時代の軽量化(その12)
修羅場の経験を持たぬ者と持つ者の二人がいれば、
その二人がオーディオマニアであるならば、
鍛えられているのは、修羅場の経験を持つ者のはずだ。
オーディオは趣味である。
音楽は嗜好品である。
そこにおいて修羅場とは、なんと大仰な、大袈裟な、といわれようと、
修羅場の経験を持たぬ者と持つ者とは、常にいたはずだ。
けれど、いまでは持たぬ者ばかりになってしまってきているのかもしれない。
オーディオは確かに趣味であるのかもしれない、
音楽には嗜好品という一面も確かにある。
でも、それだけだったら、私はここまでオーディオに夢中になっていない。
元来飽きっぽい性格である。
そんな私が四十年以上つきあってきている。
死ぬまでオーディオマニアのはずだ。
オーディオで修羅場なんて──、
そんなことを書く者は時代錯誤者といわれる時代なのかもしれない。
こう書きながらも、世の中そんなには変っていないのかもしれない、というおもいももつ。
ただ数人のオーディオの修羅場の経験を持つ人が、もういないだけであって……