音楽をきく(その3)
「どうでもいいことがどうでもよくはなくて、しかしどうでもよくはないものがなくても音楽はきける」、
これは「ステレオのすべて ’77」掲載の黒田先生の文章のタイトルである。
黒田先生自身によるタイトルなのか、編集者によるものなのか、
そこは判然としないが、私は黒田先生がつけられたのではないだろうか、と勝手に思っている。
ここには二枚のディスクが登場する。
一枚はフルトヴェングラーのベートーヴェンのレコードである。
もう一枚はシンガーズ・アンリミテッドのレコードである。
これらのレコードをきいている男は同じではなく、二人である。
フルトヴェングラーのレコードをきいている男は、
倉庫のようなところで、裸電球の下でフルトヴェングラーのベートーヴェンをきいている。
シンガーズ・アンリミテッドのレコードをきいている男は、
高級マンションの一室で、調度品も周到に選ばれていて、
そういう環境で、シンガーズ・アンリミテッドの歌をきいている。
黒田先生は《音楽の呼ぶ部屋がある》とも書かれている。
そして、こうまとめられている。
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要するに、お気に召すまま──だとは思う。みんなすきかってにやればそれでいい。倉庫のようなところでシンガーズ・アンリミテッドをきこうと、気取った猫足の椅子にふんぞりかえってフルトヴェングラーをきこうと、誰もなにもいわない。しかし、無言のうちに、そこでひびいた音楽が、そのききてを裁いているということを、忘れるべきではないだろう。
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黒田先生が、この文章を書かれた時よりも、
いまは実にさまざまなところで音楽がきける時代だ。
スマートフォンとイヤフォンがあれば、それこそトイレの個室でも音楽をきける。
そういう時代だから、
「どうでもいいことがどうでもよくはなくて、しかしどうでもよくはないものがなくても音楽はきける」、
このタイトルをじっくりと読み返してほしい。