豊かになっているのか(その10)
今年のOTOTENに出展していたESD ACOUSTICは、中国の若いメーカーである。
中国は、衣食住足りて、いま文化的なことに目を向けている──、
そういう意見を目にした。
ESD ACOUSTICは、そういう背景から生れたメーカーなのかもしれない。
日本の、1970年代のオーディオブームも、そうだったのかもしれない。
高度成長期を経て、文化的なことに目を向けるようになってのオーディオブームだったのか。
そうともいえるし、
そうだとしたら、衣食住足りて、いま文化的なことに目を向けている」ということでは、
日本と中国も同じなのか、という気もする。
けれど違う背景がある、とも思っている。
決して衣食住足りている、とはいえない時代に、
オーディオに真剣に取り組んでいた人たちが日本にはいた。
五味先生がそうだった。
芥川賞を受賞されるまでのこと、
受賞されてからも、それ以前の生活とたいしてかわらなかったこと、
剣豪小説を書く決心をされるまでのことは、
五味先生の書かれたものを読んできている人ならば知っている。
そうであっても、五味先生は、いい音を求めて続けられていたからこそ、
「オーディオ愛好家の五条件」の一つに、
「金のない口惜しさを痛感していること」を挙げられている。
五味先生だけではない、瀬川先生もそうだ。
ステレオサウンド 62号、63号の記事を読んで、瀬川先生の少年時代の家庭事情を知った。
瀬川先生も「金のない口惜しさを痛感している」人であった(はず)。
衣食住足りなくとも、オーディオに、音に情熱を注いできた人たちがいる。
衣食住足りている時代以前の背景が、
日本と中国とでは違うのではないだろうか。
中国に、五味先生、瀬川先生のような人はいなかったのではないか。
中国だけではない、他の国でもそうなのではないだろうか。