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Date: 5月 17th, 2022
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(オンキヨーのこと・その3)

5月13日の夕刻、オンキヨー倒産のニュースがあった。
オンキヨーホームエンターテイメントが自己破産である。

ソーシャルメディアでも話題になっていた。
私が目にしたニュースのなかには、名門の破産、といった見出しをつけているところもあった。

いくつかの記事のなかで、
とんちんかんなことを書いている東洋経済の記事は、なかなか笑える。

名門(?)、
オンキヨーは名門だったのか。
そんなことを思いながらも、オンキヨーが消えても何の感情もわかない。

悲しい、とか、寂しいといった感情はない。
むしろここ二、三年、悪いウワサを耳にしていた。

いいウワサはまったくなかった。
悪いウワサのどれが本当なのかはっきりしないから取り上げなかったけれど、
オンキヨーはホームシアターを積極的に展開していくつもりだったのだろう。
そのためのメリディアンの輸入元になった、と思っている。

けれど結果はどうだったのか。

幸いなことにメリディアンの無入元はハイレス・ミュージックに戻っている。
e-onkyoもまったく別会社になっているから、オンキヨーとは関係ないので安心。

Date: 5月 17th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その5)

四日前の(その4)で、HiViが隔月刊か季刊になってしまうかもしれない──、
と書いたばかりだった。

今日、正式に告知されている。
6月17日発売の7月号が月刊HiViの最終号になり、
9月16日発売が季刊HiViの一号になる、とのこと。

こんなにも早く月刊誌ではなくなるとは……、と少々驚いている。
自分で書いていたものの、
早くて来年くらいかな、ぐらいに思っていたし、
月刊誌からいきなり季刊誌ではなく、隔月刊誌で様子見て──、
そんなふうにも思っていたからだった。

昨晩は「シン・ウルトラマン」を観に行っていた。
日比谷のTOHOシネマズで観ていた。

映画館に人が集まっている、と感じていた。
1980年代よりもにぎわっているという感じでもあった。

だからといってホームシアター雑誌が売れるわけでもないのか。
なんとなくだが、Mac雑誌に似たような状況のようにも思える。

私がMac雑誌を読みはじめた1992年ごろは、
Mac Japan、Mac Power、Mac Life、Mac Worldが月刊誌として出ていた。
それから数年後、Mac JapanがMac Japan ActiveとMac Japan Brosに分れた。
Mac Powerの姉妹誌としてMac Peopleが出て、
日経Mac、Mac User、Mac fanも創刊された。

これだけのMac雑誌があり、
コンビニエンスストアでもMac Powerが、
私鉄沿線の小さな駅の売店でもMac Peopleが売られているのを見ている。

それがいま残っているのは、Mac fan一誌のみである。

だからといってMacを含めてAppleの製品が売れていないのかといえば、
まったくそんなことはなく、その逆である。
なのにMac雑誌は寂しい限りである。

とにかくHiViが季刊誌になる。
一冊のボリュウムはステレオサウンドと同じくらいになるのだろうか。
それに年四冊のうち12月発売の号は、
HiViグランプリとベストバイの特集なのは変えないようである。

Date: 5月 16th, 2022
Cate: 黄金の組合せ
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黄金の組合せ(その36)

黄金の組合せで思い出すことが、一つ私にはある。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に定期的に来られていた時のことだ。

別項「ある組合せ」ですでに書いているが、
私の希望でスペンドールのBCII、ラックスのLX38、ピカリングのXUV/4500Q、
この組合せが鳴らした音は、いまでもはっきりと思い出せるだけでなく、
その時、瀬川先生が「これはひじょうにおもしろい組合せだ。ぼくも聴いてみたい組合せ」と言われた。

一曲鳴らし終った後に、
「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言ってくださった。
ちょうど最前列の真ん中の席が空いていたので、そこに座られ、
瀬川先生のお好きなレコードを、もう一枚かけられて、
そのときの楽しそうに聴かれていた表情と、「玄人の組合せ」という褒め言葉が、
高校生だった私には、二重にうれしかった。 

この組合せは、黄金(絶妙)の組合せ、といっていいかもしれない。

BCIIもLX38も、音の輪郭が甘いほうである。
そこに同じ傾向のカートリッジをもってきては、どうにも聴けない音になってしまうところを、
カートリッジにXUV/4500Qをもってきてピリッとさせる──、
そんなふうに瀬川先生が解説してくださった。

「BCIIとLX38がこんなに合うとは思わなかった」とも言われた。 
その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
カートリッジは異っていたけど、菅野先生も、BCIIとLX38を組み合わされている。

なのでBCIIとLX38の相性はかなりいいといえる。

Date: 5月 16th, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その12)

アナログディスクの人気がいまも高いようである。
過去のアナログ録音がアナログディスクで復刻されるだけでなく、
デジタル録音もアナログディスクで登場してきたりする。

マスターがデジタル録音であれば、
カッティング前の過程でアナログに変換される。
どこのD/Aコンバーターが使われるのか──、
そのことへの興味よりも、MQAでエンコード/デコードしたら、
どういう仕上がりとなるのだろうかに、とても興味がある。

そろそろMQA処理のアナログディスクが登場してきてもよさそうなのに。

Date: 5月 15th, 2022
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その5)

美しく聴く、ということは、自分と和する心をもつことなのだろう──、
と(その3)で書いた。

二年前のことだ。
このとき、あえて書かなかったことがある。

自分と和するということは、醜い自分、愚かな自分──、
そういった自分とも和するということである。

Date: 5月 15th, 2022
Cate: きく

音楽をきく(その3)

「どうでもいいことがどうでもよくはなくて、しかしどうでもよくはないものがなくても音楽はきける」、
これは「ステレオのすべて ’77」掲載の黒田先生の文章のタイトルである。

黒田先生自身によるタイトルなのか、編集者によるものなのか、
そこは判然としないが、私は黒田先生がつけられたのではないだろうか、と勝手に思っている。

ここには二枚のディスクが登場する。
一枚はフルトヴェングラーのベートーヴェンのレコードである。
もう一枚はシンガーズ・アンリミテッドのレコードである。

これらのレコードをきいている男は同じではなく、二人である。
フルトヴェングラーのレコードをきいている男は、
倉庫のようなところで、裸電球の下でフルトヴェングラーのベートーヴェンをきいている。

シンガーズ・アンリミテッドのレコードをきいている男は、
高級マンションの一室で、調度品も周到に選ばれていて、
そういう環境で、シンガーズ・アンリミテッドの歌をきいている。

黒田先生は《音楽の呼ぶ部屋がある》とも書かれている。
そして、こうまとめられている。
     *
 要するに、お気に召すまま──だとは思う。みんなすきかってにやればそれでいい。倉庫のようなところでシンガーズ・アンリミテッドをきこうと、気取った猫足の椅子にふんぞりかえってフルトヴェングラーをきこうと、誰もなにもいわない。しかし、無言のうちに、そこでひびいた音楽が、そのききてを裁いているということを、忘れるべきではないだろう。
     *
黒田先生が、この文章を書かれた時よりも、
いまは実にさまざまなところで音楽がきける時代だ。
スマートフォンとイヤフォンがあれば、それこそトイレの個室でも音楽をきける。

そういう時代だから、
「どうでもいいことがどうでもよくはなくて、しかしどうでもよくはないものがなくても音楽はきける」、
このタイトルをじっくりと読み返してほしい。

Date: 5月 14th, 2022
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その35)

現代の黄金の組合せは可能なのか。
それに対する瀬川先生の答は、次のとおりである。
     *
 さて、そうであるなら、こんにちの最新録音を、十二分とまではゆかないにしても一応、聴きとれるだけの能力を具えながら、かつての〝黄金の組合せ〟的に、全体として必ずしも大がかりな形をとることなく、そして価格的にも大げさでない、いわば〝現代の黄金の組合せ〟といったものが考えられるものか、どうだろうか。
 結論を先に言ってしまうなら、現代ではもはや、十年前のように明確に、これ一組、と言い切れるほどの絶妙の組合せは考えられなくなっていると思う。というのは、現在では、十年前と違って、水準をつき抜けた優秀なパーツが、非常に数多く出揃っているからで、またそれに加えて、すでに述べてきたように、音楽の種類もまた聴き手の要求も、おそろしく多様になってきていることもあって、たった一組の〝絶妙の〟組合せに話を絞ることは難かしい。
 とはいうものの、黄金のあるいは絶妙の組合せ、というタイトルは、これ自体なかなか魅力的なテーマであって、必ずしも一種類に限らなくとも、いろいろとリストアップしながら考えてみたい誘惑にかられる。果して現代の黄金の組合せとは、どんな形になりうるのか、いくつかの考えをまとめてみたくなってきた。

 かりに、価格や大きさを無視して考えてみると、たとえばこんな組合せが……。
     *
残念なことに、瀬川先生の、この原稿は未完成であり、
前書きにあたる、この部分はここで終っている。

肝心の、現代の黄金の組合せに対する瀬川先生が考えられたかたち、
それについての部分はまったくない。
ただ後半にあたる録音を俯瞰したところはある。

その最後のところに、こう書かれている。
《レコードの録音は、ほんとうに変りはじめている。そういう変化を前提として、そこではじめて、これからの再生装置のありかたが、浮かび上ってくる。》
そして──以下次号──、ともある。

前書きを書かれ、後半の録音についても書かれたあとに、
現代の黄金の組合せについてのところを書かれるつもりだったのか。

なので、瀬川先生がどんな組合せを考えられたのか、
提示されたであろうかは、もう想像するしかないが、
きっとそこにはロジャースのPM510の組合せは登場していたはずだ。

Date: 5月 14th, 2022
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その34)

《しかし十年を経たいま、右の装置が〝黄金〟のままでいることはもはや困難になっている》
と瀬川先生は、はっきりと書かれている。

その理由として、《ここ数年来、飛躍的に向上したレコードの録音の良さに対して、カートリッジもアンプもスピーカーも、すでに限界がみえすぎている》
ことを挙げられている。

オルトフォンのSPU-G/T(E)にしても、
ラックスのSQ38シリーズにしても、タンノイのIIILZもそうなのだが、
当時の最新の録音に十全に対応できている、とはもう言い難かったことを、
瀬川先生は少し具体的に書かれている。

そのうえで、こうも書かれている。
     *
 念のためつけ加えておきたいが、この〝黄金の組合せ〟を、定期的に点検調整し、丁寧に使いこんであれば、そして、鳴らすレコードもこの装置の能力にみあった時代の録音に限るか、又はこんにちの録音でもその音を十全に生かしてないことを承知の上で音楽として楽しんでゆくのであれば、はたからとやかく言う筋のものではないかもしれない。ただ、レコードの誠実な聴き手であろうとすれば、かつての〝黄金〟も、こんにち必ずしも「絶妙」とは認め難くなっているという現実を、冷静に受けとめておく必要はあると思う。
     *
いいかえれば、黄金の組合せ(絶妙の組合せ)は、
オーディオ機器のことだけで成立しているわけではなく、
レコード(録音物)をふくめて成立することであるだけでなく、
最も重要なのがレコード(録音物)のことである。

ここを抜きにして黄金の組合せについて語るのは、
なんとも片手落ちでしかないし、本質がわかっていないともいえる。

Date: 5月 14th, 2022
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その33)

ステレオサウンド 57号は1980年12月発売の号である。
そこでの《もう十年ほど昔の話》ということだから、
黄金の組合せは1970年ごろの話である。

もういまから五十年ほど昔の話である。
瀬川先生の文章の続きを引用しよう。
     *
 タンノイ(ここで言う「タンノイ」は、最近の製品ではなく、レクタンギュラー・ヨーク以前の旧製品に話を限る)は、IIILZに限ったことではないが、鳴らしかたのやや難しいスピーカーだった。かつての名機オートグラフから最良の音を抽き出すために、故五味康祐氏がほとんど後半生を費やされたことはよく知られているが、いわば普及型のIIILZも、へたに鳴らすと高音が耳を刺すように鋭い。当時普及しはじめたトランジスターアンプの大半が、IIILZをそういう音で鳴らすか、それとも、逆に味も素気もないパサパサの音で鳴らした。またIIILZオリジナルエンクロージュアは密閉型で、容積をギリギリに小さく設計してあったため、低音が不足がちで、そのことがよけいに音を硬く感じさせやすい。つまりこんにち冷静にふりかえってみれば弱点も少なくないスピーカーであったからこそ、その弱点を補うような性格の組合せをよく考えなくては、うまく鳴りにくかったのだが、その点、ラックスの38Fは、鋭い音を一切鳴らさず、低音を適当にゆるめる性格があって、そこが、IIILZとうまくあい補い合った。そして、オルトフォンSPUの低音の豊かさと音の充実感が、全体のバランスを整えて、その結果、費用や規模に比較してまさに絶妙、「黄金」と呼ぶにふさわしい組合せができ上ったのだった。高音をややおさえて、うまく鳴らしたときのこの組合せから鳴る(とくに弦の)音色の独特の張りつめた気品と艶は、聴き手を堪能させるに十分だった。当時でも私はもっと大型装置をうまくならしていたが、それでも、ときとしてこの〝黄金〟の鳴らす簡素な音の世界にあこがれることがあった。あまりにも大がかりな装置を鳴らしていると、その仕掛けの大きさに空しさを感じる瞬間があるものだ。〝黄金の組合せ〟には、空しさがなく充足があった。
     *
この文章からわかるのは、互いにうまく補い合った組合せが、
いわゆる黄金の組合せと呼ばれるシステムであって、
大事なのは、《空しさがなく充足があった》のところである。

つまり黄金の組合せとは、絶妙の組合せである。

Date: 5月 13th, 2022
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その32)

黄金の組合せとは、誰が言い始めたことなのだろうか。

瀬川先生は、こう書かれている。
     *
 もう十年ほど昔の話になると思うが、ある時期、本誌で「黄金の組合せ」とも呼ばれたコンポーネント・システムがあった。スピーカーがタンノイIIILZオリジナル。アンプがラックスSQ38F。カートリッジがオルトフォンSPU-GT(E)。
「黄金……」の名づけ親は、たぶん本誌編集長当たりかと思うが、その意味は、唯一最上というよりも、おそらく黄金比、黄金分割……などの、いわば「絶妙の」といった意味合いが濃いと思う。というは、右の組合せはご覧のように決して高価でも大型でもなく、むしろ簡潔で比較的手頃な価格であり、それでいて、少なくとも多くのクラシック音楽の愛好家が求めている音色の、最大公約数をうまく満たしてくれる鳴り方をした。いまでもまだ、この組合せのままレコードを楽しんでおられる愛好家は、決して少なくない筈だ。
     *
この瀬川先生の文章、読んだことがない──、
という人ばかりだろう。

ステレオサウンド 56号に、
「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」が載っている。
瀬川先生の連載の開始だったのだが、
非常に残念なことに57号は休載、その後も載ることなく、瀬川先生は亡くなられている。

けれど原稿は書かれていた。
完全なかたちの原稿ではないけれど、
57号(もしくは58号)に掲載予定だった原稿の前半と後半が残っている。

その前半は、JBLの4343とロジャースのPM510のことから話は始まり、
黄金の組合せについてへテーマは移っていく。

黄金の組合せ、そして現代の黄金の組合せについて書かれる予定だった。

Date: 5月 13th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その4)

その3)に、コメントがあった。
ホームシアターを仕事にされていて、
audio wednesdayにも何度も来てくださった水岡さんのコメントである。

そこに、こうある。
《ホームシアターの良い所、それは好きなソフトを好きな時に見られる事ですね。
いくらIMAXが凄かろうと、それが自分の見たい物でなければ・・・ですよね?
映画には色々な物があって、私が好きな名画やアニメ作品はIMAXと相性が良いとは思えませんし(笑)
それにホームシアターはライブ物のソフトを楽しむが最高なんですよ!
自分が手塩にかけたスピーカーに映像を組み合わせる!》

水岡さんのいわれる通りである。
IMAX 3Dがどんなに凄かろうと、相性が良いとはいえないどころか、
悪い作品もある。

それはわかったうえで、IMAX 3Dで凄い作品を観てしまうと、
《自分の見たい物》でなくとも観たいと思う気持が私にはあったりする。

それはどこかオーディオマニアが、音楽的内容とはあまり関係ないところで、
音のよい録音を鳴らす気持と通じているのかもしれない。

水岡さんのコメントを読んでいて気づいたのは、
私はあまりライヴものの映像を観ないということである。

私はホームシアターはやっていない。
自宅でどんなシステムで映画を観ているかといえば、
iPadにイヤフォンを接続して観ることが多い。
これでけっこう楽しんでいて満足しているし、
映画館に行きIMAX 3Dで観るということとはまったくの別物だと割り切っているのだろう。

水岡さんのコメントには、こうも書いてある。
《若い人に私が手掛けたシアターを見せた時の反応は結構良いのですが、ネックはやはり経済的な事ですね。》
これもその通りだし、経済的なことがネックとなるわけだが、
ここで本格的なホームシアターを自分のモノとして実現しようと思う人もいれば、
私のようにすっぱり割り切って、程々の大きさのテレビでいいや、という人もいる。

どちらが多いのか私にはわからない。
前者が多ければ、これからもホームシアター業界は安泰だろうし、
後者が多くなってくれば……。

最後水岡さんは、ホームシアターファイルは季刊で残っています、と書かれているが、
音元出版のサイトには、
ホームシアターファイルは休刊誌のところにある。
定期刊行物のところにあるのは、季刊ホームシアターファイルPlusとなっている。

一応、ホームシアターファイルと季刊ホームシアターファイルPlusは別扱いというところなのだろう。

このことは昨晩、(その3)を書く時点で確認していたことなのだが、
今日、これを書きながら、もしかするとHiViもいつの日か、
隔月刊か季刊になってしまうかもしれない──、
そんな日が来たとしたら、ホームシアター業界は斜陽産業といえるだろう。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その23)

この項を書き始めたときは、
まさかGASのTHAEDRAがやって来るとは、まったく思いもしていなかった。

SAEのMark 2500と組み合わせるコントロールアンプをどうするか。
すでに書いているようにまっさきに候補にあがったのは、
マークレビンソンのLNP2である。

そして次に、一度試してみたいと思っていたのが、
CelloのAudio Suiteである。

Audio SuiteとMark 2500とでは価格的にもアンバランスだし、
大きさもコントロールアンプのAudio Suiteのほうが大きい。

それにAudio Suiteは、いったいどれだけ売れたのだろうか。
Audio Suiteの中古相場はどのくらいなのか、まったく知らない。

今回THAEDRAを三万円ほどで手に入れることができたけれど、
同じようなことがAudio Suiteで起ることはまずない。

それでもコーネッタを鳴らすアンプとして、
Audio Suiteをシステムに組み込んだら──、
そんなことを妄想していたけれど、
さすがに現実味がまったくないから、あえて書かなかった。

なのに、Audio Suiteを貸しましょうか、といってくださる人が現れた。
二つ返事で、ぜひ! と答えたいところだが、迷っている。

聴かないから妄想で、妄想を逞しくすることで愉しめる。
ところが一度聴いてしまったら、
その妄想は幻想でしかなかった──、という心配をしているわけではなく、
その反対で、Audio Suiteの音に魅惑されてしまうであろうから、
そうなったら返したくなってしまうからだ。

そう思いながらも、Audio Suiteの音を聴いて、
THAEDRAのブラッシュアップの方向性を定めることもできるはず──、
そんなことを自分に言い聞かせてもいる。

こういう悩ましい時間も、実は楽しかったりする。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 映画
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Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その3)

IMAX 3Dの凄さを味わった人、
それも若い人たちは、ホームシアターを趣味とするのだろうか。

趣味としてもらわないと困る──、
と言うのはホームシアター業界の人たちだろう。

メーカー、輸入元、雑誌関係の人たち、ホームシアター評論家。
これらの人たちは劇場でIMAX 3Dを体験して、どう思っているのだろうか。

脅威と感じているのどうか。
私だったら、そう感じる。
けれど私はホームシアター業界の者ではないし、
ホームシアター業界の内情についてもまったくといっていいほど知らない。

けれど音元出版は数年前にホームシアターファイルを休刊している。
HiViにしても、ひところはほとんどの書店で平積み扱いだったが、
最近はそうではなくなっている。

遠い将来か近い将来、どちらなのかはわからないが、
いつの日か、IMAX 3Dのクォリティをホームシアターでも実現できるようになるだろう。

でもそのころには劇場のクォリティ(次元)は、さらに先をいっていることだろう。
このこと自体はとてもいいことである。

劇場のクォリティ(次元)がきわめて高くなることに全面的に賛成だし、
いつまでもそういう場であってほしい、と、
老朽化した劇場で映画を観てきた世代の私は、そう思う。

けれど、そのことがホームシアターという趣味を広く定着させていくかは疑問である。

ホームシアター業界は、すでに斜陽産業なのかもしれない、
とIMAX 3Dで映画を観るたびに思うようになっている。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その2)

私がいちばん映画を観ていたのは、20代のころである。
1980年代である。

あのころは休日ともなれば映画館をはしごしていた。
主に新宿の映画館を、一日で三館はしごしていた。

紀伊國屋書店の裏にあった映画の前売り券のみを扱っていたチケット店で、
上映されている作品の開始時間と終了時間を確認して、観る映画を決めていた。

このころはシネマコンプレックス(シネコン)は、まだなかった。
さすがは映画館! といいたくなる劇場もあったけれど、
老朽化している劇場も、まだまだ残っていた時代だ。

とにかく、この時代、邦画は敬遠していた。
なぜかといえば、音の悪い劇場が少なくなく、
セリフ(日本語)がひどく聞き取りにくいことがままあったからだ。

そして1980年代はAV(オーディオ・ヴィジュアル)時代の幕開けでもあった。
ステレオサウンドの姉妹誌であったサウンドボーイはHiViへと変っていった。

このころのハイエンドのホームシアターの実力は、
老朽化した劇場のクォリティを上廻っていた。

AVは、いつのころからかホームシアターと呼ばれるようになって、
さらにクォリティは向上していっている。

それでも──、といまは思う。
シネコンでIMAX 3Dで、きっちりとつくりこまれた作品を観ていると、
このクォリティは、ホームシアターでは無理だろう、と思ってしまう。

20代のころは、とにかく一本でも多くの映画を観たい──、
ということで映画館に行っていた。それはそれで楽しかった。

いまは、というと、IMAX 3Dでの映画を観るのがとても楽しい、と感じている。
それは私だけでなく、多くの人がそう感じているようだ。

20代のころは、スマートフォンはなかった。
映画を観るためのチケット購入は、劇場窓口かチケット店しかなかった。
いまはスマートフォンから買えるし、座席指定でもある。

私もそうやって買っているわけだが、
話題の作品の購入状況を見ると、IMAX 3Dのほうが人気があるようだ。
IMAX 3Dは通常料金に800円か900円が追加になる。

高いと感じるか安いと感じるか。
私はけっこう安いと感じている。
もちろん作品の出来が優れているという条件つきではあるが、
IMAX 3Dは新しい体験であるからだ。

そして思うのは、
ホームシアターで劇場でのIMAX 3Dと同じクォリティで観られるようになるのだろうか。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その12)

変換効率の高いスピーカーと変換効率の低いスピーカー。
以前書いているように、
現在と昔とでは、この高い(低い)の値が変化している。

私がオーディオに興味をもったころ(1970年代後半)は、
90dB/W/m前半の出力音圧レベルは、どちらかというと低いという感覚だった。

95dB/W/mあたりを超えたころから高い、というよりも低くない、という感じであって、
高いというのは最低でも98dB/W/m、100dB/W/mを超えると文句無しに高い──、
そういうものだった。

それがいまでは10dBほど低いところで、高い低いが語られている。
85dB/W/m程度で、高いといわれる。

しかも私より上の世代のオーディオ評論家が、
そんな感覚で、高い(低い)といっているのをみると、
この人たちの感覚も世の中の変化につれて変ってきていて、
そのことを自覚しているのだろうか、とつい思ってしまう。

別項「Mark Levinsonというブランドの特異性(その56)」で触れているFさんは、
いまから十年ほど前に、マーク・レヴィンソンとメールのやりとりをされていたそうだ。

レヴィンソンからのメールに、こうあった、とのこと。
     *
Personally, I have gotten tired of systems based on very inefficient speakers which need big power amps.
     *
訳す必要はないだろう。
レヴィンソンも、齢を重ねて、そうなったか。
マーク・レヴィンソンが主宰するダニエル・ヘルツのスピーカーのM1の変換効率は、
確かに高い。カタログには100dB/W/mとある。

マーク・レヴィンソンも、いわゆるダルな音にうんざりしているのだろうか。