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Date: 8月 23rd, 2018
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その17)

直熱三極管の交流点火ではハムバランサーが必ずつくといっていい。
この場合、電源トランスのヒーター用巻線の両端のどちらかが接地されることは、まずない。

傍熱管の場合でもハムバランサーがついているアンプもある。
マッキントッシュの場合は、モノーラル時代のモノ(つまりMC60までは)ハムバランサーがあり、
ステレオ時代になってからはヒーター用巻線の片側が接地されている。
MC3500ではハムバランサーが復活している。

同時代のマランツのパワーアンプは、というと、ヒーター用巻線にセンタータップがあり、
これが接地されている。ハムバランサーはない。

ハムバランサーがない場合でも、マッキントッシュとマランツとでは接地が違う。
正直いうと、この接地の仕方の違いによる音の変化を、同一アンプで比較試聴したことはない。

マランツの真空管アンプも聴いているし、マッキントッシュの真空管アンプも聴いているが、
これらのアンプの音の違いは交流点火における接地の仕方だけの違いではないことはいうまでもない。

なので憶断にすぎないのはわかっているが、交流点火の場合、
ヒーター用巻線にセンタータップがあり、ここを接地したほうが音はいいのではないのか。

交流点火が音がいい、という人がいる。
けれど理屈からは直流点火のほうがエミッションは安定化するように思える。
それでも──、である。

ということは交流点火で考えられるのは電流の向きが反転することであり、
この反転がヒーターの温度の安定化にどう作用しているのか。

交流点火になんらかの音質的なメリットがあるとしよう。
ならば交流点火でも、定電圧点火と定電流点火とが考えられる。
通常の交流点火ではヒーター用巻線からダイレクトに真空管のヒーターに配線するが、
あえてアンプを介在させる。小出力のアンプの出力をヒーターへと接続する。

そうすることで出力インピータンスを低くすることができ、
この場合は定電圧点火となるし、このアンプを電流出力とすれば、
交流の定電流点火とすることができる。
しかもアンプをアンバランスとするのか、バランスとするのかでも音は変ってこよう。

Date: 8月 23rd, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア Exclusive 3401・その3)

習作的といいたくなる製品は、多くのメーカーに多かれ少なかれある。
特にスピーカーシステムに多くみられるが、
その中でもパイオニアのスピーカーシステムは習作的といいたくなる製品が、
他のメーカーよりもはっきりと多い、と感じていた。

習作的といっているが、興味深いことでもある。
こういうことを考えているのか、と感心する(反対に呆れるか)ことがあるからだ。
そこでの音はともかくとして、勉強になることは確かだ。

とはいえパイオニアのスピーカーシステムで、Exclusiveの名称がつくのに、
習作的なモノとなると、そこは否定的なことをいいたくなる。

Exclusiveのイメージは、アンプによってつくられていた。
そのイメージからすれば、3301と2301は習作的でしかなかった。
3401によって、どうにかExclusiveのスピーカーといえるモノが登場した──、
当時そんなふうに感じていた。

Exclusive 3401は、ステレオサウンド 46号の特集には登場していないが、
新製品紹介のページには出ている。

その後、47号のベストバイでは、井上先生が☆☆、山中先生が☆☆☆をつけられていた。
51号のベストバイでは誰にも選ばれていない。
けれど49号のSTATE OF THE ART賞には選ばれている。

聴いていないスピーカーだけに、そういう評価なのか、と思いそうになった。
Exclusive 3401Wが、ステレオサウンドの総テストに登場するのは、54号。

黒田先生、菅野先生、瀬川先生が試聴されていて、
黒田先生と瀬川先生が特選であった。

瀬川先生の試聴記の最後に、
《初期の製品の印象はあまりよくなかったが、ずいぶん練り上げられてきたと思う》とある。
そうだったのか……、と納得したものだった。

54号に登場しているのはExclusive 3401W。
Exclusive 3401との違いはエンクロージュアの仕上げだけでなく、
3401Wにはハカマがついているし、トゥイーターの取り付け位置は最初から固定で、
つまり左右対称のユニット配置になっているから、メクラ板はない。

そして、そこにはExclusiveのネームプレートがついている。

Exclusive 3401は、写真をみるかぎり、フロントバッフルのどこにもExclusiveの文字はない。
国産スピーカーだけでなく、海外のスピーカーであっても、
フロントバッフルに型番やメーカー名が入っているモノはある。

Exclusive 3401には、それがない。3401Wにはあるのに。
そのことがグレイの塗装仕上げとともに、
このスピーカーがモニタースピーカーとして開発されたモノだと、私にはおもえる。

Date: 8月 23rd, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア Exclusive 3401・その2)

Exclusive 3401の広告は、ステレオサウンド 46号に載っていた。
「曲は終り、針が止まった。雨の音だけが残った。」
というキャッチコピーがあった。

その下にサランネットを外した正面からのExclusive 3401、
その右ページにはサランネットを付けた状態で、少し斜めからの写真があった。

グレイといっても、JBLのスタジオモニターのグレイとは少し違っていた。
わずかに緑が入っているようにも感じた。

Exclusive 3401をみれば、JBLの4320、4333をそうとうに意識しているのことは、
誰の目にも明らかなくらい、ユニット配置、バスレフポートの位置、
エンクロージュアのプロポーションなど、近いところが多い。

トゥイーターの位置も左右どちらかに取り付けられるようになっているところもそうだし、
ウーファーの口径、外観もJBLのウーファーを感じさせるものだし、
スコーカーのホーンもExclusive 2301が、JBLの2397をおもわせるホーンなのに対し、
こちらはJBLのスタジオモニター共通のショートホーンである。

トゥイーターのホーン開口部は、エレクトロボイスのトゥイーターっぽい感じもあるが、
なんとなくJBL的にみえるといえば、そうみえなくもない。

JBLのスタジオモニターも、4331A、4333Aのように、
型番末尾にAがつくようになってから、
エンクロージュアの形状とフロントバッフルの色が変更された。
4320、4331、4333では六面すべてサテングレー仕上げだった。

Exclusive 3401も六面すべてグレー仕上げである。
そのためか正面からの写真では、やや平面的な印象も受けるし、
引き締まった印象は薄い。

それでもExclusive 3401は、気になった。
46号の広告ではExclusive 3401Wは登場してなかった。
グレーのExclusive 3401だけであったから、
パイオニアがモニタースピーカーを開発したのか、とも思っていた。

けれど46号の特集「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」では取り上げられてない。

Date: 8月 22nd, 2018
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その16)

ヒーターはカソードを熱している。
カソードとヒーター間に十分な距離があれば問題は生じないのだろうが、
距離を離していてはカソードを十分に熱することはできない。

カソードとヒーターとは近い。
ということはそこに浮遊容量が無視できない問題として存在することになる。
ということは真空管アンプの回路図を厳密に描くのであれば、
カソードとヒーターを、極小容量のコンデンサーで結合することになる。

それでも真空管が一本(ヒーターが一つ)だけであれば、大きな問題とはならないかもしれないが、
実際には複数の真空管が使われているのだから、浮遊容量による結合は、
より複雑な問題となっているはず。

仮に定電圧点火であっても定電流点火であっても、
エミッションが完全に安定化していたとしても、この問題は無視できない。

そこに定電圧電源をもてくるか、定電流電源をもってくるかは、
それぞれの干渉という点からみれば、
低インピーダンスの定電圧電源による点火か、
高インピーダンスの定電流電源による点火か、
どちらが複数の真空管の相互干渉を抑えられるかといえば後者のはずだ。

念のためいっておくが、三端子レギュレーターの配線を変更して定電流点火は認めない。

私は真空管のヒーターは、きちんとした回路による定電流点火しかないと考える。
けれど、ここで交流点火について考える必要もある。

交流点火はエミッションの安定化、つまりヒーター温度の安定化という点では、
どう考えても直流点火よりも不利である。

けれど交流点火でなければならない、と主張する人は昔からいる。
ここでの交流点火は、ほとんどの場合、出力管は直熱三極管である。

Date: 8月 22nd, 2018
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その15)

いまでこそアンプに面実装タイプの部品があたりまえのように使われるようになっている。
小さい抵抗やコンデンサーには、そのサイズ故のメリットがあるのはわかっていても、
それ以前のアンプでのパ抵抗やコンデンサーの大きさを知っている者からすれば、
デメリットについても考える。

もちろんメリットとデメリットは、どちらか片方だけでなく、
サイズの大きな部品にもメリットとデメリットがあるわけだが、
昔から、抵抗は同じ品種であっても、ワット数の大きいほうが音はいい、といわれてきた。

1/4Wのの抵抗よりも1/2W、さらには1W、2W、5W……、というふうに音はよくなる、といわれていた。
富田嘉和氏はさらに大きな10W、20Wの抵抗を、アンプの入力抵抗に使うという実験をされていたはずだ。

ワット数が大きいほうが、なぜいいのか。
その理由ははっきりとしないが、ひとつには温度係数が挙げられていた。
音楽信号はつねに変動している。

1/4Wの抵抗で動作上問題がなくても、
大きな信号が加わった時、抵抗の内部はほんのわずかとはいえ温度が上昇する。
温度係数の、あまりよくない抵抗だと、その温度上昇によって抵抗値にわずかな変動が生じる。
それが音に悪影響を与えている可能性が考えられる──、
そういったことがいわれていた。

確かに抵抗であれば、ワット数が大きくなれば温度係数はよくなる。
この仮説が事実だとしたら、真空管のヒーターもそうなのかもしれない、と考えられる。

温度のわずかな変化、それによるヒーターの抵抗値のわずかな変動。
そこに定電圧電源から一定の電圧がかかっていれば、
ヒーターへの電流はわずかとはいえ変動することになる。

電流の変動はエミッションの不安定化へとつながる。
ならば安定化しなければならないのは電圧ではなく、電流なのかもしれない。

定電流点火によってヒーターのなんらかの変動が生じても、電流は一定である。
そのためヒーターにかかる電圧はわずかに変動する。

それでも重要なのはエミッションの安定であることがわかっていれば、
どちらなのかははっきりとしてくる。

Date: 8月 22nd, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア Exclusive 3401・その1)

スピーカーは、いったい何組欲しいのだろうか、と自問自答することがままある。
予算も、置くスペースにも制約がなければ……、と夢みたいなことをおもいながら、
いま手元にあるスピーカーたちの他に欲しい(つまり鳴らしてみたい)スピーカーは、どれなのか。

記憶をたどりながら、あれこれ思い出す。
けっこうな数ある。
それでも日本のスピーカーシステムということに限れば、数はとても減る。
ヤマハのNS1000M、ダイヤトーンの2S305、ビクターのSX1000 Laboratory、
それからパイオニアのExclusive 3401ぐらいである。

この中で聴いたことがないのがExclusive 3401だ。
Exclusive 3401には仕上げが違うExclusive 3401W(ウォールナット仕上げ)もあるが、
私にとってExclusive 3401といえば、グレイ仕上げのExclusive 3401である。

パイオニアのカラー広告で、Exclusive 3401を最初に見た時の印象は、
ヤマハのプリメインアンプA1の広告の印象と並ぶくらいだった。

それまでのExclusiveの名称がつくスピーカーシステムは、3301と2301だった。
3301は中高域の同軸ユニットは、なかなか意欲的でおもしろそうだなとは感じたけれど、
システム全体の印象は、アマチュアの自作スピーカー的であり、
Exclusiveとつかないのであればわかるけれど、
なぜ、このシステムにExclusiveとつけるのか理解に苦しんだし、いまも、そう思う。

Exclusive 2301はExclusiveらしいといえば、まだそういえた。
それでもシステムとしての完成度は3301と2301、どちらも高いとは感じなかった。

コントロールアンプのC3、パワーアンプのM4で出来上っていたExclusiveの製品のイメージを、
どちらのスピーカーも、毀すとまではいかないが損うように感じていた。

その一年後か、Exclusive 3401が出た時は、
やっとExclusiveらしいスピーカーの登場だ、と思った。
それは、いまも忘れていない。

Date: 8月 22nd, 2018
Cate: KEF

KEFがやって来た(その25)

Model 105の高さは98.5cm、Model 107は116.5cmで、18cmの差がある。
Model 107の高さであれば、HEAD ASSEMBLYを上向きにする必要は、ほとんどないはずだ。
Model 105では椅子の高さ、聴き手の身長によっては上向きにする場合も多かっただろうが。

107はこれまで書いてきたように低音部は、105とは大きく違っている。
そうなると実際のセッティングにおいては、どうなってくるのか。

Model 107があるのだから、音を聴いてみればわかること。
ただ、まだ音を出せる状態にない。

Model 107のウーファーはエンクロージュア内部に二本おさめられている。
KEFはベクストレンを振動板に、それまで使っていた。
Model 107のウーファーもベクストレンと思いがちなのだが、実際には紙であり、
しかもエッジがウレタン製。意外だった。

もうエッジがボロボロになっている。
しかも107のウーファーは、いわゆるエッジがコーン紙の外周だけでなく内周にもある。
107にはアクティヴイコライザーのKUBEが付属している。

このKUBEで低域をコントロールできるわけだが、
その設定によってはかなりの振幅をウーファーに要求するため、エッジが外周と内周にあるのだろう。

ウーファーは左右で四本あるわけだから、これらをエンクロージュア内部から取り外して、
それからエッジの交換である。

交換用エッジは、アメリカのスピーカー関係のサイトをみれば、売っているのがわかる。
ちなみに日本のamazonでも買えるけれど、価格はアメリカの数倍以上だ。
おそらく転売屋なのだろう。

自分でエッジ交換に挑戦してみたい、という気持はあるけれど、
四本もあると、一本目と四本目とでは仕上がりに違いが出そうな気がする。
なので、どこかに依頼することになるだろう。

Date: 8月 22nd, 2018
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その24)

瀬川先生は、ステレオサウンド 45号に、
《ウーファーごとリスナーに向ける方がいいと思う》と書かれている。
私が聴いた時も、ウーファーごとリスナーに向けた上での、
HEAD ASSEMBLYの慎重な調整のうえでの音だった。

ウーファーごと向けるのであれば、HEAD ASSEMBLYの水平方向の可動機構は不要で、
仰角調整機構だけでいいのではないか、と、
45号を読んだときも、Model 105の音を聴いたときも思った。

けれどおもしろいもので、
1983年のステレオサウンド別冊「THE BRITISH SOUND」に載っているKEFの試聴室の写真では、
Model 105.2のウーファーは後の壁と平行で、HEAD ASSEMBLYだけがリスナーの方に向けられている。

ゴールドリングの試聴室でも、Model 105.2があり、ここでもKEFの試聴室と同じように置かれている。
たった二枚の、小さなモノクロ写真でも、こういうのを見ると、
仰角調整機構を省き、水平方向の調整機構だけを残したことを、
少し違う視点から考えてみる必要がある。

Model 105のクロスオーバー周波数は400Hzと2.5kHz(105)、3kHz(105.2)と発表されている。
105のウーファーの口径は30cmだから、400Hzのクロスオーバー周波数ならば、
良好な指向特性の領域のみで鳴らしているといえる。

低音の放射パターンからいえば、あえてリスナーに向ける必要性はさほどない、
とKEFでは考えていたのかもしれない。

それに別項で書こうとしていてそのままになっているのだが、
ウーファーの受持帯域がそれほど上の周波数までカバーしていなければ、
意外にも後の壁と平行に置いた方が、いい結果が得られるのではないか、とも考えている。

レイモンド・クックが言っていた《聴取位置の自由度を広くしたスピーカーとして》の形が、
Model 105だとすれば、その使い方はHEAD ASSEMBLYだけをリスナーに向けることなのかもしれない。

そこをあえてウーファーごとリスナーに向けて、
HEAD ASSEMBLYをそうとうに細かく調整された瀬川先生の鳴らし方は、
KEFが想定した鳴らし方をこえたところでのことだったのかもしれない。

Date: 8月 22nd, 2018
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その23)

KEFのModel 105はステレオサウンド 45号、
Model 105.2は54号で、それぞれ特集の総テストに登場している。
試聴だけでなく測定も行われている。

45号では水平・垂直、両方の指向特性が、
54号では水平の指向特性のグラフが載っている。

軸上の周波数特性だけでなく、
水平では30度の、垂直では15度の周波数特性もきちんとしている。

その22)でレイモンド・クックの発言を引用しているとおり、
軸上から外れた特性も保証されている。

それでもModel 105の特長を聴くには、慎重な調整とただ一点のリスニングポイントが求められる。
過去に書いているように、瀬川先生が調整されたModel 105を聴く機会があった。
バルバラのレコードだった。

45号の試聴記で瀬川先生が書かれいてるように、
《バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する》のだ。
これは誇張でもなんでもない。

そのピンポイントの一点からズレてしまうと、そこまでの錯覚は得られない。
もちろん急にダメになってしまうわけてはないが、
一度でもピンポイントの一点での音を(もちろん身長に調整された場合)聴いてしまうと、
聴取位置の自由度を広くしたスピーカーとしてModel 105をみることきはできなくなる。

中高域を受け持つHEAD ASSEMBLYは水平と垂直方向の角度を調整できた。
記憶違いでなければ、105.2になってから水平方向のみになってしまった。
Model 107もそうである。

垂直方向、つまり仰角も調整できたほうがいいと思うのだが、
そうするとコスト高になってしまうのか、
それともそこまでの調整はあまり必要性を感じない、という判断なのか、
なんともいえないが、少々残念ではある。

Date: 8月 21st, 2018
Cate: ワーグナー

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その12)

《何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと》
そう五味先生は書かれている。
私もそう思う。

いまでは「上から目線で……」と、すぐさま口にする人が増えてきたようだ。
「上から目線でいわれた」と感じる方が弱くてイジケているのだろう、と思う。

弱くてイジケている人は、上の人が自分がいまいるところまで降りてきてくれる、と思っているのか。
弱くてイジケている人は、自分よりも下にいると思っている人のところまで降りて行くのか。

上にいる者は、絶対に下に降りていってはダメだ、と菅野先生からいわれたことがある。
そう思っている。

下にいる人を蹴落とせ、とか、
上に上がってこようとしているのを拒む、とか、そういうことではない。
上にいる者は、目標としてしっかりと上にいるべきであり、
導くことこそ大事なことのはずだ。

Date: 8月 21st, 2018
Cate: ワーグナー

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その11)

「西方の音」に「少年モーツァルト」がある。
そこに、こうある。
     *
 私は小説家だから、文章を書く上で、読む時もまず何より文体にこだわる。当然なはなしだが、どれほどの評判作もその文体が気にくわねば私には読むに耐えない。作家は、四六時中おなじ状態で文章が書けるわけはなく、女を抱いた後でつづる文章も、惚れた女性を持つ作家の文章、時間の経過も忘れて書き耽っている文章、またはじめは渋滞していたのが興趣が乗り、夢中でペンを走らせる文章など、さまざまにあって当然だが、概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える。寝てからでは、どうしても文体に緻密さが欠けている。自他ともに、案外これは分るものだ。女性関係に放縦な状態でけっしてストイックなものが書けるわけはない。ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』や、総じて彼の詩作は、女性を拒否した勤勉な、もしくは病的な純粋さで至高のものを思わねばつづれぬものだろう、と思ったことがある。《神への方向》にリルケの文学はあるように思っていた。私はリルケを熟読した。そんなせいだろうか、女性との交渉をもったあとは、それがいかほど愛していた相手であれ、直後、ある己れへの不潔感を否めなかった。なんという俺は汚ない人間だろうと思う。
 どうやら私だけでなく、世の大方の男性は(少なくともわれわれの年代までに教育をうけた者は)女性との交渉後に、ある自己嫌悪、アンニュイ、嘔吐感、虚ろさを覚えるらしい。そういう自己への不潔感をきよめてくれる、もしくは立ち直らせてくれるのに、大そう効果のあるのがベートーヴェンの音楽ではなかろうか、と思ったことがある。
 音楽を文体にたとえれば、「ねばならぬ」がベートーヴェンで、「である」がバッハだと思った時期がある。ここに一つの物がある。一切の修辞を捨て、あると言いきるのがバッハで、あったのだったなぞいう下らん感情挿入で文体を流す手合いは論外として、あるとだけでは済ませぬ感情の盛り上がり、それを、あくまで「ある」でとどめるむずかしさは、文章を草してきて次第に私にも分ってきた。つまり、「ある」で済ませる人には、明治人に共通な或る精神の勁さを感じる。何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと。──なんにせよ、何々だった、なのだった、を乱用する作家を私は人間的に信用できなかった。
 シューベルトは、多分「だった」の作曲家ではなかろうかと私は思う。小林秀雄氏に、シューベルトの偉さを聞かされるまではそう思っていたのである。むろん近時、日本の通俗作家の「だった」の乱用と、シューベルトの感情挿入は別物だ。シューベルトの優しさは、だったで結べば文章がやさしくなると思う手合いとは無縁である。それでも、ベートーヴェンの「ねばならぬ」やバッハにくらべ、シューベルトは優しすぎると私には思えた。女を愛したとき、女を抱いたあとにシューベルトのやさしさで癒やされてはならぬと。
 われながら滑稽なドグマであったが、そういう音楽と文体の比喩を、本気で考えていた頃にもっとも扱いかねたのがモーツァルトだった。モーツァルトの音楽だけは、「ねばならぬ」でも「である」でもない。まして「だった」では手が届かない。モーツァルトだけは、もうどうしようもないものだ。彼も妻を持ち、すなわち妻と性行為はもったにきまっている。その残滓がまるでない。バッハは二人の夫人に二十人の子を産ませた。精力絶倫というべく、まさにそういう音楽である。ベートーヴェンは女房をもたなかったのはその音楽を聞けば分る。女房ももたず、作曲に没頭した芸術家だと思うから、その分だけベートーヴェンに人々は癒やされる。実はもてなかったといっても大して変りはないだろう。
     *
《ある己れへの不潔感》、《アンニュイ、嘔吐感、虚ろさ》、
そういったことをまったく感じない男がいる、ということも知っている。

そんな男にかぎって、ストイックな文章を書こうとしているのだから、
傍から見れば滑稽でしかない、とおもうことがある。

《概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える》とある。
ならば自己への不潔感を感じる者と、感じない者との二様がある、のだろう。

感じない者が大まじめに、ストイックな文章であろうとするのだから、
やはり、滑稽でしかない、と感じる。

ワグナーは、どちらだったのか。

Date: 8月 21st, 2018
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その9)

マッキントッシュのゴードン・ガウの言葉だったと記憶している。

「quality product, quality sales and quality customer」だと。
どれかひとつ欠けても、オーディオの世界はダメになってしまう、と。

quality product(クォリティ・プロダクト)はオーディオメーカー、
quality sales(クォリティ・セールス)はオーディオ店、
quality customer(クォリティ・カスタマー)はオーディオマニア、
主にそういうことになる。

クォリティ・セールスには、オーディオ店以外にも、
メーカーの売り方も深く関ってくるし、
海外で売られる場合には、その国の輸入元も含まれる。

メーカー、輸入元の売り方には、広報・広告が含まれる。
ここでの広報とは、オーディオ雑誌での記事の掲載、
インターネットでのなんらかの記事などが、そうだといえよう。

クォリティ・カスタマーは、売らんかな、だけのメーカー、輸入元にとっては、
クォリティがつかないカスタマーのほうが都合はいいだろう。

高価なモノをポンと買っていく客が、クォリティ・カスタマーなわけではないし、
誰しもが最初からクォリティ・カスタマーなわけでもない。

客(オーディオマニア)をクォリティ・カスタマーに導いていくのには、
クォリティ・セールスが重要となってくる。

Date: 8月 20th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その11)

テクニクス、ヤマハを例に挙げただけで、
他のオーディオメーカーの新製品に、新鮮さ、驚きがあるかというと、五十歩百歩だ。

たとえばアキュフェーズ。
別項でC240という、ずいぶん前のコントロールアンプについて書き始めているが、
当時、C240の登場は新鮮であり驚きがあった。

それまでのアキュフェーズのコントロールアンプとは明らかに違っていたし、
だからといってアキュフェーズ以外の製品であったわけでもない。

はっきりとアキュフェーズの製品でありながら、
それまでの製品とは違っていたから、新鮮であり驚きがあった。

C240のデザインに、未消化に感じるところがないわけでもない。
それでも新鮮であり驚きがあった。

おそらくNS1000Mの登場もそうであったのではないか。
私がオーディオに興味をもったころには、すでに定評を得ていた。
発表当時のことは私は知らないが、新鮮であり驚きを受けた人は多かったのではないか。

NS100Mにも欠点はある。
具体例をあげれば、ウーファーを保護している金属ネットがそうだ。
NS1000Mを視覚的に印象づけているわけだが、この部分の鳴きはそうとう音に影響している。

だからといって、取り外してしまえば、もうNS1000Mではなくなってしまうはずだ。

過去の新製品すべてがそうだったわけではないが、
それぞれのメーカーに、数年に一機種か、十年に一機種か、
とにかく力を感じさせる新製品が登場していた。

そういう新製品に、新鮮さ、驚きを感じていた、ともいえる。

Date: 8月 20th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その10)

その9)を書いたのが四年前。
2014年の9月にテクニクス・ブランドが復活している。
2016年にはヤマハがNS5000の販売を開始した。

ヤマハもテクニクスもインターナショナルオーディオショウに出展するようにもなった。
アキュフェーズ、ラックス、マランツ、デノン、エソテリック、フォステクス、TAD、
これらのメーカーも健在である。

インターナショナルオーディオショウではないが、OTOTENにも、
いくつものオーディオメーカーが、(その9)を書いたあとに登場したメーカーも出展している。

けっこうなことじゃないか、と素直に喜びたいのだが、
ほんとうに喜べる状況なのだろうか、ともおもう。

テクニクスの、この四年間の新製品、
特にアナログプレーヤーのSL1200、SP10の現代版は、
オーディオ雑誌、オーディオ業界だけのニュースではなく、
もっと広いところでのニュースとなっている。

復活したテクニクスを率いている小川理子氏は、メディアによく登場されているし、
本も出されている。それだけ注目されている。

これもけっこうなことじゃないか、と素直に喜びたいのだが、
ほんとうに喜べる状況なのだろうか、このことについても、そうおもう。

ヤマハのNS5000は、このブログでも書いているように2015年にプロトタイプが、
インターナショナルオーディオショウで登場した。
音も聴くことができた。

プロトタイプのNS5000の音に期待がもてた。
けれど製品としてできあがったNS5000の音に、私はがっかりした。
プロトタイプに感じた良さが、製品版からは感じられなかった。
もっとも世評は高いから、それはそれでいいのだろう。

結局、ヤマハはNS1000Mを超えるスピーカーをつくれないのか、と思ってしまう。
もちろんNS5000の方が、NS1000Mよりもいい音と評価する人は大勢いることだろう。

それでもNS1000Mを超えられない、と思ってしまうのは、
NS5000に新鮮さとか驚き、といったことを感じられないからだ。

少なくともプロトタイプには、それらはあった、と感じている。
同じことはテクニクスにもいえる。

SL1200、SP10の現代版をみても、新鮮さ、驚きは悲しいかな、感じられなかった。

Date: 8月 19th, 2018
Cate: audio wednesday
1 msg

第92回audio wednesdayのお知らせ(あるD/Aコンバーターを聴く)

喫茶茶会記のシステムは、そう高くはない。
むしろいまでは安い方に属する、ともいえる。

スピーカーはアルテックの2ウェイ中心としていて、
中古相場で計算しても片チャンネルあたり20万円ほどで揃う。

アンプはマッキントッシュのMA7900、SACDプレーヤーはMCD350。
スピーカーケーブルはカナレの実売80円(1m)くらいだし、ラインケーブルも数百円である。
私が作ったネットワークは部品代はそこそこかかっているけれど、
それでもシステムトータルでは200万円を超えない。

すべて含めて、このくらいで納まっている。
いまならスピーカーケーブルだけでも、喫茶茶会記のシステムより高価なモノがあるし、
そういうケーブルを使っている人もいる。

今回、とある会社から借用するオーディオ機器(D/Aコンバーター)は、
一台で喫茶茶会記のシステムよりも高価である。
音の入口にあたるところを、今回は大きくグレードアップすることになる。

どのメーカーのD/Aコンバーターなのかは書かないが、
私が聴きたいとおもっているD/Aコンバーターのひとつである。

9月5日のaudio wednesdayでは、このD/Aコンバーターを使っての音出しである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。