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Date: 8月 14th, 2016
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その2)

組合せの記事は昔からの定番である。
いままでオーディオ雑誌全体で、
どれだけの数の組合せがつくられてきたのかは数える気にもならない。
とにかく多かった。

参考になる組合せもあれば、ほとんど参考にならない組合せ、
自分の音楽的嗜好とは違うけれど、興味深い組合せなどがあった。

予算別の組合せもけっこうあった。
予算というのは現実的なものである。
そして、オーディオ雑誌に載った組合せそのままを買える(買った)人は、
いったいどのくらいいるのだろうか。

はじめてシステムを一式揃える人、
つまりオーディオの入門者の場合は、オーディオ雑誌掲載の組合せそのままということもあろう。

けれど、そこから先はシステムを一式買い換える人はそうはいない。
最初のシステムのどこかをまず買い換える。
アンプだったり、スピーカーだったりする。
最初にアンプを買い換えた人は、次はスピーカーかもしれないし、プレーヤーかもしれない。

予算に制約がなければ、オーディオ雑誌推奨の組合せを一式、
もしくはオーディオ販売店推奨のシステム一式ということもできるが、
そんな人はそうそういない。

ひとつずつ(少しずつ)、システムのどこかを買い換えてグレードアップしていく。
そのためシステム全体の組合せとしては、一時的にちぐはぐなところができてしまうことだってある。

同じことはスピーカーシステムの構築においてもいえる。
最初から目的とするユニットをすべて揃えられるのならば結構。
でもそうはいかない人(こと)のほうが多い。
構築の過程においては、一時的にちぐはぐなシステム(組合せ)になろう。

audio sharing例会で使うスピーカーも、
ウーファーにJBLの2220、2205、2231あたりが用意できればと思う。
でも、そこにあるモノを鳴らしていく。

制約・制限がある中で、どれだけ自在に鳴らしていけるかで、
鳴らし手の力量が問われるからこそ、面白いと感じる。

それに同じ組合せといっても、
システム全体の組合せを水平的とすれば、
スピーカーシステムの組合せ(自作)は垂直的といえる。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その1)

喫茶茶会記で毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会。
そこでの音出しに使うスピーカーは、既製品のスピーカーシステムではない。

いわば自作のスピーカーシステムということになり、
アルテックのウーファーとエンクロージュアは固定だが、
上の帯域に関してはアルテックの807-8A+811Bであったり、
JBLの2441+2397であったりする。

ネットワークも一般的な12dB/oct.スロープであったり、
6dB/oct.スロープの直列型であったりする。
クロスオーバー周波数もいくつか試している。
先日は別項で書いているように2405を追加して3ウェイにした。

こうやって一月に一回、もしくは二月に一回だったりするが、
スピーカーそのものをいじっていると、なかなか楽しいし、
スピーカーシステムも組合せだということを、いまさらながら実感させられる。

私がオーディオに興味を持ち始めたころは、
既製品のスピーカーシステムを使うのが一般的といえた。

自作スピーカーの書籍、ムックも、いまより出ていたし、
エンクロージュア製作の会社も、けっこうな数あった。

いまよりも自作スピーカーに向いていた時代でもあったけれど、
それでも最初は既製品だった。

10cm口径のフルレンジユニットを買ってきて、
手頃なエンクロージュアに入れれば、それも自作スピーカーといえる。
これならばそれほど手間もお金もかからない。

たいした音はしないだろう、と思うかもしれないが、
小口径フルレンジには、これならではの魅力があるし、
ここで終ってしまうわけでもない。

次のステップとしてエンクロージュアを変えてみる、という選択もあるし、
トゥイーターをつけて2ウェイにするという選択もある。
あまりしないだろうが、トゥイーターではなく、ウーファーをつけ加えて2ウェイにするのもありだ。

トゥイーターにするか、ウーファーするかは、
つくりあげようとするスピーカーに何を求めるかによって変ってくる──、
というよりも、オーディオを始めたばかりの人にとっては、
特に若い人にとっては予算の都合が、どちらを選択するかを決定する、ともいえる。

トゥイーターならば、ユニットだけでもすむ。
ユニットの価格もウーファーほどではないし、
ネットワークもウーファー用はコンデンサーもコイルも値の大きいモノが必要となり、
同程度のグレードのパーツで組むのなら、トゥイーターの方が安く済む。

プレーヤー、アンプ、スピーカーからなる組合せも予算の都合が影響大だが、
スピーカーも制約があるのは同じであり、だからこそ発展させていく面白さがある。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その5)

伝言ゲーム,つまりコピー技術としてはアナログよりもデジタルが圧倒的に有利である。
けれど、ここでのタイトルは
「コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ」としている。

だからデジタルとアナログの関係について考えていく必要がある。

デジタル(digital)とアナログ(analog)の関係性は、
デザイン(design)とアート(art)の関係性に近い、似ているのではないか、と、
この項を書き始めたころから思いはじめていた。

そう思うようになったきっかけはたいしたことではない。
どちらもDとAだからである。
偶然の一致ととらえることもできるし、そう考える人の方が多数であろう。

でもデジタル(digital)とアナログ(analog)もDとA、
デザイン(design)とアート(art)もDとA、
単なる偶然だといいきかせようとしても、無関係とは思えなかった。

8月13日の川崎先生のブログ『アッサンブラージュの進化を原点・コラージュから』を読んで、
単なる偶然とは、ますます思えなくなってきた。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その4)

私も声は大きい方だから気をつけなければならないのだが、
意外な人が話を聞いていたりする。

10年ほど前のインターナショナルオーディオショウでの、
業界関係者の会話も、いまだったらどうなるだろうか。

こんなことを話していた、と、すぐにtwitter、facebookで公開される可能性が高い。
場合によっては目線入りの写真付きでの公開かもしれない。

10年ほど前はスマートフォンはなかった。
いまは多くの人が持つようになったし、すぐに写真が撮れて加工もできて、
すぐさま公開することが、スマートフォン一台で可能になっている。

ある話を当事者の人から聞いた。
オーディオの関係者の人で、CESの取材にアメリカに行ったときのことである。
会場近くのホテルのバーで、アメリカのオーディオ関係者と飲んでいた。
アメリカのオーディオ関係者が、とあるメーカーのことを「あの会社はもう終りだ」、
そんなことを話したそうだ。これもまだスマートフォンがないころの話だ。

そのことを日本のオーディオ関係者は黙って聞いていた。
黙って聞いていたのは彼だけではなかった。
別の、アメリカのオーディオ関係者が近くの席で聞いていた。

その人によって、もう終りだといわれた会社の主宰者の耳に入った。
日本のオーディオ関係者は、「あの会社はもう終りだ」に同意していたわけではなかった。
だが否定もしなかった。

そのことがアメリカでは、肯定したと捉えられ、
その会社の主宰者と日本のオーディオ関係者との親しい仲は終ってしまった、と。

「そうは思わない」と一言発していれば、そうはならなかった。
まわりに別のオーディオ関係者がいなければ、そうはならなかった。
けれど不幸なことに、そこはアメリカであり、沈黙は肯定と捉えられるところであった。

黙っていたこと、はっきりと自分の意見を言わなかったことを後悔されている。

いまは同じことが、もっと簡単に起ってしまうかもしれない。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その3)

2405のカタログ発表値では、周波数特性は6.5kHz以上となっている。
4343では9.5kHz、4350では9kHzがクロスオーバー周波数となっている。

今回は計算値では14.4kHzのカットオフ周波数で2405を追加した。
スロープ特性が違うので単純比較はできないものの、かなり高い周波数から2405をつけ足している。

2405はいまとなっては最新設計のトゥイーターとはいえない。
カタログでみても、21.5kHzが周波数特性の上限として発表されている。
ハイレゾ、ハイレゾと騒いでいる現在では、21.5kHzまでのトゥイーターは、
ナロウレンジのトゥイーター扱いされかねない。

けれど2405があるとないとでは大きく音は違ってくるし、
今回は2405の置く位置だけを調整したが、これも大きな違いとしてあらわれた。

できれば台座を組んで、2441の真上にくるように設置することも考えたが、
今回は2441の横に、角材をかまして置いた。
ボイスコイルの位置を、2405と2441で合せて、あとは2405を横方向にスライドしていった。

今回の2405にはバッフルが装備されていた。
計っていないが、20cm以上はあった。
これをエンクロージュアの上で動かすのだから、それほど自由に動かせるわけではない。
エンクロージュアから2405のバッフルがはみ出ない範囲での調整である。

このわずかな移動でも、音はころころ変ってくる。
2405と角材の重量が、新たにエンクロージュアの天板に加重されているのだから、
その位置によって天板の振動モードは変化し、
ひいてはエンクロージュア全体の振動モードも影響を受ける。

そのことはわかっていたにも関わらず、14kHz以上のカットオフ周波数でも予想以上に変化した。
今回2405の位置決めに使ったディスクは一枚だけである。
時間があれば複数枚のディスクを使うけれど、今回のような場合には、一枚に絞って決めた。

「新月に聴くマーラー」がテーマだったが、調整に使ったのはマーラーではない。
全体の音の確認に使ったディスクもマーラー以外のものばかりである。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その4)

デジタルの伝言ゲームであれば、
途中にあるメディアの種類がなんであれ、そこで使う機器がなんであれ、
オリジナルのデータと最終的にコピーされるデータは一致する。
それぞれのメディア、ハードウェアに不具合がなければ、データの欠落は生じない。

ハードディスクにオリジナルのデータがあったとする。
それを別のハードディスクにコピーする。次はDVD-Rにコピーする。
その次はSSDに、さらには昔懐しい光磁気ディスクに、そしてまたハードディスク……。
そんなふうにさまざまなメディアを使ったとしても、処理にかかる時間に変化は生じても、
データそのものに欠落は生じない。

つまりコピーに使われる介在する機械の特有の特性・特徴によって、
データが欠落するということはない。

もちろん再生する段階になれば、
それぞれの機械、メディア特有の特性・特徴によって音は変ってくるけれど、
ここではあくまでもコピーしていくことだけに話を絞っている。

アナログの場合はどうだろうか。
100回の、コピーに使用する機械をすべて同じモノを用意したとする。
たとえばカセットテープだとしよう。
同じカセットテープ、カセットデッキを用意する。交互に使って100回のコピーをする。

その場合、テープ、デッキに固有する特性・特徴がそれだけ最終的なコピーに大きく影響する。
苦手とするところが同じになるわけだから、そうなってしまう。

ではカセットテープ(デッキ)、オープンリールテープ(デッキ)、アナログディスク(プレーヤー)、
これらを複数台用意してのコピーはどうだろうか。
アナログディスクに関してはカッターレーサー(ヘッド)も用意することになる。
しかもそれぞれに違う機種を用意する。

そうなるとそれぞれの機器に固有する特性・特徴は一致するわけではないから、
コピーの順序を変えたりすることによっても、最終的な結果に違いが生じてくる。

それぞれの録音・再生の方式に固有する特性・特徴が違うためである。
もっといえば一台のテープデッキの中でも、録音した時点でなんらかの変質が生じ、
それを再生する時点でもなんらかの変質がまた生じている。

デジタルの伝言ゲームでは、途中で再生というプロセスはない。
録音は記録というプロセスであり、
記録したデータを読みだしてそのまま次の機器(メディア)へ伝送していく。

アナログの伝言ゲームでは録音し再生するというプロセスを経る。

こう考えていくと、
ますます無機物(デジタル、客観)であり、有機物(アナログ、主観)と思えてくる。

Date: 8月 12th, 2016
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その26)

アンバランスという言葉を使ってしまったが、
当時はそんな言葉は知らなかった。
ただただ二本ある信号線の片側が接地(アース)されているのが理解できなかった。

大学で電子工学を学んでからオーディオマニアになった人ならば、
こんなことに疑問を抱かないであろうし、
まわりにオーディオに詳しい年上の人がいれば、
私の疑問に答えてくれたかもしれない(たぶん無理だと思う)。
そのころにインターネットがあれば、誰かに質問して答を求めたかもしれない。

そういう環境ではなかった。
中学校で習うのは理科である。物理ではなかった。
理科の知識では、片側接地の理由がわからなかった。

だからカートリッジでスピーカーを鳴らすというモデルを考えるしかなかった。
ただ運が良かったとでもいおうか、
これがCD全盛のころだったら、そういう考えも起きなかったかもしれない。

1970年代はアナログディスク全盛の時代である。
だからこそカートリッジでスピーカーを鳴らすというモデルの発想ができた、ともいえる。

オーディオ機器のさまざまな動作原理を理解するのに必要な知識が、まだ身についていなかった。
にも関わらず疑問を抱き、その疑問に対して答を求めようとするとき、
こういう極端なモデルの想像は、意外にも、というかかなり役に立つことがある。

Date: 8月 12th, 2016
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その25)

トランスはプリミティヴなパーツである。
にも関わらず理想に近いトランスの実現は不可能であり、
トランスほど、優れたモノとそうでないモノとの差は大きい。

抵抗やコンデンサー、コイルといったパーツよりも、その差は大きい。
しかもきちんと使いこなすためには、意外にもノウハウが必要となる。

それに良質のトランスは昔から高価でもあった。
真空管アンプの出力インピーダンスをただ単に下げるだけなら、
ライントランスを使うよりも終段の真空管をカソードフォロワーにしたほうが、
コスト的に安くなるし、性能的にも優れたなのになる。

それでもあえてトランスを選択する人がいる。

オーディオに興味をもった40年前。
最初に疑問に感じたのは、なぜアンプにしても、すべてのオーディオ機器はアンバランスなのか、
ということだった。

オーディオ信号は交流である。
交流はプラスとマイナスが反転する。
ということはプラスとマイナスは同条件の必要がある。
そうでなければ行って帰ってくることができないのではないか。

まだアンプの動作に関しても何も知らない13歳の私はそんな疑問をもった。

そして次に考えたのは、もっともわかりやすいモデルを考えた。
つまりカートリッジがスピーカーをドライヴすると、という最も単純なモデルである。

イコライザーカーヴがあるのは知っていたけれど、ここでは単純化のために無視する。
とにかくカートリッジが非常に高能率で、スピーカーも同じように高能率である。
カートリッジの出力をそのままスピーカーにつなげば、きちんとした音量と音質が得られる。
そういう、現実には在りえないモデルを想像したうえで、あれこれ考えていった。

Date: 8月 12th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)

ハフィントンポスト日本語版に、鳥越俊太郎氏のインタヴュー記事が公開されている。

そこでの鳥越氏の発言に、こんなのがあった。
     *
あなたたち(ハフポスト日本版)には悪いんだけれど、ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている。メールは見ますけれど、いろんなネットは見ません。
     *
同じといえる会話を、
十年ほど前にインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことを思い出していた。

人を待っていたので、会場のB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。

誰なのかは、どこのブースの人なのかは書かない。
このふたりは、インターネットはクズだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。

確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。

それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなる。

Date: 8月 11th, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その3)

そろそろアナウンスがあってもいいんじゃないか、と期待していることがある。
コルグが開発した真空管Nutubeの出力管版である。

昨年1月の発表から一年半以上が経ち、Nutubeを搭載した試作機の試聴会も行われているようだ。
オーディオメーカーからコルグへの問合せも多いようだ。
秋にはなんらかの製品が登場してくるであろう。

それから一般市販も期待したいところである。
と同時に、ぜひとも開発してほしいのが、出力管の開発だ。
Nutube同様、直熱三極管を開発してほしい、と一方的に思っている。

Nutubeの電源電圧は5Vから80Vとなっている。
もしNutubeの出力管が登場したら、低電圧からの動作も可能になるのではないだろうか。
内部インピーダンスはどの程度になるだろうか。
私が勝手に期待しているスペックで出てくれれば、
管球式OTLアンプの設計がずっと楽になるはずである。

OTLアンプでなくとも、出力トランスの一次側インピーダンスをかなり低くできる可能性もある。
それにNutubeのヒーターは電圧0.7V、電流17mAで、
Nutubeの出力管も従来の出力管よりもずっと低いヒーター電圧と電流に抑えられれば、
出力管のヒーターの定電流点火も現実味を帯びてくる。

暑い夏、真空管アンプは休ませているというオーディオマニアも少なくない。
確かにこれだけ暑い夏だと、発熱量の多い真空管アンプ、
それもOTLアンプは涼しくなるまで、この音を聴くのはがまんしよう、
という気持になるのはごく自然なことかもしれない。

けれど出力管までNutubeで構成できれば、発熱の多さをあまり気にしなくもよくなる。
しかもオール直熱三極管でパワーアンプを構成できる。
もっとも古典的な構成を、もっとも現代的な真空管を使って実現できるようになる。

コルグがNutubeの出力管の開発に取り組んでいるのかどうかは、まったく知らない。
でも、まったく考えていない、取り組んでいないとも思えないのだ。

Date: 8月 11th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その7)

カスリーン・フェリアーのバッハ/ヘンデルのアリア集を聴きたい、とも、
デコラを聴いた時に思っていた。

いまもデコラで、この愛聴盤を聴きたい、と思う。

フェリアーのこの録音はモノーラル録音であり、
ずっとモノーラル録音の盤を聴いてきた。

けれどフェリアーのアリア集は、
バックのオーケストラのみをステレオ録音にしたレコードも出ている。
デッカともあろうものが、なんと阿呆なことをするものだと、
そのレコードの存在を知ったときには思っていた。

だから手にすることもなかった。聴いてもいない。
けれど、ひさしぶりに、或るところでデコラと対面した。
ターンテーブルが不調でレコードを聴くことはできなかったけれど、
丁寧に磨き上げられた、そのデコラを眺めているうちに、
そうなのか、デッカは、もしかするとデコラでフェリアーを鳴らすために、
わざわざオーケストラをステレオ録音に差し替えて出したのか……、と思っていた。

デッカのデコラは、最初はモノーラルだった。
その後、1959年に、ここでデコラと書いているステレオ・デコラが登場した。
だから本来ならばデコラと書いた場合は、モノーラルのデコラであり、
ステレオのほうはステレオ・デコラとするべきである。

にも関わらず私にとってデコラは、ステレオ・デコラであり、
モノーラルのデコラについて話すときは、モノのデコラと言ったりしてしまう。

本末転倒だな、とわかっていても、
そのくらい、私にとってデコラとはステレオ・デコラのことであり、
それはデッカの人たちにとってもそうだったのかもしれない、
と気づかせてくれたのが、フェリアーのオーケストラ差し替え盤だった。

Date: 8月 11th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その6)

金が欲しい!

私もデコラの音に触れたときに、そう思っていた。
デコラを買えるお金だけではなく、デコラを置ける部屋をも用意するだけのお金が欲しい!、
と思った。

五味先生は
《デッカ本社の応接室で、あの時ほどわたくしは(金が欲しい!)と思ったことはない。》
と書かれている。

これまでに数々のオーディオ機器を聴いてきて、欲しいとおもったことはある。
その欲しいと思ったオーディオ機器を手に入れるために、金が欲しい! と思ったこともある。
でも、デコラを聴いたときほど、金が欲しい! と思ったことはない。

初めて聴くことができたデコラは、満足のいく感興ではなかったにもかかわらず、
私にそう思わせた。
同時に、S氏(新潮社の齋藤十一氏)は、デコラだったからあの方法、
コレクションから追放していくレコードを決めていけることに気がついた。

文字の上では、齋藤十一氏がデコラだということは知ってはいた。
デコラの音がどういう音であるのかも文字の上では或る程度は知っていたし、想像していた。

それでも、哀しいかな、そこでとまっていた。
それ以上は、実際にデコラの音に触れて、気づいたわけだ。

Date: 8月 10th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その5)

五十嵐一郎氏の「デコラにお辞儀する」から、
デコラの音についてのところを拾っていこう。
     *
新潮社のS氏が、多分、五味康祐氏の英国本社での試聴報告をうけて買われた。西条卓夫氏が聴きに行かれたのでその結果をお訊ねすると、「君、あれはつくった音だよ」とおっしゃる。もうこれは買おうと思いました。人為的というのは文明のあかしです。
(中略)
 アウトプット・トランスといっても、ごく小さなものですし、回路図なども若い技術屋さんにお見せすれば、多分失望すると思います。ただ、私はちょっと考えが別でして、やはりそれなりに考えていると感じているんです。というのは、カートリッジがデッカ以外にかかりませんから、例えばゲインコントロールの位置一つとっても、プリアンプの最後に設けてあったりする。ですからSN比がいいですし、途中の適当なところで絞るというのじゃありませんから、他の装置で聴いてて具合が悪いようなレコードをかけても、振動系のよさもあってスッと通してしまう。このへんは見事です。
(中略)
 そういえば、モノーラルやSPの復刻盤、こういったソースをいま流の周波数レンジの広い装置で聴くと、ぼけてしまって、造形性というか彫りがなくなってしまんですね。ところがこのデコラですと、ひじょうにカチッとしている。まったくへたらないでいて、決してかたくはない。冬の日だまりで聴いているみたいな、ホワッとした感じがあります。
 池田圭氏曰く、「ハイもローも出ないけど諦観に徹している」、大木忠嗣さん曰く、「これは長生きできる音だなぁ」。まさにその通りの音だと思います。
 いま流の装置で、たとえばジャック・ティボーの復刻盤などを聴くと、何か、一つ楽興がそがれるようなところがある。デコラの音を一種楽器的な要素があるというむきもありますが、米ビクトローラWV8−30とか英HMV♯202や♯203のような手巻き蓄音器のティボーの音色とデコラの音ははひじょうに近い。
(中略)
 じゃ、いい、いいっていったって、一体どんな音なんだといわれますと、表現がちょっと難しいんです。再生装置の音を表現するのに五味康祐氏はよく「音の姿」だとおっしゃいましたね。やはり亡くなった野口晴哉氏は、口ぐせで「何も説明しなくてよいのに。黙って聴かせてくれればいいのに」など、テクニカル・タームを一切まじえずに表現され、「まじめな音」がいいとおっしゃった。
 デコラを言葉でなにか慎重に選ぶとすると、「風景」ということばを使いたいですね。ぼくは聴いていて「風景」が見えるような感じがするんですよ。ラウンド・スコープといいますか、決して洞窟的な鳴り方ではない。強いて人称格でいえば、やはり男性格じゃなくて、これは女性格だと思います。それ若くはない、少し臈たけた感じの女性……。
 冬に聴いていますと、夜など、雪がしんしんと降り積もっている様子が頭にうかびます。夏に聴けば、風がすーっと川面を渡っていくような感じ、春聴けば春うららっていうような感じ。自分の気持のもちようとか四季のうつりかわりに、わりと反応する気がする。
 池田圭氏も夏に聴きにこられて「庭をあけたら景色とよく合う、こんなのはめずらしい」といわれましたんで、ぼくだけがそう感じるというのじゃないと思います。
 レコードを聴きながら、いつも景色を見せてもらっている。逆にいうと音から季節感のようなものが感じとれる。それがデコラのよさでしょうね。音の細さとか肉がのっているとか、姿がいいとかいえないわけじゃなりませんが、「風景がみえる」というのが、やはりぼくは最もふさわしい表現だと思います。
     *
こういう音を聴かせてくれるデコラに、
五十嵐一郎氏は《聴いたあと、一人で拍手をしたり電蓄に向っておじぎを》される。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その4)

ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurには、
五十嵐一郎氏の「デコラにお辞儀する」が載っている。
カラーページを含めて10ページの、デコラだけのページである。

デコラに関して知りたい人がいまもいるならば、まずこの記事を読むことをすすめる。
こんな書き出しで始まる。
     *
 コンポーネント全盛のこの時勢に、やれ電蓄だの蓄音器が欲しいといって、いささか回りの人たち顰蹙を買っているんですが、レコード音楽を聴き込めば聴き込むほど、装置全体の忠実度の高さとかリスナーとの整合性とは全然関係ない、つまり自分の体験した出来事に基づいた想い、を知らず知らずのうちに聴いていることにある日気づいたんです。やはり、「音がいいだけじゃ、つまらぬ」といいたいなぁ。私がまた、「音楽を聴くのに、何よりもシチュエーションが大事」と痛感するようになってきたことも、名器なるものを意識するようになった動機の一つだと思います。
     *
いまもコンポーネント全盛の時代である。
電蓄の時代よりも、コンポーネント全盛の時代のほうが、ずっと長い。
これからもしばらくはコンポーネント全盛の時代が続いていくはずだ。

21世紀の電蓄は、たとえばリンが目指している方向もそのひとつといえるようが、
リンの人たちは、いま彼らが取り組んでいることを「21世紀の電蓄」と呼ばれたいのか、とも思うし、
個人的にも、あの方向を電蓄とは呼びたくない。

デコラはS氏のところに到着したときに、三台輸入されている。
このことは五味先生も書かれているし、五十嵐氏も書かれている。
そのうちの一台は毀れていた。

一台はS氏(新潮社の齋藤十一氏)のところに、
もう一台の行方を五十嵐氏は探され見つけだし、入手されている。
シリアルナンバー11番のデコラである。

となると齋藤十一氏のデコラもシリアルナンバーは近いのか。
「デコラにお辞儀する」によると、
デコラは、デッカ・スペシャル・プロダクト部門によって百台作られたとのこと。

何台現存しているのか。
そのうち何台が日本で鳴っているのだろうか。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その2)

JBLの4300シリーズのスタジオモニターには、トゥイーターに2405が使われていた。
4333、4341、4343、4344、4345、4350、4355などがそうである。
4333、4343などはウーファーは2231Aシングルで、中高域のドライバーの2420。
それに対して4350、4355になるとウーファーはダブルになり、ドライバーは2440(2441)になる。

同じ4ウェイの4343と4350をもう少し細かく比較してみると、
ウーファーは同じ2231Aのシングルとダブルの違いがあり、
ミッドバスは2121と2202の違いがる。
このユニットの違いは、磁気回路を含めて比較すると口径差以上に大きいといえる。

そしてミッドハイのドライバーの違い。
2420のダイアフラム口径は1.75インチに対して、2440(2441)は4インチ。
この違いは、4343と4350の使用ユニットの違いでもっとも大きいといえよう。

ダイアフラムの口径の違いは面積の違いでもあり、
面積の違いは動かせる空気量の違いでもあり、
面積の違い以上に空気量の違いは大きくなる。

ダイアフラムがこれだけ大きくなれば、それに応じて磁気回路も物量が投じられ、
カタログ値では2420は5kg、2440は11.3kgとなっている。

これらの違いにより、音圧ではなくエネルギー量についていえば、
4350は4343の二倍以上を楽に出せるわけで、実際に聴き比べた経験のある方ならば、
わかっていただけよう。
井上先生も、よくこのエネルギー量の違いについては話されていたことも思いだす。

下三つのユニットがこれだけ違うのに、トゥイーターは4343も4350も2405と同じである。
4350では2405がダブルで使われているわけではない。
これは2405の力量が、それだけ高いといえるし、
4343や4333などではまだまだ余裕を持って使われていた、ともいえよう。