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Date: 2月 25th, 2019
Cate: 映画

Alita: Battle Angel(その1)

「アリータ: バトル・エンジェル」を、IMAX 3Dで観た。
この映画は、マンガ「銃夢(がんむ)」が原作。

1990年代、「銃夢」が読みたくて掲載誌のビジネスジャンプを買っていた。
連載が終って数年後、ハリウッドで実写化されるというウワサがあった。

しばらくして、ジェームズ・キャメロンが手がける、というウワサも出てきた。
本当なのかな……、と疑っていたら、2000年だったか、発表になった。

けれどほとんど音沙汰なしだった。
立ち消えになったのか……、となかば諦めていた。

それが数年前に、ほんとうにやっていることがわかった。
そして昨年、予告編が見られるようになった。

まだ日本語字幕のついていない予告編を、iPadで見た。
期待外れかも……、と思うところもあった。

iPadだから、そんなに画面が大きいわけではない。
音はイヤフォンで聴いた。

それでも面白い映画は、そうやって見た予告編でも、観に行きたい、と思わせる。
「アリータ: バトル・エンジェル」は、そこまでの気持にはなれなかった。

なのに22日公開の映画を、三日後に観た。

二年前に「GHOST IN THE SHELL」が公開になった。
「GHOST IN THE SHELL」に関しても、インターネットでの予告編でがっかりしながらも、
IMAX 3Dで観た。

観て驚いた。
そのことがあったから、
今回も「GHOST IN THE SHELL」と同じように感じるのかも──、という期待をもっていた。

「アリータ: バトル・エンジェル」も観て驚いた。
その驚きは、「GHOST IN THE SHELL」よりも大きかった。

Date: 2月 25th, 2019
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その5)

ミッドタウン日比谷の二階に、THE NORTH FACEの店舗がある。
今日、この店舗の前を通ったら、レジのところに意外なモノがあった。

こんなところに、こんなモノが! と多くの人が思うはずだ。
マッキントッシュのC22が、そこにあった。
飾られていたわけではなく、電源は入っていた。

店内には音楽が流れていたから、
C22はそのためのコントロールアンプである。

パワーアンプは見えなかったけれど、
スピーカーはタンノイのIIILZだった(グリルが多少違っていたけれど、そのはずだ)。

THE NORTH FACEのブランドイメージと、
これらのオーディオ機器とが、私のなかでは結びつかないだけに、
映画やドラマのなかに、意外なオーディオ機器が登場してくるのに近い感じを受けた。

Date: 2月 24th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その1)

MQAについてとにかく否定的な人がいるのは、
ULTRA DACを聴く以前から知っていた。

その人たちは口を揃えて、MQAには非可逆圧縮が使われている、という。
どうも非可逆圧縮が使われているようである(このことを含めてMQAの詳細を知りたい)。

非可逆圧縮はロッシー(ロスレスではない)だから、
DSDやハイレゾリューションのPCMにある情報量が欠如する──、
そんな音源は認められない、らしい。

そういう人は、まず音を聴かないのか、と問いたくなる。

そして、「音は耳に聴こえるから音……」という記事(ステレオサウンド 31号掲載)を思い出す。

岡原勝氏と瀬川先生による実験を交えながらの問題提起である。
この対話を、MQA否定派の人たちに読んでほしい、と思うし、
そうでない人たちにも読んでもらいたい。
     *
瀬川 最近特に感じるのですが、受け取る側も作る側も科学というものの認識が根本から間違っているのではないでしょうか。
 これはことオーディオに限らないと思いますが、一般的に言って日本人はあらゆるものごとに白黒をつけないと納得しないわけですよ。ふつう一般には、科学というものは数字で正しく割り切れるもので、たとえば歪みは極小、f特はあくまでフラットでなくては……というように短絡的に理解してしまっている。そのようには割り切れないものだという言い方には大変な不信感を抱くようなのですね。
 寺田寅彦や中谷宇吉郎らの、日本の本物の科学者というのは、科学を真に突き詰めた結果、科学さえも最後は人間の情念と結びつくというところまで到達していると思うのですが。
岡原 それで思い出したのですが、JISでスピーカーの規格を選定する時、大変困ってしまいまして、八木(秀次)先生にご意見を伺いにいったのです。
 すると『音響製品の規格を決めようとしているのでしょう。それならば聴いて良いものが良い製品だという規格を作ればいいのではないですか。』と仰るのですよ。
瀬川 さすがに本当の科学者ですね。しかし、八木先生のような現代日本最高の科学者にして初めて言える言葉ですね。
 ところが、今の科学というのは先に何か条件が決まっていて──しかもそれさえ誰が決めたのだか分らないようなものですが──まだ欠けたところが沢山あるが数字だけは整っているような条件にきちんと合わせてものをつくりさえすれば、それがいいはずで、それが良くないというのは聴いている人の方が悪いと言いかねない。それが今の大多数にとっての科学のような気がするのですが。
岡原 それは現在の科学は仮定の上に成り立っている学問だからなのですよ。
 ある境界条件を与え、その中だけならばそれでいいのかもしれないが、その条件の与え方そのせのが間違っているのですよ。
 それより先にもっと大切なことがあるのに、それを無視して境界条件を決めてしまい、その中で完全なものができたと言っても仕様がない。
     *
八木秀次氏の
『音響製品の規格を決めようとしているのでしょう。それならば聴いて良いものが良い製品だという規格を作ればいいのではないですか。』、
これこそがオーディオの科学の根本のはずだ。

Date: 2月 24th, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その5)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」。
ここで、糸川英夫氏が語られている「空間のマルチ化」とは違う意味で、
この「空間のマルチ化」を捉えると、それは「空間のレイヤー化」ではないかと思う。

とはいっても「空間のレイヤー化」を説明できるわけではない。
それでも「空間のレイヤー化」こそが、
「空間のマルチ化」につながっていくと確信はしている。

Date: 2月 24th, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その38)

ダンホンをエンクロージュアがわりとする自作スピーカーのプランは、
まず予算を決めた方が楽しい。

制約のないスピーカー作りは、もっと別の方向があり、
ここでのスピーカー作りは、限られたなかでの楽しみ方である。

ダンホン自体が高価ではないから、
ここに一本数万円もするフルレンジユニットを選択する人はいない、と思う。
そのくらいの価格のフルレンジユニットを使うのが悪いわけではない。

ただ純セレブスピーカーとダンホンを、同時期に知ったからゆえの自作プランであって、
私としては、ダンホンの価格と見合ったユニットから選択したい。

どのユニットと、どのダンホンを組み合わせるか。
色はどうするか、吸音材のたぐいはどうするのか、
そういったことを考えるのと同時に、
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書も考えていく。

妄想カタログを考える。
妄想なのだから、あまり現実的ではなく、あれこれ妄想してみるのがいいと思う。
もちろん現実的なカタログを妄想する。

しかも、ここで忘れてはならないのは、
スピーカーができあがってのカタログではなく、
自作スピーカーの構想、細部を検討している段階でのカタログだから、
妄想カタログだ、ということだ。

妄想カタログをある程度考えたら、妄想取り扱い説明書も考える。
もちろんここでの取り扱い説明書も、スピーカーができあがっての取り扱い説明書ではない。

どういう使い方を考えているのか。
どういう使い方ができるのか。

作る前に考えることで、どういうスピーカーを作りたいのかが、
少しずつはっきりとしてくるかもしれないし、一気に見えてくるかもしれない。

それに妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を考えるという楽しみがここにはあり、
仲の良いオーディオマニア同士で、競作(もしくは協作)するのもより楽しいはずだ。

複数で、妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を考えていく。

自作は、アンプやスピーカーを作っていくことだけではない。
自分で使うスピーカーやアンプであっても、
カタログや取り扱い説明書を考えていく。

しかも、いまの時代、スマートフォンで写真をとり、
パソコンでカタログや取り扱い説明書を制作することは、そう難しいことではない。

Date: 2月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと

facebookで、ある人がMQAについて、
ほぼ全否定といえることを書かれているというのを知った。

最初に書いてあった名前で検索しても、誰なのかわからなかった。
コメント欄に、現在使われている名前(ペンネーム)があった。
それで検索すれば、その人のブログが見つかった。

フルネームもわかった、ブログの名前もわかっているが、
その人がどんな人なのかまったく知らないし、初めて読むブログであり、
MQAに関する二本だけを読んだだけなので、あれこれ言うのは控えておく。

ただ、この人はオーディオ評論家なのだろうか。
アマチュアの方なのだろうか。

その人はハイレゾFLACとMQAを、自身のシステムで比較試聴された結果、
ハイレゾFLACの方が、MQAよりも音がいい、と判断されている。

そのことに異を唱える気はない。
その人のシステムで、その人が聴くかぎりでは、そう聴こえたのであろうから。

ただ、その人のMQAの音の印象を読んでいると、
まったく私と感じ方が真逆だな、と感じた。
どうして、そう聴こえる(感じる)のかと思った。

その人がどういう人なのかまったく知らないから、
その人の耳がどうなのか、そんなことをいいたいのではない。

その人はあくまでも自身のシステムで聴いてのことである。
そして、その人は MQAに対して、好印象をもっていない。

いいたいのはここで、ある。
ならば、現在聴ける最高のMQA再生のシステム、
つまり具体的にはメリディアンのULTRA DACで聴いて欲しかった、と思う。

新しい方式が登場する。
技術的な謳い文句が、そこにはついてくる。
それを読んで、納得することもあれば、そうでないこともある。

MQAについて懐疑的であってもいい。
正直、私も知りたいことがけっこうある。

そういう方式を聴くときこそ、最上のシステムで聴くようにしたい。
その人のシステムにケチをつけたいわけではない。

ただMQAの再生システムとして、その人の機器がどのレベルにあったのか。

その人は、ハイレゾFLACとMQAの比較試聴の記事のタイトルに、
決戦とつけているし、
本文中には、白黒つけよう、とか、白黒ついた、とある。

それはあくまでも、その人のシステムと音においてである、ということだ。

私は、その人と反対で、MQAの音を高く評価している。
ただ、いまのところメリディアンのULTRA DACでしか聴いていない。

ULTRA DAC以外のMQAの音は、いまのところ聴いていない。
私は、このことは幸運だった、と感じている。

もしかすると、その人のシステムでMQAを聴いたら、
その人と同じように感じたかもしれない。
そんなことはまったくない、とは言い切れない。

だから最高(最上)と思えるモノで、初めての接触は体験したい。

Date: 2月 22nd, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その37)

ダンボールのエンクロージュアに小口径のフルレンジユニット、
エンクロージュア内部に一般的な吸音材を詰めるのか、
純セレブスピーカーと同じく、紙を詰めていくのか、
どちらを選んだとしても、既製品の高価なスピーカーと同じ世界の音が出てくるわけではない。

ダンホンをエンクロージュアかわりにしても、
ユニットを安価で抑えれば、製作費用は一万円かからないくらいで済む。
純セレブスピーカーをそっくりコピーするのであれば、さらに費用は少なくて済む。

いくら安くても、いま鳴らしているスピーカーよりもいい音なんて出せっこない、
そんなモノを作るだけ時間の無駄、
時間の無駄こそ金のムダ──、
そういう捉え方の人には、どうでもいい世界のどうでもいいスピーカーでしかない。

そういう人はそういう人でいいし、
そういう人を説得しようとは思っていない。

ここのタイトルは「オーディオの楽しみ方」である。
「オーディオの楽しみ」ではない。

楽しみ方としたから、こんなことを書いているともいえる。
ダンホンとフルレンジユニットの組合せ。
エンクロージュア内部に何を詰めるのかは音を聴いて決めればいい。

ユニットの固定方法もいくつか考えられるし、
あれこれ試してみるほうがいい。

ここでユニットに対して、以前書いているCR方法を試してみるのもいい。
他にもいろいろあるけれど、
楽しみ方として、ひとつ書きたいのは、
オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その9)」で書いたことだ。

妄想カタログ、妄想取り扱い説明書のことだ。

Date: 2月 21st, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その36)

純セレブスピーカーと聞いて、どんなスピーカーをイメージするか。
そのイメージと、実際の純セレブスピーカーとがぴったり一致する人は、
ほとんどいないのではないだろうか。

純セレブスピーカーが、どんなスピーカーなのかは、検索してみてほしい。
ダンボールをエンクロージュアに使い、
吸音材のかわりに紙をちぎっては軽くまるめて詰める。

詳しい作り方は検索すれば、すぐに見つかる。
フルレンジのスピーカーユニットさえ手元にあれば、
ほとんどの家庭にダンボール箱はあるだろうから、すぐにも作れる。

高橋健太郎氏も100円ショップのダイソーであれこれ購入し、
純セレブスピーカーを製作、その音についてもツイートされているし、
YouTubeでも、純セレブスピーカーの音を公開されている。

昨年末にカホンをエンクロージュアかわりにしたら面白いかもしれない──、
そんなことを書いた

カホンを使って、内部を純セレブスピーカーに従うというのもアリかな、と考えていたら、
ダンホンというのを、島村楽器の店頭でみかけた。

ダンホン。
ダンボール+カホンの略語である。
島村楽器のオリジナル製品のようだ。

木製のカホンよりも安価だ。
梱包用とし使われるダンボールには、会社名が印刷されてたりする。
純セレブスピーカーがうまく鳴ってくれたとしても、
見た目は好ましくない。

ならば、このダンホンを使う。
安価とはいえ、数千円はかかる。
純セレブスピーカーの意図からすれば、そんなにお金をかけるのかと……、となりそうだが、
私はダンホンを使ってみたい、と考えている。

Date: 2月 21st, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その35)

スピーカーを自作するのは楽しい。
既製品のスピーカーがあるのになぜ? ということになるだろうが、
なぜ? と、ほとんどどうでもいいことである。

作ってみたいなぁ、と一瞬でも思ったら、
やってみることをすすめる。

そんなにお金をかけなくてもいい。
もちろんかけたい人はそうすればいいが、
とりあえず作ってみることを最優先する。

ただここでやっかいなのは、工具が揃っている人はいいけれど、
そうそういないだろう。
私も木工工具はほとんど持っていない。

結局東急ハンズやホームセンターでカットしてもらうことになる。
そうなると、その店で売っている木材しか選べないし、
すべての加工を依頼できるともかぎらない。

今回のホーンのバッフルにしても、私が加工した部分もある。
こんな時、これがダンボールだったらなぁ……、とちょっとだけ思っていた。

昔、もうずいぶん昔にアルテックの755Eを、
ダンボールの平面バッフルで鳴らしたことがあるのを、以前書いている

悪くなかったどころか、気持ちのいい音が鳴ってくれた。
ダンボールならば、加工も木材よりは楽になる。
ダンボールか……、とそんなわけで思っていた。

一週間ほど前、ひさしぶりにtwitterを眺めていた。
始めたころは頻繁に見ていたのに、いまでは思い出しては、十分ほど眺めるくらいになってしまったけれど、
それでも時々眺めるのは、おっ、と思うようなことに出会したりするからだ。

一週間ほど前もそうだった。
ステレオサウンドで「名盤深聴」を連載されている高橋健太郎氏のツイートに、
純セレブスピーカー、とあった。

Date: 2月 20th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その9)

今日、非常に興味深い話を聞いた。
とあるメーカーで、開発の方向性をまとめる仕事をされる方から聞いた。

オーディオメーカーではないが、音楽に関係のある、けっこう大きな、よく知られている会社である。
そういう会社が新製品を開発する際に、
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を先に作ることがある、という話だった。

カタログにしても取り扱い説明書にしても、製品が大方出来上ってから制作に入るものだと、
今日(今晩)までずっと思っていた。

なのに(その会社だけではないようである)、
カタログ、取り扱い説明書が先に作られる。

たとえば昔のマークレビンソンのアンプだと、
マーク・レヴィンソン一人(もちろん回路設計は別にいても)である。
マーク・レヴィンソンの頭のなかに、すべてがある、ともいえる。

けれどもっと大がかりの製品の開発ともなれば、チームでの作業となる。
チームにはさまざまな専門家がいる。

そうなると個人がやる製品づくりとチームとでは、やり方が違ってもこよう。
特に取り扱い説明書を担当する人は、
取り扱い説明書の専門家である。

だから、妄想取り扱い説明書ではなく、想像取り扱い説明書といったようが的確だろうが、
ここではこの話をしてくれた人が、妄想カタログ、妄想取り扱い説明書といわれていたので、
それにしたがっている。

取り扱い説明書の専門家が、製品ができる前に書く取り扱い説明書は、
素人が好き勝手に書いたものとは、当然ながら違う。

しかもインターフェースが重要となる製品において、
取り扱い説明書の専門家は、専門的知識をもっての想像で、
製品より先に取り扱い説明書を書く。

それによって製品の仕様の細部が決定されることがある、という。

面白い話だと思いながら、
一方では、セブン・イレブンのコーヒーメーカーの開発には、
おそらく妄想カタログ、妄想取り扱い説明書は制作されなかったんだろう、とも思っていた。

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その8)

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
これこそが、心に近い音にしていく行為である。

耳に近い音、心に近い音。
このふたつが両立してこその「いい音(響)」であって、
まずは心に近い音をしていくことが大事である。

心に近い音を求めずに(わからずに)、
耳に近い音を求めていくことを、私は思考停止といっているだけだ。

心に近い音と耳に近い音を、ごっちゃにしてもいけない。
心に近い音と耳に近い音との区別をつけることこそが大事でもある。

心に近い音と耳に近い音との区別をあいまいにしたままでは、
心に近い音には、決して近づけない。

区別をつけることの難しさ、厳しさは、
区別をつける側の者に要求されることだ。

あいまいにしたまま(思考停止状態)は、楽である。

Date: 2月 19th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その45)

オーディオの想像力の欠如した耳は、耳に近い音だけに敏感なのかもしれない。
心に近い音には、えてして鈍感だ。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)

オーディオマニアの思考停止は、
昨晩公開した「何度でもくりかえす」で書いたこともそのひとつだと考えている。

少しでも音をよくしようとすること。
それのどこが思考停止なのか。

音をよくしようとする行為そのことを思考停止といっているのではない。
システムを入れかえたばかりで、あれこれやることについて、
それは思考停止につながっていく行為でもあるからだ。

システム全体を入れかえる。
入れかえたばかりのシステムの音は、それこそ何をしなくても変っていくものだ。

《好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》
そのことによって音ははっきりと自然に変っていく。

その変っていく段階において、あれこれを手を出して意図的に音を変えていく。
そしてよくなった(わるくなった)と一喜一憂すること。
それこそが思考停止につながっていくことではないのか。

スピーカーをポンポン買い替える人がいる。
知人にも一人いる。
一年と経たずに買い替えていく。

それが知人の趣味なのだから、何もいうことはない。
知人の趣味は、オーディオではなく、買い替えていくことなのだから。
そういう人は、買って鳴らし始めたそばから、あれこれチューニングと称しては、
音をいじっていけばいい。
早ければ数ヵ月後、遅くとも一年後くらいには、そのスピーカーを売り払っているのだから。

自分のところにきたスピーカーをじっくり鳴らしていこうとしている人は、
そんなことはする必要はないし、
瀬川先生が書かれているように、
《二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい》
そうすることで、《個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれる》のだから。

音をいじるのはそこからでいい、
というより、そこから始めるべきことなのだ。

なのにいじることが先にある。
それこそ思考停止である。

Date: 2月 18th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その6)

Bさん夫妻は、ラックをどうするのか。
その後の情報では、ヤマハのGTR1000か、
特註のラックのどちらかになるらしい。

家具の特註はかなり高価になる。
それにオーディオラックは、収納するモノが重量物ゆえに、
さらに高価になろう。

おそらく、現在オーディオラックとして評価の高い製品よりも、高価になるはずだ。
GTR1000は一台、五万円を切っている。
一台のGTR1000で、すべての機器を収納できるタイプではないから、
複数台必要になるとはいえ、いまどきの高価なオーディオラックからすれば安価だ。

価格的にはGTR1000と特註のラックとでは、開きがある。
それでもこのふたつが最終候補であり、
いわゆるオーディオラックは候補になっていない。

やっぱりそうか、と納得するところである。
オーディオマニアではないBさん夫妻にとって、
購入できる金額であっても、いわゆるオーディオラックは候補にはならない。

こんなことを書くと、
特註のラックもしくはヤマハのGTR1000と、
高価なオーディオラックとを比較試聴すれば、Bさん夫妻も後者を選ぶはず──、
そんな声が聞こえてきそうだが、はたしてそうだろうか。

Bさん夫妻がラックの比較試聴をするとは思えないが、
仮にやったとしても、そしてその音の違いを認めたとしても、
高価なオーディオラックは選ばないのではないか。

オーディオマニアでないBさん夫妻のラック選びの話などつまらないし、
何の参考にもならない──、そう思う人もいるかもしれないが、
私がBさん夫妻のことを書いているのは、
オーディオマニアは時として思考停止に陥りがちになるからだ。

Date: 2月 17th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その3)

ほかの学校、ほかの地域がどうだったのかは知らないが、
私が通っていた学校、クラスでは小学一年生(続く二年生、三年生……)を、
かなり多くが読んでいた。

数えたわけではないが、読んでいない方が少なかったのではないだろうか。
しかもその多くは、小学校を卒業するまで読んでいたようにも思う。

ということは一人っ子でも小学一年生から六年生まで、
12×6で、72冊の小学館発行の雑誌を読んでいたわけだ。

兄弟(姉妹)がいれば、さらに増えよう。
私の場合、弟と妹がいたから、手元にある雑誌ということで読んでいた。
しかも小学生を対象とした雑誌は、その時代には少年マンガ誌くらいだった。

そのころは考えもしなかったことだが、これはすごいことのような気もする。

高校生のころ、星新一のショートショートに夢中になった。
題名も忘れたし、詳細もはっきりとは憶えていないが、こんな話があった。

あるメーカーが、万能幼児用ベッドなるモノを開発。
しかもそれを子供が生まれた家庭に無料で送る。
子供がむずかれば母親の手を煩わすことなくあやしてくれるし、
確かおむつの交換、その他、大変な育児の手間を代りにやってくれる。

それもただ機械的におこなうのではなく、やさしい声もついてくる。
こんな便利なモノだから、しかも無料なのだから普及する。

その万能ベッドに育てられた子供が大人になる。
するとベッドと同じ声で、コマーシャルが流れるようになる。
母親代りともいえる声が、これを買いましょう、あれを買いなさい、という。

それに抗えないのだ。
すんなり従ってしまう(つまり購入してしまう)。
このための万能ベッドだったのだ。

このショートショートを思い出したのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだった。
小学館の小学○年生は、この万能ベッド的存在に近い存在に、
やり方によっては成りえたであろう──、とおもったことがある。