Author Archive

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(4347という妄想・その4)

私が妄想している4347は、4345の改良版というよりも、
4350のシングルウーファー版といったほうが、より近い。

4350のウーファーを、15インチ口径の2231のダブルから、
18インチ口径の2245に変更する。
上の帯域を受け持つ三つのユニットは4350と同じままである。
当然エンクロージュアは4350の横置きから縦置きへとなる。

各ユニットのクロスオーバー周波数は4350に準ずることになるだろう。

個人的には2245はフェライト磁石仕様しかないけれど、
ミッドバスの2202はフェライトではなく、やはりアルニコがいい。

それからミッドハイの2440は、
エッジがタンジェンシャルからダイアモンド型になった2441がいい。

スーパートゥイーターの2405も、アルニコがいい。
というより、2405はフェライト仕様になってバラツキはほぼなくなっている。
これは大きな改良だと認めても、音に関しては2405こそアルニコである。
この2405も新型ダイアフラムにしたい。

ここまではすんなり思いつく。
悩むのは、ホーンである。
2441と組み合わせるホーンである。

4343、4350同様スラントプレートの音響レンズ付きを、
誰だって最初に思い浮べるだろう。

4343はミッドバスのフレーム幅と、音響レンズの横幅とは一致している。
だからこそミッドバスとミッドハイがインライン配置であるのが、ピシッと決っている。

4350は、ミッドバスが12インチ口径となっているが、
この二つのユニットはインライン配置ではない。
だからミッドバスのフレーム幅と音響レンズの横幅の寸法が一致してなくとも気にならない。

けれど、ここで妄想している4347は、
ウーファー、ミッドバス、ミッドハイ、
少なくともこの三つのユニットはインライン配置にしたい。

そうなると音響レンズの横幅をどうするかが、小さいけれどけっこう気になってくる。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その3)

五味先生の4343評。
それが読めたのは、「人間の死にざま」を古書店で見つけたであった。
     *
 JBLのうしろに、タンノイのIIILZをステレオ・サウンド社特製のエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器であるせんせんの 再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たくて即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめてタンノイのスピーカーから出る人声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的な冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳には快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさか思った程である。
     *
意外だった。
4343のことはそこそこ高く評価されるであろう、とは予想していたが、
ここまで高く評価されていたのか、と驚いた。

この時の組合せは、コントロールアンプがGASのThaedra、パワーアンプがマランツのModel 510M、
カートリッジはエンパイアの4000(おそらく4000D/III)だろう)。
ステレオサウンドの試聴室で聴かれている。

アンプが、瀬川先生の好きな組合せだったら……、
カートリッジがエンパイアではなく、ヨーロッパのモノだったら……、
さらに高い評価だったのでは……、とは思うし、
できれば瀬川先生による調整がほどこされた音を聴かれていたら……、
とさらにそう思ってしまうが、
少なくとも4343をJBL嫌いの五味先生は、いいスピーカーだと認められている。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その2)

オーディオマニアとしての私の核は五味先生の文章によって、
そして骨格は瀬川先生の文章によってつくられた、としみじみおもう。

そんな私にとって、ここでのタイトル「カラヤンと4343と日本人」は最も書きたいことであり、
なかなか書きづらいテーマでもある。

熱心にステレオサウンドを読んでいたころ、
五味先生は4343をどう聴かれるのか、そのことが非常に知りたかった。

ステレオサウンド 47号から始まった「続・五味オーディオ巡礼」では、
南口重治氏の4350Aの音を、最終的に認められている。
     *
 プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
 小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。
     *
47号の「続・五味オーディオ巡礼」には、4343のことも少しばかり触れられている。
     *
 JBLでこれまで、私が感心して聴いたのは唯一度ロスアンジェルスの米人宅で、4343をマークレビンソンLNPと、SAEで駆動させたものだった。でもロスと日本では空気の湿度がちがう。西洋館と瓦葺きでは壁面の硬度がちがう。天井の高さが違う。4343より、4350は一ランク上のエンクロージァなのはわかっているが、さきの南口邸で「唾棄すべき」音と聴いた時もマークレビンソンで、低域はスレッショールド、高域はSAEを使用されていた。それが良くなったと言われるのである。南口さんの聴覚は信頼に値するが、正直、半信半疑で私は南口邸を訪ねた。そうして瞠目した。
     *
ここでの組合せのこまかなことはないが、
SAEのパワーアンプは、おそらくMark 2500なのだろう。
だとすれば、ここでの組合せは瀬川先生の組合せそのものといっていい。

組合せだけで音が決まるわけでないことはいうまでもない。
それでも、当時のマッキントッシュのアンプで駆動させた音と、
LNP2とMark 2500での音とは、大きく違う。
方向性が違う。

その方向性が、瀬川先生と同じであるところの組合せを、
五味先生は《感心して聴いた》とされている。

47号を何度も何度読み返した。
読み返すほど、五味先生が4343をどう評価されていたのかを知りたくなった。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 四季

さくら餅(その2)

このブログを書き始めたのは、2008年9月。
書き始めたときから2月になるのを楽しみにしていた。

三はし堂のさくら餅について書きたかったからだ。
2009年2月に、だから「さくら餅」というタイトルで書いている。

三はし堂は一度閉店し、復活した。
けれど、いまはもうない。
今回は復活の期待もできそうにない。

毎年2月になると、ここのさくら餅を買いに行くのをほんとうに楽しみにしていた。
一つ200円ちょっとのさくら餅である。
高価な和菓子ではない。

けれど、三はし堂のさくら餅より高価な桜餅よりも、
上品で、ほんとうに美味しいと思える味だった。

三はし堂のさくら餅を食べるまでは、桜餅は好きではなかった。

それに香りもよかった。
買ってきて、箱を開けると、さくら餅の上品な香りがする。
もうこれだけで食べた気になれるほど、私にとって春の風物詩にもなっていた。

ここ数年、2月になるたびに、もう三はし堂はないのか……、と必ず思い出す。
ひっそりと営業していた店が、ひっそりと消えてしまった。

さがせば、三はし堂のさくら餅に近い味わいの桜餅がどこかにあるのかもしれない。
でも、もういいか、とおもっている。

すべてがそうである、
いつまでもあるわけではない(生きているわけではない)。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、潔癖症のこと

“See the world not as it is, but as it should be.”
「あるがままではなく、あるべき世界を見ろ」

アメリカの人気ドラマだった「glee」の最後に、このことばが登場する。

MQAの非可逆圧縮を絶対的に否定・批判する人たちがいる。
非可逆圧縮といっても、mp3に使われている技術と、
MQAに使われいてるそれとでは、同じではないはずだ。

なのに、意図的なのか、あたかも同じに捉えてMQAについて批判的なことを書く。
とにかく、絶対的に非可逆圧縮を認めない人をみていると、
どこか病的な潔癖症に通ずる何かを感じてしまう。

以前書いているように、
私はオーディオは、あるがままではなく、あるべき世界(音)を聴くものだと考えている。

MQAを認めない人の耳には、あるがまましか聴けないのかもしれない。
あるべき世界(音)には耳を塞いでいるのか。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(続・エリカ・ケートの言葉)

イタリア語を「歌に向く言葉」、
フランス語を「愛を語る言葉」、
ドイツ語を「詩を作る言葉」、
日本語は「人を敬う言葉です」だとエリカ・ケートが浅利慶太氏に語っている。

「敬う」の対義語は「蔑む、侮る」である。
「人を敬う言葉」である日本語で、人を蔑み、侮る人が増えつつある。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その57)

オーディオの想像力の欠如した耳は、人間のこころの機能を無視しがちだ。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その56)

オーディオの想像力の欠如した耳は、時代の忘れ物に気づくことはない。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その6)

区別をつけるに求められるのは、倫理だと思っている。
倫理を無視したところで差別が生じていくとも思っている。

倫理を曖昧にすれば、区別も曖昧になる。
曖昧な区別のまま、すべてのオーディオ評論家を先生と呼ぶのだろうか。

川崎先生が「もう一度、とっても会いたい菅野沖彦先生」を公開されている。

川崎先生も、菅野先生と呼ばれる。
《私は好き嫌いがはっきりとしています。
たくさんの評論家の中でも特に先生に傾倒していました。》
と書かれている。

ここでの川崎先生の、はっきりとした好き嫌いは、はっきりとした区別である。

《今では、この程度で?と、
残念なオーディオでありビジュアルの評論家が多いのです。》
とも書かれている。

この人たちのことは、先生とつけて呼んだりはしない。

区別を曖昧にしてきたことで、疎かにしてきたことで、
多くの人たちは区別することができなくなりつつあるのかもしれない。
区別に求められることが何なのかも、わからなくなりつつあるのかもしれない。

結果、差別を生んできているのではないのか。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その6)

M君が「東大に行くんだ」と語ってくれたとき、私はそんな具体的な夢は持っていなかった。
現実味のない妄想はよくしていたし、それ以上に喘息の発作から解放されたい、
このことがいちばんの夢のようなものだった。

喘息といえば治療のため、小学生のころは、
毎週一回、学校を早退してバスに一時間ほどのり、熊本大学病院に通っていた。

そんなふうに早退した次の日、教室の後方の壁には、鱒の絵が貼られていた。
前日午後の音楽の授業で、
シューベルトの「鱒」を聴いて、心に浮んだことを描くという内容だったようだ。

早退してよかった、と思った。
なんてバカらしい授業なんだ、と思った。
そのころの私は、音楽の授業が嫌いだった。

まして「鱒」を聴いて、鱒の絵を描く。
シューベルトも、そんな授業が行われるようになるとは夢にも思っていなかっただろう。

音楽の授業が、さらに嫌いになった。
音楽も嫌いになっていた。

小学生だった私は、そんなだった。
「五味オーディオ教室」と出逢う数年前の話だ。

T君が視力回復センターに通っていることを知ったときも、
まだ「五味オーディオ教室」に出逢ってない。

中学生にもなると、喘息の発作はかなり治まっていた。
それでも夏、蚊取り線香の煙で発作がおきたことがあった。
その時はT君も一緒で、彼も喘息の発作をおこしていた。

T君とは喘息という共通のことがあった仲でもある。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その5)

もう一人はT君だ。

T君は、義務教育の九年で、六年は同じクラスだった。
よく互いの家に遊びに行く仲だった。

T君は、中学のころ、視力回復センターに通うようになった。
理由をきくと、航空自衛隊に、戦闘機のパイロットになりたいから、ということだった。

T君の飛行機好きなのは、小学校のころから知っていた。
飛行機に詳しかったし、プラモデルもよく作っていた。

戦闘機のパイロットになるには、裸眼視力がT君の場合、足りなかった。
視力だけではなく、身長も少し足りなかったようだ。

別に小柄というわけではなかった。
私より少し背が低いだけだったけれど、規定の身長には足りなかった。
T君は、だから中学の部活動はバスケットを選んだ。

特にバスケットが好きなわけではなかった。
それでも身長が少しでも伸びる可能性があるのならば、という理由でのバスケットだった。

T君のことを笑う人もいるかもしれない。
そんなことで視力が回復したり、身長が伸びたりするわけないのに、と。
香ばしい青春だこと、と揶揄することだろう。

そうかもしれない。
けれど、T君は夢に向って真剣だった。
T君は賢かった。

そのT君が、わずかな可能性に賭けていた。
本人が、ほんのわずかしか可能性がないことはよくわかっていたのかもしれない。

T君は、中学卒業のころには諦めていたようだった。
高校ではバスケットはやらなかったし、視力回復センターにも通わなくなっていた。

M君とT君のふたりのことを、
この項を書き始めたころから、どこかで書こうと思い始めていた。

どこで書こうか、もそうだが、ここで書くようなことだろうか、とも思っていた。

Date: 3月 26th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その4)

その1)を書いてしばらくして、小学校時代同じクラスだった二人のことを、
なぜだか思い出していた。

一人はM君という。
小学校三、四年のとき、同じクラスだった。
家が近くだったこともあって、帰りは一緒だったこともあるし、M君の家に遊びに行ったこともある。
とはいえ、特に仲がよかった、というほどではない。

おそらくM君は私のことなど憶えていないだろう。

そんなM君が、ある日、「ラサールを中学受験して東大に行くんだ」と話してきた。
M君が、そういうことを話してきたきっかけがなんだったか憶えていないし、
こちらとしても、ラサール中学・高校が有名な進学校というぐらいは知っていたけれど、
まさか同じ学校に通っている同級生が、中学受験をするなんて、驚き以外のなにものでもなかった。

当時の私の感覚としては、
同級生はみな小学校のすぐ近くにある中学校に進学するものだと思い込んでいた。
中学までは義務教育だから、わざわざ私立の学校に受験して入学するなんて、
東京とか大阪の都会の話だという認識しかなかった。

M君は、たしかに成績は良かった。

でも同級生にはNさんという、学年一の優秀な女の子がいた。
同じクラスになったことはないけれど、それでもNさんの優秀さは伝わってきていたことも、
驚きにつながっていた。

M君は宣言通り、ラサールに入学した。
中学、高校と首席かそれに近い成績だというウワサが聞こえてきた。
模試でも東大合格間違いなし、という成績だった、らしい。

けれどM君は東大受験に失敗した。
一浪して再び受験した。けれどダメだった、らしい。

本番に弱かったのだろうか。
M君は、有名私大に入学した。

ここまではウワサで聞いて知っていた。

いまになってM君のことを思い出して、そういえば、M君の夢はなんだったのか、と考える。
東大に合格することが夢だったのか。
それとも東大に合格して東大で学び卒業して、そこから先がM君の夢だったのか。

小学四年だった私は、M君に「夢は東大に合格すること?」と訊くことはなかった。
そんなこと考えもしなかったからだ。

M君の夢はなんだったのか、
東大には入れなかったけれど、夢は実現しているのかもしれない。

Date: 3月 26th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その3)

むせかえるような濃密な芳香。

ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲を聴いた同時に感じたのが、
これだった。

濃密なだけではなかった。
むせかえるような、とつけたくなるほどな芳香の強さだった。

もちろんイヤな芳香だったわけではない。

でも、なせか、私はそういう芳香に、怖れをなすところがあるというだけだ。

聴いていて、ラルキブデッリのブラームスを、もし20代のころ聴いていたら、
さらには10代のころだったら……、そんなことを想像もしていた。

もしかすると、むせかえるような濃密な芳香とは感じなかったかもしれない。
香りたつ、そのぐらいの感じ方だったかもしれない。

少なくとも、怖れをなす──、そんなふうには感じなかったはずだ。

それだけではなかった、感じたことは。
これまでをふり返って、こういう時代が私にはあっただろうか……、
そんなことすらおもっていた。

むせかえるような濃密な芳香といえる時期。
それを、青春と呼ぶのかもしれない。

でも、そうは呼びたくない、という気持も聴いていて感じていた。

菅野先生はよく「若さはバカさ」といわれていた。
「若さはバカさ」といえることは、誰にでもあろう。
思い出して、恥ずかしさでいっぱいになって、音楽を聴いていてひとり赤面するような。

それもラルキブデッリのブラームスを聴いていて、あったことだ。

Date: 3月 26th, 2019
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その5)

オーディオショウに行けば、それぞれのブースで、出展社のスタッフが、
オーディオ評論家を○○先生と呼んでいるのが、あちこちで聞ける。

誰が、どの人を先生と呼ぶのか呼ばないのか。
それはその人の勝手だ。

菅野先生が亡くなられたいま、私が先生と呼ぶ人は、オーディオ界にはもういない。
それでも、インターナショナルオーディオショウでは、
あちこちで「先生」がきこえてきた。

その「先生」がきこえてくる度に思うことがある。
ほんとうに、この人たちは、心から「先生」と呼んでいるのか、と。

そう呼んでおけば差し障りがない──、
そんなことで先生と呼んでいるわけではないだろうが、
釈然としないものが、残る。

オーディオマニアのなかには、
オーディオ評論家ごときを先生と呼ぶこと自体おかしい、と主張する人がいる。

そう思っている人はそれでいい。
その人たちを説得する気は私にはまったくないし、
私自身は、先生と呼ぶ人と呼ばない人を、はっきりと区別してきた。

先生と心から呼べる人たちが、かつてオーディオ界にはいた。
その時代を私は知っているし、そこにいて、その人たちと仕事をすることができた。

そういう時代があったことすら知らない世代が、今後、オーディオ業界で増えていく。
そういう世代の人たちは、上の世代、先輩社員が、先生と呼んでいるから、
それに倣っておこう、ぐらいの軽い気持で先生と呼ぶようになるのかもしれない。

仕事だから──、と割り切って先生と呼ぶ。
そうなれば、そこに区別はなくなる。

Date: 3月 26th, 2019
Cate: 映画

Alita: Battle Angel(その4)

「アリータ: バトル・エンジェル」のことを書こうと思うと、
予告編について書いておきたい。

映画館では、必ずといっていいほど本編の前に予告編がある。
本編を観に来ているのだから、予告編など見せるな、という客がいることは知っている。
でも私は本編だけでなく、予告編も映画館で映画を観る楽しみだと捉えている。

1998年ごろからだったか、インターネットでも映画の予告編が見られるようになった。
といってもアメリカの映画の予告編だから、音声は英語、字幕もなし。
それでも新しい予告編が公開されるのを、楽しみにしていた。

そのころ56kbpsのアナログモデムを使ってインターネットに接続していた。
予告編をストリーミングで見ることは、ほぼできなかった。
ダウンロードして見るしかなかった。

そのころの予告編は、ちいさなサイズだった。
横幅480ピクセルだったはずだ。
予告編の容量は20数MB程度だった。

それでもダウンロードするのに二時間程度かかっていた。
しかも20%くらいでダウンロードが終るという時に、接続が切れることもあった。
そういう時は最初からダウンロードし直しだ。

STAR WARS episode Iの予告編もそうやってダウンロードした。
映画が上映されるのは数ヵ月以上先だった。
何度も、ダウンロードした予告編を見ていたし、
友人、知人にも何人かに見せていた。

そのころはPowebook 2400cを使っていた。
小さな液晶サイズだし、予告編はさらに小さなウィンドウで再生される。
フルスクリーンにはできなかったはずだ。

それでもみな「スゴい」といって見ていた。