ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その6)
M君が「東大に行くんだ」と語ってくれたとき、私はそんな具体的な夢は持っていなかった。
現実味のない妄想はよくしていたし、それ以上に喘息の発作から解放されたい、
このことがいちばんの夢のようなものだった。
喘息といえば治療のため、小学生のころは、
毎週一回、学校を早退してバスに一時間ほどのり、熊本大学病院に通っていた。
そんなふうに早退した次の日、教室の後方の壁には、鱒の絵が貼られていた。
前日午後の音楽の授業で、
シューベルトの「鱒」を聴いて、心に浮んだことを描くという内容だったようだ。
早退してよかった、と思った。
なんてバカらしい授業なんだ、と思った。
そのころの私は、音楽の授業が嫌いだった。
まして「鱒」を聴いて、鱒の絵を描く。
シューベルトも、そんな授業が行われるようになるとは夢にも思っていなかっただろう。
音楽の授業が、さらに嫌いになった。
音楽も嫌いになっていた。
小学生だった私は、そんなだった。
「五味オーディオ教室」と出逢う数年前の話だ。
T君が視力回復センターに通っていることを知ったときも、
まだ「五味オーディオ教室」に出逢ってない。
中学生にもなると、喘息の発作はかなり治まっていた。
それでも夏、蚊取り線香の煙で発作がおきたことがあった。
その時はT君も一緒で、彼も喘息の発作をおこしていた。
T君とは喘息という共通のことがあった仲でもある。