ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その3)
むせかえるような濃密な芳香。
ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲を聴いた同時に感じたのが、
これだった。
濃密なだけではなかった。
むせかえるような、とつけたくなるほどな芳香の強さだった。
もちろんイヤな芳香だったわけではない。
でも、なせか、私はそういう芳香に、怖れをなすところがあるというだけだ。
聴いていて、ラルキブデッリのブラームスを、もし20代のころ聴いていたら、
さらには10代のころだったら……、そんなことを想像もしていた。
もしかすると、むせかえるような濃密な芳香とは感じなかったかもしれない。
香りたつ、そのぐらいの感じ方だったかもしれない。
少なくとも、怖れをなす──、そんなふうには感じなかったはずだ。
それだけではなかった、感じたことは。
これまでをふり返って、こういう時代が私にはあっただろうか……、
そんなことすらおもっていた。
むせかえるような濃密な芳香といえる時期。
それを、青春と呼ぶのかもしれない。
でも、そうは呼びたくない、という気持も聴いていて感じていた。
菅野先生はよく「若さはバカさ」といわれていた。
「若さはバカさ」といえることは、誰にでもあろう。
思い出して、恥ずかしさでいっぱいになって、音楽を聴いていてひとり赤面するような。
それもラルキブデッリのブラームスを聴いていて、あったことだ。