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Date: 6月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その6)

5月と6月のaudio wednesdayでは、最初から200Vで218を鳴らしていた。

喫茶茶会記は、喫茶室とaudio wednesdayの場となるL Roomは、
壁で隔てられている。

5月の時にも6月の時にも、喫茶茶会記の常連の方がいた。
5月の時にいた人は、「ここもこういう音がするんだ」と感心していた、とのこと。

壁といっても、防音、遮音処理がなされているわけではない。
けっこう音は喫茶室に抜けている。

壁を隔てて聴く音のほうがよくわかるところもある。

6月のときは、セシル・テイラーの「Solo」をかけていた。
喫茶室にいた常連の人(5月の人とは違う)は、
「ほんもののピアノが鳴っている、と思った」とのことだった。

音の浸透力が、100Vと200Vとでは、このくらい違ってくる。

そして、マリア・カラスを聴くと、その違いはよくわかる。
MQA Studio(96kHz、24ビット)でのマリア・カラスは、
どうがんばっても100Vでは聴けないマリア・カラスだった。

どこまでも声がのびる。
決してヒステリックになることはない。
まるで天井がないかのように、声が天へと向っていく。

私だけがひいき目でそう感じたのではなく、
6月2日の音がそうだった。
218はWONDER DACをめざす(番外)」でのことだ。

私のiPhoneに入っているマリア・カラスを、この日も鳴らした。
私を含めて四人いた。
みな、マリア・カラスに圧倒されていた。

20代のころ、私はマリア・カラスをうまく鳴らせなかった。
LPでもCDでも、どちらであっても、もっとすごいはずなのに……、
という思いがつきまとったままだった。

それがいま、こうもあっさりと鳴ってくれる。

Date: 6月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その5)

コトヴェールのDMJ100BT、
iFi AudioのiPurifier SPDIFの次にやったのが、200V駆動である。

2月下旬に、アムトランスにルンダールの絶縁トランスLL1658を注文した。
届いたのはちょうど五週間後だった。

ぎりぎり4月1日のaudio wednesdayに間に合うように届いた。
けれど、コロナ禍のため、4月のaudio wednesdayは5月に延期した。

LL1658もそのまま使うつもりは最初からなかった。
とはいえ、手を加えることでどれだけの音が変化があるのかを自分の耳で確認したかったから、
最初は基本的な使い方・配線をして、しばらく聴いていた。

これまで100Vで218を使っていて、200Vに変更する。
内部配線を変える必要がないのはスイッチング電源の良さの一つだ。

とはいえ、最初は大丈夫かな、と少しは心配になったものの、
音が鳴ってきたきたら、そんな心配は霧散してしまった。

劇的に変化する、という人もいるだろうが、
私はそんな印象は受けなかった。

むしろ基本的な、大事なところがしっかりと変化した、という印象である。
それでも、そのまま使っていると、トランスを介在させることのデメリットも感じなくはない。

一週間ほど使ったあとで、CR方法をLL1568にも試す。
CR方法については、何度か書いているので、省略する。
巻線の直流抵抗は仕様書に載っているので、テスターも不要である。

抵抗はDALEの無誘導巻線抵抗を、
コンデンサーはディップマイカを使った。
どちらも秋葉原の海神無線で購入した。

この効果は大きかった、といえは確かにそうだが、
気にしない人にとっては、どうでもいい変化量なのかもしれない。

LL1658の端子にハンダ付けしながら思っていたのは、
最初から取り付けていたほうが楽だった──、ということ。
CR方法の効果はすでにわかったから、次回からは配線と同時に取り付ける。

218を使っている人たちから、私も200Vにしたい、ということで、
再びアムトランスにLL1658を、今度は五つ注文した。

Date: 6月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その4)

iPurifier SPDIF用の省電力対応のモバイルバッテリーへの充電は、
これも「モバイルバッテリーという電源」で書いているように、
最初に購入したモバイルバッテリーから行っている。

なんかムダなことをやっている、と思われようが、
モバイルバッテリーを介しての充電のほうが、不思議と音がよく聴こえる。

先入観ゆえじゃないか、といわれれば、強くは否定しない。
モバイルバッテリーの充電時間、
使い切るまでの時間などから、厳密な比較試聴は難しいということもあるからだ。

それでも、そんな一手間を面倒だ、と感じないということは、
なんらの音質的メリットをどこかで感じとっているからだろう。

何も感じていなければ、面倒だと思い、やめているはずだから。
結局何がいいたいかというと、
iPurifier SPDIFは電源によってかなり音が変化する、ということだ。

私が使っている省電力対応のモバイルバッテリーは、
アンカー製だが、これがベストなのかというと、なんともいえない。
他にいい製品があるかもしれないし、
省電力対応でなくても、消費電力をなんらかの手段で増すことで対応もできる。

そちらのほうが音がいいかもしれない。

それからこまかなことだが、アンカーのモバイルバッテリーの置き方でも音は変化する。
どちらの面を上にするかで音は変化するし、コネクターは二つあるが、
どちらに接続しても同じ音というわけではない。

このあたりのことは一度セッティングをきちんと行ってしまえば、
特に変更することはない、というものの、安易に使っては安易な音になることだってある。

安易に使うといえば、iPurifier SPDIFは、その寸法の分後に突き出す格好になる。
コネクターはRCAだから、不安定といえばそうだ。
iPurifier SPDIFの下に何かをかませて、片持ちにならないようにする。

たったこれだけのことでも音は変化する。
下から支えるといっても、iPurifier SPDIFや端子にテンションを与えるくらいだと、
逆効果の面も出てくるから、ほどほどにしておいたほうがいい。

いまのところ、iPurifier SPDIFは気に入っている。

Date: 6月 10th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その3)

タンノイのコーネッタのことは、別項「程々の音」でも書いている。
ずっと心にひっかかってきている存在である。

コーネッタを、ほどよい大きさの真空管アンプで鳴らしたい、
そして、その音にずっと満足していきたい──、
そんなことを、いわば夢見ているところがあるからだ。

それでも、ながくオーディオをやってきて、
コーネッタの音が、真に求める音とは違うところに位置することもわかっている。

それでも、いつかは……、とおもい続けてきた。
コーネッタへの関心は、強くなったり、そうでなくなったりもした。

欲しいな、と思っていても、手に入れたい! と強い気持を持っていたとはいえなかった。
それが、急にどうしても、と思うようになったのは、
ここでもMQAが関係してくる。

私がコーネッタを聴いたのは、アナログディスクだった。
CDでの音は聴いていない。

MQAで鳴らしたら、コーネッタはどんな音、いや響きを聴かせてくれるのか。
それをどうしても聴きたくなってきた。

どこかで聴ける可能性は極端に低い。
それにメリディアンの218(version 9)+αで聴きたい。

期待しすぎると、がっかりすることになるかもしれない。
それでも、聴きたい、という気持を抑えることができなくなったときに、
タイミングよく、ヤフオク!にコーネッタの出品があった。

コーネッタで検索したわけではない。
なのに、なぜか、お探しの商品からのおすすめのところに、コーネッタが表示された。

それにしても、ヤフオク!の、このおすすめは、どうやって表示されるのだろうか。
どうでもいいモノばかりが表示されると思う時が多いのだが、
コーネッタだけでなく、他にもいくつかあったのだが、
コワイくらいにおすすめのモノが表示されるのは、
これはもう買え! ということだな、と解釈するようにしている。

もちろん価格で手が出せなくなることもあるが、今回はなぜだか違った。
違ったおかげで、コーネッタをMQAで鳴らせる。

Date: 6月 10th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その2)

HPDシリーズのユニットは、
タンノイがハーマンインターナショナル傘下時代の製品である。

そのことから推測するに、
HPD298のコーン紙の裏面に塗布されている特殊な塗料というのは、
JBLのランサプラス的な性質をもつものなのか。

それだけでなくIIILZ MkIIとHPD295とでは、ウーファーのコーン紙の形状も少し違う。
HPD295のほうが、奥に長くなっている。
つまり中高域のホーンの延長であるコーン紙の形状に変化があるということは、
途中からホーンの拡がり方に違いがある、ということにもなる。

こまかなことをいえば、エッジも違う。
HPD295はウレタンのロールエッジである。

なぜ、このような変更がなされたかについては、
「世界のオーディオ」のタンノイ号掲載の「わがタンノイを語る」のなかで、
タンノイのリビングストンが答えている。
     *
 モニターゴールドのとHPDのドライバーのエッジを見ていただくと、おわかりいただけると想うのですが、モニターゴールドの形態というのは波型になっていますが、HPDではこれがより単純な形態になっています。モニターゴールドで、なぜこのような奇妙な形になっているかというと、音のダンピング効果を出すためにこういう形にしたわけです。エッジにはダンプ剤をモニターゴールドまで塗布していたのですが、この工程は、1時間もかかるのです。それに対し、HPDのウレタンフォームのロール状の性能はむしろモニターゴールドよりもアップし、なおかつ生産工程の単純化が図れて、このエッジを作るのにわずか3分で済むというわけです。
     *
エッジの形状の変化、材質の変化、
どちらもハーマンインターナショナル傘下ゆえのことのようにも思える。

このエッジの変更も、ウーファーのコーン紙がホーンの延長となっていることを勘案すると、
ホーンの開口部の形状の変更といえるわけで、
中高域のみを鳴らした状態で、ユニットの新旧を比較試聴してみても、
かなりの変化が聴きとれるように思われる。

もっとも同程度のコンディションの、新旧のユニットが揃うことは、ほぼないわけで、
現実には、コンディションの違いも含めての比較試聴ということになる。

それでも違いは、現実には存在する。

どちらがいいのかは、個々人が決めることであって、
私としては、今回手に入れたコーネッタにはHPD295Aがついているという事実を、
そのまま受け入れるだけのことだ。

Date: 6月 9th, 2020
Cate: audio wednesday

第113回audio wednesdayのお知らせ(いつかは……、というおもいを)

audio wednesdayの場を提供してくれている喫茶茶会記は、
四谷三丁目にあるジャズ喫茶である。

そのジャズ喫茶で、タンノイを鳴らす。
タンノイでジャズ、と書くと、
!か?、もしくは!?がつくだろう。

けれど菅野先生はスイングジャーナルで、
タンノイでジャズを、という組合せをやられていた。

井上先生は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
オートグラフを、マッキントッシュのMC2300とマークレビンソンのLNP2という組合せで、
やはりジャズを鳴らされている。

すごく実体感のある音が鳴ってきた、とあるし、
実際に井上先生に訊いたこともある。

いい音が鳴った、ということだったし、
ウッドベースの音は、ほんとうに気持ちよかった、とのことだった。

なので別項「妄想組合せの楽しみ(番外・その1)」では、
ジャズ喫茶の店主だったら、という妄想を書いている。

ジャズ喫茶の店主だったら、スピーカーを何にするか。
ロックウッドのMajor Geminiにする、と書いている。

タンノイのHPD385Aを二発、
独特のエンクロージュアに搭載したモニタースピーカーである。

コーネッタで、どこまで鳴らすか、は、当日の音を聴いてからだ。
コーネッタが、どこまで鳴ってくれるのか、が、いまのところの最大の関心事の一つである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 6月 9th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい三味線(その3)

シーメンスのコアキシャルで聴いた三味線は、
数枚だったが、すべてアナログディスクだった。

これを書きながら思い出したのは、CDになってから、
自分のシステムでは三味線の録音を聴いていないことだ。

正確にいえば、三味線単独の録音を聴いていない。
余所では数度聴いてはいる。

SACDが登場してからも、三味線の録音を聴きたい、とは思わなかった。
なので、三味線のSACDが出ているのかも知らない。

なのにMQAの音を継続して聴くようになってから、
三味線は、いったいどんなふうになるのだろうか、と思うようになった。

e-onkyoでは、純邦楽ということになる。
邦楽は、歌謡曲やJ-POPのことになっている。

e-onkyoで、純邦楽+MQAで検索すれば、いくつか表示される。
純邦楽のタイトル自体、e-onkyoにはそれほどない。

e-onkyoが特別少ないというのではなく、
レコード店でも扱いは小さい。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」の記事中にもあるが、
1976年当時でも、邦楽のコーナーがないレコード店はあった。

MQAのタイトルは少ないが、
flac、WAVはそこそこある、といえなくもない。
そのなかには聴きたい、と思う録音があるが、
残念なことにMQAにはなっていない。

理由は、純邦楽を録音しているレコード会社が、
MQAに関心がない、というところだろうか。

ハイレゾリューションで三味線を聴きたいのではない。
MQAで聴いてみたいのだ。

そうなると,現在のところのe-onkyoのラインナップは、食指がなかなか動かない。

Date: 6月 9th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その23)

黒田先生の「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話がでてくる。
引用するのは、これで四回目になる。
     *
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
     *
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」は1972年の文章だ。

レコード会社は、確かに《ディスクという物を売る会社》ではなく、
《音楽を売る会社》である。

レコードが、いまではアナログディスクのことを指し示す言葉として扱われるようになっているが、
レコード(record)は、記録、録音といった意味であるから、
音楽を録音して売る会社が、レコード会社であり、
時代時代によって、SPであったりLPであったり、
CD、SACD、MQA-CDでもあったりする。
それだけでなく、オープンリールテープ、カセットテープなどもあった。

ならばオーディオ会社は、何を売る会社なのだろうか。
スピーカーを売る会社、アンプを売る会社、
アナログプレーヤーを売る会社……、なのだろうか。

スピーカーやアンプを売っていることは確かだ。
それは当時、フィリップスが、LPやカセットテープを売っていたのと同じことだと捉えれば、
オーディオ会社は、音を売る会社ともいえる。

オーディオショウは、ならば、音を売るためのショウとも考えられる。
そうであるならばオーディオショウのあり方は、いまのままでいいのか、とも考えなければならない。

Date: 6月 8th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい三味線(その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」では、
上杉先生が邦楽のための組合せをつくられている。

スピーカーシステムは、ヤマハのNS1000(Mが付くタイプではない)、
プリメインアンプがラックスのL309V、
プレーヤーしてステムがビクターのQL7Rで、カートリッジがエラックのSTS455Eである。

高価なシステムではないが、カラー見開きのページで、
これらオーディオ機器の集合写真は、なんとも雰囲気がよかった。
いかにも三味線、箏などの邦楽を聴くのに、ぴったりという感じが伝わってくる。

「コンポーネントステレオの世界」は、架空の読者からの手紙から始まる記事で、
架空の読者とオーディオ評論家の狙いと試聴によって、組合せができあがっていく。

邦楽での組合せでの架空の読者からの手紙には、こうある。
     *
 邦楽のレコードをきくには、たとえばワーグナーの楽劇とか、すさまじいロックのレコードをきく時のような、オーディオ的な面での、むずかしさはないかもしれません。しかし、邦楽には、独特の〝静けさ〟がどうしても必要で、レンジはせまくとも、音に対しての反応がシャープでないといけないようです。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’77」を読んだ時は、そういうものなのか、とおもったくらいだった。
その後、伊藤先生が三味線をきちんと鳴らすスピーカーはきわめて少ない、
その少ないスピーカーの一つが、シーメンスのスピーカーであること──、
これらのことをいわれているのを知って、たしかにそうだ、とおもった。

シーメンスのオイロダインで、三味線を聴きたかったけれど、
もうその機会は訪れないだろう。

でもシーメンスのコアキシャルでは、平面バッフルで鳴らしていたから、
三味線のレコードは聴いている。
といっても数えるほどしか聴いていない。

でも、私のなかでは、そのときのコアキシャルでの三味線の音が、
いまも聴きたい三味線の音につながっている。

Date: 6月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その1)

ステレオサウンド 37号、38号、39号掲載のMY HANDICRAFT、
コーネッタ(Cornetta)は、この記事で誕生している。

私が最初に手にしたステレオサウンドは41号だから、
コーネッタの記事を読んでいたわけではないし、
詳細を知っていたわけでもない。

1978年ごろのステレオサウンド別冊 HI-FI STEREO GUIDEのキットのページに、
このコーネッタは載っている。

ブランドはSSLで、型番はSSL-1。
SSLはStereo Sound Laboratoryの略である。

コーネッタは、このSSL1(エンクロージュア)に、
タンノイの10インチ口径の同軸型ユニットを搭載した状態での名称である。

SSL1に取り付けられるユニットは、IIILZかHPD295(A)のどちらかだろう。
私のところにやってくるコーネッタには、HPD295Aがついている。

なんだ、HPDか……、というマニアが少なくないのは知っている。
HPDシリーズのユニットは、タンノイがハーマンインターナショナル傘下時代のモノだ。

特徴的なのは、ウーファーのコーン紙の裏側に補強リブがある。
これにより振動系の質量は当然増す。
HPD295には、この補強リブはなく、
口径が大きくなる上級機、HPD315、HPD385だけの特徴だ。

HPD295は補強リブはないかわりに、コーン紙裏面の特殊塗料によって、
コーンの強度を増している。

ステレオサウンド 38号には、IIILZ MkIIとHPD295の実測データが載っている。
IIILZ MkIIの振動系の質量は、約24gと約29g、
HPD295となると、約52gと約54gと、ほぼ倍である。

その分f0はHPD295のほうが低い。
この質量差をどう考えるか。

同程度のコンディションのユニットが入手できるのであれば、
HPDよりも……、という気持は私にもないわけではない。

HPDシリーズのユニットを認めないタンノイの熱心なマニアの人たちは、
補強リブに関して、かなり否定的であったりする。

これもわからないわけではない。
けれど、タンノイの同軸型ユニットは、アルテックのそれと違い、
ウーファーのコーンが、中高域のホーンの延長となる。

ならばウーファーの補強リブは、ホーンの補強リブとも考えられるし、
コーン紙裏面の塗料による強度の補強は、
ある種のデッドニングとも考えられよう。

Date: 6月 7th, 2020
Cate: audio wednesday

第113回audio wednesdayのお知らせ(いつかは……、というおもいを)

いつかはタンノイを……、
これは「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に入ってきた私が、
ずっといだいてきたおもいである。

いつかはタンノイを……、
このタンノイとは、オリジナル・エンクロージュアのオートグラフのことである。
とはいえ、タンノイ・オリジナルのオートグラフは、
すでに製造中止になっていて、輸入元ティアックによる国産エンクロージュアになっていた。
それにユニットもHPD385にかわっていた。

スピーカーだけは新品で……、
これもずっとおもっていることだが、製造中止になっている以上、
中古で手に入れたスピーカーも、すでにいくつかある。

オートグラフの後継機として、ウェストミンスターがある。
いいスピーカーだと思っている。

それでも、オートグラフをベートーヴェンにたとえるなら、
ウェストミンスターはブラームスである。
このことは以前書いているので、これ以上はくり返さないが、
ここはどうしても譲れないところである。

もうひとつ加えるなら、オートグラフの佇まいとウェストミンスターのそれとは、
かなり違う。
ウェストミンスターを置くだけのスペースがあったとしても、
どうしても自分のモノとしたい、とは思えない理由である。

これも以前書いているが、私にとってのタンノイ本来の音は、
フロントショートホーン付きのエンクロージュアでのみ、と考えている。

こうなると、もうコーネッタしかない。
コーネッタは、「コンポーネントステレオの世界 ’77」で初めて、
その存在を知った。
といっても、詳しいことを知ったわけではない。

その二年後、「コンポーネントステレオの世界 ’79」でもコーネッタを見た。
リスニングルームの雰囲気とともに、コーネッタを欲しい、とおもった。

いつかはタンノイを……、というおもいも少しずつ変化してきている。
オートグラフだけではなくなってきている。
コーネッタを鳴らしたい、とおもう気持が、数年ごとに、わき上がってくる。

7月1日のaudio wednesdayでは、コーネッタを鳴らす。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 6月 7th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい三味線(その1)

少しは飽きてくるのかな……、と、まったく思わないわけでもなかった。
けれど、メリディアンの218で聴いていると、MQAへの関心は増す一歩である。

MQAで聴いてみたい──、
そう思うものはかなりある。

そのうちの一つが、三味線である。
といっても、三味線の世界に詳しいわけではない。
まったく知らないわけではないが、ほとんど知らない、といったほうがいい。

それでもMQAで三味線は、どんなふうに鳴ってくれるのか、ということに、
ひじょうに関心と興味がある。

こんなふうに思うのは、伊藤(喜多男)先生が、
三味線がきちんと聴けるスピーカーは、世の中にほとんどない、といったことをいわれていたからだ。

いまでこそ、あまりいわれなくなったが、
スピーカーは、その国独自の音色をもつ。

だからヨーロッパサウンド、アメリカンサウンドがあり、
ヨーロッパのなかでも、イギリス、フランス、ドイツ、デンマークなどでは違ってくるし、
アメリカのなかでも、西海岸と東海岸の音ということが盛んにいわれていた。

そこには、その国独自の音楽文化との関連性も語られていた。
ならば三味線、つまり純邦楽の再生には、日本のスピーカーなのか、
そういうことになりそうだが、伊藤先生はそう思われていなかったはずだ。

三味線にかぎらず、箏、尺八、それから(歌ではなく)唄となると、
私が思い浮べるのは、「コンポーネントステレオの世界 ’77」での上杉先生の組合せである。

Date: 6月 7th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その2)

いま書店に並んでいるオーディオ雑誌、
ステレオ、オーディオアクセサリー、ステレオサウンド、
いずれも特集は、試聴室で試聴をしないでもすむ企画になっている。

そうだろうな、と思うし、だからといって、次号以降も同じ、というわけにはいかない。
試聴室で試聴を行うけれど、
数人のオーディオ評論家がいっしょに試聴する、ということはしばらく影をひそめるだろう。

オーディオ評論家は一人。
あとは編集者が必要最低限の人数での試聴。
気をつけるところは、試聴中は、
試聴室にはオーディオ評論家だけ、ということもありそうである。

試聴機器を入れ替える時だけ、編集者が試聴室に入る。
これまでの試聴からすれば、なんと大袈裟な……、という印象を持つ人もいるだろうが、
そのくらい気をつけるのが、これからの当り前になっていってもおかしいことではない。

夏が終り秋になれば、メーカー、輸入元は、
オーディオ賞関係の試聴が増えてくる。

いまでは各オーディオ雑誌が、それぞれに賞をもうけていて、
それが年末号の特集になっている。

そのための試聴は、たいていはオーディオ評論家のリスニングルームに、
メーカー、輸入元の担当者が機器を持ち込んでの試聴である。

これも今年は変っていくのかもしれない。
担当者数人とオーディオ評論家だけならば、小人数での試聴とはいえ、
担当者は毎日のように、同じことをくり返していく。
外回りの、しかもある部分、肉体労働でもある。

雑誌社の試聴室ならば、搬入もしやすかったりするが、
オーディオ評論家のリスニングルームは個人宅である。
場合によっては、けっこう大変なことだってある。

感染リスクは、決して低くはない、といえる。
しかもオーディオ評論家、特にステレオサウンドに書いている人たちは、高齢者が多い。

Date: 6月 6th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その3)

別項「モバイルバッテリーという電源」で書いていることは、
このiPurifier SPDIF用の電源のことである。

付属のスイッチング電源のiPowerの実力に、ちょっとは疑問を抱いた。
その時、手持ちのモバイルバッテリーが目に入った。

購入したモノではなく、auの長期利用者宛に、ずいぶん前に送られてきたもので、
かなり小型のモバイルバッテリーである。

とりあえず実験として接いでみるぶんには、これでもかまわない。
やってみると、音の冴えが感じられるようになる。

けれど「モバイルバッテリーという電源」で書いているように、
いい感じで聴いていると、わずか数分で電源が切れる。

まず疑ったのは、バッテリーそのものがかなり古いから、ということ。
なので、試しに比較的新しいモバイルバッテリーを買ってみた。

けれど、それでも数分よりも、もっと短い時間で同じ症状を示す。
iPurifier SPDIFの消費電力が少ないゆえの現象なのか、と思う。

facebookでのコメントで、そうであることがはっきりとしたし、
省電力対応のモバイルバッテリーがあることも知った。

立て続けに、別のモバイルバッテリーを購入。
省電力モードで接続すれば、電源が落ちない。

これはいい、と思っていたが、
二時間程度で、やはり電源は落ちてしまう。

それでも二時間持つし、
スイッチを入れ直せば、落ちることなく持続しての使用が可能。
私にとっては実用上問題ない範囲だ。

それでも最初のうちは、バッテリーとiPower、
比率としては半々ぐらいだった。

バッテリーのほうが、すべての面で優れているとはいえなかったからだ。
そうやって使ったり使わなかったりしているうちに、
いわゆるエージングが行われたのか、だんだんはバッテリーが聴く時間が増えてきた。

基本的にはiPowerを接いでいる。
常時、電源を入れっぱなしにしておくためである。

そのまま聴くことはけっこうある。
けれど、聴いているうちに、やっぱりバッテリーにしようと思い、
途中で接ぎかえることになる。

そういう使い方とiPurifier SPDIFの消費電力の少なさから、
一ヵ月経っても、モバイルバッテリーの残量は十分といえるほどだ。

Date: 6月 5th, 2020
Cate: 「かたち」

音の姿勢、音の姿静(その1)

「五味オーディオ教室」に、こう書いてあった。
     *
 はじめに言っておかねばならないが、再生装置のスピーカーは沈黙したがっている。音を出すより黙りたがっている。これを悟るのに私は三十年余りかかったように思う。
 むろん、音を出さぬ時の(レコードを聴かぬ日の)スピーカー・エンクロージァは、部屋の壁ぎわに置かれた不様な箱であり、私の家の場合でいえばひじょうに嵩張った物体である。お世辞にも家具とは呼べぬ。ある人のは、多少、コンソールに纏められてあるかも知れないが、そんな外観のことではなく、それを鳴らすために電気を入れるとしよう。プレーヤーのターンテーブルが、まず回り出す。それにレコードをのせる以前のたまゆらの静謐の中に、すでにスピーカーの意志的沈黙ははじまる。
 優れた再生装置におけるほど、どんな華麗な音を鳴らすよりも沈黙こそはスピーカーのもてる機能を発揮した状態だ。装置が優れているほど、そしてこの沈黙は美しい。どう説明したらいいか。レコードに針をおろすのが間延びすれば、もうそれは沈黙ではない。ただの不様な置物(木箱)の無音にとどまる。
 光をプリズムに通せば、赤や黄や青色に分かれることは誰でも知っているが、円盤にそういう色の縞を描き分け、これを早く回転させれば円盤は白色に見えることも知られている。つまり白こそあらゆる色彩を含むために無色である。この原理を応用して、無音こそ、すべての音色をふくんだ無音であると仮定し、従来とはまったく異なる録音機を発明しようとした学者がいたそうだ。
 従来のテープレコーダーは、磁気テープにマイクの捉えた音を電気信号としてプラスする、その学者の考えは、磁気テープの無音は、すでにあらゆる音を内蔵したものゆえ、マイクより伝達される音をマイナスすれば、テープには、ひじょうに鮮明な音が刻まれるだろう、簡単にいえばそういうことらしい。
 私はその方面にはシロウトで、テープヘッドにそういうマイナス音の伝達が可能かどうか、また単純に考えて無音(零)からマイクの捉えた音(正数)をマイナスするのは、数式で言えば結局プラスとなり、従来のものとどう違うのか、その辺はわからない。しかし感じとしては、この学者の考えるところはじつによくわかった。
 ネガティブな録音法とも称すべきこれを考案した学者の話は、だいぶ以前に『科学朝日』のY君から聞いたのだが、その後、いっこうに新案の録音機が発表されぬところをみると、工程のどこぞに無理があるのだろう。あるいはまったく空想に過ぎぬ録音法なのかもしれぬが、そんなことはどうでもよい。
 おそらくこの学者も私と同じレコードの聴き方をしてきた人に相違ないと思う。ひじょうに密度の濃い沈黙——スピーカーの無音は、あらゆる華麗な音を内蔵するのを知った人だ、そういう沈黙のきこえる耳をもっている人だ、と思う。
 レコードを鑑賞するのに、針をおろす以前のこうした沈黙を知らぬ人の鑑賞法など、私は信用しない。音楽が鳴り出すまでにどれほど多彩な楽想や、期待にみちびかれた演奏がきこえているか。そもそも期待を前置せぬどんな鑑賞があり得るのか。
 音楽は、自然音ではない。悲しみの余り人間は絶叫することはある。しかし絶叫した声でメロディを唄ったりはすまい。オペラにおける“悲しみのアリア”は、この意味で不自然だと私は思う。メロディをくちずさむ悲しみはあるが、甲高いソプラノの歌など悲しみの中で人は口にするものではない。歌劇における嘆きのアリアはかくて矛盾している。
 私たちがたとえば“ドン・ジョバンニ”のエルヴィーラの嘆きのアリア「私を裏切った……」(Mi tradi……)に感動するのは、またトリスタンの死後にうたうイゾルデに昂奮するのは、言うまでもなくそれが優れた音楽だからで、嘆くのが自然だからではない。厳密には理不尽な矛盾した嘆き方ゆえ感動するとも言えるだろう。
 そういうものだろう。スピーカーは沈黙を意志するから美しい。こういう沈黙の美しさがきこえる耳の所有者なら、だからステレオで二つもスピーカーが沈黙を鳴らすのは余計だというだろう。4チャンネルなど、そもそも何を聴くに必要か、と。四つもの沈黙を君は聴くに耐えるほど無神経な耳で、音楽を聴く気か、と。
 たしかに一時期、4チャンネルは、モノがステレオになったときにも比すべき“音の革命”をもたらすとメーカーは宣伝し、尻馬に乗った低級なオーディオ評論家と称する輩が「君の部屋がコンサート・ホールのひろがりをもつ」などと提灯もちをしたことがあった。本当に部屋がコンサート・ホールの感じになるなら、女房を質においても私はその装置を自分のものにしていたろう。神もって、これだけは断言できる。私はそうしなかった。これは現在の4チャンネル・テープがプログラム・ソースとしてまだ他愛のないものだということとは、別の話である。他愛がなくたって音がいいなら私は黙ってそうしている。間違いなしに、私はそういう音キチである。
 ——でも、一度は考えた。私の聴いて来た4チャンネルはすべて、わが家のエンクロージァによったものではない。ソニーの工場やビクターやサンスイ本社の研究室で、それぞれに試作・発売しているスピーカー・システムによるものだった。わが家のエンクロージァでならという一縷の望みは、だから持てるのである。幸い、拙宅にはテレフンケンS8型のスピーカーシステムがあり、ときおりタンノイ・オートグラフと聴き比べているが、これがまんざらでもない。どうかすればオートグラフよりピアノの音など艶っぽく響く。この二つを組んで、一度、聴いてみることにしたわけだ。
 ただ、前にも書いたがサンスイ式は疑似4チャンネルで、いやである。プリ・レコーデッド・テープもデッキの性能がまだよくないからいやである。となれば、ダイナコ方式(スピーカーの結合で位相差をひき出す)の疑似4チャンネルによるほかはない。完璧な4チャンネルは望むべくもないことはわかっているが、試しに鳴らしてみることにしたのだ。
 いろいろなレコードを、自家製テープやら市販テープを、私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。疑似でも交響曲は予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルのときより一層グランド・ピアノの音色を響かせたように思う。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも、肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失う。
 試みに、ふたたびオートグラフだけに戻した。私は、いきをのんだ。その音声の清澄さ、輝き、音そのものが持つ気品、陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
 私は茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直して、悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
 ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比であらわすそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大となる。再生装置をグレード・アップすればするほど、鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい。この意味でも明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級らしい。
 私は知った。これまで音をよくするために金をかけたつもりでいたが、なんのことはない、音の歇んだ沈黙をより大事にするために、音の出る器械をせっせと買っていた、と。一千万円をかけて私が求めたのは、結局はこの沈黙のほうだった。お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。私は間違っていないだろう。終尾楽章の顫音で次第に音が消えた跡の、優れた装置のもつ沈黙の気高さ! 沈黙は余韻を曳き、いつまでも私のまわりに残っている。レコードを鳴らさずとも、生活のまわりに残っている。そういう沈黙だけが、たとえばマーラーの『交響曲第四番』第二楽章の独奏ヴァイオリンを悪魔的に響かせる。それがきこえてくるのは楽器からではなく沈黙のほうからだ。家庭における音楽鑑賞は、そして、ここから始まるだろう。
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さらに五味先生は《無音はあらゆる華麗な音を内蔵している》とも書かれていた。
13のときに「五味オーディオ教室」出逢って、44年。

「音の姿静」だと、やっと気づいた。