感覚の逸脱のブレーキ(その1)
菅野先生が、優れたヘッドフォンを「感覚の逸脱のブレーキ」と表現されていた。
確かに、そうだと思う。
車にも、私が趣味としている自転車にもブレーキがついている。
信頼できるブレーキがついているからこそ、スピードを出せるし、ある安心がある。
もし自転車にブレーキがついてなかったり、極端に効きが悪い状態だったら、
そんな自転車には乗りたくないし、仮に乗ったとしてものろのろと乗るしかない。
オーディオは車や自転車とは違う。
ブレーキがなくとも、支障はないといえばそういえる。
それでもアンプのレベルコントロール(ボリュウム)は、
アクセルでもあるが、ある種のブレーキの役目ももつ。
音量を極端に上げすぎた──、
これも「感覚の逸脱」、小さな逸脱といえよう。
だから上げすぎたと感じたら、サッと下げる。
ほとんど無意識に使っている「ブレーキ」だが、
意識的な「ブレーキ」には、ヘッドフォンのほかに何があるだろうか。