コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その4)
デジタルの伝言ゲームであれば、
途中にあるメディアの種類がなんであれ、そこで使う機器がなんであれ、
オリジナルのデータと最終的にコピーされるデータは一致する。
それぞれのメディア、ハードウェアに不具合がなければ、データの欠落は生じない。
ハードディスクにオリジナルのデータがあったとする。
それを別のハードディスクにコピーする。次はDVD-Rにコピーする。
その次はSSDに、さらには昔懐しい光磁気ディスクに、そしてまたハードディスク……。
そんなふうにさまざまなメディアを使ったとしても、処理にかかる時間に変化は生じても、
データそのものに欠落は生じない。
つまりコピーに使われる介在する機械の特有の特性・特徴によって、
データが欠落するということはない。
もちろん再生する段階になれば、
それぞれの機械、メディア特有の特性・特徴によって音は変ってくるけれど、
ここではあくまでもコピーしていくことだけに話を絞っている。
アナログの場合はどうだろうか。
100回の、コピーに使用する機械をすべて同じモノを用意したとする。
たとえばカセットテープだとしよう。
同じカセットテープ、カセットデッキを用意する。交互に使って100回のコピーをする。
その場合、テープ、デッキに固有する特性・特徴がそれだけ最終的なコピーに大きく影響する。
苦手とするところが同じになるわけだから、そうなってしまう。
ではカセットテープ(デッキ)、オープンリールテープ(デッキ)、アナログディスク(プレーヤー)、
これらを複数台用意してのコピーはどうだろうか。
アナログディスクに関してはカッターレーサー(ヘッド)も用意することになる。
しかもそれぞれに違う機種を用意する。
そうなるとそれぞれの機器に固有する特性・特徴は一致するわけではないから、
コピーの順序を変えたりすることによっても、最終的な結果に違いが生じてくる。
それぞれの録音・再生の方式に固有する特性・特徴が違うためである。
もっといえば一台のテープデッキの中でも、録音した時点でなんらかの変質が生じ、
それを再生する時点でもなんらかの変質がまた生じている。
デジタルの伝言ゲームでは、途中で再生というプロセスはない。
録音は記録というプロセスであり、
記録したデータを読みだしてそのまま次の機器(メディア)へ伝送していく。
アナログの伝言ゲームでは録音し再生するというプロセスを経る。
こう考えていくと、
ますます無機物(デジタル、客観)であり、有機物(アナログ、主観)と思えてくる。