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Date: 7月 26th, 2014
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その19)

オーレックスのST420のデザインは、どれだけ当時注目されていたのか。
1975年、私はまだオーディオに関心をもっていなかった。
1975年に出ていたオーディオ雑誌といえば、ステレオサウンドのバックナンバーはすべて読んでいるものの、
それ以外のオーディオ雑誌となると、ほとんど読んでいない。

なのではっきりしたことはいえないけれど、ST420のデザインについて、
オーディオ雑誌に何かを書いた人はいないのではないか。

アキュフェーズのT104が登場した1978年、
私はチューナーに対しての興味はいまほどではなかった。
チューナーのデザインに関しての興味もあまりなかったから、
ST420とT104のデザインの共通性についてまったく気がつかなかった。

でももし当時気づいていたとしたら、
アキュフェーズがオーレックスのデザインをマネした、ぐらいにしか思わなかっただろう。

いまははっきりと違う。
違ういまに、気づいて良かった、と思う。
そして、瀬川先生は、ST420のデザインに注目されていたはず、といえる。

ステレオサウンド 43号のベストバイの特集で書かれている。
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最近のオーレックスの一連のアンプは、デザイン面でも非常にユニークで意欲的だが、SY77は、内容も含めてかなり本格的に練り上げられた秀作といえる。
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「一連のアンプ」とあるから、アンプのことだけだと受けとめがちになるが、
アンプだけではないはず、チューナーも含めての、のことのはずだ。

Date: 9月 10th, 2008
Cate: Mark Levinson, 川崎和男

ずっと心にあったこと

1970年代の後半にオーディオに興味をもち始めた私にとって、 
MLAS(Mark Levinson Audio Systems)を主宰していたマーク・レヴィンソンは、 
ミュージシャンであり、録音エンジニアでもあり、 
そしてひじょうにすぐれたアンプ・エンジニア──、 
憧れであり、スーパースターのような存在でもあり、 
マーク・レヴィンソンに追いつき、追い越せ、が、じつは目標だった。 

LNP2やJC2をこえるアンプを、自分の手でつくり上げる。 
もっと魅力的なアンプをつくりあげる。 
そのために必要なことはすべて自分でやらなければ、 マーク・レヴィンソンは越えられない。 

そう、中学生の私は思い込んでいた、それもかなり強く。

とにかくアンプを設計するためには電子回路の勉強、 
これもはじめたが、一朝一夕にマスターできるものじゃない。 
(中学生の私にも)いますぐカタチになるのは、パネル・フェイスだな、 
かっこいいパネルだったら、なんとかなるんじゃないかと思って、 
夜な夜なアンプのパネルのスケッチを何枚も書いていた時期がある。 

フリーハンドでスケッチ(というよりも落書きにちかい)を描いたり、 
定規とコンパス使って、2分の1サイズに縮小した図を描いたことも。 
横幅19インチのJC2を原寸で描くための紙がなかったもので、 2分の1サイズで描いていたわけだ。 
(とにかく薄型のかっこいいアンプにしたかった) 

「手本」を用意して、いろいろツマミの形や大きさ、数を変えたりしながら、 
中学生の頭で考えつくことは、とにかくやったつもりになっていた。 

1977〜78年、中学3年の1年間、飽きずにやっていた。 
授業中もノートに片隅に描いてた。
けれども……。 

そんなことをやっていたことは、すっかり忘れていた。 
当時はまじめにやっていたのに、きれいさっぱり忘れていた、このことを、 
ある時、ステージ上のスクリーンに映し出されている写真を見て思い出し、 驚いた。 

このときのことは、ここで、すこしふれている。 

1994年の草月ホールでの川崎先生の講演で、 
スクリーンに映し出されたSZ1000を見た時に、
中学時代の、そのことを思い出した。 

あのころの私が「手本」としたアンプのひとつが、そこに映っていたからだ。 
デザインの勉強なんて何もしたことがない中学生が、 
アンプのデザインをしようと思い立っても、なにか手本がないと無理、 
その手本を元にあれこれやれば、きっとかっこよくなるはず、と信じて、 
落書きの域を出ないスケッチを、それこそ何枚と書いていた。

当時、薄型のコントロールアンプ各社から出ていた。
ヤマハのC2、パイオニアのC21、ラックスのCL32などがあったなかで、 
選んだのはオーレックスのSZ1000、そしてもう一機種、同じくオーレックスのSY77。

SZ1000のパネルの横幅は、比較的小さめだったので、 
まずこれを1U・19インチ・サイズにしたらどうなるか。
ツマミの位置と大きさを広告の写真から計算して、
19インチのパネルサイズだと、どの位置になり、どのくらいの径になるのか。 
そんなことから初めて、ツマミの形を変えてみたり、位置をすこしずつずらしてみたり、 
思いつく限りいろんなことをやっても、手本を越えることができない。 

SY77に関しても、同じようなことをやっていた。 
SY77は、オプションのラックハンドルをつけると、 19インチ・サイズになる。
これを薄くすると、どんな感じになるのか、という具合に。 

1年間やっても、カッコよくならない。 
「なぜ? こんなにやっているのに……」と当時は思っていた。 

その答えが、十数年後の、1994年に判明。 
同時に、われながら、中学生にしてはモノを見る目があったな、と、すこしだけ自惚れるとともに、
敗北に似たものを感じたため、やめたことも思い出していた。 

あらためて言うまでもSZ1000もSY77も、川崎先生の手によるデザインだ。