6月5日のaudio wednesdayで“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDをかけた。
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDを、
audio wednesdayでかけるのは三度目。
今回はうまく鳴ってくれる予感はあった。
それでも鳴らしてみないことには、
スピーカーから音の聴かないことには、なんにもいえない。
前回、前々回の“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の音を聴いている人もいる。
今回初めて聴く人もいる。
最初の音が鳴ってくれば、わかる。
まったく不満がないわけではないが、いい感じで鳴ってくれた。
私がひとりでそう思っているわけではなく、
聴いていた人たちの感想をきいても、そうだった。
一曲目の「地中海の舞踏/広い河」、
特に後半の鳴り方は、冒頭の音からはちょっと想像できない感じで鳴ってくれた。
二人のギタリストがいるステージに、聴き手のわれわれも坐って聴いている、
そんな感じで、しかも演奏者の体温が、曲のクライマックスで上ってくるような感じさえあった。
そんなのは、聴き手の一方的な期待による錯覚といわれれば、そうかもしれない。
同じ音を、あの場で聴いても、そう感じない人もいるはずだ。
今回はそんな人はいなかっただけのことかもしれない。
それでも錯覚できない音と錯覚できる音、
どちらをとるのかとなったら、迷わず錯覚できる音をとる。
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”はライヴ録音である。
ギタリストはステージにいて、観客はステージにはいない。
観客の位置で演奏を聴きたいという人には、
今回の音は、ある意味、ひどい音ということになる。
でも、私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDを、
そんな音で聴きたいとは思わない。
演奏者の体温が上昇するのにつれて、
聴き手のこちらの体温も上昇するような音で聴きたい。
そういう音で聴いてこそ、
私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”をすごい、とおもう。