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Date: 4月 12th, 2018
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その14)

五味先生は、こう書かれている。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプ〝MC三五〇〇〟が発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
(五味オーディオ教室 より)
     *
MC275の音について
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ》
と表現されている。
瀬川先生が書かれていたことと、表現が違うだけで同じともいえる。

だから対極といえるマッキントッシュのC22+MC275、
マークレビンソンのLNP2+SAEのMark 2500、
なのにアナログプレーヤーは930stなのは、やはり音の構図の確かさゆえだ、と私はおもっている。

《マッキントッシュの風景は夜景》であり、
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかして》あるからこそ、
音の構図は確かなものでなければ、その美しさは成り立たない。

Date: 4月 12th, 2018
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その13)

私がここまで930stに入れ込むことになったきっかけは、
いうまでもなく五味先生と瀬川先生の影響である。

ふたりの930stについて書かれたものを読んで、
興味をもたないほうが不思議におもえるくらいである。

音の入口である930stは同じであっても、
アンプは五味先生はマッキントッシュの管球式のC22とMC275のペア、
瀬川先生は世田谷の新居に引っ越されるまでは、
マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500という、
最新トランジスター式のペアである。

音の傾向は対極といえる。
     *
 JBLと全く対極のような鳴り方をするのが、マッキントッシュだ。ひと言でいえば豊潤。なにしろ音がたっぷりしている。JBLのような〝一見……〟ではなく、遠目にもまた実際にも、豊かに豊かに肉のついたリッチマンの印象だ。音の豊かさと、中身がたっぷり詰まった感じの密度の高い充実感。そこから生まれる深みと迫力。そうした音の印象がそのまま形をとったかのようなデザイン……。
 この磨き上げた漆黒のガラスパネルにスイッチが入ると、文字は美しい明るいグリーンに、そしてツマミの周囲の一部に紅色の点(ドット)の指示がまるで夢のように美しく浮び上る。このマッキントッシュ独特のパネルデザインは、同社の現社長ゴードン・ガウが、仕事の帰りに夜行便の飛行機に乗ったとき、窓の下に大都会の夜景の、まっ暗な中に無数の灯の点在し煌めくあの神秘的ともいえる美しい光景からヒントを得た、と後に語っている。
 だが、直接にはデザインのヒントとして役立った大都会の夜景のイメージは、考えてみると、マッキントッシュのアンプの音の世界とも一脈通じると言えはしないだろうか。
 つい先ほども、JBLのアンプの音の説明に、高い所から眺望した風景を例として上げた。JBLのアンプの音を風景にたとえれば、前述のようにそれは、よく晴れ渡り澄み切った秋の空。そしてむろん、ディテールを最もよく見せる光線状態の昼間の風景であろう。
 その意味でマッキントッシュの風景は夜景だと思う。だがこの夜景はすばらしく豊かで、大都会の空からみた光の渦、光の乱舞、光の氾濫……。贅沢な光の量。ディテールがよくみえるかのような感じは実は錯覚で、あくまでもそれは遠景としてみた光の点在の美しさ。言いかえればディテールと共にこまかなアラも夜の闇に塗りつぶされているが故の美しさ。それが管球アンプの名作と謳われたMC275やC22の音だと言ったら、マッキントッシュの愛好家ないしは理解者たちから、お前にはマッキントッシュの音がわかっていないと総攻撃を受けるかもしれない。だが現実には私にはマッキントッシュの音がそう聴こえるので、もっと陰の部分にも光をあてたい、という欲求が私の中に強く湧き起こる。もしも光線を正面からベタにあてたら、明るいだけのアラだらけの、全くままらない映像しか得られないが、光の角度を微妙に選んだとき、ものはそのディテールをいっそう立体的にきわ立たせる。対象が最も美しく立体的な奥行きをともなってしかもディテールまで浮び上ったときが、私に最上の満足を与える。その意味で私にはマッキントッシュの音がなじめないのかもしれないし、逆にみれば、マッキントッシュの音に共感をおぼえる人にとっては、それがJBLのように細かく聴こえないところが、好感をもって受け入れられるのだろうと思う。さきにもふれた愛好家ひとりひとりの、理想とする音の世界観の相違がそうした部分にそれぞれあらわれる。
(「いま、いい音のアンプがほしい」より」
     *
C22とMC275について、瀬川先生は、
《マッキントッシュの愛好家ないしは理解者たちから、お前にはマッキントッシュの音がわかっていないと総攻撃を受けるかもしれない》
と書かれている。

けれどほんとうにそうだろうか、とおもう。

Date: 4月 12th, 2018
Cate: 所有と存在

所有と存在(その16)

「この瞬間は永遠だ」
小説やドラマ、映画などで、目にしたりきいたりしている、と思う。

シチュエーションによっては、とても陳腐にきこえたりもする「この瞬間は永遠だ」。
けれど音と真剣にむき合ってきた(対決してきた)オーディオマニアであれば、
「この瞬間は永遠だ」とおもえる音をなんどか聴いている、と私は信じている。

その瞬間はそうおもえなかった音であっても、
ずっと心に焼きついている、深く刻み込まれていることがある。
その存在に、いつの日かふと気づく(気づかされる)ことがある。

Date: 4月 11th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その3)

ビューアーがどういうのかはステレオサウンド 47号を読んた時点でも知ってはいた。
けれど実際にビューアーでポジフィルムを見たことはなかった。

テレビや映画で、そういうシーンを見ていて、なんとなく知っている──、
その程度だった。
ビューアーでポジを見たのは、ステレオサウンドで働くようになってからである。

たしかにそれはスクリーンに映すのとは、はっきりと違う。
LS3/5Aの音は、たしかにビューアーでみる音の世界である。

このブログで、LS3/5Aと、
それ以降(たとえばセレッションのSL6以降)の小型スピーカーとの違いについて、
幾度か書いてきた。

スクリーンかビューアーか。
その違いもある。

SL6(SL600)は、もうビューアーの世界ではない。
ルーペで拡大して、細部を見ていくような世界ではない。
スクリーンに映す世界であり、どちらが優れている、そういうことではなく、
小型スピーカーの、ある時期からはっきりと変化してきたわけだ。

野上眞宏さんがそれまで鳴らされていたスピーカー(修理待ち)もまた、
小型スピーカーであり、私はLS3/5Aと同じ世界(領域)の小型スピーカーと認識している。

野上眞宏さんが、別のスピーカー、
同じ小型でもスクリーンに映すタイプであったり、大型のスピーカーであったりしたら、
そして自作スピーカーが、まるでタイプの違うものであったりしたら、
そして私がシンガーズ・アンリミテッドを、LS3/5Aで最初に聴いていなければ、
野上眞宏さんにシンガーズ・アンリミテッドのディスクをすすめることはなかったかもしれない。

そんなことを三ヵ月ほど経っておもっている。

Date: 4月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その2)

“A CAPELLA”が、私にとってシンガーズ・アンリミテッドの最初の一枚だったし、
それも自分のシステムではなく、友人のシステムで聴いている。

ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」で、
黒田先生が取り上げられているの、テクニクスのコンサイス・コンポである。

音質追求、性能追求のあまり、大型化してきていたアンプにおいて、
パイオニア、テクニクス、ダイヤトーン、それにオーレックスが、
コンパクト化を図ったアンプ、チューナーがほぼ同時期に登場したのが、ちょうどこの時期である。

黒田先生はテクニクスのコンサイス・コンポに、
ビクターのS-M3という、小型スピーカーを組み合わせてのシステムを、
キャスターつきの白い台にセッティングして聴かれた五時間について、書かれている。
そのなかに、こうある。
     *
 それぞれの装置の呼ぶレコードがある。カートリッジをとりかえた、さて、どのレコードにしようかと、そのカートリッジで最初にきくレコードは、おそらく、そのカートリッジを選んだ人の、そこで選ばれたカートリッジに対しての期待を、無言のうちにものがたっていると考えていいだろう。スピーカーについても、アンプについても、同じことがいえる。ともかく、あのカートリッジを買ってきたら、このレコードをきこうと、あらかじめ考えていることもあり、カートリッジを買ってきてしまって、後から、レコードを考える場合もある。いずれにしろ、最初のレコードをターンテーブルにのせるときは、実にスリリングだ。
     *
黒田先生にとってテクニクスのコンサイス・コンポとS-M3の組合せの呼ぶレコードが、
シンガーズ・アンリミテッドのレコードだったわけだ。

私がシンガーズ・アンリミテッドの“A CAPELLA”を最初に聴いたのは、
ロジャースのLS3/5Aで、だった。
偶然にも、小型スピーカーで聴いている。

黒田先生は最後に、こうも書かれている。
《オルネラ・ヴァノーニの歌を、スクリーンにうつすのではなく、ビューアーでみるように、キャスターのついた白い台の前で、きくことにしよう。》と。

Date: 4月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その1)

“A CAPELLA”はシンガーズ・アンリミテッドのアルバムの一枚。
1971年に出ている。

オーディオマニアなら、シンガーズ・アンリミテッドを知らなくとも、
彼らの歌とは知らなくとも、
彼らの歌を一度くらいは聴いているのではないだろうか。

“A CAPELLA”を、というより、シンガーズ・アンリミテッドのCDを、
写真家の野上眞宏さんに、今年のはじめに奨めた。
ぽっ、と口から出たシンガーズ・アンリミテッドの名前だった。

SICAの10cm口径のフルレンジユニットで、スピーカーを作りはじめた時期と重なる。
すすめたときには特に気にしなかったけれど、いまごろになって、
なぜ、シンガーズ・アンリミテッドをすすめたのだろうか、と考えるようになってきた。

私がシンガーズ・アンリミテッドの名前を知ったのは、
ステレオサウンド 47号掲載の黒田先生の文章で、だった。
「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」に、
シンガーズ・アンリミテッドと、そのレコードのことが登場する。

そこで書かれているのは、1975年録音の“Feeling Free”である。
     *
 その数日前、輸入レコード店で買ってきた、シンガーズ・アンリミテッドのレコードだった。それには、「フィーリング・フリー」というタイトルがついていた。フィーリング・フリーという言葉も、この場合、マッチしているように思った。シンガーズ・アンリミテッドのレコードは、好きで、大半のものはきいているはずたったが、ジャケット裏の説明によると、一九七五年の春に録音されたという、その「フィーリング・フリー」は、それまできいたことがなかった。ベオグラム4000のターンテーブルにのせたのは、ドイツMPS68・103というレコード番号のレコードだった。
 A面の最初には、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」という、スティービー・ワンダーのすてきな歌が、入っていた。音楽がはじまると、パワーアンプの、星のまたたきを思わせるあかりは、それぞれのチャンネルに二つか三つずつついて、右方向への動きを示した。
 シンガーズ・アンリミテッドの声は、パット・ウィリアムス編曲・指揮によるビッグ・バンドのひびきと、よくとけあっていた。「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は、アップ・テンポで、軽快に演奏されていた。しかし、そのレコードできける音楽がどのようなものかは、すでに、普段つかっている、より大型の装置できいていたので、しっていた。にもかかわらず、これがとても不思議だったのだが、JBL4343できいたときには、あのようにきこえたものが、ここではこうきこえるといったような、つまり両者を比較してどうのこうのいうような気持になれなかった。だからといって、あれはあれ、これはこれとわりきっていたわけでもなかった。どうやらぼくは、あきらかに別の体験をしていると、最初から思いこんでいたようだった。
 もし敢て比較すれば、たしかに、クォリティの面で、JBL4343できいたときの方が、格段にすぐれていたというべきだろう。しかし、視点をかえて、JBL4343で、そのキャスターのついた白い台の上にのっていた装置できくようなきき方ができるかといえば、ノーといわざるをえない。
     *
1978年の夏に、読んでいる。
シンガーズ・アンリミテッドのことを知った。

Date: 4月 10th, 2018
Cate:

いい音、よい音(きこえてきた会話)

近くに大きな大学病院がある中華屋さんでのこと。
隣の席は、夜勤明けと思われる女性四人が、軽い宴会の感じで食事していた。

彼女らの話声はそこそこ大きくて、隣の席の私の耳にも、はっきりと入ってくる。
何かの映画が話題になった。

ひとりの女性が「四回観ました」といっていた。
別の女性が「全部2Dで?」と訊いた。
「2D、2D、IMAX、あと音響のいいやつ」
「アトモスだっけ、あれいいよね」
「いいですよ、いい音響で観るとほんといいです」
「いい音響って、いいよね」

そんな会話がきこえてきていた。
彼女たちは「いい音」ではなく「いい音響」といっていた。

Date: 4月 9th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その5)

MA7900には、プリ・パワー分離端子がついている。
1970年代の国産プリメインアンプによくついていた機能である。

プリメインアンプに、コントロールアンプとしての出力と、
パワーアンプとしての入力がついていて、
MA7900の場合、ふたつの端子をジャンパー線で結んでいる。

このジャンパー線を外せば、コントロールアンプとしても、
パワーアンプとしても使えるわけで、
入力セレクターがきかない状態でも、パワーアンプとしては問題ないようだから、
なんとか音を出せるんじゃないか、と考え、
CDプレーヤーの出力を、ポテンショメーターを介して、MA7900のパワーアンプ入力に接いだ。

SOURCE:OFFの状態では、パワーアンプの出力にプロテクションが働いているようで、
音は鳴らない。

それであきらめて、「電源に関する疑問(バッテリーについて・その3)」に書いているように、
CONSONO(コンソーノ)という、桐製Bluetoothスピーカーを聴くことになった次第だ。

いつもは23時30分ごろまでやっているaudio wednesdayだが、
4月4日は一時間ほど早くお開きになった。

帰宅して入浴して、そろそろ寝ようかとしていたところに、
喫茶茶会記の福地さんから連絡があった。

FACTORY RESET、工場出荷時の状態に戻せた、とあった。
福地さんは、入力セレクターのツマミを外したそうだ。
そうすれば入力セレクターのシャフトが露出する。
その状態だと押せたそうである。

ということは入力セレクターが押せなかった、ということは、
ツマミがなんらかの理由で通常よりも押し込まれていて、
押し込むだけの余裕がなかったことになるのだろうか。

ツマミは装着されている。
けれどやや浮し気味での装着らしい。

Date: 4月 9th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その4)

MA7900はトーンコントロールの下にディスプレイがある。
ここに選択したプログラムソースとボリュウムの大きさが表示される。

MA7900は電源コードが接っていると、スタンバイ状態になっている。
4月4日のaudio wednesdayで、スピーカーのセッティングが終り、結線もやった。
そこで電源を入れたら、ディスプレイに、SOURCE:OFFと出た。

通常ならば前回鳴らした際に選択したソース(CDなりPHONOなりが表示される)と、
ボリュウムの大きさが表示される。

あれっ? と思いながら入力セレクターをまわしてみる。
けれど表示は変らない。

レベルコントロールをまわすと、ボリュウムの値は変化する。
けれど入力セレクターはどんなにまわしてもSOURCE:OFFのまま。
当然は音は出ない。

しかもスタンバイ状態を示す赤色のLEDが点灯したままである。
なんらかのトラブルが起きている。

けれど、どんなトラブルが発生しているのかが、掴みにくい。
いろいろやっても改善しない。

取り扱い説明書を出してもらった。
英文のオリジナルの取り扱い説明書と、
それを日本に訳した取り扱い説明書とがあった。

そのどちらにもSOURCE:OFFについての記述がない。
しかたないのでリセットしようということになった。

取り扱い説明書にしたがって、何度もやってみても効果なし。
次に工場出荷時の状態に戻そう、ということになった。

入力セレクターとレベルコントロールのツマミを同時に長押しすることで、
工場出荷時に戻せるわけなのだが、これもできない。

レベルコントロールは押した、という感触があるなのに、
入力セレクターは押せない状態になっている。

最初にMA7900を鳴らしたときには、確かに入力セレクターも押せた。
それはCD2入力をUSB端子に設定したときに、必要な操作だったからだ。
なのに今回は、セレクターの不具合なのか、押せない。

押せない以上、工場出荷時の状態に戻せない。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その5)

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その6)」で引用した内田光子のインタヴュー。

手元にそのレコード芸術がないので正確な引用ではないが、
そこで語られた言葉で印象に残っているのが、もうひとつある。

「人は歳をとればとるほど自由になる」
そう内田光子は語っていた。

この言葉を、内田光子は、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音で協演したザンデルリングにも言った、とあった。
ザンデルリングも同意した、と記事にはあった。
(確か2010年ごろのレコード芸術のはずだ)

歳をとるということは老化する、ということ。
体力的には衰えるし、身体も硬くなってくる。

けれど自由になっていく。
自由になっていくことを自覚していない人は、
つまりは大人になっていない、ということなのかもしれない。

この「自由」になっていくことで、はじめて鳴らせる音の領域がある、と、
ここ数年思うようになった。

内田光子のインタヴューを読んだときは、私はまだ40代だった。
いまは50なかば。
内田光子のことばを実感しつつある。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その3)

マッキントッシュの歴代のアンプでもっともツマミ、スイッチが多かったのは、
コントロールアンプのC32である。

C32が登場したころは、まだCDもなかったし、
AV(オーディオ・ヴィジュアル)とも騒がれていなかった。

いまではアナログ入力だけでなくデジタル入力も求められるし、
ホームシアター用にも使えることを意図したアンプでは、
マルチチャンネル再生への対応求められる。

そうなってくると、フロントパネルのツマミとスイッチには、
整理と省略が必要となってくる。
求められる機能の数だけのツマミとスイッチを増やしていけば、収拾がつかなくなってくる。

MA7900も整理と省略されたフロントパネルをもつ。
それが成功している例とはいわないが、
MA7900はそういう試みのプリメインアンプであるし、
そのために内部にプロセッサーをもち、信号を処理しているし、
それゆえに取り扱い説明書を読まなければ──、という面ももつ。

LPを再生し、CDに関してもアナログ入力とデジタル入力の両方で使う──、
そういったオーディオだけの使い方においては、
最初に取り扱い説明書を読んで、必要な設定を終えていれば、
使うたびに取り扱い説明書が必要となるわけではない。

けれどなんらかのトラブルが生じると、
取り扱い説明書をひっぱり出してこなければならないし、
それまでに培ってきたトラブル時のノウハウも、ここではあまり役に立たなかったりする。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その13)

日本オーディオ協会によるハイレゾオーディオの定義は、
アナログ領域では、次のようになっている。

 録音マイクの高域周波数性能:40kHz以上が可能であること。
 アンプ高域再生性能:40kHz以上が可能であること。
 スピーカー・ヘッドホン高域再生性能:40kHz以上が可能であること。

わかりやすいといえば、そうである。
でも、ここでも思い出すのは、瀬川先生がずっと以前に書かれたことだ。
     *
 昼間ぼんやりとテレビをみていたら、どこかのチャンネルの料理教室で辻嘉一氏が鰯料理というのをやっていた。アナウンサーが鰯の見分け方選び方等どうすればよいかと質問すると、辻氏は一瞬、言葉につまったようだったが「──つまり……。いちばん鰯らしい鰯を選ぶんですね」と言ったものだ。これは実におもしろい表現で、禅問答風の趣きさえあるが、わたくしはスピーカーについてこのらしさという表現がぴったりだとそのとき感じた。たとえば、スピーカーを手にとって仔細に眺める。いかにもスピーカーらしい、ウーファーらしいトゥイーターらしいユニット。わたしくの経験では、こうした直観に大きな過ちはなかった。わたくしは面喰いを自認しているが、しかし(単なるみせかけでなく本質的な)形の良いものに悪い音のパーツはひとつもないと断言できる。音は必ず、形ににじみ出ている。らしい形をしているのだ。
 次には音を聴いてみる。ピアノがピアノらしく、バイオリンはいかにもバイオリンらしく聴こえることが大切である。そんなことは当り前といわれるかもしれないが、ところが、ピアノがピアノに聴こえないスピーカーは、そう少なくはないとわたくしは思う。マルチ・ウェイとしたときも、聴こえてくる楽器の音を、それらしくなるように調整する。いくら調整してもらしくならなければ、それはユニットの選定のどこかがおかしい。またはアンプが、カートリッジがおかしい。
 もっと具体的に書かなくてはいけないだろうか?。たとえば多くの方は、マルチ・スピーカーを組み立てたとき、まず、どれだけレンジが延びたか、ハイが延びたか、ローが延びたか……というように、出る出ないという聴き方をしていないだろうか。しかし、いままで書いてきたことからもご理解頂けるようにマルチスピーカーは、決してレンジを広くする目的で作るのではない。帯域を拡げるのが目的ではなく、帯域の中で音のクォリティを(品位)を上げることが目的なのだ。楽器の音が最も楽器らしい、人の声が人の声らしい、ということが、クォリティのよい証明である。高音の出かた、低音の出かたに気をとられてしまうと、かえって、このらしさに注意がゆかないものだ。(音を受けとる古人によって、らしさの感じ方はすべて違う。受けとり方が違うからこそ、その人にとってらしいということが大切なのだ)
(ステレオサウンド 5号「スピーカーシステム・ユニットのすべて」より)
     *
ステレオサウンド 5号は1967年12月に出ている。
50年前に書かれているわけだ。

いまさら、といわれるかもしれないが、
ほんとうに「いまさら」だろうか。

日本オーディオ協会のハイレゾオーディオの定義と運用には、
「聴感に関わること」の項目があるのはわかったうえで、これを書いている。

同時に「らしさ」ということで、
少し前に書いた「Hi-Resについて(山下達郎と中島みゆき)」とも関係してくる。

Date: 4月 7th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その4)

デザイン(design)は、そのまま日本語に訳されることなくとけ込んで使われている。
無理に訳す必要はないのではないか、と藤崎圭一郎氏はいわれた。
私もそう思う。

けれど、デザイナー(designer)を、どう日本語に訳すのか。
これは考えていかなければならないと思うし、
デザイナーをどう訳すのかを考えることが、
なんらかの答につながっていくように感じている。

Date: 4月 6th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その4)

藤崎圭一郎氏が講師の五回目について書いているのに、
ここで石黒浩氏が講師の四回目について書くのは、
往年の女優のモノクロ写真を十枚ほど見る機会があったからだ。
そして色と構図について、思い出していた。

別項で「音の色と構図の関係」を書いた。
まだ(その1)だけで、続きを先延ばしにしているが、
色と構図は、今年一年の、個人的なテーマである。

KK適塾以前に「音の色と構図の関係」は書いていたけれど、
四回目のときに、このことを思い出すことはなかった。

アンドロイドには色がついている。
人間に酷似しているタイプ(ジェミノイド)は、
人間と同じに色をもっている。

けれど、この色をすべて廃して、モノクロ写真のようにしてしまったら、
それを見て、人はどう感じるのだろうか、と考えてしまった。

モノクロ写真的色調のジェミノイド。
そこに独自のリアリティはあるのだろうか。

Date: 4月 5th, 2018
Cate: 電源

電源に関する疑問(バッテリーについて・その3)

昨晩(4月4日)のaudio wednesdayは、アンプのトラブルにみまわれたわけだが、
音がまったくなかったわけではない。

デザイナーの坂野博行さんが、あるスピーカーをもちこんでくれたおかげである。

CONSONO(コンソーノ)という、桐製Bluetoothスピーカーである。
このスピーカーについては、いずれ書く予定。

CONSONOの音を聴いては、あれこれ話していた。
一時間以上経ったころだろうか、音はあきらかに変化した。
いわばアンプのウォーミングアップが終ったような音の変化である。

音がやっと目覚めてきた、という感じの音へと変った。
内蔵のアンプのウォーミングアップが終ったのかと、最初は思ったが、
内蔵アンプはDクラスで、そこに使われているチップは小指の爪よりも小さなサイズ。
このサイズのアンプのウォーミングアップとは思えなかった。

となるとバッテリーなのか。
CONSONOのなかには、電源としてモバイル用バッテリーがある。
このバッテリーのウォーミングアップを経ての音の、明らかな変化だったのか。

バッテリーにウォーミングアップがあっても、別に不思議ではない。
それによる音の変化が生ずるのも避けようのないこと。

それにしても、かなりの音の変化である。