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Date: 9月 9th, 2016
Cate: 柔と剛

柔の追求(その12)

ハイルドライバー(Air Motion Transformer)は原理的には同相のダイボール型である。
ADAMのAMTユニットX-ART、エラックのJET、
それ以外にもいくつかのメーカーがつくっているAMT(Air Motion Transformer)は、
ダイアフラム背面を磁気回路でふさいでしまっているため、
ダイボール特性ではなくモノポール特性としてしまっている。

ADAMにしろエラックにしろエンクロージュアのフロントバッフルにAMTユニットをとりつけている。
ESSのamt1のようにエンクロージュア上部に置いた形であればダイボール特性をいかせるが、
エンクロージュアをもつのであればそうもいかないし、
ダイアフラム背面をふさいでいなければ、ウーファーの背圧をモロに受けてしまい、
ダイアフラムがゆすられてしまう。

それを防ぐためにも磁気回路でダイアフラム背面をふさぐか、
もしくはバックキャビティをもうけるかである。
どちらにしろダイボールではなく、モノポールになる。

ハイルドライバーに対し、ピストニックモーションのユニットは逆相のダイボール型である。
ここでユニークなのは、インフィニティのスピーカーシステムである。

インフィニティは1980年ごろ、ラインナップを一新して、
中高域にEMIM、EMITと呼ばれる独自のユニットを採用するようになった。

インフィニティのこの時代のシステムがユニークなのは、
EMITをシステムの背面にも取りつけている点である。

フラッグシップモデルのIRSは前面にEMITを24、背面に12取りつけている。
普及クラスのReference Standard 4.5では前面に3、背面に1となっている。

EMITは5kHz以上を受け持っている。
つまり5kHz以上の帯域はダイボール特性であり、しかも同相のダイボールである。

Date: 9月 9th, 2016
Cate: 柔と剛

柔の追求(その11)

ステレオサウンド 72号の特集「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」で、
朝沼予史宏氏はアクースタットのModel 1+1のところで、こう書かれている。
     *
 70年代中期以降、米国のハイエンドのオーディオシーンは静電型をはじめとするダイボール型スピーカーが牽引してきた感があるが、アクースタットの占める位置は実に興味深い。
     *
ダイボール(dipole)型と呼ばれるスピーカーは、前面と後面に等しく音を放射する。
厳密にいえばQUADのESLの前面と後面の音は等しいとはいえない。
実際のESLを分解してみれば、すぐにわかることである。

それでもコーン型ユニットの後面の音をエンクロージュアで囲ってしまったり、
ドーム型、ホーン型といった方式と比較すれば、QUADのESLも充分ダイボール型といえる。

確かにアメリカでは1970年代中期以降、マグネパンも登場しているし、
インフィニティもこのころはトゥイーターにウォルッシュ型を使い、
水平方向の無指向性を確保している。
ハイルドライバーのオリジネーターといえるESSのamt1もトゥイーターはダイボール型である。

1980年代にはいり、オールリボン型のアポジーが登場する。
このスピーカーもダイボール型である。

ただしリボン型トゥイーターの場合、多くは磁気回路でダイアフラムの背面をふさいでいるため、
ダイボール型にはなっていないものも多い。
パイオニア、デッカ、ピラミッドのリボン型、テクニクスのリーフ型がそうである。

ダイボール型が音場感豊かな音聴かせてくれる──、
そう思いこんでいる人はけっこういるようだ。
そういう人たちの中には、音場感の豊かさと音場再現を混同している人も少なくない。
私はそう感じることがけっこうある。

ダイボール型が得意とするのは、音場感なのか音場なのか。
これについては、あえてここでは述べない。
ここで書いておきたいのは、
ダイボール型には後面の音が前面の音と同相のものと逆相のものがある、ということだ。

Date: 9月 8th, 2016
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その4)

「耳に遠く、心に近い」音と「耳に近く、心に遠い」音。
一年ほど前に書いたことだ。

後者の「耳に近く、心に遠い」音が、とても増えてきたように感じている。
ステレオサウンドで高い評価を得ているスピーカーシステムのいくつかにも、
「耳に近く、心に遠い」音のように感じている。

どのスピーカーがそうだとは書かない。

心に近い、心に遠い──ほど、主観的なことはない。
だから私にとって、私の心に近い音が、別の人にとって心に近いとは限らないし、
反対に遠いと感じることだってあるのだから。

ひとりひとりが見極めればいいことである。
同時に、私にとって「心に遠い」音を出すスピーカーを高く評価している人もまた、
私にとって「心に遠い」人ということになっているのかもしれない。

Date: 9月 8th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その2)

時代の軽量化。

それは残心なき時代のことのようにも感じている。

[残心]
武道における心構え。一つの動作が終わってもなお緊張を解かないこと。剣道では打ち込んだあとの相手の反撃にそなえる心の構え、弓道では矢を射たあとその到達点を見極める心の構えをいう。
(大辞林より)

Date: 9月 8th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その31)

接点をこまめにクリーニングする知人がいた。
彼がオーディオ機器のセッティングを大きく変更するというから手伝ってほしい、といわれた。

セッティングの変更だから、まず接続ケーブルを外していくことから始まる。
ここで気づいたのだが、確かに接点はこまめにクリーニングされているようであるが、
RCAプラグがスポッと簡単に抜けてしまった。

スピーカーケーブルに関しても同様だった。
アンプ・リアパネルのスピーカー端子、スピーカーシステム裏側のスピーカー端子、
どちらも締めがゆるかった。
ほとんど力を入れずに緩めることができた。

これでは……、と思ってしまった。
ステレオサウンドの試聴室で、長島先生は特に接点の状態を気にされた。
接点のクリーニングはもちろん、
接点の嵌合具合に関しても,つねに気を配られていた。

RCAプラグがスポッと抜ける場合だと、
ロングノーズプライヤー(ラジオペンチ)で、RCAプラグのアース側の径を少し小さくされる。
あまり小さくしてしまうと、今度はRCAジャックにささらなくなるから、
適度に抵抗が感じられる程度にする。
何事もやりすぎは禁物である。

これでしっかりと嵌合するようになるのは、あくまでもアース側だけである。
それでもゆるいのとしっかりしている状態とでは、音に違いがあらわれる。
スピーカー端子も同じだ。
意識的に緩めた状態と締めた状態の音を比較してみれば、すぐにわかることだ。

アナログディスク再生だと、シェルリード線も交換できるし、この部分にも接点がある。
この個所の接点がゆるかったり、汚れていたりしては、
それ以降の接点をきちんとしていても、台無しである。

しかもシェルリード線の嵌合が緩いまま気にしていない人は、意外に多いようだ。

Date: 9月 8th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その9)

昨夜(9月7日)のaudio sharing例会に来てくれた常連のAさん。
facebookに、「いい気づきを今回もいただきました」と投稿されていた。

人によるだろうが、私は「今日はいい音でした」といわれるよりも、
Aさんのように言ってくれる方を嬉しく思う。

気づき、発見、再発見。
私がオーディオ雑誌、オーディオ評論に望んでいるものである。

何を望むのか、求めるのかは人によって違うものだ。
オーディオ雑誌、オーディオ評論に、結果(答)を求める人もいよう。

そういう人にとっては、ベストバイやステレオサウンド・グランプリといった点数づけ、
権威づけに直接つながっていく賞がおもしろい、ということになるのだろう。

いま書店に並んでいるステレオサウンド 200号。
まだ見ていないが、ステレオサウンドのサイトでは、
特集は「誌面を飾った名スピーカー200選」とある。

見てなくとも、おおよその構成は想像できる。
大きく外れてはいないという自信もある。

選ばれている200のスピーカーについて、
オーディオ評論家と呼ばれている人たちが、それぞれに担当して書いているのだろう。
以前の「世界の一流品」や「ステート・オブ・ジ・アート」と同じ構成のはずだ。

「世界の一流品」や「ステート・オブ・ジ・アート」では、そういうやり方でもいいが、
今回は200号記念特集、つまり創刊50周年の記念特集であるわけだ。

ここで私が求めたいのは、50年を俯瞰しての読みものである。
つまりオーディオの系譜、スピーカーの系譜といったことを求めたいし、読みたい。

この「系譜」について、200号では語られているのだろうか。
ないような気がする。

私がこの項のタイトルを、「ヴィソニック David 50のこと」とせずに、
「瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50)」とした意図は、そこにある。

Date: 9月 8th, 2016
Cate: 柔と剛

柔の追求(その10)

ステレオサウンドとその別冊に書かれていることに、間違いはない──、
そんなことは当時もまったく思っていなかった。
当時は巻末にお詫びと訂正が載っていた。

でもメーカーのスピーカーの技術者のページで、
技術的な間違いの記述があるとは、まったく思っていなかった。

私がハイルドライバーの動作原理を、あのころすぐには理解できなかった理由のひとつが、
HIGH TECHNIC SERIESでの
《背面も前面と同じ特性の音波を放射する(背面は逆相となる)》だった。

だからこそしっかりと記憶していて、いまここで書いている次第だ。

プリーツ状のダイアフラムが伸縮する。
そうやって音を出すのであれば、前面も背面も同相の音が放射されるはず……、
なのに、HIGH TECHNIC SERIESには逆相となっている。

しかも書かれているのが佐伯多門氏である。
ステレオサウンドだけでなく、他のオーディオ雑誌にもスピーカーの記事を書かれていたし、
技術系のオーディオ雑誌では技術解説もされていた。
当時は有名な人だった。

だから疑う気はまったくなかった。
疑っていたら、ハイルドライバーの動作原理の理解はすんなりいっていたはずだ。

HIGH TECHNIC SERIESのこのことに関する訂正記事はなかった、と記憶している。

Date: 9月 8th, 2016
Cate: 柔と剛

柔の追求(その9)

昨夜のaudio sharing例会の「主役」は、
ハイルドライバー(Air Motion Transformer)といえる。

五年前、ADAMのスピーカーについて書いたことに対して、ある方からコメントがあった。
ADAMはAMTユニットをX-ARTと、エラックはJETと呼んでいるが、
この方式・原理をリボン型と同じだと考えている人からのものだった。

たしかにダイアフラムは、どちらもリボンと呼べるところがある。
けれど動作原理はまったく違う。
ダイアフラムの形状が似ているからといって、動作方式まで同じと考えるのは短絡的すぎる。

そのときも書いたのだが、いまAMTに関する技術解説を行っている記事があるだろうか。
エラックのCL310が登場したのは1998年。
そのときから今日まで、オーディオ雑誌でこの方式についてきちんと解説されただろうか。

やっと登場した記事が無線と実験、2015年の記事である。
その他にあっただろうか。

リボン型とAMTは、はっきりと違う。
このことは何度でも書いていく必要があるのかもしれない。
しかも以前の記事でも、この方式への誤解もあった。

ステレオサウンド別冊HIGH TECHNIC SERIES、トゥイーターを取り扱った三冊目の巻末には、
ダイヤトーン(三菱電機)の技術者だった佐伯多門氏が、
トゥイーターの基礎知識として、
コーン型をはじめ、ドーム型、ホーン型、リボン型、コンデンサー型など、
ほぼすべての動作原理を解説されていた。

ハイルドライバー(AMT)についての解説もあった。
ハイルドライバーの構造図もあった。
構成要素に短い解説がついた厨である。

ダイアフラムのところにはこう書いてあった。
《背面も前面と同じ特性の音波を放射する(背面は逆相となる)》

これは間違いである。
本文は佐伯多門氏が書かれているのははっきりしているが、
構造図の解説は佐伯氏によるものなのか、ステレオサウンド編集部によるものなのかはわからない。

ここにもハイルドライバーをリボン型と同じに捉えているための誤解がある。
リボン型は背面に、前面と逆相の音を放射する。
けれどハイルドライバー(Air Motion Transformer)では、
前面と背面の音は同相である。

Date: 9月 7th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その8)

エラックのCL310とヴィソニックのDavid 50とに、いくつかの共通点を挙げることができるからといって、
CL310をDavid 50の系譜に置くのは間違っている、もしくはこじつけ、強引なこと──、
私はそうは思っていない。

CL310は奥行きこそ長いが、ミニスピーカーといえるサイズで、
驚く音を聴かせる。
知人宅でCL310のAudio Editonを聴いて、心底驚いたことをいまもはっきりと思い出せる。

ミニサイズなのに音量が出せる──、低音が出る──、
そういったレベルではなく、そこでのエネルギーの再現性に驚いた。

CL310以前にも小型スピーカーで驚く製品はいくつもあった。
セレッションのSL6(SL600)、アコースティックエナジーのAE2などがあった。
それぞれに驚かされる面をもっていたけれど、
CL310ほどエネルギーの再現性に優れていたとは思えない。

AE2の方がCL310よりも最大出力音圧レベルはとれるかもしれないが、
ホーン型に一脈通ずるようなエネルギーの再現性は、AE2には感じず、CL310にだけ感じたものだった。

そういうCL310だけに、セカンドスピーカー、サブスピーカーという捉え方からは完全に脱している。
David 50はセカンドスピーカー、と書いているではないか。
そう思われるであろう。

でもヴィソニックがDavidシリーズで目指していたのは、良質のセカンドスピーカーではないはず。
David(ダヴィッド)の名は、巨人ゴリアテを見事に倒したダヴィデから名づけられているからだ。

ヴィソニックのエンジニアが目指していたCL310の領域にあった、と私は思っているし、
瀬川先生がCL310を聴かれていたら、どう書かれるかを想像するに、
ヴィソニックの系譜に沿って書かれた可能性があった、と思う。

Date: 9月 6th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その7)

ヴィソニックのDavid 50の外形寸法はW10.7×H17.0×D10.3cm、
David 502はW10.3×H17.0×D10.7cm。わずかな違いはあるが、同じといっていい。

エラックのCL310はW12.3×H20.8×D128.2cmである。
奥行きが三倍近くあるが、横幅と高さはDavid 50に近い。
ユニットもウーファーは11.5cm口径、トゥイーターはAMTの2ウェイ構成。

エンクロージュアの横幅はDavid 50同様、ウーファー口径よりもわずかに大きいだけである。
David 50もCL310もフロントバッフルいっぱいにユニットがある。
バッフルの余白はどちらもあまりない。

それからCL310のエンクロージュアのアルミ製である。
ここも同じである。

ヴィソニックもエラックもドイツのメーカーである。

CL310を最初に目にしたとき、David 50の系譜だと思った。
David 50は1976年に登場している。CL310は1998年である。
20年の開きが、David 50の系譜を、ここまで進化させたのか、と音を聴いて思っていた。

価格も違う。
David 50は67,600円(二本)、David 502は60,000円(二本)、
CL310は260,000円(二本)である。

それでもCL310は、David 50の系譜だ、と感じていた。

Date: 9月 6th, 2016
Cate: audio wednesday, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その8)

このブログを書いた後に、
the re:View (in the past)の更新作業にとりかかる。
最近は画像のレタッチ作業ばかりをやっている。

1ページ広告のレタッチは比較的楽なことが多い。
それが2ページ見開きの広告になると、すんなりいく場合とそうでない場合とがある。
難しいのは、左ページと右ページをうまくつなぎ合せることだ。

掲載誌をバラしてスキャンしているのだが、
それでも中央付近の画像がもともとないことがけっこうある。
多少重なるようにしている広告もあれば、
ぎりぎりぴったりの広告もあるし、あきらかにその部分が欠如している広告もある。

うまくごまかせることもあれば、そうでないこともある。
そうでない見開きの広告のレタッチをやっていると、ひどくめんどうに思えて、
なぜこんなことをやっているのか、と自分でも思ってしまうほどだ。

それでも、おっ、こんな広告があったんだ、と思えることが偶にある。
昨晩もひとつあった。
ティアックが出したESSのamt1の広告である。

オスカー・ハイル博士が黒板の前に立っている。
製品のamt1よりもハイル博士の写真の方が、かなり大きく扱われている。
このamt1の、ハイルドライバーの説明文もわかりやすい。

明日(9月7日)のaudio sharing例会は、
ハイルドライバー(AMT)とハイレゾリューション再生がテーマである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その3)

同じ商品であっても、オーディオ機器とオーディオ雑誌は同一視できない。
アンプしろスピーカーにしろ、ジャンルに関係なく、
オーディオ機器においての商取引は、メーカー(もしくは輸入商社)とユーザーとで成り立つ。

実際には流通系路の関係で直接取引ではなく、問屋、小売店が間にいるわけだが、
それでもメーカーの商取引の相手はユーザーである。

オーディオ雑誌も、出版社と読み手とのあいだで商取引は行われるが、
前回書いているように、出版社は広告主とも商取引をしている。

メーカー、輸入商社には、この商取引はない。

メーカー、輸入商社はオーディオ雑誌に広告を出している。
ということは出版社と商取引をしているではないか──、という反論は成り立たない。

ここでの商取引は、商品においての商取引である。
メーカーが製造したオーディオ機器、
輸入商社が輸入したオーディオ機器、
これらが商品であり、この商品においての商取引はユーザーとのあいだに成り立っている。

メーカー、輸入商社がオーディオ雑誌に広告を出すのは、別の商取引である。
けれど出版社にとっては、別の商取引とはいえない。

株式会社ステレオサウンドにとっての商品は、季刊誌ステレオサウンドであり、
他の雑誌、HiViであったり、管球王国であったりする。
ここでは季刊誌ステレオサウンドに絞って話を進める。

季刊誌ステレオサウンドという商品は、読み手とのあいだの商取引、
広告主とのあいだの商取引、このふたつの商取引をもつ。
これが雑誌という商品の特徴でもある。

同じ出版物でも書き下しの書籍は、雑誌とは違ってくる。
そこに広告はないからだ。
書籍の商取引の相手は読み手のみである。

Date: 9月 5th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その6)

ヴィソニックのDavid 50の系譜は、David 502、David 5000と続いていく。
日本ではDavid 5000で途切れてしまった感があるが、
David 5001まで続き、いまも購入可能(のようだ)。
ただしドイツ製なのかどうかは不明。

David 502のころに専用のサブウーファーSUB1が出てきた。
30cm口径ウーファーで、300Hzのカットオフ周波数のネットワークを内蔵していた。
重量は36kg。これを加えれば、低域の拡充が実現する。
ただしSUB1の価格は20万円だった。
David 502が一本3万円の時にである。

David 5000と同時期に、B&OからBeovox C75が登場した。
Beovox C75といっても、どんなスピーカーだったのか、思い浮べられる人は少ないだろう。
Beovox C75は、CX100のひとつ前のモデルである。

エンクロージュアの形状、材質も同じ。
ユニット構成もBeovox C75とCX100は同じである。

Beovox C75は一度も聴いていない。
CX100と同じ音だったのだろうか。
だとしたら、なぜ型番を大きく変更したのかだろうか、と思ってしまう。

瀬川先生はBeovox C75は聴かれていないのだろうか。
瀬川先生はCX100をどう評価されただろうか。

こんなことを考えながら、David 50のもうひとつの系譜といえるスピーカーのことを思い浮べている。
エラックのCL310である。

Date: 9月 5th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その5)

B&OのCX100を聴いてDavid 50のことを思い出した──、と書いた。
David 50のことを思い出すとともに、
あの時David 50という選択肢もあったのに……、とも思っていた。

私にとって最初ステレオサウンドとなったのは41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」に、David 50は登場している。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」では組合せの一冊で、
メインとなる組合せ記事のあとに、
ひとつの組合せ2ページで、30の組合せを紹介したページがある。
そこにDavid 50は登場している。

David 50の組合せは、もちろん瀬川先生。
アンプはサンスイのAU607、アナログプレーヤーはテクニクスのSL01。
カートリッジはオルトフォンのVMS20Eだ。

David 50が黒で、AU607、SL01も黒。
David 50はミニスピーカー、
SL01はミニとまでいえないが、ぎりぎりまで寸法をおさえたモデル。
組合せ合計は、244,400円。

チューナーは含まれてないが、AU607とペアになるTU707(54,800円)を加えても、
30万円を超えない組合せだった。

いまでもいい組合せだと思う。
CX100を聴いて、David 50を思い出した約30年前も、そう思っていた。
David 50の組合せそのままでも良かったのではないか、
むしろこちらのほうが良かったのではないか……、
思ってもどうにもならないことを思い出していた。

当時David 50を聴く機会があったら……、
そうも思っていた。
David 50のサイズ、それに瀬川先生も記事の中でセカンドスピーカーと語られている。
ここがひっかかっていたのだろう、いまにして思えば。

でも続けて、
《このスピーカーは小さいながらも10センチウーファーとドーム型トゥイーターの2ウェイで、音のつながりとバランスがとてもいいんです。低音のスケール感さえ望まなければ、中音以上の音のクォリティやバランスのよさ、指向性のよさについては第一級のスピーカーと比べても決してひけをとりませんね。》
と語られている。

David 50を最初に買う。
次のグレードアップとしてウーファーを追加する。
そういう楽しみ、発展の仕方もあったのに気づかなかった。

あの時は若かった(幼かった)のだ。
CX100の音は、そんなことさえ思わせた。

Date: 9月 5th, 2016
Cate: prototype

prototype(NS1000X・その3)

1984年に登場したNS1000xの末尾のx(小文字)は、
NS1000Xの登場から10年目ということで、ローマ数字で10をあらわすxがついている。

ならば1974年のプロトタイプであるNS1000XのX(大文字)は、何を意味していたのか。

NS1000XからはNS1000Mだけが生れたわけではない。NS1000も登場している。

NS1000は、NS1000Mとは違い、ウーファー前面に金属ネットはない。
かわりにサランネットがついてくる。

NS1000MではNS1000XにはなかったYAMAHAの文字がフロントバッフルに大きくある。
トゥイーターのほぼ真横にある。
NS1000には、スピーカー本体にはYAMAHAの文字はない。
サランネット下中央に、ヤマハのマークとともに小さくあるだけだ。

NS1000XとNS1000はその点で似ているし、
レベルコントロールの位置もほぼ同じといえる(完全に同じではない)。
NS1000Mはロゴがあるため、レベルコントロールはふたつともスコーカーの真横にある。

NS1000Xの外形寸法はW37.5×H67.5×D32.4cm。
NS1000MはW37.5×H67.5×D32.6cmとほぼ同じである。
奥行きのみわずかに違うのは、NS1000Mのウーファーの金属ネットがあるためだろう。
つまりNS1000XとNS1000Mのエンクロージュアの寸法は同じである。

NS1000はW39.5×H71.0×D34.9cmとわずかに大きくなっている。
NS1000は仕上げにこだわったスピーカーでもある。
NS1000XとNS1000Mの黒塗装に対し、黒檀オイルフィニッシュとカタログには書いてある。

それだけでなくサランネットの固定方法も一工夫なされている。