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Date: 7月 24th, 2018
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その37)

ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。

ペアで400万円を超えるから、いまの私には買えないけれども、
予算を無視した選択ということであれば、Ktêmaを、迷うことなく選ぶ。

このスピーカーならば、こちらがくたばるまでつきあっていけそうな予感がある。

49機種のスピーカーシステムで実際に、その音を聴いているのは半分もない。
Ktêmaは聴いている。

仮に聴いていなかったとしても、207号の試聴記だけでの判断でもKtêmaである。

207号の特集では四つの価格帯に分けられている。
それぞれの価格帯から選ぶとしたら、
80万円以下のところでは、ハーベスのSuper HL5 PlusかタンノイのEaton。
130万円以下のところでは、フランコ・セルブリンのAccordo。
280万円以下のところでは、JBLの4367WXかマンガーのp1、それにボーニック・オーディオのW11SE。
280万円超のところでは、Ktêmaの他にはJBLのProject K2 S9500。

8/49である。
これら八機種のうちで、現代スピーカーと考えられるモノは……、というと、
まずKtêmaは真っ先に外れる。
同じフランコ・セルブリンのAccordoも、外れる。

ハーベスも現代的BBCモニターとはいえても、現代スピーカーなのか、となると、
やはり外すことになる。Eatonも旧Eatonと比較すれば部分的に現代的ではあっても、
トータルでみた場合には、現代スピーカーとはいえない。

マンガーのユニットそのものは非常に興味深いものを感じるが、
だからといってシステムとしてとらえた場合は、やはりこれも外すことになる。

ボーニック・オーディオは数ヵ月前に、とある販売店で鳴っているのを偶然耳にした。
それまで気にも留めなかったけれど、
そこで鳴っていた音は、自分の手で鳴らしてみたらどんなふうに変るのか、
それをやってみたくなるくらいの音がしていた。

JBLを二機種選んだが、現代スピーカーということでは4367WXのほうだし、
ドライバーとホーンは現代スピーカーのモノといえるかも、ぐらいには感じている。
それでも、システムとしてどうなのか、といえば、やはり外す。

となると、八機種の中で、これが現代スピーカーだ、といえるモノはない。
では、残りの41機種の中にあるのか。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その7)

déjà vuがいつ閉鎖したのか正確には記憶していないが、
déjà vuの閉鎖と、日本ならではのSNSであるmixiが登場、話題になったころは、
重なっていたか、そんなに違わないのではないか。

招待制だったmixiも、多くの人が参加するようになっていった。
一つの遊び場がなくなってたら、次の遊び場が生れ、そこへと移動していく。

mixiは私もやっていた。
でも三年ほどでやめてしまった。
やめると同時に、このブログを始めた。

mixiは招待制だったら、いわば非公開のような場である。
そこで好き勝手なことを書いていくのを楽しい、と思う人は、
déjà vuを終らせた人たちのようなものかもしれないし、
オーディオについて書いていく以上は、非公開という閉じた場所ではなく、
きちんと名前を出して、自由にやっていける場がいいと判断して、
このブログを始めた。

ブログを始めるから、mixiをやめたわけだ。

いい年した大人が、本名ではなく、ハンドルネームで好き勝手なことを言い放つ。
しかもハンドルネームには、拘りがあるようでもある。
そんな掲示板の雰囲気に、ほとほと嫌気がさしていた。

このブログを始めて、一年と数ヵ月経ったころに、誘われてtwitterをやるようになった。
その後facebookも始めた。

twitterは、アカウントは残しているが、あまりアクセスしなくなった。
ここでも本名でやっている人とハンドルネーム(匿名)でやっている人とがいる。

アマチュアのオーディオマニアが、ハンドルネームなのは本人の勝手だと思えるが、
オーディオ業界で仕事をしている人の中に、ハンドルネームの人がいるのを知っている。

その人たちは、本名では言えない、書けないことを書くためのハンドルネームだ、
と、そんないいわけをしてくるだろうが、情けないと思わないのだろうか。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その6)

déjà vuの終りをはっきりと記憶しているわけではない。
私は、ある時からほとんどアクセスしなくなっていた。

友人から、déjà vuが閉鎖したことをきいた。
私がアクセスしなくなったころ、déjà vuを利用しようとする人たちが現れた、と感じていた。

ようするにオーディオ業界の人(もっとはっきりといえばメーカーの人)が、
déjà vuのMさんを取り込もう(利用しよう)としていたふうに、私の目には見えた。

どのメーカー(大手メーカーではない)なのかははっきりと憶えている。
このメーカーの製品にとっては、いわゆる口コミは大きな影響力をもつ、といえる。

多くの人が集まることで掲示板が荒れることが出てきた。
でも、そのことでもっとも人が集まってきたように見えた。

そうなるとオーディオマニアだけが集まってくるわけではなくなるようだ。
このころにはdéjà vuにはまったくアクセスしなくなっていた。

だからどんなふうに事が大きくなっていったのかは詳細は知らない。
déjà vuが閉鎖したあとに、友人から聞いて知っているくらいである。

déjà vuを公開していたMさんも、少し浮れていたのかもしれない。
自分のサイトがこれだけの注目を浴び、ステレオサウンドにも登場して、
メーカーの人からのコンタクトもある。

浮れるな、というのは、無理だったのかもしれない。
déjà vuの掲示板の常連の人たちの中には、Mさんと面識のある人も何人かいたのは知っている。

その人たちは、Mさんよりも年上である。
彼らはMさんに、何の助言もしなかったのか。

そんな人たちが、déjà vuがなくなって残念だね、と言っていたのを知っている。
中には、déjà vuを利用しようとしたメーカーとの関係を、
あからさまに批判する人もいたようだ。

どちらにしろ、結局、他人事なのだったのだ。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その3)

十年は経っていないと記憶しているが、
twitterで、信頼できるオーディオ評論家は○○さんだ、というツイートをみかけた。

ツイートした人をフォローしていたわけではなかったので、
誰かのリツイートで見たのか、検索しての結果であるのだが、
その○○さんの名前を見て、世の中にはそういう人もいるんだな、と思うしかなかった。

○○さんの試聴記を、私はまったく信じてなかったし、いまもそうだし、
○○さんは、いまもステレオサウンドに書かれている人だから、誰なのかははっきりさせないが、
意外ではあった。

その理由も書かれていた。
特定のディスクの、この部分がこんなふうに鳴った、と具体的に書かれるからだ、と。
だから、わかりやすい、と。

このツイートをした人がどんな人なのかは、全く知らない。
私よりも若そうだな、くらいには思った。

この人が瀬川先生の試聴記を読んだら、まったくわかりにくい、というのか。
信頼できない、というのか、そんなことを考えていた。

特定のディスクの、この部分がこんなふうに鳴った、というのは、
具体的でわかりやすい──、と思いがちだ。

同じディスクを、同じところを聴いてみれば、よくわかる、という人もいよう。
でも、同じディスクを鳴らしても、
試聴環境が、○○さんが聴いているのとはまったく違うのだから、
具体的であっても、試聴したオーディオ機器の音を伝えていることにはならない。

瀬川先生も、特定のディスクの、ある部分がどんなふうに鳴ったか、という書き方はされている。
私が先生とつけるオーディオ評論家の人たちも、そういう書き方をされることはある。

でも、○○さんとはっきりと違うのは、そこから先にどういうことを書くかである。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その5)

マランツのModel 7についてオーディオマニアが語るとき、
ほぼ必ずといっていいほど、そのデザインのことが話題になる。

基本シンメトリーなのだが、左右のバランスをほんのちょっとだけくずしてある。
それがまた絶妙──、
そんなことが語られる。

瀬川先生がずっと以前に書かれていたことで、
おそらく岩崎先生は瀬川先生よりも前に、同じことを指摘されている。

Model 7は、いいデザインと思うけれど、
Model 7がオープンソースなのか、ということについて考えるようになったきっかけも、
Model 7のフロントパネルの写真を眺めていたときに気づいたわけだから、
そのデザインといえる。

Model 7のデザインの見事さは、特註パーツを使用していないことにもある。
もちろんフロントパネルの仕上げは、昔の職人でなければできないレベルであるのは知っている。
いまでは、同じヘアラインは出来ない、とすでに30年くらい前に聞いている。

フロントパネル以外、スイッチ、ツマミはすべて市販品のはずだ。
Model 7の特徴的といえる中央の四つのレバースイッチとツマミ。
スイッチは市販品だし、ツマミのそのはずだ。

私以外にも気づいている人はいるはずだが、
マッキントッシュのパワーアンプMC240、MC275の入力切替えのスイッチ。
これはModel 7とスイッチもツマミと同じのはず。

両者を並べて比較したことはないので断言はできないけれど、
それぞれは何度も実機を見ているし、写真で見ても同じ、といえる。

デザインにこんなにこだわっています──、
そんなことをアピールするオーディオ機器がある。
その対極にModel 7があるからこそ、オープンソースなのか、と考える。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: Frans Brüggen

Frans Brüggen(その2)

カザルスのベートーヴェンの交響曲第七番については、何度か書いている。
文字通り、カザルス指揮の第七番を聴いて打ちのめされた。

それから一時期、カザルスのレコードを聴きまくっていた。
七番以外にもモーツァルトの交響曲を買ったし、バッハももちろん買った。
シューベルト、それにベートーヴェンの八番などである。

八番も凄かった。
カザルスの八番を聴くまで、八番がこういう曲だとは思ってもみなかった。
カザルスの八番を聴いて、いろんな指揮者の八番を聴きまくった。

カザルスの八番以外でもっともよく聴いていたのが、
フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラによる八番だった。

その後もいくつもの八番を聴いてきた。
いまもベートーヴェンの八番といえば、カザルスとブリュッヘンである。

この二枚があれば、ベートーヴェンの八番は他にはいらない、とまではいわないものの、
この二枚がなければ、私にとってのベートーヴェンの八番はないに等しい曲になってしまう。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その22)

EL34はポピュラーな球だ。
マランツのパワーアンプに使われてきたことでも知られているし、
無線と実験、ラジオ技術でも自作アンプによく使われていた球だ。

とにかく扱いにくくない球だ、といえる。
ポピュラーな球だけあって、既製の電源トランスがそのまま使える。
電源トランス選び(外観を含めるとそれなりに苦労するけれど)に苦労することはほとんどない。

出力トランスにしても、同じだ。
特註しなければならないパーツを使う必要はない。

ソケットもそうだ。
市場に出廻っている球の中には、ソケットで苦労する場合がある。
珍しくてもそれほど高価でない球もあるが、そういう球の場合、
ソケットの方が球よりも高価だったりする。

EL34はオクタルソケットだから、そんな苦労はない。

こんなEL34を、不思議なことにマッキントッシュは一度も採用していない。
15W1は6V6、50W1と50W2は6L6G、20W2は6V6G、A116は6BG6、MC30は1614、MC60は6550、
MC240(MC40)は6L6GC、MC225は7591、MC275(MC75)はKT88/6550、
MC3500は6LQ6/6JE6Bである。

これだけの種類の出力管を使ってきていながら、EL34は一度も使っていないのは、
先にマランツが採用したからなのだろうか。

これには、マランツとマッキントッシュのあいだで暗黙の了解があったのだろうか。

マッキントッシュは三極管接続を採用していない。
EL34は三極管接続時のリニアリティの良さが知られている球でもある。
このへんにも、その理由があるのだろうか。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その2)

前々から気づいていたけれど、
今回ステレオサウンド 207号を久しぶりに買って読んで、
あらためてそうだな、と感じたのは試聴記のパターンである。

試聴ディスクが、鉤括弧(「」)で括られている。
しかもそれだけでなく、試聴記のほとんどにほほ万遍なく鉤括弧付きでディスク名が出てくる。

これはほぼ間違いなく編集部からの要望というか指示なのだろう。
鉤括弧付きのディスク名がない試聴記は、
柳沢功力氏のB&Wの802D3、KISOアコースティックのHB-G1、
ソナス・ファベールのIL Cremoneseだけである。

これらを眺めていると、どことなく気持悪さを感じる。
ステレオサウンド編集部が、こういう試聴記がわかりやすいと考えているのか。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その1)

2009年4月にこんなことを書いている。
     *
わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。

最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。

一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。

わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。

わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。

わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。
     *
自分の書いたものを引用するのはあまりやりたくないけれど、
そういいながら、これで三回目である引用をまたやっているのは、
今回の件とも関係していると思い出したからである。

こうやって引用することで、引用した文章を書いた時の気持も思い出している。
この時は、怒りを感じていた。

Date: 7月 23rd, 2018
Cate: audio wednesday

第91回audio wednesdayのお知らせ(涼しげな音を出せれば、と)

8月のaudio wednesdayは、1日。
テーマは、というか、やりたいことはあるのだが、
それを準備するのが、この暑さに負けて行動に出ていない。
材料を買いに、ふだん行かないところに出掛けるのが(多少距離はある)、
億劫になっていて、おそらく先延ばしにする予定。

今回はテーマなしでの音出しも考えたが、
暑さを理由に先延ばしにすることがあるのだから、暑さを理由にしたテーマということで、
いままでよりもある部分を変えることで、少し涼しげな音が出せれば、と、
そんなことを考えている。

たいして普段と変らない音になるかもしれないが、まったく同じということにはならない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その54)

そのスピーカーの輸入元の担当者はオーディオ関係者である。
同時にステレオサウンドの読者でもある。

オーディオ業界で仕事をしているから──、
ということは望めないということを、私はこの件で知った。

たった一件のこととはいえ、そういう人がいるという事実は変らない。
オーディオ業界にいる人だから、しっかり読んでくれる人なわけではない。

最初は柳沢功力氏の意図を汲み取って読まれていた、と思われるのに、
誰からにいわれただけで、ころっと変ってしまう。

この人には、その人なりの読み方がないのか(私よりも年上である)。
一度、拘泥した読み方にはまってしまうと、そこから抜け出せないのか。

編集部にいると、たまに読者の方からの電話を受けることがあった。
ただ何かを話したい、という人もいたし、
相談にのってほしい、という人もいた。

なかには、上記のような担当者のような読者もいた。
どうしたら、そういう読み方になるんだろうか、と理解に苦しむこともあった。

電話の向うにいる人が、どういうオーディオマニアなのかはほとんどわからない。
声でなんとなく、このくらいの年代の人かな、と思うくらいである。
でも、それすらもどの程度当っていたのかもわからない。

いえるのは、読者一人一人みな違う、ということだけである。
その違いは、実にさまざまで、
おそらくこれを読まれている方が想像されているよりもずっと大きい(はずだ)。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その53)

メーカー、輸入元といった関係者よりも、
ステレオサウンドの読者はずっと数が多いし、
ほとんどの読者と編集者とはなんの面識もない。

数だけでなく、年齢層も読者の方が広い。
私がステレオサウンドを読みはじめた13の時だが、
もっと早くからステレオサウンドを読みはじめた人も知っている。
それでも中学生あたりが下限で、上は60、70、もっと上の人も読んでいよう。

それだけ広く多いのだから、読者のレベルもさまざまである。
長く読んでいるから──、というのはまったく通用しない。

ある単語ひとつにこだわりすぎて、前後の文章がまったく目に入っていない人もいた。
そこまで読み込んでくれているのか、と嬉しくなることもあった。

少なくとも平均的な読者像なんて、まず無理だと思っている。
オーディオという狭い趣味を対象としたオーディオ雑誌でもそうである。

別項「輸入商社なのか輸入代理店なのか(OPPOと逸品館のこと・その2)」でも書いている。

あるスピーカーの新製品の記事に対し、輸入元からクレーム的なことがきた。

柳沢功力氏が、そのスピーカーを担当されていて、
記事に「悪女の深情け」と書かれていた。

もちろんいい意味で使われていた。
けれど、「悪」という一文字が使われていたのが輸入元の気に障ったようだ。

悪女の深情けは、ありがた迷惑だという意で使う、と辞書にはあるが、
そこでは、情の深い音を聴かせる、という意でのことだった。
そのことは前後の文章を読めばすぐにわかることにも関わらず、クレーム的なことが来た。

柳沢功力氏の話だと、最初は輸入元の担当者も喜んでいた、
けれどとある販売店から、何かをいわれたそうである。
それをきっかけに、ころっと態度が変ってしまった、ということらしい。

とにかく悪という漢字一文字が気にくわない、というのか、
そんな漢字を使うな、といわんばかりのようだった。

当惑とは、こういうことなのか、と当時思っていた。
書かれた柳沢功力氏も他のオーディオ評論家の方も編集部も、
放っておこう、ということで一致した。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その2)

スイングジャーナルの1980年3月号に、
「質の時代に入るか! オーディオ界」という菅野先生と瀬川先生の対談が載っている。
     *
瀬川 また、話しは前後してしまいますが、こうした技術とセンスのバランスがあたり前のような世の中になっても、まだ聴いても測定しても相当おかしなスピーカーが新製品として平気で出てくること自体が分らない(笑)。
菅野 それは、何と言っても組織のもたらす影響が大きいんですよ。組織がなければ、現代企業の発展はないのだけれど、起業、組織といったものは必ずしもプラスばかりに働かない。特に、こうしたオーディオ機器と作るというものは、非常に組織化しにくいものなんですね。特に編集部なんぞは管理しきれない(笑)。
     *
編集部というくらいだから、ひとつの、それほど大きくない組織である。
いろんな雑誌があって、いろんな編集部があるわけだが、
とりわけオーディオ雑誌の編集部は管理しきれないのだったのだろう、
この対談が行われた40年ほど前は。

管理しきれないからこそ、マネージャーではなく、リーダーが必要なのだろう。
けれど、これは40年ほど前の話である。
いまのオーディオ雑誌の編集部がそうだ、とは私はまったく思っていない。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その36)

この項は、このブログを書き始めたころは熱心に書いていたのに、
その35)を書いたのは、三年半ほど前。

ふと思いだし、また書き始めたのは、
ステレオサウンド 207号の特集が「ベストバイ・スピーカー上位49モデルの音質テスト」だからだ。

ステレオサウンドでの前回のスピーカーシステムの総テストは187号で、五年前。
ひさびさのスピーカーシステムの総テストであるし、
私もひさびさに買ったステレオサウンドだった。

49機種のスピーカーシステムの、もっとも安いモノはエラックのFS267で、
420,000円(価格はいずれもペア)。
もっとも高いモノは、YGアコースティクスのHailey 1.2の5,900,000円である。

どことなく似ているな、と感じるスピーカーシステムもあれば、
はっきりと個性的なスピーカーシステムもある。

使用ユニットもコーン型は当然として、ドーム型、リボン型、ホーン型、
コンデンサー型などがあるし、
ピストニックモーションが主流だが、ベンディングウェーブのスピーカーもある。

これら49機種のスピーカーシステムは、
いずれも半年前のステレオサウンドの特集ベストバイの上位機種ということだから、
人気も評価も高いスピーカーシステムといえる。

その意味では、すべてが現代スピーカーといえるのか、と思うわけだ。

いったい現代スピーカーとは、どういうものなのか。
それをこの項では書こうとしていたわけだが、過去のスピーカーシステムをふり返って、
あの時代、あのスピーカーは確かに現代スピーカーだった、といえても、
現行製品を眺めて、さぁ、どれが現代スピーカーで、そうでないのか、ということになると、
なかなか難しいと感じている。

Date: 7月 22nd, 2018
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その21)

その19)で、
《他人(ヒト)とは違うのボク。》
と書いた。

スピーカーにしろアンプにしろ、自作の理由、大義名分は、
他人とは違うのボクを求めて、であって、これを否定できる人はいるのだろうか。

私だってそれはある。
その一方で伊藤先生のアンプそっくりのモノを作りたい、という気持があるのは、
まったく矛盾していない、と感じることもある。

伊藤アンプをそっくりに作れるようになったとして、
それのどこが「他人と違うのボク」ということになろうが、
伊藤アンプと呼べるアンプを作れるようになることこそが、
「他人とは違うのボク」といえるレベルになるということである。

真空管アンプを自作する人の中には、珍しい真空管、
手に入りにくい真空管、誰も使ってなさそうな真空管で、
アンプを構成することを楽しみにしている人がいる。

確かにこれも「他人と違うのボク」であり、もっともわかりやすい「他人と違うのボク」である。
そういう人にとっては、EL34のような球はポピュラーすぎて、
使う気にもならないのかもしれない。

真空管アンプで鳴らしています。
出力管は何ですか。
EL34です。
……。

こんな会話がなされているかもしれない。
EL34が出力管ということで、話が止ってしまうことだってある。
そのくらいEL34のアンプは多い。

EL34でも、マランツのModel 2、Model 9を使っている、といえば、
会話も別の方向に弾んでいくだろうが、
自作アンプとなると、そうでもなかったりしよう。

「他人と違うのボク」をEL34では満たさない──。
300Bの刻印ならば満たされるのか、Edならばいいのか。