどかかっていない。
けれど、私がやったことに対して、アルテックのスピーカーは素直に反応してくれていた。
アンプの違いについても、そうだった。

これも、驚きのひとつとして受けとめた方もいると思う。

Date: 1月 7th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ・その1)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶喫茶茶会記で行っているaudio sharing例会。
昨夜は60回目、丸五年やってきたわけだ。

以前書いているように、喫茶茶会記のスピーカーが新調され、
常連のKさんがアンプを持ち込んでくれることになり、アンプの試聴会を行った。

audio sharing例会で本格的な音出しは今回が初めてである。
初めて来られる方もいるかな、と思ったけれど、
来られた方は常連の方ばかりで、その分、愉しんでもらえたように感じた。

アンプは是枝重治氏のアンプがコントロールアンプが一機種、パワーアンプが三機種がメインといえよう。
管球王国19号に発表されたコントロールアンプを固定して、
ラジオ技術2013年12月号発表の6AQ5プッシュプル、管球王国57号の7695シングル、
管球王国59号発表の807Aプッシュプルの順に聴いていった。

807Aプッシュプルを聴いた後で、コントロールアンプをゴールドムンドのMIMESIS7に替える。
MIMESIS7と807Aプッシュプルの音を聴いて、パワーアンプを7695シングルに替える。

次はオーラデザインのプリメインアンプVA40、
それからゴールドムンドのMIMESIS7とMIMESIS6のペアを聴いた。

スピーカーシステムはアルテックだが、
通常のセッティングではなく、この日のためにセッティングを変えた。
通常の喫茶茶会記での鳴り方とはずいぶん違った面を出せたと思っている。

ゴールドムンドのペアで、試聴ディスク以外をかけることになった。
そこでポリーニ/アバドのバルトークのピアノ協奏曲が鳴った。
1977年の録音である。

いまではバルトークの音楽は現代音楽ではなくなっているけれど、
このころは、まだ現代音楽であったように、私は感じている。
だからこそのアバドとポリーニの演奏だと思っている。

ここでの両者の気迫は、このディスクを最初に聴いた時、圧倒された。
いまでもそのことははっきりと憶えている。

アルテックのA7に準ずるユニット構成で、
そんなバルトークが鳴るものか、と思われるかもしれないが、
昨夜来られていた人で、このディスクを初めて聴いた人は、驚いていた。

そうだろうと思っていた。
まだまだ十全な鳴り方とはいえないところも多々あるけれど、
それでも1977年に、この演奏がなされた意図は、その音から伝わってきたのではないだろうか。

Date: 1月 7th, 2016
Cate: 表現する

「含羞 -我が友中原中也-」

以前、曽根富美子氏の「含羞(はじらひ)-我が友中原中也-」について書いた。
長らく絶版のままだった。
ほんとうに長い間絶版だった。

今日、偶然にも、書店で「含羞(はじらひ)-我が友中原中也-」が平積みされているのに気づいた。
復刊ドットコムから、ようやく復刊されての復活である。

「含羞(はじらひ)-我が友中原中也-」はマンガである。
もうそれだけで読むに値しないと思う人がいるのはわかっている。

音楽はジャンルに関係なくなんでも聴きます──、
そんなことをいっている人が、本に関しては、いわゆる純文学のみで、
それ以外の文学、ましてマンガとなると、どんなに薦めても読もうとしなかった人を知っている。

そういう人は、「含羞(はじらひ)-我が友中原中也-」を読むことはない。
でも、表現する、ということに少しでも関心のある人ならば、
「含羞(はじらひ)-我が友中原中也-」は手にとってほしい。

Date: 1月 6th, 2016
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その1)

菅野先生が、優れたヘッドフォンを「感覚の逸脱のブレーキ」と表現されていた。
確かに、そうだと思う。

車にも、私が趣味としている自転車にもブレーキがついている。
信頼できるブレーキがついているからこそ、スピードを出せるし、ある安心がある。

もし自転車にブレーキがついてなかったり、極端に効きが悪い状態だったら、
そんな自転車には乗りたくないし、仮に乗ったとしてものろのろと乗るしかない。

オーディオは車や自転車とは違う。
ブレーキがなくとも、支障はないといえばそういえる。

それでもアンプのレベルコントロール(ボリュウム)は、
アクセルでもあるが、ある種のブレーキの役目ももつ。

音量を極端に上げすぎた──、
これも「感覚の逸脱」、小さな逸脱といえよう。
だから上げすぎたと感じたら、サッと下げる。

ほとんど無意識に使っている「ブレーキ」だが、
意識的な「ブレーキ」には、ヘッドフォンのほかに何があるだろうか。

Date: 1月 5th, 2016
Cate: 老い

老いとオーディオ(重みが増すからこそ)

以前ほどではないけれど、いまも五味先生の文章を思い出しては読みなおすことがある。
13歳のときから読んでいるわけだから、もう40年近く読んでいる。

もういいかげんあきないのか、と、
五味先生の文章をまともに読んでいない人からはいわれそうだが、
それでも読む、読むのをやめることはない、と断言できる。

読み返すことで、言葉の重みが増していることを実感する。
だから、やめることはないと断言できるのだ。

さりげなく書かれていることが、若いころ読んだ印象よりも、ずっと重みを増している。
だからこそ実感している、ともいえる。

もうひとつ断言できる、
五味先生の文章に関する限り、半端な読み方はしてこなかった、と。

Date: 1月 5th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ(アンプを愉しむ)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

明日の試聴機器です。
CDプレーヤーは、喫茶茶会記常備のラックスのD38u。

アンプは是枝重治氏のアンプがコントロールアンプが一機種、パワーアンプが三機種。
コントロールアンプは管球王国19号に発表されたモノで、組立ては別の人とのこと。
パワーアンプは、管球王国59号発表の807Aプッシュプル、管球王国57号の7695シングル、
ラジオ技術2013年12月号発表の6AQ5プッシュプル。
パワーアンプはすべて是枝氏の組立て。

トランジスターアンプはゴールドムンドのMIMESIS6とMIMESIS7のペア、
それからオーラデザインのプリメインアンプVA40。

この他は喫茶茶会記常備のマッキントッシュの管球式プリメインアンプMA2275、
コントロールアンプのC27の予定です。

あとARのModel 6。
CelloのAudio Paletteと同コンセプトのイコライザー。

スピーカーはアルテックの416-8C(ウーファー)、807-8A+811B(ドライバー+ホーン)、
グッドマンDLM2(トゥイーター)。
エンクロージュアはジェンセンがオリジナルのウルトラバスレフ型(日本では昔オンケン箱とも呼ばれていた)。

今回はスピーカーのセッティングを少し変えようと考えています。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 4th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ(アンプを愉しむ)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

ラジオ技術、管球王国に真空管アンプを発表されている是枝重治氏。
是枝氏が管球王国に発表されたアンプも、常連のK氏のご好意で聴けることになりました。

メーカー製のアンプと一緒に聴ける機会は、あまりないと思います。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 4th, 2016
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その35)

つきあいの長い音がつくり出す音楽美こそ、オーディオマニアの喜びかもしれない。

Date: 1月 4th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(L250)

1976年の時点で、JBL・4343のコンシューマー用モデルL400が登場する、といわれていた。
実際にL400はプロトタイプがつくられていたことは確認できている。

だが1982年、JBLから登場した4ウェイのコンシューマー用モデルは、L250だった。
なぜ、L250という型番だったのか。

L400は4343のコンシューマー用ということだから、上二つの帯域を受け持つのはホーン型、
けれどL250はコーン型とドーム型のために、あえてL400の型番を避けたのだろう、と思っていた。

L250の前にL212というシステムが1977年に登場している。
記憶されている方は少ないかもしれない。

L212は、いわゆる3D方式のスピーカーシステムだった。
3D方式のスピーカーといっても、いまではどのくらいの人がすぐに理解されるだろうか。
私くらいまでの世代がぎりぎりなのか。

10年ほど前だったか、若いオーディオマニアとの会話で、3Dって何ですか、ときかれたことがある。
そのころでさえそうだったのだから、いまはどうなのか。
3D方式とは、いわゆるセンターウーファーであり、今風にいえば2.1chシステムとなる。

L212は、サイドモジュールとウルトラバスモジュールから構成される。
サイドモジュールが、いわゆる一般的な意味のスピーカーシステムで、
20cm口径ウーファー、13cm口径スコーカー、2.5cm口径ドーム型トゥイーターの3ウェイ構成。
ウルトラバスモジュールは30cm口径ウーファーを搭載。
サイドモジュールが二基、ウルトラバスモジュールが一基のシステムである。

サイドモジュールのクロスオーバー周波数は800Hzと3kHzで、-6dB/oct.のネットワークを使用。
70Hz以下をウルトラバスモジュールが受け持つ。

別項「続・再生音とは……」でピアノロールのレコードについて書くために、
ステレオサウンド 45号を読んでいて、L212のネットワークの仕様に気がついた。

L212も-6dB/oct.だったのである。
L250も-6dB/oct.であり、さらに同時にサブウーファーのB460も登場している。

つまりL250+B460のシステムは、L212のスケールアップモデルといえる。
L250はL212をベースにしているところもある、といえよう。
そうであれば、L250という型番に納得がいく。

Date: 1月 4th, 2016
Cate: 再生音

続・再生音とは……(CBSソニーのピアノロールLPについて)

CBSソニー「世紀の大ピアニストたち」の七枚のLPは1977年に発売になり、
ステレオサウンドでは44号に広告が載っている。

広告にもあるように、当時のソニーの会長だった盛田昭夫氏のコレクションをレコード化したものだ。
45号の記事とあわせて読むと、盛田氏のコレクションは録音時点で998本で、
録音に使われたのは約100本、コレクションの一割がレコードになったわけである。

監修は岡先生であり、
第一巻がヨーゼフ・ホフマン、第二巻がイグナツ・ヤン・パデレフスキー、
第三巻がアルフレッド・コルトー、
第四巻は伝説の巨匠たちというタイトルで、ゴドフスキー、パハマン、フリートハイム、ガブリロヴィッチなど、
第五巻は若き比の巨匠たちで、ホロヴィッツ、バックハウス、ルービンシュタイン、フリートマンなど、
第六巻は女流ピアニスト名演集で、ランドフスカ、エリー・ナイ、ノヴァエスなど、
第七巻は大作曲家、自作自演集で、ガーシュイン、プロコフィエフ、サン=サーンス、グラナドスなど、
となっていて、この企画はCSBソニー創業10周年記念でもあり、
エジソンが蓄音器を発明した1877年からちょうど100年目ということで、実現になった、とある。

録音は盛田氏の自宅で行なわれている。
ピアノはスタインウェイで、フォルセッサーはアメリカ・エオリアン社のデュオ・アート。

録音場所がスタジオやホールではなく、個人の住宅ということから、
スタインウェイの調律は、この条件下でピアニスティックに響くように、
調律師の枡渕直知氏が、一日半かけて行われている。

CBSソニーにとって、この「世紀の大ピアニストたち」が初のデジタル録音である。
テスト録音はすでに何回を行っていたが、当時のデジタル録音には、まだ編集の問題が残っていた。

45号の記事では、76cmのアナログ録音では2mmきざみ(約1/400秒に相当する)の編集をやっていたけれど、
同レベルでのデジタルでの編集はできなかったため、
こまかな編集を必要とする録音は避けようということで、
ピアノロールによる自動ピアノがデジタル録音第一段に選ばれている。