Date: 6月 18th, 2015
Cate: 「オーディオ」考
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豊かになっているのか(その7)

数ヵ月前、友人と思われる学生ふたりが電車で話しているのが耳に入ってきた。
スマートフォンに関する話題だった。
ひとりはAndroidのスマートフォンを使っているようだった。
しかもいろいろと情報を積極的に得ているようでもあった。

もうひとりはiOS、つまりiPhoneを使っている人だった。
この人は、積極的にiOSについての情報を得ているわけではないようだった。

Androidに詳しい方が、iPhoneユーザーに自慢していたのが、そこでの会話だった。
「iPhoneでは、こういうことができないだろう」ということをくり返していた。

iPhoneユーザーは、AndroidユーザーがAndroidに詳しいほどにはiOSに詳しくないから、
何ひとつ反論できずに、ただ黙っていた。

Androidユーザーは、だからiPhoneよりもAndroidのスマートフォンが優秀だ、といいたげだった。
これと同じ話は、インターネットでも目にすることがある。

iPhoneには、こういう機能がない、Androidにはある。
だからAndroidが優秀なのだ、という。

実際に機能的に比較したら、Androidの方が多機能なのだろう。
そのことでAndroidを優秀を思う人がいるわけだ。

けれどスマートフォンのOSとしての優秀性は、機能の多さだけで決るものではない。
そんなことは明白なことだと思っていた。
けれど、どのくらいの割合なのかはわからないけれど、
多機能であることが優秀であること、と思ってしまっている人がいるのは確かだ。

多機能だから良しとする考えが、
選択肢が増えれば良し(豊かになっている)と捉えてしまうのではないか。

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