Date: 3月 26th, 2019
Cate: オーディオ評論
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ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その5)

オーディオショウに行けば、それぞれのブースで、出展社のスタッフが、
オーディオ評論家を○○先生と呼んでいるのが、あちこちで聞ける。

誰が、どの人を先生と呼ぶのか呼ばないのか。
それはその人の勝手だ。

菅野先生が亡くなられたいま、私が先生と呼ぶ人は、オーディオ界にはもういない。
それでも、インターナショナルオーディオショウでは、
あちこちで「先生」がきこえてきた。

その「先生」がきこえてくる度に思うことがある。
ほんとうに、この人たちは、心から「先生」と呼んでいるのか、と。

そう呼んでおけば差し障りがない──、
そんなことで先生と呼んでいるわけではないだろうが、
釈然としないものが、残る。

オーディオマニアのなかには、
オーディオ評論家ごときを先生と呼ぶこと自体おかしい、と主張する人がいる。

そう思っている人はそれでいい。
その人たちを説得する気は私にはまったくないし、
私自身は、先生と呼ぶ人と呼ばない人を、はっきりと区別してきた。

先生と心から呼べる人たちが、かつてオーディオ界にはいた。
その時代を私は知っているし、そこにいて、その人たちと仕事をすることができた。

そういう時代があったことすら知らない世代が、今後、オーディオ業界で増えていく。
そういう世代の人たちは、上の世代、先輩社員が、先生と呼んでいるから、
それに倣っておこう、ぐらいの軽い気持で先生と呼ぶようになるのかもしれない。

仕事だから──、と割り切って先生と呼ぶ。
そうなれば、そこに区別はなくなる。

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